六日目・朝 世界の真実
「アイツが、この世界を創った張本人。もしくは、それに関係する人物ということだ」
「――――ッ」
「――――なんじゃと」
二人の目が大きく見開かれる。
俺は、二人に向けて言葉を続ける。
「クロエが出会ったベータプレイヤーは、あの丸眼鏡の男とは別人。ベータ版のプレイヤーなんか最初から存在していない。久瀬トキオミと名乗ったあの男は、俺たちと同じプレイヤーではなく、おそらくゲームマスターやゲームメイカーのような存在。…………そう考えると、いろいろと納得できることは多い。だが、そうなってくると、クロエが出会ったというベータテスターを名乗るプレイヤーは、いったい誰なのかという話になってくるわけだが」
そう言って、俺はちらりとクロエを見る。
「そのベータテスターも、久瀬トキオミと同じ存在。つまり、ゲームマスターのような存在だと思う」
彼女たちは、俺の言葉になんの反応も示さなかった。
彼女たちの瞳が、突き付けられたその言葉の衝撃で揺れている。
ミコトもクロエも、ただただ言葉を失っていた。
何かを言おうと、何度も口を開いては閉じて、言葉を吐き出す代わりに大きなため息を吐き出している。
混乱する頭を必死に纏めているのか、二人の表情は険しい。
やがて、しばらくの時間が経って。
最初に口を開いたのはクロエだった。
「…………それが正しいとして、じゃ。じゃったら、どうしてあ奴はプレイヤーでもないのにギルドを作った? どうして、あ奴は『神』を自称しておる? どうして、あ奴はプレイヤーでもないのにステータスを持っておる? どうして、わざわざ我らにこの世界の――トワイライト・ワールドのゲームシステムを話す?」
クロエは混乱を整理するように、矢継ぎ早に質問を繰り返した。
その言葉に、ミコトもハッと我に返ったのか。早口で言葉を捲し立てた。
「そ、そうですよ。ユウマさんが言っていることが正しいなら、久瀬トキオミという方と、クロエさんが出会ったベータテスター、二人のプレイヤーではない存在が、この世界にはいるということになります。今までの話を纏めると、久瀬トキオミというあの男の人は、〝ベータテスター〟という言葉を自分から名乗ってなくて、ギルドの人達が勝手に言い出したことを利用していた、ということですよね? だったら、まずはその〝ベータテスター〟という言葉を広めた人がいるはず。そしてそれは、自らを〝ベータテスター〟と名乗ってクロエさんに近づいたその人で間違いない……。それじゃあ、この二人は互いに手を組んで、ベータ版というありもしない設定を創り出して、私たちを弄んでいたってことですか? それをする理由はなんですか? 私たちを混乱させるため? 理由が分からないです」
俺は、雪崩のように次々と押し寄せてくる二人のその言葉を全て受け止める。
それから、二人を落ち着かせるよう、意識した極めてゆっくりとした口調で言葉を吐き出す。
「それは――」
「それは、君たちプレイヤーに、この世界をもっと楽しんで欲しいからだ」
俺が言葉を吐き出したその瞬間。
俺の言葉を、彼女たちではない声が遮った。
「――ッ!?」
驚き、その方向へと目を向けると、いつの間にそこに居たのか。
ベッドに一人の男性が足を組んで腰かけている。
――久瀬だ。
俺はその姿を確認すると、すぐさま腰を落としていつでも行動に移れるようにした。
ミコトとクロエは、突然部屋の中に現れたその男に小さな悲鳴のような驚きの声を漏らすと、俺からやや遅れて警戒の眼差しと共に姿勢を整える。
久瀬は、そんな俺たちの様子を楽しむかのように口元に深い笑みを浮かべると、ゆっくりともったいぶった様子で手を叩きだした。
「素晴らしい。良い判断だ。唐突に現れた存在へ、驚くでも戸惑うでもなく次の行動への警戒を行う。やはり君たちは、何度出会ってもいつだって面白い反応をしてくれる。――――だからこそ、何回だって壊したくなる」
「……お前、どうやってこの部屋に入った。いや、いつからそこに居たんだ」
俺は、久瀬の言葉を無視して言葉を吐き出す。
背中にじんわりと汗が浮かぶ。
コイツのステータスが、見せつけられたあの画面通りなのかはもはや分からないが、それでも俺たちよりも遥かに、遥かに強いことは確かだろう。
下手をすれば、指の一つでコイツは俺たちを殺すことが出来る。
スキルも使うことが出来ない現状、俺たちは今や、まな板の上に置かれた鯉そのものだ。
コイツの機嫌だけで、俺たちの生死が決まる。
