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0041故郷01

 スズキの『GSR250』という250CCのバイクにまたがり、山道を蛇行すること数時間。ようやく去年僕――田辺篤彦(たなべ・あつひこ)が遭難した地帯であり、小石さんと出会った場所でもある運命の山・鉢田(はつた)山が見えてきた。そこは昨秋見たときより緑に萌えて、照りつける太陽の恵みを豊富に取り込んでいる。その上空で、流動物のような雲の群れが追いかけっこをしていた。


「部長、その辺りです!」


 ヘルメット越しに、抱きついている相手――大蔵秀三(おおくら・しゅうぞう)部長の後頭部に呼びかける。彼もフルフェイスの黒いヘルメットだ。


「そうかね田辺くん! ここが例のカーブなんだね!」


「そのとおりです!」


 聞こえづらいのはお互い様で、大声でがなり立てるように確認し合った。


 バイクは緩やかに減速して停まる。僕らは地面に降りると、ヘルメットを脱いで、昼過ぎの太陽を揃って仰いだ。


 僕も大蔵部長もトレッキングハットに化織のシャツ、チノパン、登山靴といった格好だ。僕の背負い袋には合羽(かっぱ)や懐中電灯、水筒にレジャーシート、蚊取り線香などが詰まっている。食糧としては缶詰、チョコレートバーが納まっていた。


「こんなところに大蔵部長のバイクを放置して大丈夫ですかね」


「何、この辺りにバイク泥棒が出ることもあるまい。あるいは心配した通行者が警察に連絡するかもしれないが、まあそのときはそのときだ。……覚悟は決めたかね?」


「はい、大丈夫です」


「よし、ではガードレールを超えよう。どうだね小石くん。例の鳥居の位置は分かるかね?」


「はい、『見える』範囲内です。故郷まで通じる道筋はもう発見しました。これでもだてに長い歳月を過ごしたわけではありませんから」


 自信満々の小石さんが頼もしい。僕は彼女がいなければ、かつて1週間も遭難したこの()まわしき地に、こうして帰ってくることもなかっただろう。大蔵部長と僕は山中に進んだ。いよいよだ。


