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スローにグッドバイ

作者: 雨子




いったいどこで間違ったんだ。

中澤喜弘ナカザワヨシヒロが思わず思考を止めたのは堀井和歌子ホリイワカコと久々に佐賀で出会ってすぐだった。

話があると言われ席についた空港近くのいつものミスドで突然告げられた。

「別れたい」ワカコはしっかりした口調でそういった。決意のある面持ちでそう告げるワカコは凛々しく、

彼女がこういった主張を簡単には曲げないことをヨシヒロは知っていた。


さっきまで考えていた今日の楽しいデートプランは立ち消え、手元にあるポンデリングが憎たらしかった。

二人はお互い大学生で東京と佐賀の遠距離恋愛をしていた。

福岡の同じ高校出身のふたりは大学進学時に東京と佐賀に離れてしまっていた。

それでもこうして機会を見つけては会っており、今回はGWの休みにヨシヒロが佐賀に会いに行き4日間、楽しく過ごすはずであった。


「好きな人でもできたの」「何があったの」回らない頭でなんとか言葉を紡ぐ。少しだけ理解はしていた。半年前から関係が悪くなっていたこと。

最近連絡を互いに取り合っていなかったこと。今日いつもと何か雰囲気が違ったことも。


ワカコはしっかりと顔を上げてこちらの目を見てあらためて、「もう好きじゃなくなったの。私と別れてください」といった。

続けて「好きな人はいない」「この関係が辛くなったの」と悲しそうな顔をした。


そんな顔も、今日の紺色の服装も、そのポニーテールも、全部好きだよ。いつもかわいい。言葉は出ず、ヨシヒロは黙っていた。


ワカコはさらに「会えない時間が苦しくて耐えられない。好きだけどこんなに苦しいのは嫌だ。彼氏がいない方がずっとよかったかもしれない。半年以上前から悩んでいた」と立て続けに話した。話しながら静かに泣き出した。

ワカコのことだから本当にずっとずっと悩んでいたのだろう。自分の中で答えを出すのに何度も考えていたんだろう。そういう子だ。強くて、芯があって、でも脆くて、悩んで悩んで、そして一度決めたことはやり通す子だ。ぼくは知っている。聞きながらヨシヒロもいつのまにか泣いていた。


