四周目 二日目・夕 リベンジ③
「――――そこに、居たのか」
背筋が凍るほどの冷たい声が、周囲に響いた。
ハッとして、【直観】に従い大木の洞から転がるように滑り出る。
次の瞬間。
轟音が響き、大木がミシミシと音を立てて倒れた。
地面に這いつくばったまま、慌てて目を向けると両目が潰れながらも蹴りによって大木をへし折った天狗の姿が目に入る。
両目を潰され、真っ赤な血を流しながらも天狗は俺の居場所が見えているかのように、その首を回して俺を見下ろした。
「よく逃げル……」
「……なん、で……。見えで、ん……だよ」
呟き、俺は後退りする。
そして、その原因に思い当たる。
コイツはきっと、俺が持つ【気配感知】のような感知系のスキルを持っている。
そのスキルの影響で、目が潰れながらもなお俺の居場所が見えているのだ。
「ッ、目を瞑じた、どころで……あまり意味はながった、か」
今、俺のHPはどのくらいだ。
あれから、どのくらいの時間が経った?
一分か……。
五分か……。
いや、もしかすれば数十秒ほどなのかもしれない。
時間の感覚が曖昧だ。
ただ一つだけ分かるのは、今なお【天恵】は発動し続け、俺の身体を癒しているということ。
口から吐き出す言葉は、ある程度元に戻りつつある。
だが、全身の炭化した皮膚は、回復が進み皮膚の炭が剥がれているが未だ焼け爛れたままだ。
【瞬間筋力増大】によって切れた筋肉は未だ繋がっていない。
このまま戦えばきっと、俺は天狗を倒すことが出来ずに死ぬだろう。
俺は、天狗を見据えながらゆっくりと手元のスマホ画面を覗き見る。
――HP:56/204
その数値に、俺は唇を噛みしめた。
全回復まで、残り約12分。
天狗に本気で勝つつもりならば、俺は身体が癒えるまでの十数分を、全力で逃げ延びなければならない。
「今度こそ、終わりダ」
天狗が呟く。
それから天狗は、その手に持つ羽団扇を閉じるとまるで剣のように振り下ろしてきた。
「っ、あ゛ぁッ!」
言葉を漏らしながら、地面を転がる。
羽団扇は地面にぶつかり、轟音と共に山の斜面をヒビ割った。
「はぁ、はぁ、はぁ、くっ!」
ゴロゴロと地面を転がり、身体を起こして天狗を見やる。
すると天狗はすかさず右足を振りかざして、俺に向けてまるでボールを蹴るようにその足を振り抜いてきた。
「――ッ!」
無我夢中で、その場から飛ぶ。
天狗の蹴りは宙を切って、俺の背後にあった大木にぶつかりその幹をへし折った。
バキバキと音を立てながら倒れていく大木を見ながら、全身の毛が逆立つ。
このまま、アイツの攻撃を避け続けることなんて出来ない。
どこかで……。
どこかで反撃しなければ、このままだとジリ貧だ。
HPを回復させるため、一撃を与えてその隙に逃走するのがベターだろう。
(……この状況で、十分以上の逃走だと? 無理だ、出来るはずがない)
心に浮かんだ、弱気な言葉。
その言葉に、俺は首を横に振る。
「ふぅうぅううう…………」
息を吐いて、気持ちを切り替える。
俺はなんだ。――このクソゲーの『人間』だ。
俺が縛られるこの世界の命題はなんだ。――〈救世と幻想の否定〉だ。
この世界で何を学んできた。
これぐらいの絶望、これまで何度も超えてきたじゃないか。
落ち着け。いつも通りだ。
頭を回せ。血を滾らせろ。心を燃やせ。
俺が否定するべき現実は、今、ここにあるだろうが!!
