上手くいってるはずだった。
あらすじにも書きましたが、本当によくある話です。
ひねりも何もない。
と、思って掲載してなかったものなので、読んでがっかりされるかも。
あらかじめ謝罪を。
すみません。
ご了承の上お読み下さいませ。
中世ヨーロッパを思わせる町並みの昼下がり。
庶民が住まう貧民街の道には人々が荷物を手に忙しなく移動している。
それを縫うようにガラガラと音をさせて荷台押した男が走ってきた。
突然止まると、荷台に積んだ紙の束から一枚抜き取り高らかに空に向かって突き出した。
「号外!号外!王太子殿下が婚約したよ!」
街頭の新聞売りが号外を振りながら威勢良く声を上げる。
沢山の人が移動の足を止め新聞売りに群がっていく。
手に入れた人々が
「とうとうか!」
「おめでたいことだ。」
「これでこの国は安泰だ。」
なんて、口々に話し合っている。
人々の波が去り、ぼんやりとその光景を見ていたリリアナに紙が差し出された。
「ホラ!お嬢ちゃんもこれ家に持っていきな!」
号外を押しつけられるように渡される。
「でも、私、お金が・・・。」
と、リリアナは断ったのだが、
「目出度いことだからな。特別に無料だよ!」
新聞売りはウインクして、荷車を押し去って行ってしまった。
どうしようも無く号外に目を落としたリリアナの目に見出しが入ってきた。
“コードバン王国第一王子ライル殿下、シュリンク公爵長女フィオナ嬢と婚約成立。”
ライル殿下、8歳の誕生日に合わせ、婚約の宣言がなされ広く国内外に知らしめられる。婚約祝賀会の後は、各地を訪問・視察予定。
その下に視察予定地と日程が書かれていた。
ふぅん。
随分満遍なく回るんだな。
なんて感想が頭によぎった。
実際、国の端から端まで移動する日程になっている。
8歳の子供。
しかも、貧民街住人でありながら、文字が読めそれが理解できるだけの知識がリリアナにあった。
この国では福祉・教育が充実しており、リリアナもその恩恵を受けているのだ。
現に今も学校の帰りだ。
昨日まで、いや、今の今までそれを当然の物として受け取っていたのだが、急にそれに違和感を覚えた。
そして、脳内に蘇る様々な記憶。
色彩溢れる町並み。
ビルと呼んでいた、鉄骨コンクリートの建物達。
溢れる商品・食べ物。
同じ制服を着て、学校に行って、友達と語り合って、そう、ゲームなんかして。
女子校だったから乙女ゲームなんか協力して攻略したりした・・。
例えばコードバンって皮の名前じゃないなんて突っ込みを入れながら。
と、いうか。
「あれ?私って、もしかして乙女ゲームに転生した?」
良く読む転生小説みたいに熱を出したり、寝込んだりすることなくすんなりとテンプレ台詞と共にリリアナは覚醒した。
その時8歳だった。
リリアナの前世の記憶は薄ぼんやりしていた。
色々考えてみたが、恐らく高校三年生で止まっている。
どうやら、そこで人生終了したらしい。
何てことだ!