その後ミスドでお互いに話したが、結論は変わらないように思えた。

ワカコは別れたい。ヨシヒロは絶対に別れたくない。話は平行線のままだった。



不意にワカコが言った。「さよならデート、してみないですか」


さよならデート。


馴染みのない言葉だがワカコは優しく説明してくれた。

ワカコの好きな恋愛小説の短篇の中の言葉で、別れるカップルが最後だからこそ盛大にするデートのことらしい。

要するにいつもしてこなかったことや豪華で特別なデートを最後にしたい、ということらしかった。


「綺麗に別れられないし、こんな形でお別れするのも嫌だから、どうですか」

「いいかもね」

そういったしゃれたことを時々したがるのもワカコの可愛いところだった。ワカコの全てが好きだった。

なんで別れる相手にそんな優しさを見せだろうか。まだ希望はあるのだろうか。

ああ、叶うならこの子と将来も一緒にいたい。

計画性なんてまるでないくせに将来に楽観的な希望を持つのがヨシヒロの悪いくせだった。



その後二人は長居しすぎるのもどうかと思い、ミスドを泣きはらした顔で出た。

その足で近くの本屋へ行きその『さよならデート』の書かれた短編を立ち読みした。

しっとりとしてきれいなお話だった。本の中のさよならデートは意外にも、カップルがいつもの日常をゆっくりデートして終わっていた。



二人はさよならデートをする。

ワカコはきっと、最後に二人での思い出を綺麗に、そして何よりヨシヒロへの優しさで、別れるために提案してくれたのだろう、と思う。

そして、、、別れたくないヨシヒロはこのさよならデートをよりを戻すきっかけにしよう、と固く決意する。

二人で過ごせばこんなに幸せだ、ということをもう一度ワカコに示すのだ。その思いを胸の内に秘め、



そして、二人のさよならデートが始まる。



 2



さよならデートは存外、とても楽しく始まった。午後4時を回った頃だろうか、ヨシヒロは楽しんでいた。ワカコも楽しんでいるように見えた。

「最後にカラオケ行きませんか?」


そう言われて30分後、二人は本屋からワカコの車で近所のカラオケ店に向かった。

もともと二人とも邦ロックが好きで、お互いに好きなバンドのCDを貸しあったり、そういえば夏フェスに行ったこともあったっけ。

しかし今までカラオケには数回しか行ったことはない。ふと疑問に思いワカコに聞くと、

「だって先輩、だいぶ前に行ったとき私の前で歌うの恥ずかしがってたじゃないですか、それ以降気をつかって誘わなかったんですよ」

「そういえば、そうだったかもしれない」


カラオケにいかない理由もワカコらしいものだった。

また、二人は高校時代に先輩後輩の関係だったので当時から今の大学時代に至るまでワカコはヨシヒロのことを「センパイ」とよんだ。

ヨシヒロもまた、ワカコに呼ばれる「センパイ」の響きが気に入っていたからだった。


カラオケに着くと近くにコートをかけて流れるようにデンモクで曲を入れたワカコの動作は自然で、彼の見たことのない一面だった。

「歌うのも上手だし慣れてるけど、友達とはよくいくの」

「まあ、割と、ストレス発散になるし好きですよ」

二人は別れると決めてから、驚くほど素直に会話ができていた、ワカコが過剰に気をつかわなくなったのも1つの要因だろう。ヨシヒロもまた同じだった。

なんだか別れる前なのに、付き合う前みたいだな、とヨシヒロはひとりごちた。


それまでワカコは付き合い出して1年ほど経って、ヨシヒロのことが本当に大好きになってからは、嫌われることを過度に恐れて時々ぎこちない時があった。

彼女は時々「好き過ぎて嫌われるのが怖い。しばらく立ち直れない」と悲しそうに言っていた。

その時は毎回冗談かと思いあわてて抱きしめてはいたが、こうも気をつかわれないと好意の無さが明白な気がして、少し寂しかった。



ヨシヒロにとってワカコは高嶺の花だった。高校時代成績トップで生徒会長をしていた彼女は周りの人や先生方からも尊敬され、そして時折とても必死そうだった。当時落ちこぼれで高校に行くやる気もない。将来の生活も楽観的に考えていたヨシヒロは毎日校門前で挨拶運動を熱心にするこの子を見るうちに次第に惹かれていった。いつも必死なこの子がなんでこんなに頑張るのか知りたい、願わくは支えてあげたい、と。

彼女の外見がすごくかわいくて魅力的だったのも理由の一つだった。


そんなことを思い出す彼に目もくれず、ワカコはヨシヒロがあまり詳しくない「打首獄門同好会」をひたすら激しく歌っていた。

彼女自身もどうやら、このさよならデートを楽しもうとしているようだ。

そう思うとヨシヒロはどうせうまく歌えやしないのに「クリープハイプ」の「手と手」を打ちこんだ。



初デートはいつだったか。友達としてカラオケに行ったような気がする、カラオケなのに横に座ってひたすらにお互いのことを喋ったり、aikoをヨシヒロが歌って盛り上がったり、そんななんでもない日々を積み重ねた。次第にヨシヒロの一方的だった恋心やっと両思いになり、少しばかりの甘い同棲期間を得て二人はこれからも一緒にいると思っていた。思っていたんだけどなあ。


