出発
それから、数時間後の深夜のこと。
深い眠りについていた私は、軽く身体を揺さぶられる感覚に目を覚ました。
「…………、んん」
瞼を擦り、周囲を見渡す。
すると、私の目の前にはクエストから戻ったのであろう二人が居て。つんとする生臭い血の匂いを全身に染み込ませた彼女たちは、激しい戦闘によってボロボロになったのであろう衣服もそのままに、眠りこけていた私を見下ろしていた。
「起きましたか? 行きますよ」
そう声を掛けてくるのはミコトだ。
ボス討伐の際にもローブを着ていなかったのか、彼女が身に付けた麻のシャツやズボンは見るも無残にあちこちが引き裂かれていた。
「え、どこに……」
暗闇の中ではよく目立つ、背中で光りを発する大きな翼に目を盗られながらも私は呟く。
すると、そんな私の言葉に答えるようにミコトの隣に立っていたクロエが口を開いた。
「どこって、出発するんじゃよ。お主の助けたいプレイヤーを助けに、の」
ミコトと同様に――いやミコト以上に、クロエが身に付けた衣服はズタボロだ。
ミコトとは違ってクロエはローブを身に付けているが、あちらこちらが引き裂かれており中の衣服が見えている。もはやローブというよりかはマントと呼んだ方がしっくりとくるかのような出で立ちだ。
しかし、それだけの見た目にも関わらず二人の全身には傷一つ見当たらない。おそらく、ミコトが事前に癒したのだろう。見た目は酷いものだが、二人のHPは問題がなさそうだった。
「あの、レベルを上げてから出発するって話じゃ?」
と、私はクロエに向けて呟く。
するとクロエは、小さなため息を交えて再び口を開いた。
「確かにレベルを上げる、とは言ったが全てのレベルをこの場所で上げるとは言っておらんじゃろ。昼間のパワーレベリングは、あくまでもお主のレベルがあまりにも低すぎたからじゃ。……それに、我らとパーティを組んだ今。我らがクエストを終えたことで、その経験値はお主にも共有されとる。ステータス画面で確認すれば分かると思うが、レベルがまた上がっとるじゃろ? まだまだ我らの速度と並ぶには至らぬじゃろうが、少なくともレベル3の時よりかはまともに動けるようになっとるはずじゃ」
言われて、私はスマホを取り出した。
ステータス画面を開き、自分のステータスを確認する。
荻野 マキナ Lv:12 SP:25
HP:35/35
MP:9/9
STR:36
DEF:14
DEX:18
AGI:62
INT:11
VIT:13
LUK:12
所持スキル:幻想の獣 鷹の目 夜目
……確かに、レベルが上がってる。
それも5つもだ。これだけ上がっているのはきっと、私が眠っている間に二人が倒した、クエストボスを含むモンスターの経験値が私にも共有化されているからだろう。
「まだ私達の速度には及ばないと思うので、道中でもパワーレベリングをしながら徐々に移動速度を上げていくつもりです」
荷物を纏めながらミコトが言った。
なるほど。それならば時間を無駄にすることなく前に進めそうだ。
その言葉に私は頷きを返すと、素早くSPを割り振っていく。
荻野 マキナ Lv:12 SP:0
HP:35/35
MP:9/9
STR:56
DEF:14
DEX:23
AGI:82
INT:11
VIT:13
LUK:12
所持スキル:幻想の獣 鷹の目 夜目
STRとAGIに10、道中の戦闘を見越してDEXに5。
完成したステータスは、分かりやすいほどに突出したものになっていたが、現状を考えればこれが最適だろう。
「終わりました」
言って、私は立ち上がる。
何一つクエストを終わらせていないので、私の持ち物は何もない。
唯一の武器は彼女たちから貰った短剣。身に付けた衣服はこの箱庭に堕ちた時と同じ、麻のシャツとズボン。それだけだ。
立ち上がった私に向けて、クロエは小さな頷きを返した。
「うむ、それじゃあ行こうかの」
「はい」
「ええ」
私とミコトがそれぞれクロエの言葉に返事する。
それから、私たちは夜の廃都市へと足を踏み出そうとして――――ふと、私一人が足を止めた。
「なんじゃ? 忘れ物か?」
少し進んだところで立ち止まったクロエが振り返る。
その隣では同じようにミコトが不思議そうな顔で私を見つめていて、私は二人の顔を見つめて――とりわけ中でもミコトの顔を中心に見つめて――口を開いた。