と、リリアナは焦った。
だけども、“案外この世界は悪くないはず。”と、思い直した。
と、言うのは、乙女ゲーのタイトルは覚えていないが、ヌルゲーだった記憶があったからだ。
ストーリーもテンプレ、ヤンデレキャラもおらず、変なミニゲームや作業ゲームも無い。王道テンプレの退屈寄りのゲームだった。
不満だった内容が今となっては安心材料だなんて立場が変われば感じ方も変わるものである。
記憶が確かならばゲーム本編が始まるのが15歳。
前世の高校にあたる王立魔法学園入学時からで、攻略対象者は、今婚約発表されたばかりのライル殿下、宰相子息、騎士団長子息、王宮魔術師子息などだ。
ライバル悪役令嬢は婚約発表されたフィオナ。
贅沢が大好きで人を人と思わない高慢な性格。
シナリオやスチル節約の為か殿下以外のルートでも悪役令嬢として立ちはだかる仕様だった。
フィオナは二歳年上ながら、公爵家の力でごり押しで婚約者になった設定だったはずだ。
18歳の卒業パーティで、既に卒業した身でありながら、またもや、ごり押しで出席したフィオナを断罪する。
その後ライル殿下ルートならプロポーズを受け、将来の王太子妃としてシンデレラのように王宮入りする流れだ。他の対象者ルートでも、それぞれの伴侶として華々しい生活が約束される。
ヌルゲーだけあってフィオナへの断罪も処刑とか後味悪いことにはならない。
貴族籍を剥奪され庶民に落とされるだけだ。
ゲームプレイ時にはきっちり断罪しないと物足りなく感じたが、リアルで処刑なんか見届けたくないし、自分のせいで軟禁されても後の事を考えれば面倒なだけだ。
平民没落でも充分フィオナにとっては辛い生活となるだろう。
だが、同情は禁物だ。
乙女ゲーに転生したとは言え、リリアナにとっては現実。
油断したりすれば人生が狂ってしまう。
狂ってしまうと言っても攻略失敗しても死亡エンドとかはない。
学校を卒業して市井に帰っていくだけだ。
生まれ育った街で自立した女性として頑張るみたいな最後だった。
それはそれで有りなのかもしれないが、折角成り上がるチャンスがあるのに、それを見逃すなんてあり得ない。
自分の選択肢によっては、セレブ生活か、元の貧乏暮らしか後の人生が決まってしまうのだ。
リリアナは、ヒロイン役を全うする事を心に誓った。
こんな所でボンヤリとしていられないとばかりに貰った号外を肩かけ鞄に仕舞い、駆け足で家に向かった。
前世の記憶の処理が追いつかないせいか、どこかぼんやりしつつも体は道を覚えているようで迷うこと無く足は進んだ。
だが、一足進むごとにリリアナとして生きてきた記憶が段々曖昧になってきているのは感じた。
前世も現世も記憶が曖昧になるという恐ろしい状態にリリアナは恐怖した。
思い出せることを、頭の中で必死になって整理する。
ゲームでのリリアナは母子家庭の庶民だった。
病気がちの母親の看病をしながら生きていく健気なヒロインという設定だ。
選択肢によってはお忍びで下町を散策していた攻略対象達を家に招く場面があったような覚えもあった。
どの攻略者ルートでもリリアナの住まいに絶句するやりとりがあった。
だけど、ヒロインは”貧乏は恥では無い。恥じる心が恥だ。”などと、どこかの偉人が言っていた言葉を丸パクリして、その堂々たる振る舞い(笑)に攻略対象者は胸を打たれるなんて流れだった覚えがあるが、今のリリアナは全く胸打たれない。
前世日本人としての記憶が戻り、ほぼ前世の人格になり変わってしまったリリアナには、攻略対象者が絶句するような生活環境に耐えられるか不安だった。
なんちゃって中世ヨーロッパ風の建物と習慣が残るこの世界。
どこまで忠実なのか不安しかない。
どんな風に今まで生活していたのか思い出せない。
日常過ぎて記憶に残っていないと言った方がいいだろうか。
今まで常識だったのだから、それを普通として受け入れていたのだから。
例えば、上階の窓から汚物を道に捨てるとかでも、それがいつもの景色なら、その世界の常識ならば何とも思わないのだろう。
トイレどうだったかな。
水くみとかしんどいだろうな。
風呂は毎日入れないだろうな。
どうしよう。どうしよう。ゲームが始まる前に生きてく気力が無くなるかも。
などとリリアナは不安に思いながら、家に着いたが、結論から言うと案外平気だった。
