二日目・昼 無理ゲー
「……人間か」
藪から飛び出してきた俺の姿を確認したのか、天狗がそう呟いた。
これまでの、どのボスと比べても流暢な言葉。
その事実に俺は若干の驚愕を覚えながらも、さらに両足へと力を込めて加速する。
「儂に挑ムか。愚かナリ」
天狗が言った。
それから、その手に持つ羽団扇を一つ扇いで見せる。
次の瞬間。
突然の豪風が襲い掛かってきた。
木々を揺らし、砂を舞わせ、その場で立っているのもやっとの大風だ。
耳元で轟々と風が吹き荒れて、俺が前に進もうとするのを風が阻む。
俺はその場で姿勢を低くして、必死でその突風に耐える。
すると、そんな俺を見て天狗が大木の枝から飛び降りてきた。
吹き荒ぶ豪風の中を、天狗はカラカラと下駄を鳴らしながらゆっくりと俺へと向かって来る。
「吹き飛びはシナいでモ、歩くこともままならズ、走ルことも出来ず。どうにか立っテいるのもやっとの、矮小な人間よ」
ピタリ、と天狗は俺の正面で立ち止まった。
天狗はもう一度羽団扇を振るって、高尾山を揺らす豪風を鎮めると、地面に這いつくばる俺を見下ろした。
「それでモ、儂に挑むカ。それとも、儂かラ逃ゲるか」
「逃げる? 馬鹿言うんじゃねぇよ」
俺は、天狗のその言葉に鼻で笑って言い返した。
「俺はこのクソゲーから逃げない。真っ向に、正面から、テメェらの存在そのものを否定してやる、よォッッ!!」
言い終わると同時に、俺は素早く立ち上がりその手に持っていた石斧を横薙ぎに振う。
天狗はその動きに反応して、片足を掲げると下駄の歯で俺の石斧を受け止めた。
ビリビリとした衝撃が腕を抜ける。
見れば、天狗の下駄の歯は折れることもなく存在している。
それどころか、天狗は足を掲げた片足の体勢を崩すことなく、呆れたようなため息を吐き出すとまた口を開いた。
「弱イな。それが全力か、人間ヨ」
「馬鹿、言ってんじゃねぇ、よ!!」
俺は石斧を素早く引いて、膝を折るようにして素早くその場にしゃがみ込んだ。
懐に入り込んで、その手に持つ石斧を支えにしている足に向けて振るう――――。
「甘イわ」
――その刹那。
天狗はそう吐き捨てると、掲げていた足で俺を踏み抜こうと大きく足を振り下ろしてきた。
その気配をすぐに察して、俺は振るいかけた石斧をピタリと止める。
「――ッ!」
全身をバネのようにして、その場を回避するため横に跳んだ。
俺の回避と同時に踏み落とされた下駄の一本歯が、俺の髪を掠めて地面に深く突き刺さる。
「ぅうおおッ!」
気合の叫びと共に、俺は横に跳んだ勢いをそのままにもう一度地面を蹴って、天狗へと向けて跳んだ。
ぐるりと腰を回して、右足を大きく振りかぶる。
「んんッッ!!」
歯を噛みしめて、右足に力を込めた。
100を超えたSTRに後押しをされた右足の筋肉がビキビキと瞬く間に膨れ上がる。
「――――!!」
AGIによって身体が加速をして、天狗を刈り取るべく振りかぶった右足は目にも止まらぬ速さで振り抜かれた。
――ゴッ!
