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0030河合留美C01

 読書部で、田辺篤彦(たなべ・あつひこ)くんがもたらした驚きの報告に目を丸くしないものはいなかった。2年生の峰山香織(みねやま・かおり)副部長が黒いポニーテールをひと撫でし、単語で感想を述べる。


「急展開」


「ですよね! 小石ちゃんが人間になるなんて……。篤彦だけなんてずるい。俺も見たい!」


「あたしも見たい見たいー!」


 1年A組のクラスメイトでもある渡来保(わたらい・たもつ)くん、多奈川美穂(たながわ・みほ)――派手子――の両名は、そう言って赤ん坊のようにだだをこねた。私――河合留美(かわい・るみ)は縦に伸ばした人差し指を頬に食い込ませる。


「月光で人間の姿になるなんて、信じられない。でも、小石さんの本当の姿は、結局石ころなの? 人間なの?」


 3年生で読書部部長の大蔵秀三(おおくら・しゅうぞう)先輩が、黒縁眼鏡の中央を指で押し上げた。その目は笑っている。


「実はそこら辺も含めて、来たる夏休み、僕と田辺くんと小石くんとで、ちょっと調べに行く予定なんだよ。例の鉢田山へね」


「えっ、本当ですか大蔵部長」


「まあね河合くん。もしその日にちょうど月光が降り注いでいれば、小石くんに人間の姿で案内してもらえるってわけだね。何せ彼女には約2キロ先まで『見える』力が備わっているんだからね」


 小石ちゃんが言いにくそうに言葉を挟んでくる。


「あの……。そのことですが、私、人間の姿のときには『見る』ことも、『声を他人の意識に届ける』ことも、できなかったんです。人間と同じように、眼球と口を動かせる範囲内でしか見たり話したりできませんでした」


「そ、そうなのかい?」


「はい。ですから旅行当日は、いつものように石ころの姿で篤彦さんのポケットの中に入っていたいと思います。上手く月が出ていたら、あの鳥居のそばで外に出してもらって、人間の姿になりたいとは思っていますが」


「なるほど……。と、ともかく、夏休みには3人で山中を行軍ってわけだね」


「解明」


「そうだね峰山くん、小石くんの謎はもうすぐ明らかになるかもしれない。ならないかもしれないけど。まあ、今は7月予定のお月見会が優先だね。梅雨の雲はそう簡単に晴れそうにないが……。それが明けたら、いよいよ小石くんの人間体と初対面って訳だ。いやあ、感動するね」


「はい、私も早くみなさんにお見せしたいです」


 保が粗雑にとかした黒髪をつまんでは引っ張り、つまんでは引っ張りしている。


「大蔵部長、篤彦が言うには人間の小石ちゃんは美少女らしいですよ。ほれたりしません?」


「いや、そんなことは……。でも、どうだろうな……。いてて」


 峰山副部長が本を読みながら、片手で大蔵部長の腕をつねっている。保が手を止めて、呆れて2人を見やった。


「峰山副部長、大蔵部長と付き合ってるんですよね?」


「無回答」


「これだよ……」


 その日は小石さんの人間の姿についての話で盛り上がった。やがて雨のそぼ降る中、一同はお月見でのお披露目に期待感で胸をいっぱいにしながら、帰宅の途についた。




「地味子、最近綺麗になってないー?」


「え?」


 読書部での穏やかなひととき。雨天が野球部やサッカー部の部員たちを困らせている午後、まだ他のメンバーがやって来ない2人きりの際に、派手子は私を面白そうにつついた。赤いツインテールがよく似合い、その可憐な容姿を引き立たせている。


「地味子なのに地味じゃなくなってきてるー。……ははーん、さては好きな人でもできたのねー?」


 私はしおりを挟んで本を閉じた。内心どきりとさせられている。仕返ししてやりたくなった。


「そういう派手子は、最近田辺くんを見つめること多くなってない? それも、物凄く熱心に」


 彼女はあからさまに赤面した。そっぽを向いて椅子の背もたれに体重をかける。


「そ、そそ、それはー……。気のせいよ、気のせいー」


「ふうん。ならいいけど」


 私はくすくす笑った。




「あ、敬吾さんからLINEだ」


 風呂上がり、私は短い髪の毛をタオルで拭きながらスマホを開いた。そこには東条敬吾(とうじょう・けいご)さんからのお休みメッセージがつづられていた。『お疲れ様』『お休み』。それだけなら最近では珍しくもなくなり、いつものこととなっている。