ヨシヒロはミスドでの会話を思い出していた。

「センパイのことが好きになりすぎちゃったんです」ワカコは何度も言った。

「好きすぎて、会えない時、連絡を雑にもらう時、私ばかりが好きな気がして、苦しいんです」

ヨシヒロは自分はずっと、ずーーっとワカコのことが好きなのに、それは変わらないのに。

そう思いながら、でもワカコの苦しい顔は見たくなくて、連絡を取らない自分が悪いと思った。

ワカコが激しい曲を歌う中、ヨシヒロは今日に至るまでのあれこれを考えていた



カラオケで歌うこと数時間、お互いに声がかすれだした頃、曲が止まりcmが響く小さな個室でどちらともなく

「次はどうしますか」と目をあわせた。



 3



「ねえ、先輩、これからさ、最後にホテルに行って朝までいーっぱいエッチしませんか?」


夜7時ごろ、カラオケを出て止めていた車の中に入り、少ししてワカコがいった。その目には心なしか涙が浮かんでいた。

「それでさ、エッチしたら、もう絶対に絶対に、二度と会わないんです。素敵じゃないですか?」


「だったらしたくないな」ヨシヒロは即答した。確かに魅力的な提案だった。

それが彼女の本音か、それともあの短篇をまねたのか、ヨシヒロにはそんなこと分からなかった。

いっぱい泣いた後のセックスはとても敏感で気持ちいい。彼女の絹のような白く美しい肌にもう一度優しく触れたい。

そんな願望がよぎったが頭は冷静だった。


「一生会えなくなるなら、セックスしたくない、ずっと好きだよ、それで、また会いたい。偶然でもいいから、また」

「だったらなんであの時返信してくれなかったんですか、もう、私は冷めちゃいましたよ」

それきり車内の会話はとだえた。


ヨシヒロはさっき読んだ短篇集のカップルにも似たシーンでもカップルはセックスしなかったよな、と思い返した。

また行為のことをいつも「セックス」ではなく「エッチ」というワカコをたまらなく愛しいと思った。

そしてそんな彼女に冷められた自分にひどく後悔した。



そして二人は別れた。翌日の予定を立てながら。


ワカコは自分の車をしばらく走らせネットカフェに止めると、3泊予定の荷物をリュックいっぱいににつめこんだヨシヒロをそこで下ろした。

「私は彼氏じゃない人を部屋に入れるほどお人好しではありません」強い口調でいう彼女はそれでもここまで運転してくれた。

それだけでも嬉しい。しかし今日この後、いつものように、あの狭いシングルベッドで二人抱き合ってねたり、小さなテーブルでひざを寄せ合ってご飯を食べることができない現実を突きつけられると、ヨシヒロはひどく胸が痛くなった。二人で見るために持ってきたDVDも、用意してきたお土産もかさばっていた。

胸の痛みは止まらなかった。泣いてしまいそうだった。本当に今日は涙が止まらない、運転中も、ミスドでもカラオケでも、彼女を見るだけで付き合った4年間の思い出があふれてきて、目からこぼれてくるようだった。


「何もしないから、家に一緒に行ってもダメかな。」

ヨシヒロはダメだと分かっていてもすがるほかなかった。結局何度かの言い合いの後、明日会う時間を決めて、二人は佐賀のワカコの家の近くで別れた。

ワカコは優しくて、厳しかった。



 4



目を覚まして最初に目に入ったのはやけに低く見える天井だった。ヨシヒロは目を覚ました。そうだここは佐賀のネットカフェだ。東京でも彼女の家でもない。狭いリクライニングシートに薄っぺらな黒の毛布と共に横たわっていた。体のあちこちが痛い。丸まって寝たせいだろうか。手前にあるパソコン机には飲みかけのリアルゴールドが黄金色に輝いている。時計を確認した。朝の8時半。いつものようにお互い寝たふりをして彼女とじゃれあう朝は再び訪れるのだろうか。15分300円という値段設定が妥当なのかどうかわからないシャワーを浴びながら今日のプランを確認する。昨日振られてからネットカフェに行くまでの記憶を思い出す。昨日家に行くことは拒否された。しかし別れ際4日間も会う約束をして1日でバイバイはおかしい、というのがヨシヒロの主張だった。


その結果二人のさよならデートは延長戦に入った。


続けさせてくれたのはヨシヒロの必死さゆえか、あるいは・・・。


無料のモーニングを食べた後、入り口で購入した携帯歯ブラシで丁寧に歯を磨くと、コンタクトをしてじっくり鏡を見つめ直す。すっかり泣きはらした目元は相手も同じだろう。そう思うと笑えてきた。その後、ヨシヒロは10時の待ち合わせまで落ち着かなかった。勝負の日だと思われるのは恥ずかしいが緊張しているのもまた事実だ。まるで初デートの頃のようだった。昨日ほど泣かないぞ、楽しくしよう、ヨシヒロは決意した。


