1.モリモリコンビ
ボクのクラスの窓側一番後ろの席。その席はいつも空いていた。席替えをしても、班活動として机を使うときでも、なにをしても、その席だけは、いつでも空いている。クラスみんなの罪悪感からか、この席は使ってはいけないという暗黙のルールが五年一組にはあったのだ。
ボクはその席を意識しないようにしていた。意識しないようにしている時点で、意識しちゃっているのだけれど、なるべく考えないように努力していた。
森岡ユウマ。その席の持ち主の名前だ。ボクの幼馴染で、一番の大親友だった友人である。「だった」と過去形を使っているのは、小学四年生の秋に、ボクとユウマは絶交したから。ボクたちは四年生の時から半年以上、会話をしていない。
「ユウマくんとはイチゴ組の時から一緒ね。小学校もこれからずっと同じクラスなんて、運命感じちゃう」
そうお母さんが言ったのは、ボクが小学二年生の時だ。お母さんは「運命」って言葉が大好きで、何かにつけて「運命」という言葉を強調する。お母さんとお父さんが出会ったのも運命。ボクがお母さんの元に生まれてきたのも運命。そして、ボクがユウマと仲良くなったのも運命だと言うのだ。
ボクは首を傾げる。
「いちご組? それっていつ? ボク、全く覚えてないけど」
「そりゃそうよ。だってあなた、まだ二歳だったんだもの。覚えてなくて当然」
お母さんはふふんと鼻を鳴らした。
二歳の時から一緒。これから先の小学六年間も一緒。運命。
それらの言葉は当時のボクをワクワクさせた。よくよく考えたら、同じ保育園に通ってるってことは、同じ地域に住んでいるってことだから、小学校も同じになるのはそんなに珍しいことじゃないんだけれど。
ともかく、それくらい小さな時から一緒にいたボクらは、好きな戦隊ヒーローも、サッカーが好きことも同じだったのもあり、自然と大親友になっていたのだ。しかも、ボクの名前は森川ツバサで、ユウマの名前は森岡ユウマ。だから、先生やクラスのみんなに「元気モリモリコンビ」なんて呼ばれたりしていた。ユウマは「ダサいからやだ」なんて言ってたけど、ボクはまんざらでもなかった。だって、親友との間に通称があるってすごくかっこいい気がしない?
ボクの小学校生活にはいつだってユウマがいた。毎日一緒に登校していたし、昼休みもユウマと過ごしていたし、放課後もしょっちゅうユウマと遊んでた。
だけど、ユウマとの関係が良好だったのは、小学三年生の終わり頃まで。四年生になった春の日、ユウマは人が変わったように暴力的になってしまったのだ。ユウマが悪魔に魂でも売ったんじゃないか、って疑うぐらいの変わりようだった。
ユウマはいつだってイライラしていた。男だろうが、女だろうが容赦しない。イヤなことがあるとすぐに怒鳴るし、人や物を殴ったり蹴ったりするようになった。
それに加えて、ユウマはまったく笑わなくなった。ユウマは低学年の時まで、いわゆる笑い上戸というやつで、しょっちゅう大きい口を開けて笑っていた。なのに、四年生になってから、片方の口の端だけをニッとあげて、人をバカにしたように笑うだけ。大笑いしている姿なんて、ずっと見ていない。
変わったのは内面だけじゃない。外見もまた、変わってしまったのだ。四年生の始業式の日。姿形をガラリと変えて登校してきたのである。髪の毛の先を茶色に染めて、格好もメタルっていうのかな? イカついトゲトゲした感じになっちゃって、どうも近寄りがたくなってしまった。その格好どうしたの、とさりげなくユウマに聞いた時、ユウマはボクの目を一切見ずに、
「別にどうもしてないけど。てか、オレがどんな格好しててもツバサには関係ないだろう」
と一蹴された。悲しかった。でも、ボクは、毎日ユウマに話しかけた。だってボクはユウマの親友だから。けれど、ボクの行動が気に障ったのだろう。ユウマの態度はいつもつれなくて、次第に無視されるようになった。
ボクはユウマのことを考えると、ため息が出た。それでもとにかく、ボクは元の明るくて優しいユウマに戻って欲しかった。だから、毎日話しかけたり、サッカーに誘ったり、ゲームをやろうって声をかけたりした。でも、ユウマはボクの誘いを全て断った。それどころか、ボクの悪口をみんなに言いふらして、ムカつくから無視しようって言って回ったのだ。
ボクはそれが一番つらくって、悲しくって、許せなくって……。色んな感情でぐちゃぐちゃになったボクは、もう二度とユウマに話さないことを決めた。言いかえれば、ボクとユウマは、寒さが増してきたこの日を境に絶交した。
