0054番外編・猫のしおり01
「さっきから何を探してるんですか、大蔵部長」
僕の悪戦苦闘に、1年A組の河合留美くんが、読んでいた本をいったん閉じて尋ねてきた。声がひそやかなのは、同じく1年A組の田辺篤彦くんの眠りを妨げないためだろう。彼は授業でのマラソンに疲れ果て、今は机に突っ伏して夢の世界をさ迷っているようだ。
部長である僕――大蔵秀三は、本棚に文庫本を戻しながら答える。こちらも自然とささやき声になった。
「いやね、河合くん。僕の大事なしおりをどこへやってしまったのか、うっかり忘れてしまったんだよ」
僕は黒縁眼鏡の中央を人差し指で押し上げた。河合くんへ振り返り、ひそひそ声で状況を説明する。
「この部室のどこかの文庫本に挟まっているはずなんだ。その、僕にとってかけがえのない、大事なしおりが……。きみは見たことないかね? 猫の写真のしおりなんだが」
「えっ、大蔵部長が猫のしおりって……何だか違和感ありますね」
軽く噴き出して笑みを浮かべる後輩に、僕はやれやれと首を振る。田辺くんは寝息を立ててぐっすり眠ったままだ。
「違和感があっても結構だから、見たことないかね?」
「残念ですが、ありませんよ。本当にこの読書部の蔵書に挟まっているんですか?」
「実はそれも怪しいんだ。というのは、気がついたらなくなっていた、という発見が昨日の夜だったんでね。もしかしたら、どこかでうっかり落としたのかもしれないんだ。正直なところ分からないんだよ」
河合くんは肩をすくめた。
「じゃあ確率的に多分あるかもしれないと判断して、ここの本棚を総ざらいしているわけなんですね?」
僕は首肯する。まったくそのとおりだったのだ。困ったことに。
「しかしこれだけの文庫本があると、さすがにきりがなくてね……」
河合くんは苦笑して本を机に伏せ、気安く請け合った。
「水くさいですよ、大蔵部長。私も探すのを手伝います!」
「えっ、いいのかね?」
「はい。私としても、大蔵部長が動き回ってたら読書に集中できないですし。……それじゃ私は、こっちの書棚から探しますね」
僕は涙ぐんで両手で拝む。涙腺が壊れかけた。
「ありがとう河合くん! きみのような後輩を持って僕は嬉しいよ!」
そのときドアが開き、峰山香織くんと多奈川美穂くんの姿を吐き出す。僕ら先行者と挨拶を交わすと、二人は机の上に鞄を置いた。多奈川くんと峰山くんがくすりと笑う。
「田辺くん、寝てるー」
「睡眠中」
僕は唇に人差し指を当て、眠りを妨害しないよう二人に「しーっ」と注意喚起した。
あと一人の読書部部員、渡来保くんは所用で来れないらしい。僕は結局後続の二人にも手伝ってもらうことになり、4人で本棚をチェックした。
だが、4分の3を点検し終えても、猫のしおりは一向に見当たらない。峰山くんが尋ねてきた。
「どんなの?」
「猫のしおりだが……」
「詳しく」
「そうだね、猫の写真をラミネートフィルムで挟んで、おおまかに切り出し、それにパンチで穴を開けてリボンを通したものなんだ。手作り品ってやつだね。僕にとっては大事な宝物なんだ」
「早野OBのものだから?」
「そうだね」
返事しつつ、僕はおやと首を傾げた。確かに猫のしおりは、かつて懸想していた早野結OBから卒業の際にもらったものだ。だがそのことを他人に話したことは一度もない。なぜ峰山くんはそうだと断定できたのだろうか?
僕は峰山くんにそのことを問いただそうかと迷ったが、最終的にやめた。僕が大事にしているものなら、きっと早野OBのものだと見当をつけたのかもしれないし、大して引っかかることでもなさそうに思えたのだ。
結局その日は見つからず、僕以外の3名はそれぞれの用事で先に帰宅した。後には午睡にまどろむ田辺くんと、まだあきらめきれず書棚を調べる僕が残された……
その日の夕暮れ、僕は田辺くんと外食した際、小石くんが人間の姿になったとの情報を知らされて仰天した。
翌日の読書部はその話題で持ちきりとなり、僕は一時しおりのことを失念してしまう。
だが興奮が去るとまた目の前の問題と向き合うことになり、あくる朝から文庫本をいちいち確認する作業に没頭した。
「ないなあ……」
僕は書棚を調べ終え、猫のしおりがないことを確認し終えて落胆した。そこへ後輩部員の田辺くん、多奈川くん、河合くんが入室してくる。田辺くんが控え目に問いかけてきた。
「結局見つからなかったんですか、大蔵部長」
「そうなんだよ。どうやらこの書棚にはなかったみたいだ。だとすると、僕のしおりは一体どこへ……?」
女子2名が揃って首を45度に傾ける。
「変なのー。煙みたいに消えちゃったー」
「小石さんの『見る』力で探したりは……できないかな」
田辺くんのポケットの中にいるであろう、小石くんの声が脳内に響いた。
「さすがに私の『見る』力でも、本に挟まれたものを走査することはできません。お力になれなくて申し訳ないです」
僕は手刀を切って謝意を示した。
「いや、いいんだ小石くん。ありがとう」




