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0032峰山香織C01

 私――峰山香織(みねやま・かおり)は2年の大蔵秀三(おおくら・しゅうぞう)が帰宅した後、自室のソファに座り込んで、両手で頬を挟んだ。熱い。鏡を向くと、真っ赤に泣き腫らした目をした自分の姿が写っていた。思わず顔をそむける。情けない。


 我ながら失態だった。五十嵐の自作に対する論評の件で、秀三ごときに励まされた。それだけならまだよかった。何と自分は、峰山香織は、悔しいことにそれを嬉しく感じてしまったのだ。


 ふう、と息を長く吐き出す。七三分けで黒縁眼鏡の美少年、大蔵秀三。その姿を思い出すだけで、心拍数が上昇する。


「秀三」


 彼の名前を口に出してみると、のぼせたように頭に血液が集中した。私は黒いストレートの髪をかきむしる。自分はまさか、あの読書部2年生に惚れてしまったのだろうか。いや、自分の今の状態はまさにそうに違いない。峰山香織たるもの何たる不覚。


「感想文」


 頭をぶんぶん振って影を追い払い、現在やるべきことをつぶやいた。勉強机に移動し、椅子に座って膝に鞄を載せる。ファスナーを開けて、学校から持ち帰ってきていた本と原稿用紙を取り出した。机に向かって執筆態勢に入る。


 最初の一文字を書こうとしたとき、シャープペンシルを持つ手が、少し強張った。だが五十嵐の誹謗中傷がそれ以上影響してくることはなく、私は無事に文章をしたためることができた。




「おっ、書けてるわね香織ちゃん!」


 翌日、読書部の部室で、集まった部員たちに徹夜して書いた感想文を見せた。早野結(はやの・ゆい)部長は大いに喜び、その内容を熟読してなお嬉しがった。


 ちらりと秀三を見る。彼はそれに気付いて、こちらに向かってかすかに微笑んだ。途端に私は耳が熱くなり、そっぽを向いてしまう。意識しすぎなのは分かっているが、だからといって自力で止めることはできなかった。その自分の様子を早野部長が目ざとく発見する。


「ん? 何、どうしたの香織ちゃん。顔が真っ赤よ」


 秀三が心底気遣いしてきた。


「峰山くん、大丈夫か? 今度は本当に風邪なんじゃないかい?」


 うっさい。鈍感。私は内心で彼を罵倒した。その後、早野部長へぺこりと頭を下げる。


「提出完了」


 彼女は私の頭を軽やかに撫で撫でした。まるで愛猫を扱うようだ。


「ありがとうね、香織ちゃん。これは課題読書として……。自由読書の方はどうするのかな?」


「バスカヴィル家の犬」


「ホームズの第3の長編ね。了解、名文期待してるわよ! ……ほらほら、1年の香織ちゃんが頑張ってるのよ。秀三ちゃんも3年も、遅れを取らないようにね! まあ、私もまだ課題読書を書いてる最中なんだけど」


 秀三は呆れ返ったように両手を腰に当てて彼女を見下ろした。


「早野部長、あなたこそ急いでくださいね。部長はいつでも何でも『後回し』なんですから」


「秀三ちゃん、しつこく言ってくれるじゃない。私の美文で驚かせてあげるから、そのときはいい感じの表情を拝ませてね」


 秀三は膨れっ(つら)だ。抗議するように確認する。


「あのですね早野部長、僕はそんなに面白い顔なんですか?」


「あーら、気が付かなかったの? ただ私が一言付け加えてあげるなら、ほんのちょっとだけ二枚目よ」


 秀三がその褒め言葉にみるみる赤面した。何か言い返そうとしたが、言葉にならない。


「……っ!」


「あはっ! 秀三ちゃん、もしかして照れちゃった? あはは、本当に見てて飽きない顔ね!」


「……か、からかわないでくださいよ」


 私は楽しげにやり取りする二人を眺めやった。秀三は、早野部長が好き。胸にちくりと、(とげ)で刺されたような痛みが走った。


 結局早野部長の原稿が一番最後、締め切りぎりぎりになって提出された。




 だがこうして読書部が総力を挙げて(のぞ)んだ読書コンクールの結果は、私以外全滅という惨憺(さんたん)たるものだった。私の感想文は見事に都道府県コンクールまで勝ち上がったが、課題・自由両方とも、そこで落選の()き目にあった。ただ、この実績は潤沢とはいかないまでも、ある程度の部費を約束してくれるだろう。早野部長は得意気だった。




 年が明けて正月、3学期が始まった。卒業まで読書部に引退はなく、回数こそめっきり減ったものの、早野部長も他の3年も、たまに部室に来て雑談と読書に打ち興じた。


「香織ちゃん、ストレートをやめて、私みたいにポニーテールにしたら? 似合うと思うけど」


「却下」


 早野部長がふざけて輪ゴムを持って追いかけてくるが、私はあの手この手でかわした。恋敵と同じ髪型になるのはどうしても抵抗があったからだが、そんなこと言えるわけもない。


 ただ、今そばで読書に熱中している秀三が、ポニーテールを好きであるなら――そうも考えたりする。複雑な心境の私だった。




 やがて受験シーズンになり、3年の姿は滅多に見られなくなった。部室には2年の秀三と、1年の私の2人が向かい合い、ただ静かに本を読む風景が定着した。明らかに寂しげな秀三は、早野部長のことを想っているのかと、私は決まり悪く推察する。早野部長への恩義はあるが、秀三の彼女への恋心を思うと、いなくなったのが浅ましくも嬉しく感じられて、私は自己嫌悪に(おちい)ること度々だった。




「やったわよ、秀三ちゃん、香織ちゃん! 大合格!」


 2月の終わり頃、部室に飛び込んできた早野部長は、勝利の舞いを踊りまくった。あっけに取られる私たちに、彼女は志望校であった関東大学への合格の一報をもたらす。秀三はもちろん、私も喜んで拍手し、歓声を上げた。


「最高」


「おめでとうございます、早野部長! 部長の学力だと厳しいかと思いましたが、いや、さすがに持ってますね!」


「何よ秀三ちゃん、それじゃ私が運で合格したみたいじゃない! 実力よ、実力。ほら、運も実力のうちって言うでしょ」


「やっぱり運じゃないですか」


 これには私も噴き出した。


「強運!」


「あはは、2人にはばれちゃったかー。ちなみに、合格を知ったのは3日前だったりして」


「すぐ教えてくれて良かったのに。また『後回し』ですか……」


「ええ、また、よ。あははは」


 不意に、秀三が真面目な声を発した。


「ところで、早野部長」


 後輩の変化に気が付いた早野部長が、改まって秀三を眺める。微笑みながら返した。


「何?」


「お願いがあります。今日の帰り、ちょっとお話しませんか」


「何々? 大事な話?」


「はい。僕にとっても、早野部長にとっても、大事なお話です」

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