14日目 変異体
「そ、そんなの……。聞いたことがない」
少年の瞳孔が戸惑いで揺れる。
それからすぐに、その瞳に疑いの色が濃く浮かび出すのを感じて、俺はさらに言葉を続けた。
「ああ、だろうな。俺が先行プレイヤーだということを知っている奴は数少ない。いや、今じゃあもう一人も居ないのかもしれない。けれど、本当のことだ」
「本当のことだ、って急に言われても……。そんなの、信じられるわけ――」
「だったら、俺の力をどう説明するんだ? お前も言ってたじゃねぇか。この世界はレベルが上がりにくいって。……お前らがこの世界で目が覚めたのは、二週間前の話だろ? だけど、俺は三カ月も前にこの世界で目覚めている。二週間のお前らと、三カ月の俺。この狂った世界で生きていれば、それだけの地力差になるのは分かるよな?」
「そ、それは――――」
と、少年が言葉に詰まった。
それから何度か口をパクパクとしていたがやがて俺の言葉に納得したのか、少年の懐疑に塗れたその瞳が一瞬だけ落ち着いた。けれどそれは束の間のことで、少年はすぐに何かを思い返したのか、ハッとした表情になると再び虚勢を張るように大声を出した。
「い、いや、だからッ!! お前が〝変異体〟なら、二週間だろうが三カ月だろうが関係ないんだよ!! アイツらは、俺たちとは違うんだから!!」
「…………俺たちとは違う、か」
俺は少年の言葉を繰り返す。
それから、少年と会話をしながらも周囲を警戒していたその目を細めて、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「……それは、アイツのような見た目のことか?」
「ッ――――――」
俺の言葉の意味に気が付いたのか、少年が言葉を止めて短く息を吸い込んだ。
何度も繰り返された爆発によって濛々と周囲に立ち込める土煙。周囲に散乱した元は校舎の一部だった瓦礫の山。それら全てを意に返さず、まるでそれがこの世界の当然の光景だと言うかのように、ソイツは悠然とした足取りでその姿を土煙の中から現した。
人型を示す二足歩行と、その身体に乗っかる二つの犬の頭。その身体からは闇が溢れているように真っ黒な霧が耐えず噴き出している。頭頂部からは立派な赤いたてがみが生えていて、その身体の尾骨部からはそれが尻尾なのだろうか。一匹の蛇がゆらゆらと空中で蠢きながらこちらを見定めるかのように短い舌をチロチロと伸ばしていた。
「お前を襲っていたのは、アイツか?」
俺は低い声で担ぎ上げていた少年へと問いかける。
少年は土煙の中から姿を現したソイツを見て、カタカタと小刻みに身体を震わせながら俺の問いかけに何度も頷いた。
「そ、そうだ!! アイツが俺を襲っていたんだ!!」
「そうか、アイツが…………。おい、最初の質問に戻るぞ。アイツはモンスターで、何かしらのクエストボスで間違いないか?」
「モンスター? そんなんじゃねぇよ! アイツは〝変異体〟だ!!」
俺の問いかけに、少年は半ば怒鳴り返すように言ってきた。その様子を見て、俺は少年が恐怖よるパニックに陥っていることをすぐに理解した。
「おい、少し落ち着け。大丈夫だから、俺の質問に答えろ。さっきから言ってる、その〝変異体〟ってのは何だ? モンスターとは別の存在なのか?」
「大丈夫ってなんだよ!! お前、自分でこの世界の先行プレイヤーだって言ってただろ! なんでそんなことも知らないんだよ!!」
「〝変異体〟なんて、俺の時には無かったんだよ! いいから早く教えろ」
言いながら、俺は腰を落とす。俺たちに向けて歩みを進めていた双頭の犬の頭を持つソイツが、ふと歩みを止めたからだ。