「オレ、ユウマと遊ぶのやめるわ」
朝、ユウマが教室に来る前、タカユキは高らかに宣言した。タカユキはクラスのリーダー的存在の男の子だ。彼が右と言えば、みんな右に行くし、彼が左と言えば、みんな左に行く。そういう人を動かす力がある男の子だった。
「じゃ、わたしも」
「オレもそうする」
「ユウマくん、暴力的で嫌だったんだよねぇ」
「すぐ、悪口言うしな」
クラスのみんなが口々につぶやく。ボクは慌てた。これじゃあまるで、いじめみたいじゃないか。だけど、ボクはそれを口にすることはしなかった。だってほら、ボクもユウマに意地悪されて腹が立ってたから。
そうして、ユウマは、四年生の年明け頃から、孤立し始め、ずっと一人で過ごすようになったのだ。
ボクは一人でいるユウマを見るたびに、罪悪感に苛まれた。だけど、ボクにもプライドというものがある。無視されっぱなし、悪口言われっぱなしなのはすごく嫌だった。だから、一人になったユウマに話しかけないのは、ボクなりの仕返しのつもりだったんだ。
だから、ユウマが学校に来なくなった五年生の四月中旬、ボクはそのことに猛烈に後悔した。
五年生になって二週間くらい経ったある日、ほとんど皆勤賞だったユウマが学校を休んだのだ。一日だけならまだしも、二日、三日、一週間経っても、ユウマは学校に来ない。クラスのみんながざわつき始めた。
「風邪?」
「入院?」
「もしかして、悪いことして逮捕された?」
いろんな予想が飛び交う。暴力を振るうユウマがいなくなって喜んでいる人もいた。いやむしろ、ユウマが来なくなったことに喜ぶ人しかいなかったかもしれない。
ウワサがウワサを読んでいるというのに、ボクたちの担任になった青木先生は理由も教えてくれない。青木先生はいつも髪をワックスで固めてきちっとし、無口で、細長いメガネをしているとっても怖い先生で、クラスの人気は最悪だ。
一年生からずっと担任をしてくれていた谷口先生はというと、他の学校に転勤になってしまったのだ。それで、新たに青木先生がボクたちのクラス担任になったってわけ。学年にたった一つのクラスしかない小さな学校なのだから、谷口先生には最後まで担任でいて欲しかったのに、大人の都合というものは時に子どもにとって冷酷なものだ。
ユウマが学校に来なくなったのが当たり前になり始めたまだまだ梅雨が続く六月下旬。
その日はいつもと違っていた。
朝、ボクが教室に入ると窓側一番後ろの席が埋まっているではないか。ボクはびっくりして、その席に駆け寄る。ボクは机と友達を器用にかき分けて、近寄る。
ユウマだ。ユウマが学校に来ている!
心なしか、教室にいる全員の表情が硬い気がした。だけど、ボクはそんなこと全然気にならなかった。だって、ボクはずっと謝りたかったんだ。あの時無視してごめんねって、変な意地を張ってごめんねって謝りたかった。
ユウマを目にして胸が締めつけられる。なんて、声をかけよう。
ボクはユウマの席の前に立つ。いつもは気にならないのに、机の独特な香りがたちのぼっている気がした。
頬杖をついて窓を見ていたユウマの顔がこちらを見る。真っ黒で大きな瞳。金髪だけど、てっぺんが黒くなっているプリン頭。骨格のしっかりした上半身。不機嫌そうにへの字に閉じられた口。鋭い目つきでじっとボクを見つめている。
「お、おはようっ!」
声が裏返ってしまった。ユウマは頬杖をついたまま、何も話さない。
「おはよう!」
ボクはもう一度言った。
「……おう」
素っ気ない返事が返ってきた。なのに、嬉しい。久しぶりにユウマの声を聞いた。肌がビビビッて興奮で逆立つ。
「元気だった?」
「さぁな」
「休んでたとき何してたの?」
「知らん」
声をかけてみる。でも、会話が続かない。
「ツバサくんは優しいよねぇ……」
ぴくりとボクの耳が動いた。ボクの名前を誰かが呼んだからだ。自分の名前を呼ばれると、なぜかいつもよりも耳が良くなる気がする。いつもは聞こえないような小さな声も、耳に届いてくる。
ボクはユウマの方を見ながら、こっそりと耳をそばだてた。
「ああやって声かけてあげるんだもん」
「わかる。てか、ユウマくんって変わっちゃったよね」
「本当に。授業放棄のつもりか、ランドセルの代わりにジオラマなんて持ってきてるんだよ? ほんと、変な奴」
……ジオラマ? ランドセルの代わり?
