三日目・昼 囮 / 決意
今回、途中で視点が変わります。
「ふぅー……」
息を吐いて、スマホを持ち上げていた腕を下ろして空を見上げた。
もう、無理だ。
こんなの負けイベントでしかない。
どうやったって、勝てるはずがない。
俺は腕の中のミコトへと視線を落とす。
気を失った彼女の寝顔は、まるで眠っているかのように穏やかだった。
このまま何もしなければ俺たちは死ぬ。
何かしたところで、俺たちはコイツに敵うことすらできずに死ぬ。
どちらにしても俺たちの未来に待っているのは死でしかない。
初めて彼女と出会ったあの夜。
彼女は俺に助けて、と言った。
その言葉に対して、俺は任せろと言った。
男が一度口にした言葉だ。
そう簡単に覆すことはできない。
「ミコト」
ならばせめて。
「ミコト、起きろ」
ならばせめて、彼女だけでも逃がそう。
このクソッたれな世界で、このクソみたいな負けイベントで退場するのは俺だけでいい。
「おい、ミコト!」
身体を強くゆすり、三度目の呼びかけでようやく彼女は目を開けた。
「――ユウマ、さん?」
「一度しか言わない。よく聞け。この世界はレベルとステータスがすべてだ。だから、まずはレベルを上げろ。ステータスを上げろ。モンスターを狩って、狩って、狩りまくれ。一人でも生きていけるぐらいに強くなったら、また旅に出ろ。この世界から抜け出す方法を探せ」
「一人でもって、ユウマさん? 一体何を」
「お前は十六で、俺は二十だ。この世界に、今のところ大人は俺しかいない。俺だけが、お前を守ってやれる。だから、生きろ」
「ユウマさん!? それはいったいどういう――」
「逃げろ、いいな」
ミコトの言葉を遮り、俺は笑った。
ミコトを地面に座らせて、俺は歯を食いしばり立ち上がる。
「ぐッ、くっ!」
「ユウマさん! 何をするつもりですか!? やめてください!!」
「俺が、アイツの気を引く」
そう言い捨てて、俺はホブゴブリンに向けて歩みを進める。
「気を引くって、引いてユウマさんはどうするつもりですか!?」
背後で必死にミコトが俺を呼ぶ声が聞こえた。
けれど、俺は振り返らない。
振り返っちゃいけない。
俺は真っすぐに、ホブゴブリンの顔を見つめて歩みを進める。
「げぎゃぎぎゃ」
自分へと近づいてくる俺に興味を持ったのか、ホブゴブリンが笑いながら何かを言った。
だが、その言葉は分からない。
生憎と俺はモンスターの言葉を理解できる種族ではないのだ。
「は? 何言ってるか分からねーよ、ブサイク野郎。ちゃんと人間の言葉で喋りやがれ」
嘲笑の笑みを浮かべて、精一杯の侮蔑を込めてソイツに言う。
ホブゴブリンが人間の言葉を分かるとは思えない。
それでも、自分が馬鹿にされたことははっきりと分かったらしい。
ホブゴブリンは、俺の言葉に呆気にとられたようにポカンとした表情を浮かべると、すぐさまその顔を怒りで歪ませた。
「ぐぎゃぎゃぎゃ!!」
何事かを言いながら、ホブゴブリンが棍棒を振り上げた。
ブォンという風切り音を出して振るわれるそれを、俺はしかと目に入れる。
DEXとAGIのおかげで、どうやら俺の反射速度は上がっているらしい。
力任せに振われたその棍棒の軌道を、俺は落ち着いて見切ると反射的に身体を捻って避けた。
「ぐッ」
痛みで唇を噛みしめる。
叫び出しそうな痛みが全身を襲うが、そうも言ってはいられない。
すぐさま態勢を整えるとカウンター気味にホブゴブリンへと蹴りを放った。
「ごぎゃッ」
腹に突き刺さった蹴りに、ホブゴブリンが悲鳴を上げる。
それから腹を抑えて数歩後ろによろけると怒りに染まった目を俺へと向けた。
「ミコト!」
それを見て、俺は背後にいる少女に向けて口を開く。
「それじゃあ、またな」
言って、返事を待つことなく俺は全力で走り出した。
「ユウマさん!」
少女が何度目になるか分からない俺の名前を呼んだ。
俺に追いつこうと少女が走り出す音が耳に届く。
「ぐぎゃあ!」
怒りの声を上げながら、ホブゴブリンが後ろからついてきた。
AGIが10である俺と、それに匹敵するホブゴブリン。
その速度に、AGIが7でしかない彼女が追いつけるはずもない。
俺と彼女の距離はすぐに離れ、俺の背後には怒りで俺を追いかけてくるホブゴブリンだけとなった。
「くッ!」
俺に追いついたホブゴブリンが棍棒を振う。
寸前のところで、俺はその棍棒をしゃがんで躱す。
さらにもう一度、ゴブリンは棍棒を振う。
今度はそれを、俺は横から叩いて無理やりに軌道を変えた。
ゴブリンが振るい、俺が躱す。
吉祥寺の街中を走りながら、何度も何度も攻防が繰り返される。
走る速度を弱めるわけにはいかない。
かといって、後ろから襲い来る脅威も無視できない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
かつてない緊張で喉が渇く。
呼吸はすぐに荒くなり、酸素を求めて顎が上がる。
「はぁ、はぁ……ッ!」
気を抜けば足を止めてしまいそうだった。
俺はその気持ちを無理やりに飲み込み、零れそうになる弱音を噛みしめ、限界を訴える両足の筋肉にさらに力を込める。
まだだ。まだ、足を止めるわけにはいかない。
もう少し、もう少しだけ、彼女からコイツを引き離さなければいけない!