という音と共に、右足は天狗の顔を打ち据えた。
自分でも分かる、必殺の一撃。
並みのモンスターならば、この一撃で大きなダメージを与えることが出来ただろう。
だが――。
「そんなもノか?」
俺の蹴りで横っ面を叩かれて。
上体をほんの少しだけ傾げた天狗が、俺の目を見ながらそう言った。
見れば、その顔には傷一つ付いていない。
天狗は拳を握り締めると、俺の腹をカウンターとして打ち据える。
「ぐっ――、ぁ――」
痛みよりも先に届く衝撃。
気が付いた時には俺の身体は吹き飛ばされて、激しく地面を転がった。
「がぁ、ぁ、ぁぁあああッ!!」
そして思い出したかのように襲い来る激痛。
内臓をかき乱されたかのように、胃液がせり上がる。
喉元にまで上る酸っぱい胃液を必死で飲み込んで、俺は歯を食いしばりすぐさま体勢を整えた。
「ふー……」
息を吐き、
「【雷走】、五秒」
呟く。
その手に持つ石斧を力強く握りしめて、地面を蹴って再び向かう。
――頭の中でイメージを行う。
自分の思い描く最適な攻撃を。
どこまでも隙のない、流れるような連撃を。
反撃すらも許さない、理想的なその動きを。
「ふっ!!」
息を吐いて、天狗の懐へと飛び込んだ俺は、すぐさまその右手に持つ石斧を袈裟懸けに振り下ろした。
右手を振り下ろし終えるのと同時に左手を横薙ぎに振り払い、その勢いに任せて身体を反転させる。
反転した体勢から右足を軸にして横蹴りを放ち、横蹴りを放った足をそのまま振り回して地面を蹴ると、そのまま回し蹴りで天狗の顔面を撃ち抜いた。
――――はず、だった。
「くっ……」
思わず、悔しさで言葉が漏れる。
俺が放った攻撃、その全てを天狗は事も無げに全て受け流したのだ。
そして天狗は、無言で俺を見つめる。
もう、それで終わりなのか? と視線だけで俺に問いかけてくる。
「ッ、まだ、だ!」
言って、俺は両手の石斧を大きく振りかぶった。
「【雷走】、五秒!!」
呟き、その石斧を同時に振り下ろす。
「っ、ぬぅッ」
さすがの天狗も、二本同時に振り下ろされる石斧は対処が出来なかったのか、頭上に両腕を重ねるようにして防御姿勢を取った。
超速で振り下ろされる石斧は天狗の両腕にぶつかって、ガンッという硬い音を響かせながら粉々に砕け散った。
「まだッ!」
呟き、俺は拳を握る。
腕を上げたことでがら空きとなったその鳩尾に向けて、俺は右の拳で貫くようにボディブローを放った。
――ドッ、という鈍い音が響く。
だが、手ごたえはない。
天狗のDEFが高すぎるためだ。
俺はすぐに拳を引くと、今度は左の拳で天狗の顎先を狙ってアッパーブローを放つ。
「ッ!」
天狗がすぐさま顎を引いて、俺の左は外れた。
それを予測していた俺は、すかさず右の拳で天狗の顔面を狙いに向かう。
――だが、その攻撃も外れた。
天狗が素早く後退していたからだ。
天狗は、地面を蹴って大きく後ろに下がると、身体の調子を整えるかのように肩を大きく回した。
「ふむ……」
と天狗が呟いた。
「不思議ナものよ。お前の相手ヲするだけデ、儂の身体ニ力が湧いてくる」
その言葉に、俺は眉をピクリと吊り上げた。
天狗が言った、その言葉が意味するところは一つ。
コイツにも――ボスモンスターにもルナティックモードによるステータス上昇の効果が働いているということだ。
加えて、コイツ自身には周辺プレイヤーのレベルに応じたステータス補正が掛かっている。
この周囲にいるプレイヤーなど、俺一人しかいない。
であれば、コイツに掛かっているクソゲーのシステムは、俺のレベルに応じたステータス補正と、ルナティックモードによるステータスの上昇の二つだということになる。
その二つの効果が、コイツの言うところの『身体に力が湧く』感覚に繋がっているのだろう。
「…………」
俺は、腰にぶら下げていた鋼索の鞭を取り出し構える。
ボスモンスターにルナティックモードが適用されることは、想定していたことだ。
問題は、そのボスモンスターにどう対処するのかというところにある。
「………………」
ジッと、天狗を見据えて今までの攻防を分析する。
AGIは俺よりも高く、DEFは俺のSTRでも易々と貫けないほど硬い。STRは一撃を食らった感覚で考えるに、そこまで高くないように感じる。手に持つ羽団扇を仰ぐことで風を巻き起こせるようだが、それが厄介というところか。
ステータスによる差はあるが、これまでのボス相手に感じていた恐怖はない。
それはつまり、俺とアイツが同等の存在であることを示す。
「だったら、まだやりようはあるな」
俺が使用していないスキルはまだある。
確実に一撃をぶち込めるタイミングで、そのスキルを使えばアイツのDEFを破りダメージを与えることも出来るだろう。
「問題はまだ、アイツのスキルが未知数ってところか」
ボスモンスターであれば、何かしらのスキルを持っているはずだ。
これまでのストーリークエストのボスで、スキルを持っていないモンスターといえばホブゴブリンぐらいだろう。
スキルの性能でSTRを強化される可能性がある以上、決して油断することは出来ない。
……そんなことを、俺が考えていたその時だ。
「ふむ、お前ノ実力はだいたい分かっタ。逃げるつもリがないのも理解シタ。でハ、本気で相手ヲしよう」
と、天狗が口を開いた。
それから、ゆっくりと息を吐いて。
天狗は、その言葉を吐き出す。
「【隠蔽】解除」
瞬間。
その身体に隠されていた絶大な気配が。
俺の本能が屈するほどの恐怖が。
明確な形となって現れる死のイメージが。
荒れ狂う濁流のように、その天狗を中心として周囲に解き放たれた。
「ぁ――――」
と、思わず俺は言葉を失う。
いや、それ以上の言葉を吐き出すことが出来なかった。
身が竦むほどの恐怖で視界が黒くなる。
思考が止まって、あまりの恐怖で胃液がせり上がってくる。
「ぐ、おぇっ」
びしゃびしゃと内容物を散らして、俺は震える身体を両腕で抱えた。
何が……。
いったい何が起きている?
