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0031河合留美C02

 敬吾さんは快活に笑って謝罪した。


「ははは、悪い悪い。気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。どんどん食べよう」


 メインを胃袋に収め、デザートのチョコレートケーキを平らげた頃には、すっかり満腹だった。私は膨れたお腹をさすり、今後のダイエットの予定を厳しく変更した。


 2人揃って傘を差し、小雨がぱらつく店外へと踏み出す。敬吾さんが異常に喜んでいたが、それは料理の味に対してではなく、私がそれを楽しんでくれたことに対してのように推察された。


「美味かったね」


「うん」


「幸せそうな顔してる」


「幸せだからしょうがないよ」


「はは、それじゃ行こうか。幸せすぎて映画の最中に寝ないでよ」


 映画自体は流行の海外アクションもので、特別観たいものでもないなあ、と私はそれほど期待していなかった。それよりも行列に並んでいる間の、敬吾さんとの他愛ないおしゃべりの方が、娯楽としてずっと上位に感じられた。


 だが指定席に隣同士で座り、いざ映画が始まってみると、満員の観客の歓声に気分をあおられた。主人公のピンチの連続には、大画面と大音響に食い入るように集中してしまった。隣の敬吾さんの存在をつかの間忘れてしまったほどである。それほどスクリーンの向こう側の世界に没入していた。


 だが、私は強引に現実へ引き戻された。


「えっ」


 ひじ掛けに置いた私の手に、そっと敬吾さんの手が重ねられたのだ。私が思わず敬吾さんの顔を見ると、彼は少し恥ずかしそうにしながら、あくまで主人公のアクションを凝視している。手は重なったままだ。私は急に映画の内容より、その掌に全ての注意を持っていかれてしまった。何だろう。どうして急に触れてきたんだろう。敬吾さんの手、大きくて温かいな。


 やがてクライマックスらしきものがきて、ハッピーエンドが展開されて、スタッフロールに入った、ような気がした。気付けば眩しい照明が館内を照らし上げ、周りの客がぞろぞろ立ち上がっている。私はようやく我に返った。


 敬吾さんは手を載せたまま微笑む。


「面白かったね」


 私はゆっくりと自分の手を上向け、相手の手を握り締めた。


「うん……」


 頬も熱く答える。敬吾さんの指に力が込められるのを肌で実感した。


 私たちは手を繋いだまま映画館を出た。雨が降っているので傘を差さねばならない。お互いの皮膚が離れた。私はそれを名残(なごり)惜しく思う。


 それから雨のそぼ降る道を歩いていった。お互い無言だ。私は隣を歩く敬吾さんの顔を正視することができないでいた。仕方なく、そのまま話しかける。


「あのさ、敬吾さん」


「ん?」


「今日は楽しかった。すっごく」


 それは私の本心だった。昨日の晩からわくわくどきどきしてなかなか寝付けなかった。今朝は浮き浮きと可愛い格好をすることに腐心し、コーヒーショップでは雨を見ながら早く会いたいと待ち焦がれた。初めて口にするクロアチア料理には舌鼓(したつづみ)を打ったし、アクション映画では――最後のほうは覚えてないけど――ハラハラと画面に見入ってしまった。


 全ての過ぎ去った時間が、心弾むひとときが、今はとても懐かしい。


「そう? よかった。俺も楽しかったよ」


 敬吾さんも同じだった。私は首元を熱くする。


「そう。嬉しい」


 しばらく会話が途切れた。が、今度のそれは短く、切り出したのは敬吾さんの方だった。


「河合さん。また……誘ってもいいかな?」


「あのっ!」


 私は立ち止まった。敬吾さんは遅れて足を止め、私に向き合う。彼の足元へ視線を投じながら、私は勇気を振り絞った。ためらいがちになる自分の声を励ます。


「あの……。私、今日は敬吾さんと、仲のいい友達として遊びに来た」


「うん」


「でも、待ち合わせして、一緒に食事して、映画観て……。それがあんまり楽しくて、嬉しかったものだから、私、どんどん欲張りになってる」


 私は敬吾さんを見上げた。久しぶりに目と目が合う。


「もう友達としてじゃない、今度は恋人として一緒に歩きたいって、そう思ってるんだ! ……私、ずうずうしいかな?」


「そんなことないよ。俺も……」


 不意に敬吾さんは髪をかき回した。言い知れぬ恐怖と戦うように。


「つか、俺だって、俺だって……。河合さんと恋人になりたい!」


「ほ、本当?」


 敬吾さんは真っ赤な顔で答えた。


「これは俺の本心だよ」


 お互い、見えない壁を壊そうとしていた。それがどんな結果をもたらすのかは分からないが、壊さなければ前進できないことだけは分かっていた。だから、私は決定的な言葉を放った。