いや、思っていたよりマシだった。
何しろ家付近に着いたらリリアナとしての生活への記憶も所々戻ってきたのだ。
リリアナの記憶によると住居は貧民街の中でも、事情があって家を出された女性や、母子家庭・父子家庭・はたまた両親を亡くし祖父母が子供を育てている等、独り立ちするのが困難な世帯に提供された保護区の一つだった。
保護区はリンクと呼ばれ王都にいくつも存在していた。
リリアナの住む保護寮は保護区開設初期に建てられたもので、格安で、沢山の人を受け入れる為か一部屋が狭く最低限の設備しかない。
5階建てのエレベーター無し。
バストイレ、洗面所、キッチンはついておらず、寝室と居間の1Lしかない。
トイレと洗面所は各階に共用で設置され、上下水道は完備されていた。
トイレも水洗だったし、洗面所にも蛇口がついていた。
給湯設備は無いが、贅沢は言えない。
台所も無いために、食事は屋台へ買いに行くか、近くにある食堂に行くしかない。
食堂では、保護寮の人の為に一般客より早い時間に限り格安の食事を提供してくれるシステムになっていた。
早く食って、早く寝ろ。朝は早く起きて、早く食え。
そういうことらしい。
風呂も銭湯があったし、保護寮の一階に格安有料シャワーブースがつけられていた。
洗濯もコインランドリーのような洗濯場があった。
子供と言えども、銭湯や、食堂、洗濯場等でバイトとして軽作業を割り振ってもらえたし、報酬は食事券や風呂券など現物支給を受けることができるようになっていた。
同じように衣服でさえも支給制度があった。
品質はそれなりだが、頑張って働けばより良い物を支給されるよういになっていた。
あくまで現物支給なのは、子供が現金を持ち歩いて盗難被害に遭うのを防ぐ為らしい。
子供ながら働かなければならない環境ではあるが、長時間とか重労働は割り振られない。
それに貧民街でも衣食住が整っているお陰か、住人達は悲壮感無く身ぎれいだった。
保護寮ではそれぞれの体調や事情を踏まえて仕事も斡旋してもらえるし、病気になったら前世の医療保険のような制度まであった。
リリアナの母親は病弱ながら何とか仕事をこなしている。
だが、給料は住居費や薬代、雑費で消えていくため生活はカツカツだった。
他の家庭も似たり寄ったりの環境で皆が助け合いながら生きていた。
子供達は、この生活から抜け出そうと、朝から昼過ぎまで学校で勉学に励み、実際優秀な子は上の学校に進んでいった。
優秀な成績を収めた子は奨学金制度があったのだ。
ゲームでは、そういう細かい制度には触れていなかったが、確かに少数庶民が通っていた気がした。
学校には庶民枠の子の為の寮が整備され、各種費用も完全免除され、学業に専念できるようになっていた。
リリアナも前世チートのお陰か優秀な成績を治め、王立魔法学園に進学することが決まった。
病弱な母親も進学を喜び、感謝していた。
感謝を忘れないようにという母親の話を聞き流しながらリリアナは自分に言い聞かせた。
8歳で前世の記憶が蘇ってから7年。
想像していたよりも平和で安定していた生活だった。
貧乏ではあったが満ちていたし、保護寮区域の住民とは仲が良く、平穏に過ごせた。
だが、前世の記憶があるリリアナには物足りなかった。
ようやくやってきたゲーム開始、成り上がりの為の大切な時間だ。
これからがリリアナにとっての本番なのだと。
学園では攻略対象者を落としていかなくてはいけない。
これからが正念場と自分に気合いを入れ直した。
とは言え、予定通りにいけばリリアナに有利な世界なのは間違いない。
7年の庶民生活で身にしみたが、この世界では魔法を使える人は少ない。
魔力を持つ者のがほぼ貴族に限られる上に、上位貴族以外は小さな火を起こす、団扇で扇いだ程度の風を出すくらいしかできない。
よって、魔術師としての個人の力を高める研究よりも、魔力が込められた魔石を機械などに組み込んで活用する、所謂魔道具への研究が盛んだ。
学園では魔力が無くても学業優秀な生徒には庶民・貴族問わず門戸を開いていた。
一年時は普通科で一般教養を、二年目からは魔術師科や魔道具開発科などに分かれるカリキュラムになっており、ゲームの設定通りならリリアナは実習の事故で秘められた魔力が目覚めるはずだった。
珍しい庶民出の魔術師として攻略対象者達から興味を持たれチヤホヤされ、また貴族令嬢達からは冷遇される流れだ。