待ち合わせ時間きっちり5分前に来た彼女はやはり泣きはらしたような顔なのでヨシヒロは思わず笑いながら

「今日もよろしく、やっぱりかわいいいなあ」といつものノリで言ってしまう。

ワカコは嬉しいのか恥ずかしいのかそれらを隠すような強がった声で

「今更そんなこと言っても無駄ですから」となんでもないふりで返した。

いつも言っていた「かわいい」の一言さえ拒否されながら、でもその少し照れる反応すら可愛くて、胸の奥が痛くなる。

結局今日もたくさん泣きそうな予感がした。


「今日は福岡のキャナルシティに行きたいな。運転してくれるかい?」

「センパイの最後のお願いですからね。全くセンパイはしょうがないなあ」

ワカコは優しい口調で少しだけ笑った。


「普通最後のデートで女の子に運転までさせますか」

「だってワカコの方が慣れてるから、安全だろ」


二人はお互い免許を持っていたが、デートや旅行ではもっぱら車をよく使っているワカコが運転席、ヨシヒロは助手席だった。

今までは気にならなかったが、当たり前のように定位置だった助手席も、今日で最後なのかと思うと嬉しくもあり悲しくもあった。

「センパイ、そんな悲しそうな顔しないでください。センパイならきっと東京で素敵な彼女ができますよ」

昨日からたびたび告げられるその一言はとても残酷な響きだった。君以上に素敵な彼女はいないよ、そう言えたらどんなに楽か、ヨシヒロは上を向いた。


しばらくして彼女の運転する車で二人は高速に乗り福岡に向かった。途中、買ってきた手を汚さないタイプのお菓子が全く同じだったこと。車内に響くワカコのいつもかけているらしい曲がヨシヒロの教えたバンドだったこと。最近おすすめの映画が、大学の授業の面白い先生が、二人でのたわいのないおしゃべりは尽きなかった。ああ、ずっと話してたいな。ヨシヒロは時々横顔をみてワカコの鼻筋と綺麗な色の瞳に見とれていた。ワカコはたまにこちらを見ることはあっても以前のあの熱っぽい眼差しではなくなっていたように感じた。ひどくクールで顔をつくっているようにさえ見えた。2ヶ月でこんなに変わるものなのか。まるで他人のように振る舞うワカコは徹底していた。彼女も、元彼女として覚悟をして今日に臨んでいるのかもしれない、とヨシヒロは感じた。


こちらも覚悟して「かわいいよ」「好きだよ」と、昨日は伝えなかったいつもデート中使う言葉を何度も口に出した。

会っていると本当にいつも心の底から出てくる感情だった。

「今更言っても遅いですよーだ」「いわれるのも今日が最後ですもんね」

ワカコの返事は依然としてそっけないものだった。



 5



ヨシヒロが最後のさよならデートに提案したのは福岡の博多にある大きめでおしゃなショッピングセンター、キャナルシティだった。地元の人には”キャナル”と呼ばれて中学、高校生のデートスポットとしてなじみがあった。二人も福岡の高校時代からよく訪れては映画を見たり帰りにプリクラを撮ったものだった。

思い出の場所として行きたかっただけでそれからの予定を何も決めていなかった二人は軽いランチを食べ、自由にウィンドウショッピングをしてまわった。それはとても穏やかな時間であると同時に、彼女が興味津々に面白そうな雑貨を見てはしゃぎこちらを向くだけで胸が張り裂けそうになる痛みを感じていた。その想いを除けば特に買い物をせず二人で館内を見て回ることは楽しく、あっという間に時間は過ぎていった。ヨシヒロはこのデートで間違いなく彼女をもっと好きになっていた。


