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0057番外編・回想02

「龍川さんー。あたしです、多奈川ですー」


「多奈川、どう? 具合は……」


 紅葉の話では、どうやら酩酊(めいてい)して前後不覚になったあたしを、浩が康雄の運転する車で自宅に送り届けてくれたらしい。住所は生徒手帳から割り出したようだ。それにしても、康雄は飲酒運転ではないのか。そこらへんも不良っぽい。


「体調なら少しずつ回復してきてるー。今日はありがとー、龍川さんー」


「いえいえ。また来てよ、多奈川。今度は煙草の味を教えてあげるから。分かってると思うけど、康雄のマンションで起きてたことは口外法度だから。周囲に漏らしたりしたら浩にぶっ殺されると思っておいてね」


 その後帰ってきたパパには「体調が悪い」とだけ言って、あたしは自室にこもった。気分は最悪だったが、パパに対して「やってやった」との快感がある。大勢の人間と秘密を共有したことも、何となしに満足だった。




 浩たちは1週間と経たず、あたしの邸宅に入り浸るようになる。あたしのパパは夜遅くまで帰らない。その隙間を狙って、放課後はここで遊びにふけった。


 また浩は意外にも、学校での勉強に熱心であった。他の男とは一味違い、その頭脳は一線級である。そのため、あたしは家庭教師のように指導したり、またされたりした。




 それは中学3年のときだ。この日もあたしは自宅で男遊びに打ち興じていた。玄関の方から金属音が聞こえたと気付いたときには、もう手遅れだった。


「み、美穂!」


 パパの信一だった。かかっていた鍵を開け、リビングに足を踏み入れた彼は、そこで浩たちとあたしの姿を目撃した。


「お、お前らは何者だ! 美穂と何をしていた? 答えろ!」


 浩たちは質問に答えず、「やべー」「逃げろ!」と口々に言い合って、慌てて衣服を身にまとった。信一の向こうの玄関ドアではなく、リビングの窓から退散する。信一は怒鳴り散らした。


「待て! 逃げるな、この馬鹿どもが!」


 その声に立ち止まるものも振り返るものも皆無だ。彼らは蜘蛛の子を散らすように、猛スピードで逃げ去っていった。後にはあられもない格好のあたしと、背広姿のパパが残された。彼は激怒しており、あたしに正座を言いつけた。もちろん、服を着てからだ。


「パパは今日は体調が悪くてな。早退したんだ。まさかこんな場面を目撃することになろうとは、露ほども思っていなかったぞ。……美穂、この一回だけじゃないだろう? 今までも何度も繰り返しやってきたんだ。そうだな?」


 あたしは隠す気もなく仏頂面(ぶっちょうづら)でふてくされる。


「そうよー。悪いー?」


「悪いに決まっているだろうがっ!」


 その後、あたしは深夜まで説教された。パパの体調不良は憤激に吹き飛ばされたようだ。


 あたしは反省する気など皆無だった。そもそもの原因はパパの仕事狂いおよび遅い帰宅にあると、あたしは考えていたからだ。




 結局あたしはグループから去ることもなく、パパの言葉を右から左に素通りさせて、浩を中心に男を自宅へ連れ込み続けた。それをパパに見られたことも一再ではない。そのたびに雷が落とされたが、あたしは内心で嘲笑っていた。彼にとって最後の砦であるあたしを捨てることはないだろうと踏んでいたからだ。そして実際そのとおりだった。


 最もよく遊んだ相手は浩だ。あたしはスマホのカメラでツーショットを撮って待ち受けにした。写真の隅に相合傘も描いてみる。『ひろし』『みほ』。単純に、これが恋というものなのだと理解した気になっていた。


 だから、ある日浩を誘ってみた。


「二人きりでデートに行く、とかどうー? 水族館とかさー」


「ああ? 面倒くせえよ。遊ぶなら溜まり場で十分だろ」


「で、でもさー。あたしたち、恋人だよねー?」


 浩はそのとき、あたしの顔を凄い形相でのぞき込む。あたしは殺されるかと思った。


「言ったろ、面倒くせえってな」


「そ、そうだよねー……。ごめんなさいー」


 浩は目をすがめて離れると、煙草をくわえて火を点ける。美味そうに紫煙を吐き出した。


「そうそう、あきらめがいいのがお前の長所だな、美穂」




「あたしは名門私立の常成(じょうせい)高校を受験したいと思いますー」


 三者面談のはずが二者面談になったのは、パパが会社の都合で三鳩中学校に行けないと事前に連絡していたからだ。担任の田中明美(たなか・あけみ)先生はしきりとうなずいた。