本当にゲームの通りに魔力が目覚めるのか不安だったが、それは杞憂に終わった。
思っていたより初期の実習であっさりと事故は起きた。
心の準備が無く焦るリリアナに対し、颯爽と殿下が現れ事故を納めてくれた。
以来、殿下がリリアナに興味を持ち、気遣ってくれるようになった。
心配していた事が余りにもあっさりと解決してしまった為リリアナは調子に乗ってしまった。
タイミングも悪かった。
ゲームの強制力パネェなんて感動してる所にイケメン攻略者達が寄ってきてくれて、チヤホヤされるのに理性が飛んでしまった。
油断せずに頑張ろうなんて思っていた気持ちは吹っ飛んでしまった。
攻略対象を一人に選ぶこともできず、逆ハーエンド狙いを選んでしまうほどにリリアナは浮かれてしまった。
お陰で貴族令嬢達の陰口や、仲間はずれは苛烈・・・ではなかった。
悪役令嬢であるフィオナが面と向かって文句言ってきたが、それ以上のことは無かった。
貴族と庶民では元々グループが違うので一緒になることも無かった。
それよりも、一緒に入った庶民組の子達の冷たいことに動揺した。
同じ保護寮区の出身の子は「殿下と一緒にランチとかちょっと無理。」と、言って離れていったし、他地区の保護寮出身の子も離れていってしまった。
寂しく思ったが攻略対象者達が優しく慰めてくれたので、すぐ気持ちは上向いた。
それでも時々、“婚約者がいる男性に近寄るな。”とか”“身分を弁えろ”とかみたいな手紙が机に入ってきたが、実害は無いためリリアナは気にせずにイベントをこなしていった。それこそ逆ハーをこの手にするために一心に頑張った。
お陰で、着々と攻略は進んだ。
一足先に卒業したフィオナが、どういう立ち位置かわからないが、マナー臨時講師や、アドバイザーや、訳のわからない用事で頻繁に学園にやってきてはリリアナに一言もの申して行くのが鬱陶しかったが言われるだけだったから聞き流した。
何より、泣き真似をするだけで攻略対象達が庇ってくれるのだ。
フィオナを攻撃して追い払ってくれる度にリリアナは何とも言えない優越感に酔いしれた。そして、卒業パーティの日。
その優越感は最高潮に達した。
殿下に贈られた美しいドレスを着て、他攻略対象者達から送られたアクセサリーを身につけて会場入りする。
視線を浴びるのがもう堪らない快感だった。
ゲーム通りに既に卒業生でありながら式に出席したフィオナに対し、ライル殿下を始め攻略対象者達が断罪をしてくれるのを夢を見るような気持ちで見届けた。
フィオナはイジメらしいイジメをしなかった。
嫌みを言った程度だ。
お陰で断罪についてはフィオナの態度を責める程度だった。
それよりもフィオナ自身の事贅沢な生活を送り国母に相応しくないことや公爵家国費使い込みに言及していた。
それらを理由に婚約破棄を言い渡し、公爵家の貴族籍を剥奪すると宣言されたフィオナは衛兵達に誘導され退場していった。
リリアナはフィオナの後ろ姿を見送りやりきった気持ちでいっぱいだった。
達成感の上に各攻略対象者から愛と忠誠を誓われ人生最高潮の幸せに浸った。
その日の夜は最高の気持ちだった。
寮で荷物を片付けながら明日以降の予定を頭の中で組み込む。
殿下達攻略対象者には母親とともに王宮に迎えると言われている。
家までは殿下の馬車で送ってもらい、家に戻って母親に事の成り行きを話し、荷物を纏め・・・とは言え、荷物自体はそんなに無いし、これからは王宮で贅沢三昧できるから貧乏たらしい支給品などは持って行かなくて良い。
王宮に戻ったら色々な物をいっぱいお強請りしちゃおう。
そんな風にわくわくして、ちっとも眠れなかった。
朝方ようやく寝付き、起きたときは昼だった。
寮の部屋から出ると、人気は全く無かった。
卒業パーティと同日に寮を出た子も居ただろうし、庶民枠の子達は卒業の報告に家に帰ったのかもしれない。
それにしても挨拶くらいしてくれたら良かったのに。
寂しく思ったが、そこに殿下から遣わされたと言う侍女が二人、服を持って訪ねてきた。
メイドに手伝ってもらい、殿下からプレゼントされた外出用の服を身に纏うと寂しさは消え、昨日の高揚感がまた蘇ってきた。
用意してもらった軽食を摘まみ、部屋の片付けを侍女の一人に任せ、残りの一人とリリアナは学園を後にした。