金色に染まるその瞳が俺たちの姿をジッと見据えて、かと思えば不意にソイツは二つの口を開いた。
次の瞬間、二つの頭の間の空間に一つの光が灯った。
その光は周囲を激しく照らす明滅を繰り返しながら次第にあの豪球へと形を変えていき、その熱気で周囲の空間が陽炎のように揺らめきだした。
「ッ――、おい、一度口閉じろ。動くぞ」
「えっ――――」
少年が呆けた声を出したのは一瞬だけ。最後の方は、動き出す俺の速度にその声が置き去りにされていた。
「ふっ!」
両足に力を込めた全力の跳躍。
地面を凹ませながら跳んだ俺は、轟々と風を切り凄まじい速度で空中に跳び上がった。
瞬く間に夜空の冷えた空気に肌が晒されて体温が奪われるが、【適温】が働き体温の低下が防がれる。
やがて跳び上がるその勢いは無くなり、俺の跳躍による最高到達点に達したその時。眼下に広がる灯りのない真っ黒な街並みの中の一角で、ひと際目を惹く眩い光が瞬いた。遅れて、爆発の轟音が俺の耳に届いたのを確認する。
「ッ、ッッ! ――――――!!」
ふと、担ぎ上げた腕の中でがくがくと少年の頭が揺れ動いていたことに気が付いた。
「あ――――」
思わず、俺は言葉を漏らした。
担ぎ上げた腕の中で、少年が言葉もなく卒倒していたからだ。
少年のステータスがどれほどなのか知らないが、俺と少年のステータスは確実に開きがある。
事前に注意を促していたとはいえ、俺の動きについていけず気を失ったようだ。
(……さすがに全力の回避は身体がついて来れないか)
とはいえ、あの至近距離であの攻撃は全力を出して避けるしか方法はない。
俺は鼻から短く息を吐き出して、少年へと声を掛けた。
「おい」
俺は落下する中、少年の頬を叩いて覚醒を促した。
何度か頬を叩いていると、少年にハッと意識が戻る。
「――っ、あ、なにが、どうなってェェエエエエエエエ!?」
轟々と風を切りながら落下していることに驚いたのだろう。少年の口から絶叫が零れた。
けれど、その絶叫も落下の中で風に掻き消されてすぐに消えていく。
俺はその少年の耳元に口を近づけると、もう一度警告を発した。
「口閉じてろ。舌噛むぞ。これから着地するけど、絶対に動くな。お前が動けばそれだけ着地が難しい。最悪、お前は死ぬぞ」
俺の言葉が耳に届いたのだろう。少年は何度もこくこくと頷くと、俺にその身体を預けるようにしがみついてぎゅっと目を閉じた。
(……男にしがみつかれる趣味はないんだけどなぁ)
心の中で俺はぼやきを漏らすが、こればかりは仕方ない。
俺はその身体を担ぎ直すと、着地の体勢を整える。
「【空間識強化】、【直観】、【集中強化】、【紫電】」
ぐんぐんと近づく瓦礫の地面を見据えて、俺はそのスキルを発動させた。
瞬間。人間を超えた集中の極致が、俺が感じる時間感覚を遅くさせた。ゆっくりと流れていく景色の中で着地をする周囲空間の状況をすぐさま把握して、それに対して適切な体勢を取る。けれど、それじゃあまだ足りないと直感的に把握した俺は、さらに体勢の微調整を施した。
「ッ!」
そして、俺は再び瓦礫と廃墟の街の中に降り立つ。
足の裏が地面に触れた瞬間に強化していたAGIを駆使して素早く身体を動かし、ゴロゴロと身体を転がしてその衝撃を緩和した。
「ふぅー…………」
息を吐いて、俺は立ち上がる。
腕の中へと目を向けると、そこに抱えた少年もかすり傷ぐらいで目に見えた重傷はないようだ。
「おい、もういいぞ」
声を掛けると、少年が閉じていた目を開いた。
「――――――――本当に、生きてる」
茫然としながら、周囲と自分の身体を見渡しながら少年が呟いた。
「ここは……?」
「あの学校から、五百メートルぐらい離れた場所だ。ここなら、しばらく話をすることが出来るだろ」
