四日目・夜 日常の残骸
「…………あの」
考え込んでいると、ミコトがおずおずと手を上げた。
「どうした?」
と俺はミコトに問いかける。
「一つ、思いついたことがありまして」
「思いついたこと? それはなんじゃ?」
ミコトの言葉にクロエが首を傾げた。
「……それを実行に移すには、ユウマさんの協力が必要です」
そう言って、ミコトは俺の顔を見つめてくる。
「俺の?」
と俺は目を大きくしてミコトの顔を見た。
ミコトは小さく頷く。
「はい。ユウマさんの【視覚強化】の範囲って、確か500メートルでしたよね? だったら、ある程度高いところからこの街を見渡せば、目に見える範囲であればモンスターがどこにいるのかはすぐに分かりますよね?」
「あー……、なるほど。つまりあれだな。500メートルごとに、高いところから街を見渡して、ボスらしきモンスターが居なければまた、範囲の外にある高い場所に移動して街を見渡す。それを繰り返してボスモンスターを見つける、と」
簡単に言ってしまえば、視覚によるレーダーのようなものだ。
スキルの範囲内にいる、モンスターを片っ端から目で確認して見慣れないモンスターが居ればソイツこそがボスモンスターだと断言できる。
「そんなことが、お主は出来るのか?」
とクロエが俺を見つめてきた。
俺は少しだけ考えて、頷き返す。
「時間はかかるかもしれないけど、出来る」
「そう、か。もし可能であれば頼みたいのじゃが……?」
「別に、構わない。闇雲に探すよりかは、確実に楽そうだしな。さっそく試してみよう」
そう言って、俺たちはすぐさま移動を開始する。
俺たちが崩した階段とは別の階段から、モンスターに見つからないよう素早く二階から三階へと移動して、さらに階段を上る。
四階に到達した俺たちは、さらに上へと続く階段を探して、そこを上る。
階段を上った先には全体的に茶色い錆が浮いた扉があって、その扉を俺とミコトは蹴り開けた。
屋上へと出ると、電気のつかない真っ暗な夜の街が良く見えた。
「見えるか?」
屋上の端へと近づき、街を見渡した俺に向けてクロエは言った。
「んー……、ちょっと待ってくれ」
と呟き、俺はじっくりと街を眺める。
東側には雑居ビルが乱立していて、その奥に伸びた長い線路……あれは中央線だろうか。
その線路の上を、数百匹ほどのゾンビが獲物を求めて徘徊しているのが見えた。
南へと目を向けると高層ビルが乱立している。いずれのビルも窓ガラスが割れ、絡みつくように蔦と草木が絡みついているのが見えた。ビルによっては足元の地盤が沈下でもしているのか、その体が斜めへと傾いている。
その中でもひときわ目を惹くのが新宿アイランドタワーだ。
かつては超高層ビルとして新宿の街を見下ろしていたそのビルは、その高い身体の半分を苔と巨大な樹木、そこから伸びる太い蔦に覆われて幽鬼のように立ち尽くしていた。
その高層ビル群の間を、数万のアンデットモンスターがうろうろと徘徊しているのが見える。
その見た目だけに目をつぶれば、かつて新宿の街を賑わせていた人の姿に見えなくもない。
「南は……。すごいな、モンスターの数が多すぎる」
と俺はそう言って北側へと目を向ける。
北側には青梅街道に続く、東京所沢線が走っている。
その道端には苔と草木に覆われた車が至る所に鎮座していた。その車には食屍鬼やゾンビが集まっている。どうやら、積極的に獲物を見つけに行く気がないのか、視線の先で彼らは暇そうに欠伸をしていた。
西側には雑居ビルとその奥に佇む高層ビルが目についた。
けれど、南側と比べてそこは倒壊の度合いが大きく、奥の高層ビルはまるで何かに抉り取られたかのように、ビルの三分の一が崩落し瓦礫へと変わっていた。
「……南側の高層ビル地帯は、地獄のようにモンスターがいるけど、それ以外の方向は数が少ないみたいだ」
と、俺は後ろで控える二人に向けて言った。
「ここから南側って、西新宿駅や新宿駅の西側の地域ですよね?」
ミコトが暗闇の街に向けて目を向けると、確認をするように首を傾げた。
「そうだな」
と俺はミコトに頷きを返す。
新宿駅を中心として、東側には新宿の代表的な歓楽街である歌舞伎町や、飲み屋街である新宿ゴールデン街がある。また有名なゴジラヘッドがあったのもその場所だ。
反対に、新宿の西側には新宿アイランドタワーをはじめとして、新宿センタービルやコクーンタワーなど目を惹く大きなビルが多い。
東側のように雑居ビルは多くないが、都会をイメージする超高層ビルは西側に立ち並んでいる。
「それで、ボスモンスターはおったのか?」
とクロエが聞いてきた。
その言葉に、俺は首を横に振って答える。
「いや、それらしきモンスターの姿はなかった。というより、この高さだとそれよりも大きなビルが多いから、視線を遮られてよく見えないな」
「まあ、それもそうじゃの」
クロエは息をつく。
「新宿はビルが多いからの。それらのビルよりも高いところからでないと、見渡して探すのも難しいか」
「ここよりも高い場所っていうと……。新宿西側の高層ビル地帯ですか」
ミコトがクロエの言葉にそう答えた。
「……そうだな。行くしか、ないか」
俺は目に見えた数万のアンデットモンスターを思い出して、唾を飲み込む。
ここから重要なのは、モンスターに見つからないよう進むことだ。