用意されていた馬車には殿下はいなかった。
一緒に行くと予定だったが所用で無理になったのだともう一人の侍女が言った。
違和感を感じたが早くと急かされて馬車に乗り込む。
久しぶりに通る道は色々と町並みが変わっていて楽しかった。
公園として整備されていたり、寂れていた所がきれいに補修されていたり目に見えて人々の生活は良くなっているようだった。
そう言えば母親からの手紙の話題でそれについて触れていたような気がした。
手紙は大体同じ内容だったので読み流してしまっていた。
生活が日々良くなっている事への喜びと、その恩恵を受けている事への感謝が綴られ、リリアナにも感謝の気持ちを忘れず、勉学に励むように願っているとの言葉で終わっていることが多かったのだ。
学園では学業と、対象攻略が忙しく家に帰ることは無かった。
家に招くというイベントは恥ずかしかったので敢えてスルーしていたが、たまには帰っても良かったかもしれないと思い返しながら家に入る。
「ただいま。」
声をかけても返事は無い。
狭い家の中で母親はソファーに腰掛け、新聞を読んでいた。
見出しには“王太子殿下婚約破棄”と、書かれてあった。
昨日のことがもう記事になっているようだ。
「それ。私にも見せて。」
リリアナは母親に強請り、差し出された新聞を受け取ると見入った。
そこには昨日の卒業パーティでの出来事が詳細に書かれていた。
ライル殿下がリリアナにプロポーズした事を書かれた所まで読んで、嬉しいながらも少し気恥ずかしい気持ちになり紙面に顔を隠すようにして言った。
「びっくりした?驚かせてごめんね。先にお母さんに言わないといけなかったんだけど。恥ずかしくって。」
「・・・・そうだね。恥ずかしいよ。」
嗄れた声がした。
「やだ。お母さん。」
驚きすぎて声が出ないのかと思い、顔を上げて母親を見た。
「・・・あんたがこんな恥知らずな事するなんてね。」
そう言う母親の顔は苦悶に歪んでいた。
「えっ?」
思わず聞き返す。
「なんて事をしてくれたんだ。あんたは一体今まで何を見てきたんだい?あたしはずっと言っていただろう?感謝を忘れるなと。」
「・・・忘れてないわ。」
驚きながらも言い返す。
ゲームのお陰で、楽しい生活を送れた。
リアル攻略ゲームは楽ではない。
ゲームではボタン一つで終わる所を実際にやらないといけないのだ。
移動だって歩かないといけない。
学園の敷地は広かった。
イベントが起きる場所を探したり、そこで待ち伏せしたり中々大変だった。
だけどもそれを無し終えた時、ゲーム以上の感動ややりがいを感じた。
ここに自分を連れてきてくれた環境に感謝を忘れたことはない。
「なら、すぐ、お詫びに行きなさい。・・・婚約破棄を無かったことにしてもらいなさい。身分も弁えず、王太子殿下の婚約者なんて。」
リリアナのスカートに縋り付くように母親は言う。
「母さん、離して。」
身動きが取れないリリアナは母親の手を何とか引き剥がした。
「どうしたの?母さん。」
リリアナは母親に視線を合わせるようにしてかがみ込んだ。
だが、母親の視線はリリアナをすり抜け背後にいる侍女へと向けられた。
「あぁ、後ろにいる人はお城の方ですか?」
リリアナの手を振り払い今度はそちらに縋りつく。
「娘はここから出しません。だから、許して下さい。そう伝えて下さい。お願いします。お願いします。」
虚ろな様子から段々鬼気迫った様子に変わっていく母親をリリアナは呆然と見つめた。
「何?どうしたの?何言ってるの?」
もうリリアナの姿も言葉も耳に届かない。
母親は只管侍女に頭を下げ続ける。
「お願いします。お願いします。」
と、繰り返すだけになってしまった母親を宥めようとして自分が努力して婚約者として選ばれたことライル殿下とは相愛であること、公爵令嬢は散財家で傲慢で婚約者として相応しくないから婚約破棄された事を噛んで含むようにして伝えた。
すると、キッと母親はリリアナをにらみ付けた。
「あんたは!まだそんな事言ってるのか!!」
侍女に向かって一生懸命頭を下げていたのから一転リリアナの肩を掴み突き飛ばした。
「なっ。何?お母さんっ。」
反動で座り込んだリリアナに母親は叫んだ。
「あんたみたいな恩知らず娘じゃ無い!」
「えっ?」
「出て行きなさい!」
余りの言葉にリリアナは頭がまっ白になった。