ボクの耳はピクッと動き、視線は泳ぐ。
教室一番後ろのカラフルなランドセルたちがずらりと並ぶとロッカーを見た。ボクの一つ上のユウマのロッカーを見る。そこにはランドセルは入っていなかった。代わりに、緑色の小型模型……ミニチュアのようなものが入れられていた。
クリーム色のカーテンがふわりと舞う。窓が三分の二くらい空いているのだ。カーテンの隙間からちらりと、外を見る。先ほどまで青空が広がっていたのに、どんよりとしたねずみ色の雲が青を隠した。
冷たく湿った風が吹き込んできた。嵐が始まる前みたい。こういう嵐前の風は、不穏な何かが動き出した合図のような気がする。
「おい、聞いてんのか?」
突然、ユウマのイライラした声が響いた。
「えっ、ごめん……。なんだっけ?」
「だから、邪魔なんだよ。さっさとランドセルしまってこいよ」
「あ、あぁ……。うん、ごめん」
ボクは肩を落とした。せっかくユウマと話せる機会だったのに、バカなことをした。ユウマ本人じゃなく、他の子の言葉に気を取られるなんて、なんてバカなんだろう。風がボクの頬を撫でる。風は慰めてるというより、アホだなぁと笑ってるみたいだ。
「ほら、みんな席につけ!」
青木先生が怒鳴り声を上げる。
ボクは弾けたようにランドセルをロッカーにしまい、自分の席についた。 注意されるのは嫌だったのだ。
朝のホームルームが何事もなく終わり、授業がどんどん進んでいく。
真ん中に席があるボクは、時々後ろを振り返り、ユウマを見た。ユウマは見るたびに、毎回同じポーズをしていた。頬杖を突き、窓の外の校庭を眺めている。野球クラブやサッカークラブでも使うことのあるでかいグラウンドだ。
ユウマは外を見ているだけで授業を聴いちゃいない。だけど、生活態度に厳しい青木先生はユウマを注意しなかった。青木先生なりの気遣いなのだろう。だけど、もっといい気遣いの仕方はないのだろうか。五分休憩中に、他の子達が「ユウマだけ特別扱いかよー」と不服を漏らしているのを聞くと、胸が痛くなった。
帰りのホームルームになると、ユウマの異質さが一際目だった。なんてったって、ランドセルサイズのジオラマをもって机に座っているんだから。どんなジオラマなのか気になるけど、ボクの席からでは遠くてわからない。
「日直。挨拶を」
「きりーつ。きをつけー。れー」
「さようならー」
青木先生が指示をして、日直が気だるそうに号令をかける。全員のさようならの声は家に帰れる喜びで、朝の挨拶よりも明るい気がした。
「なぁ、ツバサ。公園でサッカーやろうぜ」
「それよりもさ、オレん家でゲームしね? バトロワやろうぜ」
「お、いいじゃんそれ! じゃあ今日は公園じゃなくて、ハルキん家に集合な!」
友人たちがワラワラとボクのもとにやってきて、好き勝手言って、放課後の約束を取り付ける。いつもの光景だ。だけど、今日は、
「ごめん。今日はちょっと用事があって、ボク行けないかも」
やんわりと断った。せっかくユウマが学校に来たのだ。放課後はユウマと一緒に帰りたいし、願わくばユウマと遊びたい。
「えぇ、マジ? ま、しょうがないか。もし用事が早く終わってオレん家に来れそうなら来いよ」
ハルキが笑いながら言う。
「うん。ありがとね。あと、今日あおせん(青木先生のことだ)に呼び出されてるから、一緒に帰れないや。ごめんね」
「うわ、まじかよ……。ご愁傷さまです。とばっちり受けるの嫌なんで、オレたちは先に帰らせていただきマウス」
みんなはふざけながら片手でごめんのポーズをして、そそくさと教室を後にした。
ごめん、青木先生。呼び出されてるって嘘つきました。だけど、それもこれもユウマと話すためなんです。なので、許してください。
ユウマはまだ教室にいた。ジオラマをじっと見つめていた。




