0051エピローグ
「それで、田辺くんの肩の傷を応急手当した後、彦五郎くんを供養して夜明けとともに山を下りたんだ。で、バイクまで戻って、田辺くんを診てもらうべく急いで病院に向かった、と。そんなところだね」
大蔵秀三部長は、長い長い話をようやく打ち切った。聞いているのも疲れるぐらい、本当に長かった。僕はぼんやり傾けていた耳を撫でると、すっかり氷の溶けた烏龍茶を一口飲んだ。
ここは東条敬吾くんの家だ。大蔵部長はこの前の冒険譚と小石さんの過去話を、読書部全員に聞かせてやりたいと懇願した。だが一同が集まっても十分な広さの部屋などどこにもない。ファストフード店もコーヒーショップもファミレスもふさわしくない。カラオケ屋は金がかかる。
そこで大蔵部長は河合留美さんに電話をかけて相談した。東条くんの料理店は繁盛しているし、家は大きいんじゃないかと考えたのだ。確かめてみればドンピシャで、東条くんも気軽に招いてくれるというので、読書部の面々は全員でお邪魔したというわけだ。もちろん、僕のポケットには小石さんが入っている。
「これで話はおしまい。どうだい? 何か質問あるかね?」
渡来保が挙手した。
「篤彦の肩の傷、親にはどう話をごまかしたんですか? 彦五郎に引っかかれたとはいえないですし、そもそも部長の家に泊まるって嘘ついてたんでしょ?」
僕はようやく痛みの取れてきた肩を撫でた。回すとき、じゃっかんの引きつりがある。
「それには僕が答えるよ。あの後、当然傷について両親に質問された僕は、サッカーやっててフェンスの金具で引っかいちゃったって言ったんだ。僕は中学時代、サッカーやってたからね。大蔵部長と近くの公園でボールのやり取りして、フェンスに激突したときに怪我しちゃったって、そう説明したよ」
「病院でも同じ説明かよ」
「うん。診せるのが遅い、って怒られちゃったけどね」
河合さんがエアコンの風に短い髪の毛をなぶらせている。
「それで両親は納得したの?」
「いや、それが父さんも母さんも多分疑ってる。2針も縫う怪我だったしね。でも、僕が無事なら安心してくれるんだ。僕自身、もうあんな目に遭うことは二度とないだろうし、これからは2人とも不安にさせないよう安全な生活を送るつもりだよ」
多奈川美穂さんは赤いツインテールの輪ゴムをいじっていた。
「質問いいー? 神さまは何で最後に小石ちゃんに力を貸したのー?」
これには小石さんが答えた。
「正直推測の域を出ませんけど……神さまは私というより篤彦さんに力を貸したように思いました。かつての村人たち、兵士たちと同じ、人間の持つ負の面を肥大させた彦五郎さんの暴走を、止めるために……」
保がカラムーチョを頬張って噛み砕いた。幸せそうな顔である。
「しかし、鉢田山のほこらのある場所が900年間誰にも見つけられなかったなんて、そんなことあるのか? 篤彦が『見える』範囲内に現れた最初の人間なんだろ? どんだけ発見されなかったんだよって思っちまうけど……」
「神様がその神秘的な力で、私を人間から隠していたとしか……。後は、私が記憶とともに意識を失ってから、目覚めるまでの間に、何百年も過ぎていたということも考えられます」
「なるほどー。でも、神獣がいなくなっちゃったけど、それでよかったのかなー?」
大蔵部長が眼鏡のつるをつまんでかけ直した。
「たまたま今は必要ない時代、ということなんじゃないかな。また必要となる時代がくるかもしれない。そうならないことを祈るしかないかな」
そこへ東条くんが料理を持ってきた。湯気を立てる餃子が皿いっぱいに並べられている。香ばしい匂いが空腹を誘った。
「読書部の人が来るっていうから、腕によりをかけて作ったよ。にんにくは少しだから安心して。これは小皿。箸と、ラー油」
てきぱきとテーブルに皿を置いていく東条くんに、保が歓声を上げた。
「うひょう! 敬吾、すっげー美味そうじゃん! やるなあ、お前!」
こわもての東条くんは、頬を引きつらせた。
「け、敬吾……」
河合さんが保の頭をトレイで殴打しながら苦笑する。
「敬吾さん、渡来くんはこういうなれなれしい人なのよ。気にしないで」
「あ、ああ。留美、烏龍茶を運ぶの手伝ってくれよ」
「いいわよ、敬吾さん」
僕はお似合いの2人を茶化した。
「熱いね、お二人さん。将来は料理店の店主と若おかみさんかな」
東条くんは満更でもなさそうに微笑した。一方河合さんはみるみる真っ赤になり、
「ば、馬鹿なこと言わないでよ田辺くん! もう、知らない!」
ぷいとそっぽを向いて1階へ降りていった。峰山香織副部長が黒い液体の入ったガラス容器を差し出す。
「醤油」
「おお、すまんな峰山くん。そういえば、この前借りた作品、なかなかよく書けてたよ。後で家に寄るから、感想をじっくり語らせてもらうよ」