「ふぅううううぅぅうう…………」
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在47%です。
システムアナウンスが鳴り響く。
それを合図にするように、俺はその手に持つ肉斬り包丁を大きく振りかざす。
「っ!!」
息を吐きながら、俺はその肉斬り包丁を天狗に向けて投げつけた。
断裂した筋肉で投げつけた包丁は、大した速度も出ていない。
だが、確実にアイツの気を逸らすことには成功した。
「――ッ!?」
眼前に飛んでくる包丁の気配を察知したのか、天狗が大きく身体を動かして躱す。
回避の動きが大きいのは、目が見えていないからだろう。
気配は察しても、その範囲が見えていないようだ。
「今、だ!」
俺は息を吐き出して全速力で駆け出す。
山の斜面を転がり落ちるように――いや、半分ほど転がりながら。
【天恵】が俺の身体を癒す時間を稼ぐべく、全力でこの場からの逃走を図る。
「逃がスかァァァアアアアアアアアアアアア!!」
山全体を揺らすような怒号が響いた。
その威圧感に、俺は身体を一度震わせる。
「はっ、はっ、はっ、はっ…………ッ、はっ、はっ、はっ……」
大木の根っこに足を取られて躓く。
駆け出した拍子に腐葉土が剥がれて地面を滑り落ちる。
満身創痍の身体では速度も思うように出ない。
だから、逃げ出したにも関わらず、俺はすぐに天狗に追いつかれる。
「くそがぁあああああああああああ!!」
叫び、背後から迫る天狗の拳を、身体を捻って躱す。
振り向きざまに天狗に向けて石を投げつけて、目の見えない天狗がその気配を察して大げさに躱した。
そしてその隙が出来た拍子に俺はまた駆け出す。
時には藪の中に隠れて、時には大木を盾にしながら天狗の攻撃を躱して。
常に背後に迫る死を確認しながら。
俺は、生きるために――このクエストのボスを殺す力を取り戻すために、全力で逃げ回る。
そうして、足を踏み出す度に――時間が経過するたびに、俺の身体は万全へと近づいていく。
「邪魔だァッ!」
山の中を駆け回っていると、眼前にサルと角鹿が立ちふさがった。
俺は斜面を蹴って跳ぶと膝をサルの顔面に叩きこんで昏倒させる。
そのまま空中でサルの頭を掴むと、顔面から地面に叩きつけて空気へと換えた。
「ィイイイイイイイイイ!」
角鹿が突っ込んでくるが、俺は角鹿の角の根本――唯一刃のように鋭くないその場所を掴むと、全力でへし折りに掛かる。
「ピギイイイイイイイイ!!」
バキリと両角が折れる音と、角鹿の悲鳴が響いた。
戦意を喪失したのか大人しくなった角鹿を蹴り飛ばし、俺はへし折った角を手に持って背後を振り返る。
「食らえッ!」
掛け声と共に、天狗へと向けて角の一本を投げつけた。
「クッ!」
迫る角に、天狗がまた大きく身体を動かして躱す。
「【天狗礫】!」
天狗がそのスキルの名前を叫んだ。
次の瞬間、スキルによって捻じ曲げられた現実が、石の雨を山の斜面に降らせる。
「ぐっ!」
頭を打ち据える石礫に、回復したばかりのHPが削られるのを感じた。
俺は腕で石礫を防ぐと、また山の斜面を駆け降り始める。
――もう少し。
もう少しだ。
筋肉の断裂はもう完全に癒えて、あとは皮膚が癒えるだけ。
爛れた皮膚は真皮が出来始めていて、真っ赤な炎症が残るだけとなっている。
駆けながら見たステータス画面では、HPが180を超えたことを示していた。
――そんな時だった。
逃げ回る俺に激しい怒りの咆哮を上げた天狗が、またあのスキルの名前を叫んだ。
「【天狗火】!」
瞬間。
轟々と燃え盛る炎が俺を襲った。
「くっ、そ!」
地面を蹴って、横に跳ぶ。
直前にまで俺の足があった場所を炎が焼いて、火の粉が近くの木々に移って燃え出した。
慌てて移動する方向を変える。
炎がゆっくりと燃え広がり出して、やがて木々から山全体へとその炎が広がり出す。
俺はその炎から逃れるように、ボス攻略へ向かう途中で見つけていたその場所へと足を向けた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
荒くなった息を吐き出しながら、俺は足を止めた。
そこは、かつて存在していた高尾山へ訪れる観光客を乗せたケーブルカーの終着地。
斜面の中でも平地へと整えられた場所。
今は見る影もなく植物に侵された、人の往来の跡。
俺は、背後を振り返り手に持つ角鹿の剣角を構える。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………ふぅううぅぅうう……」
息を吐いて、迫るソイツへと目を向ける。
「決着を、付けよう」
俺は小さく呟いた。