 だが、今夜はそれに続きがあった。


『学校の外で会えない? 観たい映画があるんだけど』


 私は心臓がひと跳ねするのを感じた。明白なデートの誘いだ。私は急激に絡まった思考の糸を、しばらく持て余した後、丁寧に一本一本解きほぐしていった。深呼吸してスマホに向かい、慎重な手つきで返事を打った。


『うん、今度の日曜日でよければ』




 そして約束の日曜日。その日はあいにく朝からの雨だった。私は身だしなみに1時間ぐらいかけ、休みの母親に何度もファッションをチェックしてもらうと、傘を手にした。結局フリルの付いた白いガーリーなシャツと、淡い色のプリーツスカートという格好にした。


「行ってきます」


「頑張ってね、留美」


「う、うるさいなあ」


 待ち合わせ場所のコーヒーショップに辿り着いたのは、約束より40分も早い時刻だった。コーヒー1杯を手に2階に上がると、窓を滑り落ちる雨滴と、その奥で行き来する傘の群れを見下ろせる席に座る。そわそわして落ち着かず、かといってやることもなく、腕時計を見てはコーヒーを飲んだ。カップが空になったとき、まだ来てから10分しか経っていないことに愕然とする。


 冷静になりなさい、私。どうせしばらくこのままなんだから。


 私は自嘲して、カップをゴミ箱に捨てると、今度は何を頼もうかと1階に下りた。


「あれ、河合さん!」


 その瞬間、心臓が止まるかと思った。目の前に、傘をビニール袋に納めようとしている東条敬吾さんが立っていたからだ。著名料理人の息子である彼は、不良っぽいこわもてで、豊富な茶髪に耳を半ば埋もれさせている。ネイビーのシャツに黒いテーパードパンツがよく似合っていた。彼はこちらに気がついて、目を丸くしている。


 私は声帯の機能を復活させるのに数秒を要した。


「敬吾さん? でも、まだ時間まで30分もあるのに……」


 敬吾さんは照れたらしく、ちょっと言いよどんだ。


「それは、その……。てか、そういう河合さんだって、何でこんなに早く到着してるの?」


 お互いにしばし見合った。同時に噴き出す。


「お互い様だな」


「だね」


「じゃ、ちょっと早いけど、まずは腹ごしらえといこうか。料理がちょっとできる俺でも絶対におすすめできる店だから、きっと河合さんも気に入ると思うよ」


「うん、朝食抜いてきたから、お腹空いてるんだ」


「河合さん」


「うん?」


「その服、凄く似合ってるよ。俺、好みだな」


 私は人生でも初めてというぐらいに、壮絶に照れた。




 私たちは県内唯一の人気クロアチア料理店に向かった。店内は混んでいたが、敬吾さんが予約を入れてあったらしくすんなり通された。休日ランチメニュー2500円。


 運ばれてきた料理は、前菜盛り合わせの時点で凄まじく美味しかった。


「ねえ敬吾さん、これ美味しいね」


「鶏肉のテリーヌだけど、いい鶏を使ってる。新鮮で、柔らかくて。このザワークラウトも美味いよ」


 続いてクロアチア風のラザニア、シュトゥルクリ。美味なパプリカソースに、私は食欲を掻き立てられた。そしてメインの肉料理、パスティツァーダ。あまりの美味しさに、無心に食べ続ける。口の中で肉がほろほろと溶けるのがたまらなく心地いい。


 ふと気がついて敬吾さんを見れば、彼は手を止めてにやにやと私の顔を眺めていた。


「あの、敬吾さん?」


「ごめん、河合さんお腹空いてたんだなあって思ったら、ちょっとおかしくなってさ。ちょっと観察してた」


 私は耳が熱くなるのを感じた。あえてすねてみせる。


「意地悪ね」

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