俺は少年の言葉に答えた。それから、その目を見て言葉を続ける。
「どこか痛むところは?」
「あ、ない……です」
「そうか」
言って、俺は少年を腕の中からおろした。
地面に足を着けた少年は平衡感覚が狂ったのかふらふらと身体をふらつかせると、力を失うように地面に腰を落とした。
「…………いったい、何がどうなって。お前は――、いや、あなたは本当に何者なんですか」
茫然と俺を見上げながら少年は言った。
「だから、さっきも言っただろ。ベータ版のプレイヤーだって」
俺は少年の言葉に答えながら、傍にある瓦礫に腰をおろした。
それから、ポケットに手を突っ込むとそこにあるスマホを取り出して掲げて見せる。
「これが証拠だ。お前も持ってるだろ? スマホ」
俺が掲げたものに少年がちらりとした視線を向けて、小さく頷いた。
「ええ、持ってます……。ですが、それでもあなたの言っていることが信じられません。俺らゲームプレイヤーは、確かに全員スマホを持っています。ですが、死亡したプレイヤーからスマホを奪った可能性があります。死亡したプレイヤーは、一定時間が経てばモンスターと同じように空気に溶けて消えますが、スマホは残りますからね。あなたが、誰かのスマホを奪っている可能性がある」
(そう、か。死亡したプレイヤーはいずれ消えて、その持ち主のスマホは残るのか……。知らなかった)
少年の言葉に、俺は新たな事実を知りながらも、その言葉に対してため息を吐き出した。
「それじゃあ、どうやったら信じてくれるんだよ」
「……ステータスを。ステータス画面を見せてください。俺らよりも早くこの世界に居るのなら、当然レベルも高いはずですよね?」
「ステータス画面を?」
「そうです。〝変異体〟はスマホの操作が出来ませんし、あなたが本当にベータ版のプレイヤーなら操作ができるはず。そうでしょう?」
(その〝変異体〟ってやつが何なのか分からねぇんだけど……。まあ、ここはコイツに信用してもらわねぇと話が進まないか)
俺は心の中で大きなため息を吐き出して、それから画面を操作して自分のステータス画面を表示させてからふと悩む。
(…………この画面を、コイツに見せても平気なのか?)
ステータス画面は、言ってしまえば俺の全てだ。
ここにはこの世界で生きた俺の全てが記されているし、逆を言えばこれさえ見れば俺の実力を把握することが出来る。
コイツが俺より強いとは思えない。けれど、コイツが何かしらのスキルを持ってることは明らかだ。
コイツが俺を信用できないように、俺もコイツを信用していない。
俺が欲しいのは、あのモンスターの情報だ。ここにコイツを置いてアイツを狩りに行くことも出来るが、アイツを見た時にコイツが言った『あれはモンスターじゃなくて〝変異体〟だ』と言っていた言葉が気になる。
アイツは強いが、俺ほどじゃない。だったら、コイツにその言葉の意味を聞いてから向かったとしても遅くはないだろう。
(……とは言っても、このまま見せるわけにはいかないし)
どうしたものかと考える。
スマホ画面に表示された、ステータス項目やスキル項目に目が移って、ふとそこに表示されたそのスキルに目が止まった。
(――――【隠蔽】か)
確か、その効果は他者に対してステータスとスキルを偽ることだったはずだ。
(試してみるか)
心の中で呟き、俺はその少年に聞こえることのないような小さな声でそのスキルを呟いた。
「【隠蔽】」
呟いた瞬間、俺のステータス画面に変化が起きた。
Lv:56 SP:0
HP:158/246
MP:42/90
STR:120
DEF:80
DEX:85
AGI:120
INT:90
VIT:85
LUK:150
