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0002声01

 僕は一瞬凝固したが、すぐ脱力して口元を緩める。幻聴って奴だ。死にかけると妙な体験をするものだなあ。


「そこの変わった生き物の方。私の声に返事ができますか?」


 僕は伸びたまま、何だか少し面白くなって、脳内の波紋の広がりを黙って楽しんだ。最期にこんな少女の声を聴くなんて、僕もどうかしている。そういえば父さんに指摘されるまでもなく、彼女の一人もできない人生だった……


「答えてください。私ならあなたを救うことができるんです!」


『救う』? 半ば閉じていた目を開き、身じろぎする。とてもありがたいが方法が不明な言葉に、僕は興味を持った。幻聴が返事を求めている。面白い、じゃあ答えてみようじゃないか。


 僕はかさかさの唇を動かし、かすれ声を出した。


「聞こえてるよ……」


「ああ!」


 少女の声は歓喜に満ちた。幻聴のくせに反応するなんて、これはどういうことだ?


「まだ生きているんですね、不思議な生き物の方。どうです、動けますか?」


「動けない……」


「それは困りました……。もう少しだけ頑張って、もう少しだけ歩いてみてください。残った力を振り絞って。できますか?」


 だんだん幻とは思えなくなってきていた。それだけ少女の声は真に迫っており、心がこもっている。まさか、これは本当に誰かの声? でも、何で頭の中に飛び込んでくるんだろう? ともあれ、少し勇気づけられる。


「やってみるよ」


 僕は気力を奮い立たせた。うなり声を上げながら、頭を、腕を、足を動かす。骨が(きし)み筋肉が震えるが、僕はまだ湧き上がってくる力があることを発見した。先に衰え、弱りきっていたのは、体ではない、精神の方だったのだ。


「うああっ!」


 とうとう叫びながら、僕はどうにかその場に立ち上がった。背中に乗っていた葉っぱが数枚、ひらひらと地べたに舞い落ちる。ガス欠もいいところだったが、動けた。まだ最後の力は残っている。そう実感した。


 僕は周囲を見回した。声の主であろう年頃の女の子がいないか確かめたんだけど、ひと気は全くない。


「よくできました! 凄いです!」


 それなのに、声はまた頭蓋骨内に届いてきた。テレパシーって奴か? それとも霊魂? でも、そんなオカルトめいた事実以外に考えられない。ちょっと怖いな。


「きみ、僕を救うことができるって言ってたね。もしよかったら、ぜひ救ってみせてよ」


 軽口を叩くことで自分を鼓舞する。少女は答えた。


「はい! それではそうしますね。まず、今あなたは私の近くにいます。そう、私の声が届くぐらいに。変わった生き物であるあなたが――」


 さっきから気になる言い方だなあ。


「ちょっと待った」


「はい?」


「『不思議な生き物の方』『変わった生き物であるあなた』ってさ、僕、人間だよ」


「ニンゲン?」


「知らないの? だって、きみだって人間じゃないか」


 少女は噴き出した。何がおかしいのだろう。


「私は違いますよ。私はあなたが、猪さんや狼さんや鹿さんと違って、二本足で器用に歩きますし、何か変わったものを着込んでいますから、『変わった生き物』って言ったんです。そうですか、人間という生き物なのですか。じゃあこれからあなたのことを人間さんって呼びますね」


 見事にピントがずれてる。僕は呆れて頭をかいた。


「違うよ。僕にはれっきとした『田辺篤彦(たなべ・あつひこ)』って名前があるんだ。篤彦って呼んでよ。人間の、篤彦」


「篤彦さん。はい、了解です」


「きみの名前は? 僕が教えたんだし、助けてもらう身であれだけど、やっぱり教えてもらわなきゃ不公平だよ」


「名前……ですか? 『篤彦』さん、みたいな? さあ……。鳥さんや動物さんは鳥居さんって呼んでくれてます」


「鳥居さん? 鳥や動物が、きみのことを? ははっ、冗談言わないでよ。きみは鳥や動物と話せるっていうのかい?」


「今私は篤彦さんと話せているじゃないですか。そんな感じで、はい、話せます」


 僕は絶句した。鼓膜を震わせることなく、僕の意識に直接浸透してくる少女の声。この非現実的だが実際起きている事象を考えれば、案外鳥や動物たちの頭の中へしゃべりかけることも、彼女には可能なのかもしれない。


 ま、まあ……それはいいや。僕は咳払いした。


「それにしても鳥居って、鳥居の近くに住んでるの?」


「鳥さんがそう呼ぶ少し大きめな物体が、私のすぐ近くにあります。鳥居のこと、分かるんですね?」


「まあ、初詣(はつもうで)で神社に行くし。毎年見てるよ」


「じゃあ話は早いですね。その鳥居を目指してください。まずはそこから左手にある、少し緩やかな坂道を降りていってください。降り切ったら次の指示を出します」


 救出開始、か。僕は少し迷った。この得体の知れない不気味な声に従って行動して、果たして大丈夫なんだろうか。でも僕はすぐその迷いを蹴り飛ばした。


 どうせここにいても死ぬだけなんだ。まだ体力がかけらでも残っているうちに、目の前のわらにすがってみようじゃないか。それで駄目なら、そのときこそ覚悟すればいいさ。


「斜面か……。もてよ、僕の両足」


 僕は針金のように硬い足を動かし始めた。最後の大仕事が始まった。




「はあ、はあ……」


 あれから少女の指示に従って山中を進むこと数分。僕は開けた土地に出た。秘境、というか、今まで気がつかなかったのが不思議なぐらいの、だだっ広い広場。黄金色の雑草がじゅうたんのように生え、ところどころで丈高い木が伸びている。そして規模は小さいが、灰色の可愛らしい鳥居が確かにあった。


「おめでとうございます! 第一関門突破! さあ、私のところに来てください」


「鳥居さん、そこにいるんだね。でも、誰もいないようだけど……」


 僕は空き地の周囲を取り囲む山の偉容を眺めながら、鳥居に辿り着いた。見れば石を組み合わせてできた箱、何ていうんだろう、ほこらかな? そんなものがすぐそばに設置されている。それ以外には人っ子一人いない。


 僕は声の雰囲気からして歳が近いであろう女子が、この場所で僕を出迎えてくれるのだと期待していた。だが、それは外れたみたいだ。


「鳥居さん。まさか、この鳥居がきみだって言うんじゃないよね?」


「すぐそばに石組みの入れ物があるでしょう? そこに私が入ってます」


 僕は身を屈め、ほこらの中を(のぞ)き込んだ。そこには一個の小箱が安置されていた。時代劇に出てきそうな、木板と黒い鉄枠で組み立てられたもの。


 って、まさか……。僕は急いでそれを取り出す。ほこりを被っていて、それほど重くはない。僕は何度も何度もひっくり返して(あらた)めた。中に何か入っているのか、振るたびにかたかたと硬質な音がする。フタは()びついているせいか何なのか、どんなに力を込めても開いてはくれなかった。鍵穴がないのも不思議だ。

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