ついさっきまではなかったはずの、その気配が唐突に現れた。
いや、天狗が吐き出した言葉をきっかけに解放された。
「はっ、はっ、はっ、はっ…………」
恐怖で呼吸が上がる。
心臓がここから逃げ出したいと言っているかのように暴れている。
俺は、震えて視点の合わない瞳で天狗を見る。
先程までと姿形が同じはずなのに。
それなのに、そこに立っているアイツは――あの生物は。
根本的に何か別の存在へと変わってしまった。
「ぁ、ぁ……」
必死に絞り出す言葉は形にならない。
――あれが、ボスだと?
ふざけんな!
あれは、ボスなんかじゃない。
もはやボスの体を成していないじゃないか!!
ただの圧倒的な恐怖と死が、べったりと空気に纏わりついている。
生きてここから出られないと、本能が訴えている。
デスグリズリーの絶望がもはや可愛い。
あの時に感じた濃厚な死の気配が、もはや懐かしい。
あの時はまだ、立ち向かえた。出現した絶望に怒り、抗えた。
だが、これは無理だ。次元が違う。
いや、ゲームそのものが違ってる!!
「ぁ、ぁ、あぁッ……」
ガチガチと歯を震わせながら、俺はその場から後ずさる。
魂が、本能が、もはや敗北は必須だと言っている。
思考が停止した頭で、たった一つの言葉が浮かぶ。
――これが、本当のルナティックモード。
アイオーンの手によって狂い、狂って、狂わされたモンスターとプレイヤーによるデスゲーム。
一周目がただのクソゲーならば。
二周目のルナティックモードが追加されたボス戦は、もはやただの無理ゲーだ。
「こ、ここ、こん、なのッ……。負け、い、イベントじゃねぇか!!」
文字通り、アイツは遊んでいたのだ。
自らの実力を――その圧倒的なステータスを隠して。
俺の実力を見極めて、呆れて、そしてこの遊びを終わらせることにしたのだ。
「い、いやだ。死にたくない」
呟き、停止した思考で必死に考えを巡らせる。
今の俺では勝てない。何があっても勝つことが出来ない。
限界突破スキルを使用したところで、もはや今のアイツに勝つ見込みはもうない。
いや、最初から勝てる相手ではなかったのだ。
今の俺にとって、このクエストそのものが無理ゲーだった。
「死にたくないッ!」
俺は死ぬわけにはいかない。
死ねないんだッ!
何のための二周目だ。
何のためのニューゲームだ!!
クソゲーが無理ゲーになったのなら、その無理ゲーを覆せ。
全てを賭けて、抗えッ!!
俺は、そのための――。
そのためだけの、存在だろうッ!!
「か、かか、考えろ。考えろ、考えろ、考えろ」
……だったら。どうする?
今の俺に何が出来る?
残された道はなんだ。
今の俺に出来ることは何がある!?
「…………ひとつ、だけ」
一つだけ、方法がある。
この無理ゲーを覆す方法が。
「ッ、はっ、はっ、はっ……。ッ、くっ、はぁ……」
恐怖で上がる呼吸を無理やりに落ち着かせ、息を吐く。
直視することすらできないその存在を無理やりに視界に納めて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
「ふー…………」
長く息を吐いて。
自らの内に渦巻くその欲望に、俺は意識を投じる。
発動していた【集中強化】が、俺が抱く天狗への意識を強制的に高めて、その状態へと俺を無理やりに持っていく。
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在43%です。
アナウンスが鳴って、同化率の上昇を知らせた。
「ふぅぅううう………」
さらに大きくなるその衝動に、俺は意識を集中させていく。
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在45%です。
まだだ。まだ、足りない。
もっと。
もっと、もっと、もっともっともっともっともっともっともっとッッ!!
この身を震わせる恐怖が全て無くなるまで。
俺自身の意識の全てが、アイツの意識に支配されるまで。
極限にまで意識を――そのモンスターへ向かう意識を高めるんだッ!
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在48%です。
俺が勝てない相手ならば。
この無理ゲーによって、このまま死んでしまうぐらいならば。
俺は、俺の命をアイツに託す。
限界を超えたその先へと、俺の身体を動かすであろうアイツに俺は全てを託す!
「……これが、俺の無理ゲー攻略方法だ」
呟き、嗤う。
その瞬間。
≫≫システム:種族同化率が上昇しています。あなたの同化率は現在51%です。
≫≫あなたの種族同化率が50%を超えました。システム:種族同化が適応されます。あなたの身体を種族:人間が操作します。
そのアナウンスが鳴り響いて。
俺の意識は途切れて、闇の中へと沈んでいった。




