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0021峰山香織A02

「ほら早野部長、後輩くんが困っているじゃないですか。ごめんね、後輩くん」


「誰」


 早野部長は暴れ馬のごとくもがき、眼鏡の手を振りほどいた。


「痛いわね、ちょっと! 香織ちゃん、この子は読書部唯一の2年生、勉強そこそこなのに本の知識は辞書のごとし、その名も大蔵秀三ちゃん!」


「大蔵秀三」


『くん』も『さん』も『先輩』もつけなかったからだろうか、秀三は急速に不機嫌になった。助けたことを後悔したような表情を浮かべる。


「後輩くん、僕は先輩なんだから呼び捨てはよしたまえ、呼び捨ては!」


 これに早野部長が噛み付いた。


「ちょっと秀三ちゃん、香織ちゃんにいきなりきつく当たらないでよね! 仮入部を嫌がったらどうするのよ!」


「早野部長、上級生には下級生を律する義務があると思います」


 そこへ3人の3年生がやってきた。特にこれといった印象のない、モブキャラのような3名。


「早野、チラシ配り終えてきたぞ。……おっ? 誰々その子、新入部員?」


「まだこれからよ。じゃ、香織ちゃん、意志は固まった? 読書するだけだから、きっと気に入ると思うわよ」


 そう言ってウインクする。そこはかとないカリスマ性が感じられるのは、部長だからだろうか、人柄だからだろうか。気がつけば私は、仮入部の名簿に名前を書いていた。


 人生には流れというものがあり、ときにはそれに乗ったほうがいいこともある。そんなことを小学校の先生が言っていたっけ。今の私はその言葉に従ったのだ。


「ありがとう香織ちゃん、愛してるわ!」


 本当にキスしかねない近さで、早野部長は甘ったるく叫んだ。喜んでもらえたのは素直に嬉しいけど、この積極性は何とかならないものか。


 秀三が部長に何やらチラシの山を渡す。


「さあ、大事な宣伝チラシ配り、今度は早野部長の番ですよ。ここは僕に任せて、さっさと行ってください」


「あら、そんなの後回しでいいじゃない。もう少しここにいさせてよ」


「出た、部長名物『後回し』! あんまり先送りしていると、今に取り返しのつかないことを招きますよ」


「そんなことないもーん」


 私は上級生たちに頭を下げた。


「では」


「うん、じゃあね香織ちゃん! 読書部部室は校舎の2階だから、いつでも遊びに来てね!」


 投げキッスを連発する軽薄な態度には参ったが、まあどうせ仮入部だ。見学して嫌ならやめればいい。私は背を向け、その場から立ち去った。早野部長の甲高い呼び込み声に、少し後ろ髪ひかれながら……




「驚いたろう、この書庫は」


 眼鏡の2年・大蔵秀三が、興奮したように私にまくし立てる。確かに彼が手で指し示す本棚は、ぎっしり隙なく文庫本が詰め込まれ、全部読破するのに3年では足らないだろう。それが部室の3方の壁にあるのだ。これなら読みたい本に困るということはなさそうだった。凄い。


 そう、ここは常成高校読書部部室だ。昨日の今日で見学に来てしまった自分はせっかちだと思ったが、あるいはこれでよかったのかもしれない。中央に長テーブルが4脚集められており、そこに向かい合うように全部で8脚の椅子が並んでいる。明け放たれた窓からは春風がそよいで、暖かな日差しを室内に招き入れていた。


 私は改めてぐるりと見回す。壮大な文庫本の量に圧倒された。


「仰天」


 秀三は自慢げにうなずいた。ふとポットの置かれたテーブルへ向かう。


「そうかね、驚いたかね。待ってろ、今飲み物を()れる。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」