▽ ▽ ▽
「それじゃあ、またな」
とそう言って古賀ユウマは走り出した。
「ユウマさん!」
彼女――柊美琴が呼び止めるが、ユウマは足を止める様子がない。
慌てて美琴は彼の後ろ姿を追いかけた。
「ぐぎゃあ!」
「っ!?」
その瞬間、叫び声とともに激しい風が巻き起こり、美琴の髪を乱す。
見ると、先ほどの化け物――ホブゴブリンが怒り狂ってユウマの後ろを追いかけるところだった。
どうやら、ホブゴブリンの敵意はユウマへと向けられたらしい。
その事実に、美琴の口から知らず知らずのうちに息が漏れる。
「――助かった、の?」
思わずユウマを追いかけることさえ忘れて美琴は腰を下ろした。
いや、腰が抜けたと言った方が正しいのかもしれない。
胸の内に湧き上がる安堵。
死ななくて良かったという安心。
基本的に、この世界に来てから柊美琴は常に弱者であった。
常に死の危険にさらされ、モンスターに出会えば潜在的恐怖に身体を震わせる。
今尚、こうして生きているのが不思議なくらいだった。
「ユウマさん」
美琴は今まで一緒に居た、青年の名前をつぶやく。
出会ってたった数日なのに、その青年は美琴のためにホブゴブリンを引きつけた。
レベルが、ステータスが多少なりでも上がった今なら分かる。
あの化け物は今の自分たちが相手にしていいモンスターではない。
いくら古賀ユウマが今の自分よりも強いとは言っても、それでもあのモンスターには敵わないだろうということは、美琴でも簡単に理解ができた。
それでも、ユウマはホブゴブリンの気を引いてくれたのだ。
他でもない、自分を逃がすために。
「逃げ、なきゃ」
逃げろ、とユウマに言われた。
だから美琴は吉祥寺の街を離れるために、西へ――新宿とは反対の今まで自分たちが歩いてきた道へと足を向ける。
「生きなきゃ」
生きろ、とユウマは言っていた。
だから美琴は生きるために、ユウマと二人で歩んできた道へと戻る。
「ユウマ、さん」
知らず知らずのうちに美琴の目から涙が零れた。
ユウマと二人で辿ってきた道を引き返せば引き返すほど、美琴の足は重くなる。
「ユウマさん……」
この世界に来て、絶望に沈んでいた自分を助けてくれた青年の名前を美琴は何度も呼ぶ。
やがて、美琴は引き返す足を止めた。
引き返せば引き返すほどに、自分がこの世界で一人になるような気がしたのだ。
本当に、このまま逃げてもいいのか。
ユウマを見捨てて逃げていいのか。
彼を助けなくてもいいのか。
「よく、ない」
美琴は涙をぬぐった。
「よくない! 今度は私が助ける!!」
言って、美琴は振り返る。
「待ってて、ユウマさん」
美琴は両足に力を込めて、走った。
もう嫌だった。一人は嫌だった。
せっかくできた仲間だった。
この世界で、たった一人のパーティメンバーだった。
この世界に来て日常を失った。
大切な友達も、両親もいなくなった。
もう、これ以上自分の目の前で誰かが居なくなるのは嫌だった。
「ユウマさん!」
青年の名前を呼び、美琴は崩壊した街を駆けていく。
次回、またユウマ視点に戻ります。