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0004小石01

 目覚めたとき、僕はベッドの上だった。白い天井と壁、アルコールの匂い、クリーム色のカーテン、窓から降り注ぐ昼の光、腕に繋がるチューブと点滴のパック。そして、こっちを見て目を見開いている、父さんと母さんの顔。


 生きてる……


 僕はまばたきを数回して、ふっくらしたマットの上で身じろぎした。どうやら僕は意識を失った後、この病院らしき施設に担ぎ込まれたらしい。


「気がついた! 篤彦が気がついたぞ、佳代子(かよこ)!」


「ああ、あなた! 本当に!」


 父さん――田辺春雄(はるお)と、母さん――田辺佳代子の二人は、みるみる目をうるませ、透明な水滴をあふれ出させた。泣いている。父さんと母さんのこんな弱々しい姿を見るなんて、いつ以来だろう。


 帰ってきた。その実感が生温く僕の涙腺(るいせん)を刺激する。涙があふれ出てこぼれ落ちるのにまかせながら、僕は嬉しくて口元を緩めた。


「ただいま、父さん、母さん」


「うん、うん……!」


「無理しなくていいのよ、篤彦。しゃべりづらいでしょ?」


 僕の額を撫でる母さんの腕は、記憶にあるより一回り細い気がした。父さんも目の下に隈ができている。二人が遭難した僕を救出すべく、懸命に動いてくれていたことが伝わってきた。


 救出。そうだ! 僕を助けてくれた命の恩人は、あの小箱の鳥居さんはどうなったんだろう?


「父さん。僕の小箱は?」


「小箱? あの、捜索隊の方が発見したときに持っていたとかいう、あの小箱か?」


「うん。大事な、大事なものなんだ」


「それなら警察の方が持っていったぞ。篤彦が山の中で拾ったものに間違いないから、調査して処分を検討するとか何とか……」


 僕は頭に血が上って、思わず起き上がってわめいていた。


「駄目だよ、処分なんて! あれは僕の大切な小箱なんだ!」


 急に興奮した僕を、2人は慌ててなだめようとする。母さんが僕の両肩を掴んでまた仰向けに寝かせた。


「落ち着きなさい。急に動いたら体に悪いわ」


「そうだぞ篤彦。安静にしなくちゃね、お前は患者なんだから。……でも、そんなに大事だっていうのなら、俺があとで警察に電話しておくよ。何とか取り戻せるよう善処する。だからそう取り乱すな」


 僕は気が気でなかった。今頃鳥居さんはどうしているだろう。警察の職員たちにひどいことされてないだろうか。コンクリートの建造物、走る車、大勢の人間、そういった初めて見るものに恐怖していないだろうか。


 落ち着け。落ち着くんだ。今の僕はこのざまだ。どうすることもできやしない。今は父さんの言うとおり、安静にして、医者のいうことをよく聞いて、体力の回復に努めるんだ。そうして少しでも早く退院し、鳥居さんを迎えにいくんだ。


 心の波が収まる。熱が引いていく。


「ごめん、2人とも。もう大丈夫。でも父さん、小箱の件、くれぐれもよろしくね。……でさ、僕は何日美野里山を遭難してたの?」


「篤彦が発見されたのはちょっと離れた鉢田山(はつたさん)だよ。遭難期間は1週間だ」


 1週間。我ながら、よく食糧もなしに生き延びられたものだ。


「俺たちはいつまで経っても帰って来ない篤彦に恐怖してな。朝まで待って、母さんが車で管轄の警察署に駆け込んだんだ。俺はキャンプのテントでじっと帰還を待っていた。捜索隊が編成されて捜し出したのはその昼頃で、日のある時間帯を中心に徹底的に調べてもらったよ。もちろん俺たちも仕事を放って懸命に山狩りに参加した。お前は、大勢の人の力で救助されたんだよ」


 両親は共働きだ。1週間も会社を休んだら、相当支障が出るだろう。捜索隊の人たちも、昼夜を問わず体と声帯を酷使した。病院のお医者さんも看護師さんも、懸命に治療に当たってくれた。色んな人に、僕は迷惑をかけた。それもこれも、僕の軽率な行動が招いたことだ。大いに反省し、謝罪し、そして感謝しなければならない。