「夕食はそこのシェーキーズにしようか」、さよならデートは豪華にするなんて書いてあったけど、結局二人は高校の時から行き慣れた安いピザの店をえらんだ。

ワカコもむしろ嬉しそうだった。

この店は事前会計制なのだが、最後だから、とおごろうとするヨシヒロに最後までワカコは抵抗し、いつものように二人はワリカンで店内に入った。

ならばとワカコの好きなシーフードを多めにとって彼女から渡されたソフトドリンクで乾杯をした。すると直後、ワカコが目元をおさえた。

「どうかしたの」突然泣き出しそうになるワカコを見てヨシヒロはひどく驚いた。


「私がピザはエビとかシーフードが好きだって、先輩にいったことありますか、私、人にあんまりそういうの伝えなくて、だから」

騒がしい店内の中でその震えている声ははっきりと聞こえた。

ヨシヒロは自分でも驚くほど優しい声をだした。

「4年間も一緒に過ごして1年間半ぐらいは同棲してただろ、そのくらいわかるさ」


ワカコは泣いた顔を見せないようにとハンカチで赤くなった目元をふき、エビのピザに手を伸ばした。


騒がしい店内で二人はまた泣きながら思い出を語った。

「何年か前に二人でキッチンに立ってピザを作ったね、上手にできて楽しかったなあ」

「美味しかったですね。餃子も、手巻き寿司もしましたよね、幸せでした」

「一緒に抱き合っていると君はすぐ寝ちゃうんだよね」

「きっといつもセンパイといて安心してたんですよ」

「同棲中は本当に幸せだったなあ。人生で一番幸せだったかもなあ。二人でお風呂にも入ったし」 

「ちょっと、こんな場所でそういうこと言わないでください」

会話は止まらなかった、全てを思い出しては忘れようとしているのかもしれない。4年分の思い出はいくら話しても尽きなかった。

次から次に出来立てのピザが飛び交う中、泣きながら話しているのは二人だけらしかった。

本当に最後なんだな、ヨシヒロはそう、強く思った。



「やっぱり、別れたく・・・ないよう」

そう切り出したのは、意外にもワカコの方だった。

「先輩と一緒にいる時はずっと楽しいんです。今日も、すごく楽しかったんです」涙は止まらない。

「でも、やっぱり会えない時間は辛いんです。さびしくて、さびしくて苦しい」

ワカコの悩みを、ヨシヒロは本当に、どうしたらいいか、分からなかった。その時、絶対に、そんなこと思っていないのに思わず口からでた。

「遠距離に向いてなかったのかな」

ワカコは優しい目でこちらを見た。無理して笑ってるのかもしれなかった。

「お互い、遠距離恋愛に向いてなかったのかもですね」

まっすぐ見つめられてそう言われると、ヨシヒロはもう、何も言えなくなるのだった。



 6



そうして食べ終わって店を出た二人はキャナルシティの、この時間どこかロマンチックな噴水を見ているカップルをよそに、駐車場に戻った。


車に乗り込み考え事をしているヨシヒロをニヤニヤしながらワカコは見つめ、

「昨日あの後、エッチしなかったの、絶対後悔してるでしょ」といじってきた。

「別に、またいつか会えるからいいし」考えが半分読まれたヨシヒロはそう強がってみた。かなわないよなあ、ほんと。


「ああ、結婚したかったなあ」

それはまたも不意に出た一言だった。

車がキャナルの駐車場からでて少しして力の抜けたような声でヨシヒロはいった。

そうだ、結婚したいと思ってたんだ、それがどういうことかも何もわかっていないのに。

ばかな自分は、楽観的で、このままの幸せがずっと続くと思っていた。気がつくとまた泣いていた。


「わたしも、ワタシは絶対に将来バリバリ稼ぐから、センパイに主夫になって欲しかったんです。

それで、ずっと二人で一緒にいたかった」

「ぼくも似たようなことを思っていたよ」

きっとワカコのことだからぼくよりもっと具体的に人生計画を立てていたんだろうなあ、ヨシヒロはそう思った。

「ふふ、センパイは主夫とかヒモに向いてますよね」

「ワカコだけだよ、ぼくがこんな風でいられるのは」

「でしたら残念、それも今日で終わりですね」


最後にワカコはそれだけいった。今度はこちらを向かなかった。



2日間にわたるさよならデートの終わりは静かなものだった。ヨシヒロの家の近くの駐車場で二人はおりて、最後にハグをした。

別れ際にいつもするキスは、もちろんダメと言われた。

ヨシヒロはぎゅーっと力を加減しながらもつよくこめて、この瞬間が続くことを願った。背中に手をやり、目をとじた。

ワカコ立ったまま動かなかった。この時間は止まってはくれなかった。



「じゃあ、わたし、いくね」

「ちょっとまって」

自分の車に戻るワカコを呼び止めて本当は4日目の最後に渡すつもりだった本などのプレゼントをあげた。5月はワカコの誕生日だった。ヨシヒロはサプライズが好きなタイプだ。ワカコはいつも嬉しそうに驚いて、最近は自身もサプライズを用意しだしたりなんかして。そういうとこが可愛いんだよなあ。

本当は。本当はね。今回のサプライズは別の店で一緒にペアのリングを選ぼうと思っていたんだよ。君は実はすっとペアのものが欲しがっていたからね。

だから最近たくさんバイトを入れていたんだ。連絡がうまく取れずにごめんね。

しかしそんなことはもうどうでもいいような気がした。


今日のことは忘れないだろう、ヨシヒロは思った。ワカコの、素敵な元彼女の、すがた、かたち、こえ、しぐさを、心にやきつけた。


ただ見つめていると、ワカコが

「きっとセンパイは素敵だからすぐ新しいかわいい恋人が東京で出来て、今日のことなんて忘れますよ。付き合ってくれてありがとう」

と、震えた声でいった。


そんなことはない、君が一番素敵だよ、一番大好きだ、しかしやはりヨシヒロはいえなかった。かわりに、


「俺もワカコと付き合えて人生で一番幸せだったよ。ありがとう。じゃあね」

「じゃあ」


車は静かに去っていった。車が小さく、ゆっくりと、消えてしまうまで見送って、ヨシヒロはあの短篇小説の、さよならデートの話のオチを思い出していた。


別れた彼氏がその経験をもとに話を構想するところで、その小さな恋の物語は終わっていた。



ヨシヒロは僕らの恋のお話も、いつか自分は書きたくなるのだろうか、とひとり思った。そしてしばらくして、また歩き出した。




<スローにグッドバイ おわり>

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