何を母親は言っているのだろう。
訳がわからない。
侍女に支えられながらリリアナは立ち上がった。
「お母さん。私は迎えに来たんだよ。この生活から抜けだせるんだよ。」
宥めるように言うが母親は“出て行け”と繰り返すばかりだ。
侍女が
「お母様は興奮されていらっしゃいますから一旦失礼しましょう。」
と、リリアナを促し、部屋から出た。
共有の廊下へと出ると一斉にドアが閉まる音がする。
同階の住人がこちらの様子を窺っていたらしい。
リリアナは各部屋のドアを叩いた。
「ねぇ。何が起きてるの?お母さんに何があったのか知ってたら教えて。」
同じフロアのおじさん、おばさん、その子達、皆、数年前まで一緒に助け合って生きてきたのだ。
リリアナが学園の寮に入った後も母親と助け合って生きてきたはずだ。
何か知っていることはないのか聞いて回るが扉を開けてくれる所は無い。
大抵はドア越しに
「王太子様の婚約者様にお話しできるようなことはありません。」
と、他人行儀な返答だ。
ついてきた侍女は
「リリアナ様、私にお命じ下さい。私どもが聞いて参ります。」
と、鬱陶しくも止めてくる。
リリアナは侍女の願いを聞く余裕は無かった。
ずっと住んでいた自分が聞いた方が早いに決まっている。
行動を改めないリリアナに焦れたのか侍女も
「リリアナ様のご下問だ。答えなさい。」
と、口を挟んでくるようになったが、住人達は
「答えられることなんてありません。」
と、口を揃えたように返答をするばかりだった。
リリアナは途方にくれた。
思っていた反応と違うのだ。
母親も近所の皆も、祝ってくれると思っていた。
なのに母には怒られ近所の人からは腫れ物に触るような対応だ。
このままでは帰れない。
母親を連れて帰り、幸せを掴むんだ。
その思いから引き下がることが出来ない。
断られても、また他の部屋のドアを叩いて聞いて見る。
それが5件目になろうかとした時、突然部屋から母親が出てきて叫んだ。
「お前はっ!!!近所の皆さんにも迷惑かけてっ!なんて子だ!あたしをここに住めないようにしたいのかい?皆さんすみませんっ!私の躾が悪くて皆さんにまでご迷惑かけて本当に申し訳ありませんっ!!」
ドアを開けもしない、姿を見せない近所の人に対し、その場で頭をしきりに下げる母親にまたもやリリアナは唖然とした。
「どうしたのお母さん。頭をあげて。」
リリアナが母の肩に手を置いて宥めようとしたが母はリリアナの手を振り払った。
「あんたはっ。本当に誰のお陰でここまで生きてこれたと思っているんだい。」
「お母さんのお陰だと思っているわ。近所の人にも助けてもらったお陰よ。」
後半は聞き耳を立てているであろう人達に対して付け足した。
「何言っているんだ・・。」
呻くような声がした。
「えっ?」
リリアナの言葉に感極まってくれるはずの母親は正に恨みの表情で見上げてきた。
「この保護寮も、あたし達の仕事も!全部尊きお方が調えて下さっているんだよ。」
「・・・・尊きお方?」
リリアナは首を傾げた。
「まさか。知らないのか。」
「嘘だろ。」
コソコソと廊下側から声が聞こえた。
もちろん窺うように薄く開けた個々のドアからだ。
「何?何なの?」
リリアナの質問に逆に呆れたような顔が返ってくる。
「教えて無いんだ。」
「確かに言うなって言われていたけどさ。」
「それでも気づかないか?」
今や、コソコソとした囁き声はザワザワとした大きさになっていた。
知らず、他のフロアからも状況を見に人が集まっていたらしい。
廊下には人が集まっていた。
見られていたことにリリアナは顔を赤らめた。
どうやら自分が恥ずかしいことをしたらしいと悟った。
母親は頭を下げっぱなしだ。
「そこまでにして下さいな。」
突然、声がした。
だが、その声には聞き覚えがあった。
「フィー様だ。」
「フィー様だ。」
ざわざわと広がる声は先ほどまでと違って歓喜の色を含んでいた。
「開けて下さる?」
その一言で、ザッと音がするように人の波が割れた。そこにはフィオナが立っていた。
華美では無い平民服を着ていても、その気品は失われていなかった。
「何で?」
リリアナは思わず問いかけた。
侍女もリリアナを守るようにフィオナの前に立ち塞がった。
二人にフィオナは頭を下げた。
非の打ち所のない美しい所作で。
王太子付の侍女も貴族の端くれだ。
