最近のランキング、なんだかなぁどころじゃねえ。
駄文ですが良ければお付き合いください。
お久しぶりです。時の権能者です。
この一年は本当に予想もできないような年でしたね。
一年前にエッセイを書いたときはまさかこんなことになるなど思っても見ませんでした。
さておき。
この一年、次のエッセイを書く書く詐欺をしていた私ですが、ここ数日で再び例のエッセイがランキングに上がり、ああ、ちょうど一年経ったんだ…と思いましたので再び筆を取ることにしました。
さて、予めご了承いただきたいのですが、このエッセイは読み専である私の本音をあまりオブラートに包んだりせずぶっちゃけるものとなっております。場合によっては不快に感じられる方もいることでしょう。
基本的に前回のものと書く内容の趣旨は変わりないかと思いますので、そちらを読んで「あぁ、この人の意見は合わないな」と思った、というような方、または不快な気分にはなりたくないよ、という方は早めにブラウザバックすることをお勧めいたします。
それでは本筋を書いていきたいと思うのですが、まあ皆さんならもう私がなにを書きたいかはもうお分かりでしょう。
そうです。「もう遅い」に関してです。
いやぁ、びっくりしましたねあれには…。
去年にランキングがひどいひどい言い続けていた私ですが、あそこからさらに状態が悪くなるとは思っていませんでした。
「昔からあんな感じだ!」とおっしゃられる方もいらっしゃるかもしれませんが、はっきり言います。
昔は今よりマシでした。
少なくとも、ランキングの異世界恋愛、現実世界恋愛、ハイファンタジー、ローファンタジーのランキングの9割以上に「もう遅い」という文言が入っていて、むしろ入ってない作品を見つけるのが困難な状態、なんてことは未だかつてありませんでした。
もちろん「悪役令嬢」だとか「追放」だとか「クラス転移」とか同じようなテーマがランキングを埋めることはありましたが。
このエッセイを書くにあたって、さすがになにも読まずに書くわけにはいかないので、敬遠していたのですが何作か「もう遅い」を読んできました。(途中でリタイアしましたが)
直球に言います。なぜランキングに載っているのかがわかりませんでした。
誤字、文法のミス、表現の誤用、それらはまだいい方です。そもそも小説としての文章表現が稚拙、伝わってこない登場人物の人間性、感覚。感じられない緊迫感。矛盾、不整合性、おそらく作者の知識不足から来る不自然さ。
挙げ出すとキリがありません。
(今挙げた最後の不自然さに関連して、補足となるようなエッセイをまた投稿しようと思います。)
こういった作品がなぜランキングに載るのか。去年のエッセイでもたくさんの感想をいただき、例えば承認欲求であるとか、お手軽な楽しさであるとか、様々なご意見をいただきました。
おそらくそれはその通りなのだと思います。
インスタントな面白さしか求めていないから、「もう遅い」が大量に発生してしまう。
その結果なにが残ったのか。
肉付けされていない、量産品の骨組みです。
骨組み(ここではもう遅い、というジャンル)自体はそれなりの面白さを有しています。そりゃそうです。その骨組みが面白かったから、みんな真似をしたわけですから。
骨組みを真似すること自体は構いません。創作とはそもそもそういうものです。
しかし、あのランキングに載っていた作品のほとんどには、なんの肉付けもされていませんでした。言い換えるなら、幹だけの街路樹です。
そこに曲がった枝はありません。我々を楽しませる花は咲きません。秋には地面に落とす落ち葉もありません。
ただ、栄養不足で痩せ細った、そこらへんにいくらでもあるような幹が一本あるだけです。
それが、長い時を経て枝葉が枯れ落ちた木であればまた違ったでしょう。あの作品にはそんな時間はかけられていない。読めばわかります、というか「もう遅い」が生まれてから投稿されるまでの時間を考えれば分かります。
この肉付けされていない骨組みだけの作品には、たしかにメリットもあります。
それは、読者はそのほかのなにを考えることもなく、ただストレートにストーリーそのものだけを享受することができます。
要は、主人公の葛藤も、世界観も、戦闘の緊迫感もなにもなく、ただ「Aがなにをした、そこでBがなにをした。それによってCはこうなった」という事実関係だけを受け取ることになるわけです。
私は、これがインスタントな面白さと呼ばれるもののカラクリだと考えています。
あまりにくだらない。
こういう作品を読むとどうなるか。
主人公の名前を忘れます。町の名前を忘れます。ヒロインがどんな人間だったかわかりません。印象深いシーンを挙げることができません。(僕も読んだ作品の内容をもう覚えていません。)
作者の皆さんに問います。
そんな、誰の心にも残らない、読み終われば忘れ去られてしまう作品で本当にいいですか?あなたが書きたかったもの、読んでもらいたかったものは本当にそれでいいのですか?
読者の皆さんに問います。
そんな、記憶にも残らない、読み終わればわすれてしまう読書体験で本当にいいですか?あなたが貴重な時間を費やすもの、読みたかったものは本当にそれでいいのですか?
答えは知りません。私は嫌だ、それだけです。
ここで話は変わりますが、こういった意見を言うと必ず、「無料だから」「素人の作品だから」「作者は読まれるために努力しているから」という感想が来ます。
その通りです。その通りですがしかし、だからといってなにも言ってはいけないなんてルールはありません。そう言った良識はあるのかもしれませんが、知ったことではありません。私は言います。
素人が書いている作品だから下手くそなのはなにも不思議なことではありませんし、無料で読ませてもらっているだけありがたいことなのは事実です。その上で、作者様がこのサイトの中で埋もれないために流行り物に手を出すのもごく自然のことなのでしょう。
ただ、あのランキングの惨状を見れば分かります。
作者たちは、「自分たちが書きたいものを書きたい、その上でみんなに読んで欲しい」というつもりではありません。
明らかに、「書きたいものから」書いているのではなく、「読まれたいから、ランキングにのりたいから、商業化したいから」書いている。
それは「もう遅い」が溢れたランキングを見た後ではもう否定できないでしょう。
ならば、こちらだって遠慮する必要もないでしょう。理由は言わずもがな、相手は「読ませにきている」からです。(もちろん、読むという選択をしたのは私自身ですが。)
そういうわけで、わたしはこのエッセイを書きました。批判もあることと思います。できれば賛同が欲しいですが。苦笑
最後になりますが、何か意見等がありましたらぜひ感想を送っていただけたらと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。