0005小石02
「どう、鳥居さん。凄いでしょ、人間社会って」
「そうですね。私が今まで放置されていた鉢田山のほこらと違って、緑や虫たち、鳥や動物たちの姿こそぐっと減っているものの、かわって私の知らなかったことがこの街にはあふれています。正直、驚かされて……とても興味深いです」
「でしょ?」
僕は自分が偉いわけでもないのに鼻高々だった。また椅子に腰を下ろすと、机に頬杖をついて鳥居さんの小箱を眺めやる。そこで、鳥居さんを振るとカタカタ硬い音がしていたことを思い出した。ひょっとしてこの入れ物の内容物こそが、本当の鳥居さんなのではなかろうか。僕はそこまで考えて、俄然興味をひかれた。
見てみたい。鳥居さんの本体を。どんな可愛らしい姿なんだろう?
「ねえ鳥居さん。ふたを開けてもいい?」
「それは構いませんが……。でも、どうやって?」
「そうだね、何でか分からないけど、この箱には鍵穴がない。なのにフタはがっちり閉じられている。開けるとするなら、工具で無理矢理……かな。ちょっと待ってて」
僕は椅子を離れて、プラスチックの収納ボックスの引き出しを開けた。中身をあさる。目当てのものはすぐ見つかった。小学校のとき工作で使った、先の折れ曲がった短い釘抜き。これならバール代わりになるだろう。
僕はそれを持って再度机に向かった。小箱の隙間に平べったい先端を無理矢理挿入する。片手で入れ物を押さえ、もう片手で釘抜きをうねらせた。てこの原理を応用した力に、小箱がみしみしと軋んで悲鳴を上げる。鳥居さんが疑念を口にした。
「それで本当に開くんですか?」
「何とかやってみせるよ。これならどうだ? うう、畜生……」
僕は最初こそ夢中になっていたが、一向変化しない状況に、だんだん意地になってきた。この小箱、むかつく。僕は工具を乱暴に扱い、ぐりぐりと落城を迫った。くそ、手強いな……
と、そのときだった。
「痛てっ!」
弾けた鉄枠の破片が、鋭く僕の人差し指を傷つけたのだ。痛みにうずく負傷箇所を眺めると、赤い血が極小の風船を形作った。鳥居さんが悲鳴を上げる。
「篤彦さん! 血が、血が出てますよ! 大丈夫ですか?」
心から心配してくれていた。大げさだなあ。僕は赤い液体を舐めた。美味しくはない。
「これくらい平気だよ、鳥居さん。かすり傷さ」
それでも鳥居さんはおびえの色を隠さなかった。
「でも、でも。山の中で鳥さんや動物さんたちが傷つくとき、例外なく赤い血が流れていました。そのことを思い出してしまうんです。私、不安で……」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと待ってて」
僕は部屋の隅へ行き、収納から小さい救急箱を取り出す。そこから拾った絆創膏を広げ、指に貼った。
「これでよし。さあ、開封作業の続きだよ」
「も、もういいですよ。これ以上篤彦さんに怪我されたら、私が辛いです」
僕は首を振る。椅子に座ると再度挑戦を敢行した。
「あのさ。きっと鳥居さんの正体は、この小箱そのものじゃなくて、その中身の何かだと思うんだ。それを確かめたいんだよ、どうしても。もうへまはしないから、そんなに心配しないで」
「は、はい……。そこまでおっしゃるなら」
それから20分後。深くねじ込んだ先端に全体重をかけたときだった。とうとう小箱は甲高い破砕音とともに、今まで拒み続けてきたフタの開放を許したのだ。
僕は自分でやったことながら正直驚いて、何か変な煙や怪物が飛び出してくるのではないかと、ちょっと身を引いてしまった。椅子ごと倒れそうになってしまい、あわてて姿勢を元に戻す。それからゆっくりと、まるでビックリ箱に正対しているような心持ちで、開けっぴろげの中身を確かめようとした。
うう、怖いなあ。あまりの恐怖に半身になり、片目だけで見た、その先には――
「は?」