「紅茶」


「そうか、峰山くんも僕と同じ紅茶派か。僕も紅茶は好きでね。家でもよくやってるんだ。まあ、ここではインスタントだけどね。かけて待ちたまえ」


 秀三はリプトンのティーバッグを箱から取り出す。他の部員、すなわち早野部長を含んだ3年生4名は、今頃校庭で最後の勧誘に血眼(ちまなこ)になっている頃だろう。私は秀三の背中を見ながらパイプ椅子に座り込んだ。


「紅茶。趣味?」


「そう、趣味だよ。僕は趣味を持たない人も好きだけど、持つ人はもっと大好きだ。同好の士ならなおさらだ。きみは小説家を目指し、読書部に仮入部し、紅茶を愛する。僕と似通ってるね」


 私は紅茶派ではなく「どちらでも」派だったが、特に主張するべきでもないとやり過ごした。それよりも、気になる言葉があったことについつい反応してしまう。


「小説家。目指す?」


「ああ、言ってなかったね。僕は小説家を目指してるんだ。それも普通の作家じゃない、ノンフィクション専門だ。緻密(ちみつ)な取材と徹底的な下調べで精緻(せいち)に織り上げた、タペストリーのような重厚なノンフィクションを書き上げたいと思ってるんだ。今は読書部で、次の題材を何にするか勉強している最中、というわけだね」


「そう」


 紅茶のいい香りが漂ってきた。秀三がカップにお湯を注いだのだ。作業の手を休めず質問してくる。


「峰山くんはミステリを書きたいのかい? それともSF? ハードボイルド? 時代物?」


「ミステリ」


「そうかそうか! ここには宮部みゆき、東野圭吾、京極夏彦、有栖川有栖、綾辻行人、湊かなえ、その他著名ミステリ作家の名作が何でも揃ってるぞ!」


 秀三が私の前に紅茶のカップを置く。自身もカップを置きながら、向かい合って座った。こうして見ると、なるほど二枚目だ。野暮ったい黒縁眼鏡がなければいいのに。


 私は紅茶を一口すすって、その香味を堪能した。うん、美味しい。そして温かい。


「ドイル」


「え?」


「コナン・ドイル!」


 秀三は少し申し訳なさそうに答える。


「ああ、シャーロック・ホームズの。残念、読書部は国内の作品ばかりだ。コナン・ドイルもエラリー・クイーンもアガサ・クリスティも、僕の家には全巻揃っているが、読書部にはないんだよ」


 私はふっと笑った。


「借りる」


「へ?」


「借りる!」


「僕から本を借りたいというのか?」


 私はうなずいた。ミステリの古典といえば海外だと、昔から相場が決まっている。それを読んで勉強してみたい、とは前から思っていたことだ。特に、コナン・ドイルは。


 秀三は腕組みして背もたれに寄りかかった。それも長いことではなく、すぐ前のめりになる。


「そうだな……いいだろう。ただし条件がある。読書部に入りたまえ。学校で僕の本を読むときは読書部の部室で読むんだ。知らない誰かの手垢(てあか)に汚されちゃたまらないからな。飲めるか?」


 私は顎をつまんだ。正直、書架の本の山を見て読書欲を強烈に刺激されていた。秀三の力があれば、ホームズもたやすく全巻読める。その他の海外ミステリも。家に取りに行くのは面倒だから、秀三に学校まで持ってこさせよう。返すときも学校で。そう考えれば、心の天秤はおのずと一方に傾いた。


「了解」


「よしっ!」


 秀三はKO勝ちを記録したボクサーよろしくガッツポーズをした。いきなりな動作だったので、私は少しびっくりしてしまった。彼はしかし、そんなことにも気付かず独語している。


「しゃーっ! 読書部、存続決定! 早野部長、喜ぶだろうな! よかったー……!」


 名酒を飲んだアルコール中毒者のように、全身で喜びを噛み締めている。その様を見て私は聞いてみた。


「秀三。早野部長、好き?」


 秀三の顔が見る見る真っ赤になったのが、その答えだった。

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