「私、敬吾さんが好き。ずっと前からね。保健室で初めて会話したあのときから、ずっと。敬吾さんは、私のこと好き?」


 返事は被せ気味だった。


「ああ、もちろん! 当たり前だよ。だって、俺……好きな相手とじゃなきゃ、毎日昼休みに会ったり、頻繁にLINEしたり、休日にデートに誘ったりなんかしないよ。さっきは急に手を繋いでごめん。そうしたかったんだ」


 彼の瞳が真っ直ぐ私の目を見つめる。


「……俺は、河合さんが好きだ。河合さんにばっかり言わせるのもあれだから、これから先は俺が言うよ。河合さん。俺と、付き合ってください!」


 しかしそれを聞いた私は、嬉しくなる反面、胸に刺さったままの針の存在に気がついた。暗く濁った湖水に沈み込んでいくような気分がして、反射的にうつむいてしまう。不安を含んだ敬吾さんの声が前髪に投げかけられた。


「河合さん?」


 私は針の太さに痛みを感じて、胸に手を当てた。今、話さなければならない。この針のことを。自分のために、敬吾さんのために。


「……私ね、前にも男子に告白されたんだ。中学2年のときにね、ここじゃない、実家近くの中学校で」


「ああ、俺の田舎の……」


「その男子は私のこと好きだって言ってくれた。付き合いたいって言ってくれた。でも、それは全部真っ赤な嘘だった。私に告白して、どんな反応するか面白がって見てみたかっただけなの。私、ころりと騙されて。一晩悩んだ挙句、真相知らされて、その男子を平手打ちしちゃったの」


「…………」


「それで、その子が女子をけしかけたの。多分ね。それから女子が私をいじめるようになって……。後は敬吾さんも知ってるとおり」


 雨滴がアスファルトを叩く騒然とした音が、2人の間に横たわる。それを敬吾さんが突き破った。


「河合さん、昔のことは思い出さなくていい。辛い過去は忘れるんだ」


「でも、でも……!」


 私は再び(おもて)を上げた。その目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。目を見張る敬吾さんに向かって、私は思いのたけをぶつけた。


「忘れられないよ! 私、敬吾さんに好きだって言われても、付き合ってくれって言われても、また裏切られるんじゃないかって……。また笑われるんじゃないかって……。怖くて……! 怖くて……!」


 震える声が雨空に響き渡る。次の瞬間、私は傘を放り捨てた敬吾さんに抱き締められていた。私の手からも傘が転がり落ちる。雨が二人を打つ中、敬吾さんの真剣な言葉が私の鼓膜に届いた。


「大丈夫だ。俺は、東条敬吾は、河合さんを裏切ったりなんかしない。傷つけたりなんかしない。笑ったりなんかしない。この身が朽ち果てるまで、河合さんを……留美を好きでい続ける。俺みたいな奴が言うのはおこがましいかもしれないけど……。頼りないって思われるかもしれないけど……。信じてほしい。俺を信じてくれ、留美。俺が、留美のゴールだ」


「敬吾さん……!」


 胸が敬吾さんの優しい言葉で満ちる。針が、針が抜け落ちていく。


「留美。好きだ。この世界の、どんな女の子より」


 私はしゃくり上げた。長く胸にくすぶっていたものが、自分を包む敬吾さんの腕の温もりで、ようやく消えていくのが感じられる。私は号泣していた。


「敬吾さん、信じるよ。私、信じちゃうからね。ついていくからね」


「ああ、信じろ、留美。俺が絶対に幸せにしてやるから」


「うう……。敬吾さん、敬吾さん……!」


 冷たい雨は降り続く。それに打たれながら、私は敬吾さんと抱き締め合って、互いの体温を伝え合っていた。それがこの世で信じられる、唯一確かなものだと実感しながら……

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