所持スキル:未知の開拓者 夜目 地図 気配感知 直観 雷走+紫電 集中強化 瞬間筋力増大 視覚強化 聴覚強化 空間識強化 痛覚遮断 明鏡止水 疲労回復 適温 不眠 不食 不渇 刀剣術 / 一閃 + 二突 + 三斬 格闘術 / 急所突き + 連撃 + 撃発
レベルは元の数値から低めに。ステータス項目は俺が考えていた数値に。表示されたスキルは見せたくないものが消えて、強化周回の壊れた表記や同化率も画面表示から消えた。
もし、このステータス項目を見る人が見れば整合性が取れていないことにすぐ気が付くだろうが、SPの割り振りなんて人それぞれだ。俺の今のレベルと、それによって獲得する総合SP、そして種族の初期ステータスが分からなければパッと見ただけでバレることはないだろう。
俺は偽ったステータス画面を何度か見て、少年へとスマホを手渡した。
「これでいいか?」
少年は俺の手からスマホを受け取るとその画面に目を通した。画面に目を向けたその瞳が、驚きで僅かに大きくなるのが見て取れる。
「レベル56……。そんな、たった二週間でどうしてこんなレベルに……。それに、持ってるスキルの数も多いし…………。まさか、本当にこの世界の先行プレイヤー、なのか?」
ぶつぶつと少年は俺のステータス画面を見ながら呟いた。
俺は、少年が十分に俺のステータス画面を見たことを確認してから、俺のスマホを取り上げる。
それから、スマホをポケットに仕舞い込みながら少年を見据えて口を開いた。
「これで信じられたか?」
「え、ええ……。まさか、本当にこのゲームのベータ版のプレイヤーが存在していたなんて……」
呆気にとられた様子で少年は言った。それから、ふと何かに気が付いたように小さな声で呟く。
「でも、それじゃあどうして、誰もこのことを話題にしなかったんだ……? ベータ版のプレイヤーだなんて、真っ先に話題になりそうなのに」
「今まで東京にいたからな。ここに来たのはつい最近だ」
少年の呟きに俺は答えた。
その言葉は嘘じゃない。ここ九州の福岡に来たのは、二週間前にこの世界軸へと移ったからだ。
少年は俺の言葉に、
「そう、ですか……。それじゃあ、東京では真っ先にベータ版のプレイヤーの存在が話題になっていたんですね」
と小さく言って考え込んだ。
おそらく、福岡と東京という場所におけるこのゲームの情報の差異について考え込んでいるのだろうが、実際のところそんなものはない。何せ、俺がベータ版のプレイヤーを名乗ったのはついさっきだ。
俺は余計な会話で嘘が露呈しないよう、話題を変えることにした。
「それで、教えてほしいんだが。お前がさっきから言っている〝変異体〟ってのは、いったい何なんだ?」
「それは……。って、まさか〝変異体〟は東京にはいなかったんですか?」
「そうだな。ここに来て初めて聞いた言葉だ」
「そうですか……」
少年は俺の言葉に深い息を吐き出した。
それから、何かを考え込んでいるのかじっと宙を見つめていたが、やがてその視線は俺に向けられた。
「分かりました。あなたの言葉を信じて――いえ、あなたを信用して話します。まず、あなたも見たかと思いますが、さっきのアイツは〝変異体〟です」
「ああ、あのモンスター……じゃないって、そう言ってたな」
俺の言葉に、少年は頷いた。
「はい。…………いえ、正確に言えばもうモンスターなのですが、元は違います」
「元は違う? どういうことだ」
「それは……」
少年の言葉が途切れた。
それから、何かを決するようにぐっと拳に力を入れるとその口を開く。
「あの〝変異体〟は、元を辿れば僕らと同じプレイヤーです。変異体とはつまり、プレイヤーがモンスターに変異したことを指す言葉のことです」