「よし、ではナビしてくれ。行くぞ、田辺くん。まずはこのまま真っ直ぐかね?」


「はい、大きな岩のある所まで直進してください」


 こうして真夏の探索行は始まった。




「日のあるうちに辿り着きたい。ペースをあげるぞ、田辺くん、小石くん」


 あれからどれくらい歩いただろう。僕は汗だくだというのに、大蔵部長はまだその足取りが重くなることがなかった。


「はあ、はあ……。大蔵部長って意外とタフだったんですね」


「そういう田辺くんもしっかりついてきてるじゃないか。確か中学時代にサッカーをやってたっていってたね。その経験が生きているのかい?」


「まあ、それもあります。昔取った杵柄(きねづか)ですが」


 僕は小石さんも含めた3人だけという状況を利用して、両足を繰り出しつつ質問した。


「……ところで大蔵部長。一つ聞いておきたいことがあるんですが」


「何だね、こんなときに」


「峰山副部長についてです。あの……。小石さんの話では……」


「小石くん? 何か言ったのかね?」


 小石さんが注意を喚起しつつ答える。


「あ、そこもうちょっと左です。……はい、言いました。部長さんと副部長さんは、終業式の日から付き合い始めたんですよね?」


 大蔵部長は見えない鞭で打たれたかのように、飲んでいた水筒の水を噴き出した。


「ぶはっ!」


 僕は咳き込む彼の背中をさすってあげる。


「何動揺してるんですか、大蔵部長」


「いや、だって、急に核心をついてくるものだからさ」


「どうなんですか?」


「……それは、まあ、何だ。つ、つ……付き合ってる。まだ交際することが決まっただけで、何も始まってはいないけどね」


 小石さんが得意気だ。意気揚々と声を弾ませる。


「ほら! やっぱりですね。ねえねえ部長さん、副部長さんに告白されたのはいつ頃だったんですか?」


「小石くんは芸能レポーターかね。……今年の2月だ。雪の降る晩に、『大好き』ってさ」


 僕は、あの無愛想で単語返事な峰山香織副部長の顔を思い浮かべた。へえ、あの先輩が、ねえ。(すみ)に置けないものだとにやにやした。


「でも大蔵部長、それじゃこの前の終業式のときまで、告白の返事を保留していたってことですか?」


 大蔵部長は眼鏡のつるをつまんで、特に歪んでもいないそれをしきりと立て直す。


「まあ、そうなるね」


「よく峰山副部長もそれまで我慢しましたね。何で早く応えてあげなかったんですか?」


「あ、田辺くん、小石くんがいう沢に出たよ」


 大蔵部長は下手な逃げを打った。僕は大魚を(いっ)した気分で追及をあきらめる。小石さんが心配そうに尋ねた。


「渡れますか?」


 最近の日照り続きで、水の総量は少ない。大蔵部長は検討し始めたのか無言となったが、すぐにうなずいた。


「少し足元が濡れるかもしれないが、石伝いに行けばそれほどでもないだろう。滑るから気をつけるんだよ、田辺くん」


 僕らは川に踏み込んだ。慎重に慎重を重ねて渡河(とか)していく。だが……


「うわっ!」


「田辺くん! 大丈夫かね?」


 僕は足を踏み外し、水飛沫(しぶき)とともに右の足首を流れに浸けてしまっていた。すぐ引き上げたが、靴はすっかり濡れそぼっている。


「はい、怪我とかはしてません。けど……。あーあ、びちょびちょ……」


「ホップステップジャンプだよ、田辺くん。もっと足元に集中するんだ。いいね」


「はい、すみません。何だかサッカーをやめてから、空足を踏むことが多くなってて……。去年もこれで遭難したんです」


 大蔵部長は目を丸くした。


「そうかね。気をつけたまえよ」


「行きましょう、大蔵部長、小石さん」


 小石さんのナビはしばらく続いた。




 それから雑草を踏みつけ梢をくぐり、歩くこと数十分。夕方の山中で、僕ら3人は例の鳥居とほこらを発見した。山の中にある、このなかなかの広さの平地は、本当に神秘的に四方を斜面に囲まれている。いや、隠されている、といったほうが正しいか。


 小さな灰色の石の鳥居に手をついた大蔵部長は、息を切らしながら感極まった雄叫びを上げた。


「つ、着いたぞーっ!」


 僕も笑顔で同調した。体をむしばんでいた疲労も、今ではかえって心地よい。


「やりましたね! 小石さん、懐かしいね。ここで僕はきみに助けられたんだ」


「はい。季節こそ真夏ですが、ここはあの頃と変わらず……ただ私がいなくなった以外、何の変化もありません。去年いた鳥や動物たちはすっかり入れ替えしちゃったみたいで、それが少し寂しいですが」


 大蔵部長が袖をまくり、ぐるぐると肩を回転させる。疲れが吹っ飛んで俄然(がぜん)やる気が出てきたみたいだった。


「まだ日はある。田辺くん、早速ほこらを調べよう。懐中電灯の出番だ。隅々まで調査し、何か手がかりがないかチェックするんだ。スマホで写真を撮ることも忘れずにな」


「はい。始めましょう!」


 それから程なく、僕はほこらの内部に重大な手がかりを発見した。


「見てください大蔵部長、文字が刻まれています! 古い字だけど、大蔵部長は読めますか?」


「任せたまえ、これでも国語の古文漢文は得意ジャンルだ。その知識で読み解くと……、ええと、『しずの御霊(みたま)鎮守石(ちんじゅせき)に封じ、平穏なる楽園を築く。保安(ほあん)吉日』、かな。他にも何か書いてあるけど、かすれていて読めない……。写真を撮っておこう」


 スマホのフラッシュを焚いて撮影する大蔵部長。僕は彼に質問した。


「『保安』って元号ですよね」


「そうだよ。西暦なら1120年から1124年ってところだ。今から約900年前だね」


「900年前!」


「あの、『しずの御霊』って……。私、鳥居でも小石でもなくて、『しず』って名前だったんですね」


「そうなるね……」


「しず、しずですか。何だか小石に慣れすぎちゃって、いまいちピンと来ないです。『御霊』ってことは、私は石になったとき、人間でいて、なおかつ死んでしまっていたのでしょうか?」


「その可能性は高いね。田辺くん、きみはどう思う?」


 僕はほこらの内部に懐中電灯を向けるのをやめて、そのスイッチを切る。熟考の後、口を開いた。


「約900年前っていったら、鳥羽(とば)天皇と崇徳(すとく)天皇がいた頃ですよね――違いましたっけ」


「いや、そのとおりだ。白河(しらかわ)院政のまっただ中だね」


「1156年の保元の乱を控えて、まだ世の中は貧しくて、あちこちで人間がいくさに明け暮れていた時代ですよね」


「そうだね。平氏が台頭し、源氏が衰退していた頃だ。各地の小競り合いに乗じてならず者やごろつき、盗賊集団もあちこちではびこっていたことだろう。当時の治安はそれほどよいとはいえなかったはずだ」


 僕はうなずき、ポケットの膨らみに視線を向けた。


「小石さんは――しずさん、か」

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