行儀見習い、家庭の事情等で王宮に上がっている女性ばかりだ。
だからこそフィオナの身のこなしに垣間見える努力がわかったのだろう。
その淑女の見本のような立ち居振る舞いに息を呑んだ。
「何でよっ!」
その場の空気を持って行ってしまったフィオナを見て、リリアナは叫んでしまった。
何でここにいるのか。
しかも、今、この場所へ。
そう思うと腹立ち紛れに大きな声が出た。
ザワリ。
声が波になってリリアナを揺るがした。
周りを見てみると薄く開いていた廊下のドアはそれぞれ大きく開きリリアナを嫌悪に歪んだ目を向けてきていた。
その癖フィオナに対しては真逆の視線を向けている。
まるで昨日の卒業パーティと真逆のような状況だ。
リリアナは叫んでしまった。
「あんたが!何で!ここに!」
叫ぶリリアナに対しフィオナは無表情のまま侍女の方へと向き直った。
「恐れ多くも王太子殿下婚約者様のご下問を受けました。」
その言葉に呆然としていた侍女も我に返った。
「リリアナ様のご下問に答えなさい。」
フィオナは、また軽く頭を下げると、
「昨日殿下より身分剥奪の上、婚約者様ご生誕の地で平民の生活を学ぶようにとご下命を受けました。」
と、侍女の方へ向かって答えた。
「なっ。何?どういうことよ???ここで暮らすってこと?」
リリアナの質問に対しフィオナは少し眉根を寄せた。
「答えてよ。」
侍女も困ったような顔をしたが、「答えよ。」とフィオナに声をかけた。
「さようでございます。婚約者様がご生母様をお迎えなさった後の部屋に入居し暮らすことで婚約者様の今までの御苦難を体験せよとのお言葉を賜りました。」
「つまり?私が母さんが引き払ったこの部屋で、暮らすってこと?」
回りくどい言い方にリリアナは少しイライラしていた。
フィオナは、またリリアナを見ず侍女を見た。
侍女が頷いたのを見てから。
「はい。仰るとおりでございます。」
フィオナの返答を聞いて一斉に周りはざわめいた。
こちらを窺うように一定の距離を保っていた他の住人達が各部屋から、階段の踊り場から押し寄せてくる。
「下がりなさいっ!」
身の危険を感じた侍女がリリアナを庇うようにして立ち叫んだ。
だが、住人達はリリアナでは無くフィオナを取り囲んだ。
「フィー様、ここに住むのですか?」
「そうよ。」
フィオナは穏やかな笑みで答えている。
学園では一度も見たことのない優しい笑顔で、
「こんな所にですか?」
「・・・こんな所って、作った時はこれでも精一杯だったのよ。」
フィオナは困ったように首を傾げた。
「あっ、いや、そんな。私らは充分満足してますけど、フィー様には狭いんじゃないかって。」
「あら、そんなことないわ。これからは自分で掃除しないといけないからこのくらいの方が楽よ。」
フィオナが言うと、
「フィー様が掃除なんて。私たちがします!!」
「そうだ。私たちに何でも言って下さい。」
口々に住人がフィオナを助けたいとまくし立てるように言ってきた。
そこにリリアナの母親も、割り込んだ。
「私も、私も何かさせて下さい。娘がしたことの罪滅ぼしに。どうか。」
五体投地かと思えるほどの勢いで体を投げ出してくる。
「何してるんだ。」
「フィー様から離れろよ。」
「あんたの娘と行けば良い!」
口々に住人が厳しい声を母親に浴びせかける。
それをフィオナが手を上げて制した。
「どうか、責めないで。」
そう一言静かに言うだけで全員が押し黙る。
そしてフィオナは母親に向かって屈み手を差し出した。
「顔を・・・、いえ体を起こして下さい。あなたが悪い訳ではないのですよ。」
フィオナの優しい言葉に母親は泣き崩れる。
「良いですか?これは、殿下のお達しです。私の為に何かをしたいと仰るのならば、ご命令に従って貰えませんか?」
フィオナは次に侍女の方へ顔を向け頷いた。
侍女はハッとした顔をしてフィオナに頷き返すとリリアナの母親の手を取り立ち上がらせた。
「では、皆様、折角の門出です。荷物を纏めるのと掃除を手伝って戴けませんか?」
フィオナがそう周囲に声をかけると全員が整然と働き始めた。
いまや、この場はフィオナが制していた。
侍女ですら、フィオナの指示に従っている。
もちろん平民となったフィオナが目に見える形で命令などはしない。
ただ、それとなく匂わせることで、目線で、仕草でフィオナは侍女を動かした。