「…………あの、私はクエストを受けてないからそもそもの持ち物が無いので良いんですが……。お二人は、そのまま行くつもりですか?」
「何か問題があるかの?」
首を傾げながらクロエが言った。
「いえ、問題というか、その……」
口ごもりながら、私はミコトを見つめる。
それから、私は少しの間逡巡をして。やがて、小さな声で確かめるように彼女に向けて言った。
「ミコトはローブを着ないのかな、って」
「……? どうしてですか?」
私の言葉に、ミコトがきょとんとして私を見つめた。
「どうしてって、そのままだと目立つんじゃ」
と私は言葉を返す。
すると、ミコトはさらに不思議そうな顔となって小首を傾げて見せると、小さな頷きと共に口を開いた。
「ええ、まあ。そうですね。目立つと思います」
「なんじゃ、もしや東京におるあの男のことを気にしておるのか? まあ確かにミコトの翼は目立つが、問題はない。なにせあの男がおる東京とこの場所はまだ離れておる――――」
「いえ、そうじゃなくて!」
私はクロエの言葉に口を挟んだ。
言葉を遮られたクロエは、微かに眉根を寄せると私を見つめる。
「……なんじゃ、じゃったら何が言いたいんじゃ」
「モンスターに、モンスターに目立つって言いたいんです! ミコトの翼は常に淡く輝いています! その翼を出しながら夜の街を進めば、あっという間にモンスターに気付かれてしまいますよ!!」
「………………ええ、まあ。そうでしょうね」
そう答えたのは、ミコトだった。
まるで何を当たり前のことを、とでも言いたそうな表情となった彼女は、少しだけ呆れたような表情となって私を見つめる。
「そんなの、分かってますよ」
「分かってるなら、どうして!」
「どうして? それこそ、どうしてそんなことを気にするんですか? この翼があるおかげで、モンスターの方からこっちに来てくれる。それだけ多くのモンスターを倒せるのに、どうして隠す必要があるんでしょう?」
「…………っ!?」
ミコトのその言葉に、私は思わず言葉を失った。
二の句が継げなくなった私に向けて、ミコトはさらに言葉を続ける。
「モンスターを倒せば経験値が入るんですよ? その経験値が向こうからわざわざ来てくれるのに、どうして隠すんですか? 昼間と違って、より光りが目立つ夜はボーナスステージですよ?」
嘘偽りのない、本気の言葉。
それが分かったからこそ、私は彼女に言うべき言葉を失ったまま黙り込む。
「まあ、マキナの言うことも分かるがの」
そう言ったのはクロエだ。
小さく息を吐きながら口を開いた彼女は、私を見つめると言葉を続けた。
「……じゃがの、モンスターに怯えたままではレベルは上がらん。この世界で生き延びたくば、まずはレベルを上げるしかない。そのためにはより多くのモンスターを倒す必要があるのは確かじゃ。……じゃったら、わざわざミコトの翼を隠す必要はないじゃろ」
そこでクロエは一度言葉を区切った。
「安心せい、夜は我の世界じゃ。ミコトの翼に釣られていくらモンスターが集まろうが、この暗闇で我に勝てるはずもない。お主や我らが、そこらの雑魚を相手に死ぬことはないと約束しよう」
言って、クロエはニヤリと唇の端を吊り上げる。
「それに、言ったじゃろ? パワーレベリングをしながら進むと。我らと共に進むということは、こういうことじゃ。観念するんじゃな」
その言葉に、私はもはや何も言うことが出来なかった。
ただただ、二人の顔を見つめることしか出来なかった。
「…………わかり、ました」
と、私は言葉を漏らす。
もはや、覚悟を決めるしかない。
彼を助けるため、全てを捨てたのだ。その上で、彼女たちを頼ると決めたのだ。
無理を言って私の頼みを聞いてもらっている以上、これ以上の文句を口にすることは出来ないだろう。
「すみませんでした。行きましょう」
「うむ、しっかり付いてくるんじゃぞ」
「怪我をすれば回復するので、安心してくださいね」
それぞれが声を出して、私達は夜の廃都市へと足を進める。
――それから、ミコトの翼に釣られたモンスターと遭遇し、戦闘が始まるのは数十秒後のことで。
終わりが見えないその戦闘は、東の空が白ずむ夜明けまで続いたのだった。