「新聞には載ったの?」


「ああ、特に無事発見のニュースはでかでかと全国各紙に載ったぞ。奇跡の救出、ってな。テレビでもトップニュース扱いだ。今お前はちょっとした有名人なんだぞ。そんな実感ないだろうけどな」


 もっといいニュースで名を馳せたかったな。僕はやや残念に思いつつ、笑う父さんに笑顔を返した。




「ただいま!」


 あれから5日。すっかり回復した僕は、ようやく待ちに待った退院を果たした。


 意気揚々と自宅マンション403号室のドアを開ける。懐かしい家の匂いが嬉しい。戻ってきたんだ。


 今日は母さんが仕事を半休して、車で病院まで迎えに来てくれた。例の鳥居さんの小箱は、父さんの電話もあって、無事僕の手元に返還される運びとなったらしい。今は一足早く、僕の家に届けられ、部屋の机の上に置いてあるという。


 命を救ってくれたことに対して、僕は鳥居さんに改めてお礼が言いたかった。僕は玄関で靴を脱ぐと、いそいそと自室へ直行する。鳥居さんは帰ってきた僕が『見えて』いるはずだし、声も届く範囲内だと思うけど、今のところ応答はない。もしかして、実際にはいないとか? それとも何かのアクシデントで、小箱が壊れちゃったとか?


 急に不安の雲が湧き上がり、僕の心に暗い影を落とす。僕はもどかしく扉を開けると、久しぶりの自分の部屋へ雪崩(なだ)れ込むように入った。


「鳥居さん!」


 いた。僕の机の上に、あの古めかしい、木と鉄枠の小箱がちょこんと載せられていた。鉢田(はつた)山中のほこらで出会ったときと、その姿は寸分たがわない。胸に渦巻いていた黒雲がぱっと消え去り、澄んだ青空が広がった。


 そして、あの少女の声が僕の頭に呼びかけてきた。


「おかえりなさい、篤彦さん。先にお邪魔させていただいています」


 僕は安心の湯船にどっぷり浸かった。それはもう、頭まで沈むぐらい。よかったぁ……!


「今までひどい扱いされなかった? 急に人間社会に飛び込んで、びっくりしなかった?」


 せかせかしゃべりながら、僕は部屋に荷物を置いた。


「私なら大丈夫ですよ。篤彦さんより年上であろう人間の方たちが、私をいろんな場所に持ち運びましたけど……。最終的には篤彦さんの親の手に渡り、この部屋の机まで問題なく移動させられました。その間、とても丁重(ていちょう)に扱っていただけましたよ。その、いろいろびっくりする物や人間に出会いましたが……」


 僕は胸をなで下ろす。よかった、無事で。


「どう、鳥居さん。僕の部屋」


 彼女は少し考え、おもむろに言った。


「そうですね、私がいたほこらと違って、ここはだだっ広いですね。雨や風の心配がなくて、とても快適です。……でもそれより、ここから外を『見て』いるといろんなものや人間があって、全く飽きないですね。夜なのに明るかったりするのが一番驚きました」


 そうなのだ。小石さんは僕の手から離れてより、今日まで人間社会を観察し続けていたのだ。それはひとまずのゴールとなった僕の部屋に落ち着いてからも、ずっと。


「あの、篤彦さん。もしよければ、私の『見て』きたものをお話しますので、それぞれにどんな名前があってどんな意味や役割があるのか、教えていただけませんか」


「うん、いいよ。何でも答えるよ」


 それから鳥居さんは、テレビやパソコン、ベッドに鏡に机に椅子、家屋に電柱、蛍光灯、塀、車、自転車、ベビーカー、横断歩道、コンビニ、食べ物、スーパー、その他いろいろを僕から教えられた。


 母さんの出勤見送りを挟んで、僕は鳥居さんに延々と「現代社会」をレクチャーしていく。鳥居さんは熱心に質問してきて、僕はそれに真剣に、できる限り正確で分かりやすく回答していった。何となく先生になった気分で得意気に話しちゃった。


 気がつけば室内が暗くなっていたので、椅子から立ち上がり、カーテンを閉める。紐を引っ張って蛍光灯をつけた。しゃべりすぎてあごが痛い。

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