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0007高校受験01

 時は流れて2月。常成高校受験日当日となった。僕はお守りと小石さんをポケットに入れると、受験票、筆記用具、腕時計、スマホ、参考書と地図の入った鞄、ティッシュとハンカチを忘れずに確認した。新しく買ってもらった茶色い外套(がいとう)をしっかり着込む。


 僕はふう、と息を吐いた。私立なのに倍率の高い人気高・常成高校に入れるかどうかは、今日の試験の結果いかんにかかっているのだ。昨晩から続く緊張でぎこちなくドアノブを回す。


「行ってきます!」


 父さんと母さんにそう告げると、2人の顔から不安を出さないように我慢している気配が感じられた。


「頑張れよ、篤彦。リラックスして(のぞ)むんだぞ」


「頑張ってね、篤彦! ファイト!」


 僕はありがたいエールを背に受けて、試験のスタートとなる第一歩を踏み出した。一瞬震えたのは気温が低いせいか、それとも恐怖のせいか。




「よし、いよいよ大勝負だ。気合入れるぞ!」


 僕は街道を歩きながら自分に喝を入れた。小石さんが恐る恐る聞いてくる。


「あの、私もついていってよろしいんですか?」


「うん、そりゃそうさ。どんなお守りよりも、僕の命の恩人である小石さんの方が何倍も効き目ありそうだしね」


「そ、そうですか。何だか照れてしまいますね」


 あいにくの雪の降る中、電車に乗って一路常成駅を目指す。あそこで窓の外を見つめているツインテール美少女は、試験のライバルなのだろうか。あそこでぼけっとしているスーツの大人は、試験官のバイトを仰せつかった大学生なのだろうか。僕は吊り革に掴まり、英単語帳を親指でめくりながら、ついついそんなとりとめもないことを考えてしまった。いかんいかん、集中集中。


 と、そのときだった。電車が緩やかに減速し、線路の途中で停止してしまったのだ。驚きと不満でざわつく車両内に、運転手のアナウンスが流れる。


『ただいま降雪のため一時運転を見合わせております。問題が解決し次第発進する見込みです。ご乗客の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらくそのままでお待ちください』。


 僕は(あせ)った。腕時計は試験開始まで残り50分をさしている。


「くそっ、よりによって試験当日に……。このままじゃ間に合わなくなる」


 小石さんが不思議がった。


「何で篤彦さんはあせってるんですか? ちゃんと試験会場の方に『電車が遅れた』と理由を言えば、許していただけるでしょうに」


「常成は私学でさ、そこら辺あんまり融通(ゆうずう)が利かないって噂なんだ」


「でも……」


「ああ、時間が……。早く動かないかなあ」




 電車は30分遅れで動き出した。雪はますます降り積もる。常成駅に着いたときには、試験開始まで残り時間15分を切っていた。僕は狂おしく車内から飛び出すと、ステップを刻んで階段を駆け下り、改札口を速攻で通過した。


 ああもう! 残り12分! ダッシュだ、ダッシュ!


 僕は片手に掴んだ地図をちょいちょい見ながら、全力で突っ走る。小石さんがいきなり大声を出した。


「あれ、待ってください篤彦さん。この先では……」


「大丈夫大丈夫! 道が狭いって言うんでしょ? 実はこの前の下見で裏道も確認していてね。最短距離で行けるって分かってるんだ。ギリギリ間に合う!」


「いえ、あの、そうではなくて……。トラックが……」


「トラック?」


 軽快な疾走は、やがて人だかりに行く手を塞がれて止められた。何だ何だ、この人の山は。10人や20人じゃきかないぞ。僕は彼ら彼女らの向こうで何が起きているのか、瓶の中のカエルのように跳ねて見定めようと頑張った。


 そんな僕を見かねたか、人だかりの一人のおじさんが話しかけてくる。


「お前、何が起きたか知りたいんだな? ……実は4トントラックが雪で横転しちまってよ。このとおり、道路を塞いじまってるんだ。今警察が対処に当たってるけど、ここはしばらく通行止めだな」


 僕は真っ青な顔になっていたことだろう。急いで地図を広げて、穴が開きそうなほど見つめる。


「畜生、迂回(うかい)だ迂回! 裏道なんて選んどくんじゃなかった」


 時計の針は残り10分をさしている。僕は懸命に走った。


「が、頑張ってください、篤彦さん。ダッシュです!」


 残り5分。残り3分。残り1分。それでも目指す校舎は遥か先だ。僕は走り疲れて、カーブミラーに手をかけて中腰の体勢になった。そこで止まったまま、試験開始時刻が過ぎ去った事実を腕時計で確認する。冬なのに汗だくだくで、荒い息遣いが白い霧を次々生み出すのをじっと眺めていた。


「も、もう駄目だよ、もう……。どうやらここまでか。常成、入りたかったなあ……」


 僕は視界がにじむのを、腕で拭って元に戻そうとする。だがその作業はなかなか成果を生まなかった。


「う、うう……畜生……!」


 僕は悔し泣きし、今までの勉学で築き上げた城郭が崩れ去る音を、なす術なく聞いていた。父さんにも母さんにも、合わせる顔がないよ……


 そのときだ。小石さんが幾分かの怒りも込めた叱咤激励(しったげきれい)を叩きつけてきたのは。


「あきらめないでください!」


「小石さん……?」


「私は篤彦さんに、絶対に高校に合格してほしい。受かってほしい。心からそう願っています。もう一度言います、あきらめないでください! あとひと踏ん張り、たとえ間に合わなくとも、最後まで全力で走ってください! 山中から生還したときのガッツはどこへ行ったんですか!」


「……っ!」


 小石さんは今度は震え声で語りかけてきた。


「努力を放棄した篤彦さんを見るのは悲しいです。どうか、どうか最善を尽くしてください。私が応援しますから……」


 あのときと同じだ。鉢田山の山肌で、生をあきらめかけていた僕を、小石さんは励まして助けてくれた。何やってんだ僕は。彼女に同じことをさせるなんて、情けない。


 僕は脇腹に差し込む痛みに耐えながら、よろよろと走り出した。


「ありがとう、小石さん。一応行ってみるよ」




「試験開始30分延期?」


 僕は受験会場となる大広間に入ると、黒板にでかでかと書かれたその文章を何度も見直した。


「は、はは……本当かよ」


 つかまえた担当試験官の話によると、何でも雪での運転見合わせは僕の電車だけではなかったらしく、乗車していた生徒たちは大半が遅刻。試験開始時刻は30分遅れるとのことだった。


「た、助かったー……。常成らしく、30分経ったら否が応でも始めるってことなんだろうけど、間に合ったことには変わりないや」


 僕は自分に与えられた席へ着いて、コートを脱ぐ。それを脇へ置くと、ポケットの上から硬い感触に触れた。改めて小石さんに礼を言う。


「ありがとう、小石さん。あそこであきらめてたら、僕、無条件で遅刻してた。本当に感謝してるよ」


 小石さんの声は弾んでいた。照れている気配がある。


「お礼は試験が終わってから、ですよ。まずは集中してください、篤彦さん。大丈夫、普段鍛えた力を発揮すれば、きっと上手くいきます」


「うん! 任せて」


 そして、僕は運命の時間を過ごした……

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