「承知」
小石さんがはしゃいだ。
「副部長さんの書いた物語、私も聞きたいです!」
「音読?」
「そうですね、声に出して読んでいただきたいですね。私、文字は分からないんです」
峰山副部長は真っ赤になってうつむいた。
「羞恥」
「恥ずかしがることないですよ! 私、副部長さんの声、好きですから」
保が豪快に笑って指摘した。
「小石ちゃん、単語返答の峰山副部長が音読するわけないだろ。これは大蔵部長が峰山副部長の作品を声に出して読むってことに対して恥ずかしがってるのさ」
「ああ、なるほど! 私、気がつきませんでした」
「ううむ、僕は峰山くんがよければ音読するが、あれってかなりの長編だしな……。喉が持つかな……」
僕の傷ついていない方の腕に多奈川さんがしがみついた。頬を半袖にすり寄せる。
「もうすぐ二人の初デートだね、田辺くんー」
「そうだね。でも、僕らはもう付き合ってるんだしさ、これからは下の名前で呼び合おうよ。ちょっとくすぐったいけどさ」
多奈川さんは僕を見上げると、少しためらった。
「えー。まあ、うんー……。そうねー。じゃあ……あ、あつ……」
「あつ?」
多奈川さんは真っ赤な顔して、口をもごもごさせた。どうにか言い切る。
「あつ……ひこー」
「うん、美穂」
美穂はきゃあきゃあ喜んで、喜びを発散させるように僕の肩を何度も叩いた。
「痛い、痛いってば美穂」
「きゃー! 篤彦ー!」
小石さんが微笑ましそうな声で美穂に呼びかける。
「よかったですね、多奈川さん」
「うん、ありがとうー! 小石ちゃんー!」
「それで、そのお二人のデートに関してなんですが……」
「うん、何ー?」
「その日は篤彦さん、私をポケットに入れなくていいですよ。私は家でお留守番してますから」
僕は複雑な気持ちだった。でも、そうか……そうだよね。
「うん、分かったよ」
「お二人の邪魔をする気はないですから。何、家でのんびり考え事するのも、たまには……」
話を聞いていたのか、保が急に割り込んできた。三白眼が嬉しそうにきらきらしている。
「じゃあさ、じゃあさ! 小石ちゃん、俺とデートしない?」
「えっ、渡来さんとですか?」
保は親指を立てて、白い歯をむき出しにした。
「こんなバカップルのために一人でこもってても面白くないよ。俺のポケットに入って一緒に街に繰り出そうぜ。夜になったら、月が出るかは分からないけど、もし出たら人間の姿で二人でのんびり話そうよ」
僕は相変わらずお調子者の保に、冷ややかな視線を向けた。
「ちょっと、何時まで小石さんを連れ回すつもりだよ」
「俺の親は遅い時間でも寛大だからな。何、そう遅くまではかけないさ。デートが済んだらちゃんと小石ちゃんをお前んちに届けるからよ」
「絶対だぞ。変な真似すんなよ」
「しないしない」
保はひらひらと気安く手を振った。小石さんの声が軽やかだ。
「ありがとうございます、渡来さん! 私、楽しみにしてますね!」
「おう!」
河合さんと東条くんがそうっと烏龍茶の山を持って戻ってきた。
「お待たせー!」
「みなさん、よく冷えてますよ」
部長が眼鏡を光らせる。
「ありがとう河合くん、東条くん! ところで東条くん、料理研究部なんかやめて、我らが読書部に入らないかね? 歓迎するが」
「いや、それはさすがに……」
河合さんが苦笑しつつ、コップを次々に置いていく。
「部長、敬吾さんはあげませんよ」
僕は餃子を頬張りながら、笑顔に包まれる一同を眺めた。
しっかりものでみんなをまとめてくれる、リーダーの大蔵秀三部長。
部長に一途に恋し、小説家への道を努力して歩む、単語返事の峰山香織副部長。
東条敬吾くんと仲睦まじい、地味子から一転華やかに成長した河合留美さん。
僕の無二の親友で、馬鹿でなれなれしいけど憎めない奴、渡来保。
過去にいろいろあったみたいだけど、今は僕の大事で優等生な恋人、多奈川美穂。
そして、鉢田山のほこらから僕に声をかけて、連れ立って山から生還してから……本当に、本当にいろいろな思い出をくれた、かけがえのない存在、美少女の小石さん。
あのとき小石さんが僕を救ってくれたから、命を与えてくれたから、僕は今こうして、みんなに囲まれている。幸せを胸いっぱいに感じられている。大切な時間を共有できている。
僕は喧嘩も強くないし、スポーツもそんなにできるほうじゃないし、勉強だってどうにか維持してる程度だし……。全然大したことない人間だけど。生きているからそれが分かる。だから頑張っていこうと思える。ここにいる仲間たちとともに……
生きているって、人間って、本当に素晴らしい。
僕はこれからも、ずっとずっと、繋がる命を、それによって育まれる関係を、大切にしていこうと思うのだった。