母親の荷物が少ない事もあったが、すぐに荷物は纏められた。
「それでは、お幸せに。」
フィオナはリリアナでは無く、母親に声をかけた。
母親は泣き崩れていた。
「ご協力感謝します。」
フィオナに対して警戒心を露わにしていた侍女も最後の方は態度を軟化させた。
軟化どころか心酔に近いだろう表情でお礼を言っている。
釈然としない気持ちでリリアナは生家を後にした。
何度も何度も母親が頭を下げる。
白けた目で見られ、当然のように誰も見送りをしなかった。
皆はフィオナに夢中だったからだ。
フィオナを囲み、荷物を運び入れるのを手伝い、傅くように話しかける。
まるで、フィオナが女王のようだった。
帰りの馬車内で母親は只管フィオナを褒め称えた。
美しく、慈愛の心を持つ最上の存在として褒めちぎりまくった。
逆に、リリアナの事は罵った。
そこで初めてリリアナは知った。
あの保護区の発案者がフィオナであり、出資者がシュリンク公爵家であったことを。
フィオナの、子供達に先入観を与えたくないという希望を受け、成人まではシュリンク家が出資していることは秘密とすることを教えられた。
ただ、こっそりフィオナが視察に訪れていたこと、保護区の名前がリンクであったこと、親がフィオナの新聞記事を切り抜いて大事に持っていたり大人の同士の会話・・・フィオナへの感謝を口にすることから気づく子は気づいていた。
リリアナの母親も、事あることに、主語をぼかしてではあるが“感謝を忘れるな”と口にして伝えてきたつもりだったが、我が子ながらここまで愚かだったとはと嘆いた。
言われたリリアナは、ただただ愕然としたが、城に到着すると更に驚く羽目になった
正門で名を告げるが裏門に誘導され、王宮では無く離宮に通された。
離宮とは言え、生家に比べれば贅沢な造りだ。
そこで待たされてようやく現れたライル殿下に沈痛な面持ちで告げられた。
リリアナを婚約者とすることはできないと。
よって王宮に連れていくことはできない。
この離宮と愛妾の立場を与えるから、ここで暮らすようにと、続けられてリリアナは絶句した。
何故?
との問いに、ライル殿下は顔を歪ませて答えた。
正式な手続きを踏まずに婚約破棄をしたこと。
更にはシュリンク公爵家を罰したことで非難を受けていると。
本来なら廃嫡もあり得たが、跡継ぎがライルしかいないため謹慎処分となった事を。
しばらく信頼を回復するまで仕事に専念することを告げられ、そのまま離宮から出て行ってしまった。
リリアナはライル殿下の背を絶望的な気持ちで見送った。
ライル殿下は、戻ってこないだろう。
体の良い軟禁だ。
何を間違えてしまったのだろうか。
と、リリアナは思った。
選択肢も、イベントも間違えなかった。
なのに、どうして。
これでは良くある悪役令嬢ざまぁモノみたいじゃないか。
だけども、フィオナも没落した。
没落・・・。
そこまで思ってリリアナはハッとした。
フィオナは晴れ晴れとした顔をしていた。
それに、母親の言葉によれば、あの保護区はフィオナの発案だったと言う。
どういうことか、調べなければと、いつの間にかいなくなった侍女を探しに動こうとしたリリアナの前に母親が立ち塞がった。
「どこに行くつもりだい?」
「どこって、侍女を探すの。どうしてこうなったのか調べないと。」
「侍女様なんていないよ。」
母親は冷たく言う。
「どういうこと?」
「私が帰したよ。あんたと二人、なんとでも生活できるよ。」
「なんで!そんな勝手に。」
「あんたのしたことの方が勝手なことだろう。婚約者のいる身分も上の人を誑かして。皆を不幸にして。」
母は鼻でわらった。
「不幸にしていない!!」
リリアナは言い返した。
「あたしは不幸だよ。」
即答されてリリアナは言葉を呑み込んだ。
自分は楽をさせてあげようと思った母親を不幸にしたのだと思い知って。
こんなはずではなかった。
ヒロインと、王子二人は思い合って、物語のエンド後を楽しく過ごすつもりだった。
未来は正しくバラ色だったはずだ。
「物語で最後はハッピーエンドって決まっているのに。なんで・・」
呟くリリアナに母親は更に冷たく言い放った。
「物語?何を言っているんだい。これは現実だよ。あたしは、あんたをここから出さないよ。それが、あたしのせめてもの償いだ。」
と。