いくらクロエが強力な種族スキルを持っていたとしても、いくら俺がレベルアップをして【曙光】による効果でステータスが伸びたとしても、ミコトの【回復】や【遅延】があったとしても。数千、数万のモンスターに囲まれれば俺たちに生き残る術はない。
「ミコト、今のMPは0だよな?」
と俺は確認の意味も込めて問いかけた。
ミコトは俺の言葉に頷く。
「はい。先ほど使い切りました」
「分かった。それじゃあ、少し休憩をして行こう。ミコトのスキルが有るのと無いのとでは全然違う。出来るだけ、万全の状態で進んだ方がいいだろ」
「そうじゃの。その意見には我も賛成じゃ」
クロエは俺の意見に賛成した。
屋上から校舎の中へと入って、四階に並ぶ適当な教室の中へと入る。
そこは、元は使われていない空き教室だったのか。教室の隅には朽ちた勉強机と椅子が積みあがっていた。
「ちと埃っぽいが、まあ他の廃墟に比べればはるかにマシじゃの」
そう言って、クロエは教室の床に座り込んだ。
「【身体変化】」
クロエはそう呟き、幼い姿になるとごろんと横になる。
「ふぃー……。やはり、この姿の方が落ち着くのじゃ。我も、さすがにちと疲れた」
そう呟くと、クロエは目を閉じた。
「少しばかり、我は寝る。何かあれば起こしてほしいのじゃ」
そう呟くとクロエはすぐに寝入ったのか、小さく規則的な呼吸が聞こえ始めた。
俺とミコトは、その寝息に顔を見合わせる。
「大人の姿は凛々しくてカッコいいですけど、あの姿になると本当にただの子供みたいですね」
とミコトは小さく笑った。
「ああ、そうだな」
と俺も口元に笑みを浮かべる。
「こんな状況でも、すぐさま眠れるのがすごいです」
「ミコトも、今のうちに身体を休めておけよ?」
「はい、分かってます」
ミコトは俺の言葉にくすっとした笑みを浮かべると、教室の中を眺めた。
その時、雲間に隠れていた月が少しだけ顔を出したのか、教室の中をぼんやりとした光で照らした。
その光で、教室の隅に積み上げられた机や椅子がミコトにも見えたのか、ミコトの目が微かに大きく見開かれた。
「ぁ……」
とミコトが声を出す。
ミコトの目が震える。何かを我慢するように、ミコトの眉根が寄った。
それから、ミコトは何かを吐き出すように、ゆっくりと深い息を吐き出すと口を開く。
「当たり前ですけど、どこの学校も使っている机や椅子はだいたい同じなんですね」
ミコトはそう言葉を吐き出すと、悲しそうな表情で笑った。
「ついこの間まで当たり前のように存在していた物が、こんな風に壊れているのを見ると……。悲しい気持ちになるのは、どうしてでしょうね」
俺は、ミコトと同じように教室の隅に積み上げられ朽ちた机や椅子を眺めた。
それは、言ってしまえばかつての日常の残骸だ。
高校を卒業し、大学の長机で抗議を受けるようになった俺からからすれば、もはやどうってことのない物だけど。
ミコトにとっては、つい四日前までは日常の光景として当たり前のように使っていた物なのだ。
俺と比べて、ミコトにはその光景が深く心に突き刺さるのだろう。
ミコトはしばらくの間――月が雲に隠れるまでの時間、じっと教室の隅にある日常の残骸へと目を向け続けた。
「すみません。少し、感傷的になっちゃいました」
とミコトは暗闇となった教室で言った。
「構わない」
と俺は首を横に振る。
この世界に存在しているすべての光景や物は、俺たちの世界にあったすべての名残りだ。
全部、全部消えてなくなり、植物に覆われでもしていたら、新しい世界として簡単に受け入れることが出来ただろう。
だが、こんな風に残骸を残しているからこそ、かつての日常を思い出してしまう。
……黄昏の世界、なんてよくも言ったものだ。
中途半端に残された、あの世界にあった当たり前の日常という消えた光の尾が、この世界のいたるところで残っている。
それは、太陽が地平線に沈む直前のように。
日常という光が、夕暮れのこの世界にはまだ残っている。
(どうせなら全部が壊れていた方がまだマシだった)
そうしたら、ふとした瞬間にかつての日常を思い出すことなんてないはずだ。
(――でも、それはダメだ。この残骸があるから、俺たちはかつての姿を思い出せる)
だからこそ、あの日常を思い出せる。
俺たちは、絶対にこの世界の光景に慣れてはいけない。
「ミコト」
と俺はミコトの名前を呼んだ。
「その感情は、絶対に忘れちゃダメだ」
生きるために、このクソッたれな現実を受け入れたとしても、かつての日常だけは忘れてはいけない。
あの日常を知っているからこそ、この世界から抜け出そうと思える。
どんなにありふれた日常であろうとも、終末を迎えた世界ではその日常が輝いて見えるから。
その輝きに手を伸ばす気持ちこそが、この世界で絶対に生き延びるという原動力になる。
「この世界にあるものは全て偽物だ。どんなに壊れていようが、それは本物じゃない。だからこそ、俺たちはこの世界から出るんだ」
「……ええ、そうですね」
ミコトは小さく笑った。
そして、教室の隅から視線を外すと壁に背中を預けて座り込んだ。
「そのためにはまず、この夜を乗り越えるところからですね」
ミコトはそう言うと、膝を立ててその間に顔を埋めて丸くなる。
「――ユウマさん」
暗闇の中に、ミコトの声が響いた。
「絶対に、絶対に、生き残りましょうね」
「……ああ、もちろんだ」
俺は呟く。
極夜はまだ終わらない。
俺たちの夜は、まだ始まったばかりだ。