「多奈川さんの実力なら軽いものね。首席で通っちゃうんじゃないかしら」


「田中先生、おだてるの上手いですー」


「あら、わたくしは本気ですよ」


 もうじき中学校生活も終わる。反抗期が収まったというべきか、あたしは以前ほど浩のグループに傾倒しなくなっていた。それは浩の三股が発覚したことも要素としてある。きっかけは浩のスマホを勝手に盗み見たことだったが、これにはかなり幻滅させられた。


 そろそろ潮時か。あたしは今日の放課後、例のマンションでグループからの脱退を表明しようと心に決めた。




「東高へ行くだぁ?」


 浩が()頓狂(とんきょう)な声を発した。それほどあたしの言い放った『東高へ進学する』という言葉は意外だったのだ。


 東高校は常成高校と並ぶ名門で、あたしの家やこの建物がある地域からかなり遠い。往路だけでも電車で1時間はかかるだろう。そんな高校に通うとなれば、今までのようにつるんで遊んでいる暇はなくなる。


 もちろんこれはあたしの嘘だ。しつこい性格である浩から逃れるための方便だった。本当は常成高校への進学が決まっている。東高より近い常成に進むとなれば、浩はまだあたしを手放そうとは考えないだろう。


「そうよー。だからあたしと浩の付き合いもこれで終了ー。グループからも抜けること決定ー。今までありがとうー」


 浩は苦々しげに煙草を深々と吸って吐いた。今日は集まりが悪く、康雄のマンションには5名程度しかいなかった。その中には浩の三股の相手である紅葉もいて、あたしの脱退を内心歓迎している風に特段喜んでいた。


「短い付き合いだったけど楽しかったよ。美穂は浩を超える秀才だからね。きっと東高でも学年トップになるんだろうね」


「そうできれば嬉しいなー。紅葉ちゃん、じゃあねー」


 二人は握手した。その様子を苦み走った顔で見ていた浩が、一つ舌打ちした。


「まあ、しょうがねえか。美穂は頭がいいから色々便利だったのにな。東高でも適当にやるんだな」


 握手の手は差し出さなかった。浩は三股がばれていることに気がついていないようだが、あたしはそれを教えるつもりもなかった。彼がどこの高校に行くのか、このときは分からなかった……




 かくして不良との遊びから脱け出したあたしは、猛勉強の(すえ)、私立常成高校に首席で入学する。そして読書部への入部、浩との再会とカラスによる撃退、今朝の篤彦への告白――と続いた。


 それらのことを思い出しているうち、あたしはいても立ってもいられなくなった。電話したい。篤彦の声が聞きたい。そしてできれば、デートの約束を取り付けたい。気がつけばスマホを握りしめ、電話帳を表示させていた。『田辺篤彦』への通話ボタンを押す。


「もう寝ちゃっているかもねー……」


 独り言はすぐに終わらせた。篤彦の声が聞こえてきたからだ。


『もしもし、多奈川さん? どうしたの?』


「あ、うん、そのー……」


 あたしは心拍数を急上昇させながら、どうにか言葉をひねり出した。声調がじゃっかんの震えを帯びるのはいたしかたない。


「今朝はありがとうー」


『うん、こちらこそ。ちょっと二人してみっともなかったけどね』


「そうねー」


 正座する篤彦の太ももに頭を載せて、仰向けになった状態で告白された。思い出すだに上気する。


「その、留美から言われて、ちょっと考えたんだけどー。高校3年間って、あっという間に終わっちゃうでしょー?」


『うん』


「付き合い始めたなら、早い段階で……その……デートとか行きたいかな、ってー。時間を惜しんで、そのー……」


 まあまだ早いかな――と、あたしは断られたときのショックをやわらげるよう心を微調整していた。浩のこともあったからだ。だが篤彦の返事は早かった。


『うん、行こうよ、デート! 今は夏休み最初、小石さんの故郷探索が最優先だけど、それが終わったら、ぜひ!』


 胸がじんわり温かくなる。あたしは何だかまた泣きそうになった。


「本当ー? 嬉しいー!」


 二人でどこに行こう? あたしはしばらくの間、篤彦と計画を立てることに夢中になるのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 美穂はにやける口元を押さえて忍び笑いを漏らした。 にやける(若気る)男性が女性のようになよなよとして色っぽい様子。 元々は鎌倉・室町時代頃に貴人の側に付き従って男色の対象となった少年…
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