石ころ。小箱の中にあったのは、白い小さな石だったのだ。碁でつかう白い石を一回り大きくして、丸みを帯びさせ、やや楕円にしたもの。
それが、鳥居さんの小箱の中身だったのだ。変な煙や怪物どころか、何ともまあ拍子抜けする正体だった。
「これが私なんですね。これが……」
「う、うん。そうみたい。鳥居さん、持ってみてもいい?」
「は、はい」
肩透かしを食った僕だったが、優しそうな石ころは逆にこれはこれでありかな、と思ってしまう。指でつまみ上げ、手の平に載せると、あまりの軽さに驚いた。ちょっとほこりが凄いので、ハンカチを取り出して拭く。そうして磨きながら考えた。
何でこの意思を持った石ころは、あの鳥居のそばのほこらで、小箱に入れられて放置されていたんだろう。どうして周囲の景色を知覚でき、また近距離の、人間を含む動物たち全般と会話できるようになったんだろう。
ううむ、すべてが謎じゃないか。
それによくよく見ればこの小箱、「いったん閉じたら開かないように」作られている。僕が力任せに粉砕した木の留め具は、内側でがっちり噛み合うように固定されていたのだ。開かずの箱だから、鍵穴も錠前も必要がなく、ついていなかったということだろう。これまた不思議だった。
でも、命の恩人だ。解けない謎は謎として脇に置いておこう。僕は彼女に命を救ってもらった、それだけで十分じゃないか。そうだ、何か恩返ししなきゃ。
綺麗にほこりを取ると、石ころはつるつるに光り輝いた。炊き立ての白米のように鮮やかな白だ。
「鳥居さん、何かしたいことある? 僕にできる範囲なら、何でもするよ」
「したいこと、ですか。そうですね……」
しばしの熟考。やがて鳥居さんは言った。
「篤彦さんには『田辺篤彦』という素敵な名前があります。でも、私には名前も何もありません。なにぶん、気付いたときにはあの場所で放置されていたものですから……」
僕は目をしばたたいた。えっ、そうなの?
「過去の記憶がないの? 自分が小箱に入れられた当時の記憶も……」
「はい。全く思い出せないんです」
僕は途方に暮れた。
「声は女の子なんだけどなあ……」
「女の子?」
「うん。人間には動物の雄雌同様、性別があってね。僕は男。きみは女だよ」
「私、女なんですね。初めて知りました」
今まで自分で気付けなかったのか。まあ、他に人間がいなかったのなら、それもある意味しょうがないといえる。僕は石ころを軽く握り締めた。ひんやり冷たい。
「……それで? してほしいことの話だったよね」
「はい! あの、その……。篤彦さん、よかったら『鳥居さん』じゃなくて、私に便宜上ではない、本当の名前をつけていただけませんか? 私も名前、ほしいんです!」
僕はぷっと吹き出した。ずいぶんと幼い、でも重要な依頼だった。
「それがきみのしたいことなんだね。……そうだね、それなら僭越ながら、僕がきみを名付けてもいいかい?」
「いいんですか? 嬉しいです!」
僕は石ころを机の上に戻した。そのちっちゃな姿を見つめながら、手の甲にあごを載せる。熟慮モードに入った。
「うん。そうだなあ……。ストーン、じゃ変だし、石ころ、も無愛想すぎる。もっと可愛くて、ふさわしい名前……」
ぱっと天啓が降りてきた。僕はその名前を反芻し、その語感のよさに一人満足する。うんうんうなずいた。その様子に鳥居さんは不思議そうな声を出す。
「あの、篤彦さん?」
僕は得意になってぱちりとウインクした。
「決めたよ。きみの名前は『小石』。『田辺小石』だ!」
「田辺……小石……。田辺……小石……」
あれ? 気に入らなかったかな? でも、鳥居さんは弾んだ声を届けてきた。
「ありがとうございます! その、篤彦さんと同じ『田辺』をいただけるなんて! 『小石』も私、気に入りました! これからは小石って呼んでくださいね、篤彦さん」
「うん、小石さん」
こうして不思議な石ころの田辺小石さんは、僕の部屋の住人になった。