「ここは、俺が取り仕切る堕ちた楽園だ。直前にまで何もなくても、次の瞬間にはそこにビルが建つし、閉じられた空間に入り込むことだって可能だ」
久瀬は、俺の言葉にそう答えると、実演するかのように指をパチリと鳴らした。
その瞬間、部屋そのものが形を失うように崩れ始めて、やがて空気へと溶けたかと思えばその瞬間から別の何かが創られ始める。
床が崩れて消えだし、その下から荒廃した草木のない赤茶けた地面が。
壁が崩れて、その先に広がる創られた街並みが見えたかと思えば、その街もあっという間に崩れ去る。
後に残されたその場所には草木の乏しいひび割れた大地が広がり、ベッドや机は大きな岩へと創り変えられ、吹き込む風に砂塵が舞う。
整えられた街と洋館は一息で消え去り、本来の姿を思い出したかのような終末がそこに広がった。
「――ッ!?」
息を飲む俺たちの顔に、久瀬は口元だけを吊り上げるとまた指をパチリと鳴らした。
その瞬間。
広がっていた終末の大地が夢だったかのように消えて、俺たちは再び洋館の一室へと戻る。
部屋の間取り、大きさ、置かれた物に、窓から差し込む陽光。何もかもが変わらない光景だ。
その光景に、俺たちがまた目を大きくすると、久瀬は口を開いた。
「これで分かったか? 部屋を閉じようが、何をしようが、この楽園に存在しているものは俺の指先一つで自由にできる」
「……常軌を逸した力だな。まるで、『神』そのものじゃねぇか」
と俺は言った。
「だから、最初から言ってるだろ。俺は『神』なんだと」
と、久瀬はそう言って笑った。
それから、もう一度指先を鳴らすと手元にティーカップを創り出した。その中には、並々と湯気を立てる赤茶色の液体が入っていて――おそらく、紅茶のようなものだ――久瀬は、それに口をつけながら言葉を続ける。
「だが、『神』と言ってもその存在の在り方は様々だ。人の心の支えとして存在するもの、世界という抽象的概念を守るもの、物体そのものに思念が宿り、やがて人から〝神〟という概念を与えられたもの。そして、概念そのものに〝神〟という枠組みを当てはめられたもの」
久瀬は俺を見つめると、深い笑みを浮かべる。
「知りたいか? 俺が何者なのかを。知りたいのなら教えてやる。君の質問に全て答えると、以前の君と俺は約束してるからね」
「――――っ!」
以前、の。
その言葉に、俺はドクンと心臓が激しく動くのを感じた。
さっきの〝何度も〟という言葉だってそうだ。
どうして。
どうしてコイツは、その言葉を言ってるんだ。
俺には、これまでコイツと出会った記憶なんか一つもない。
この世界でも、ここにくる前の世界でも。
それなのに、なぜコイツはそんな言い方をする?
その言い方だとまるで、俺が何度もコイツと出会ってるみたいじゃないか!
「……どういう、ことだ」
と俺は震える唇で言葉を紡いだ。
久瀬は、そんな俺の様子にまた面白そうな顔をすると、にこやかに笑う。
「……ああ、いい。最高だ。君はいつもその表情をしてくれる。本当に飽きないよ」
「答えろッ!! どういう意味だって聞いてるんだよ!!」
俺は、声を荒げて目の前の男を睨み付ける。
久瀬は、小さく笑うとティーカップの中身を全て飲み干すと、そのカップを割って空気へと消した。
それから、指を鳴らして椅子を一つ出現させると、俺に向けて視線で腰かけるよう示してくる。
「座れ。これは取引だ。真実が知りたいのなら、まだ生きていたいと思うのなら、そこに座るんだ」
「……ユウマ。これは罠じゃ。絶対に座るんじゃない」
「そうです。明らかに怪しいです。座れば、どうなるか分からないです」
すぐさま、クロエとミコトが制止をかけてきた。
俺は、その言葉に逡巡する。
彼女たちの言う通り、これは罠だろう。
だが、この場の支配権は完全に久瀬に移っている。
アイツの機嫌一つで俺たちの命がかかっているのだ。
俺一人だけの危険ならば、別にいい。
罠だと分かっているこの椅子に座る必要もない。
だが、この場には彼女たちもいる。
この言葉に逆らえば、俺だけでなく彼女たちも危険に晒されるだろう。
――だったら。
だったら、今の俺が取れる行動は一つしかない。
「……分かった」
と俺はそう言って、その椅子に腰かけた。
「――ユウマッ!」
「――ユウマさんッ!!」
と彼女たちがすぐに声を荒げる。
その二人へと目を向けて、俺は小さな声で呟く。
「ここで逆らえば、俺たちは確実に全滅だ。今はとりあえず、アイツに従うしかない。俺の合図でいつでも動けるよう、準備をしていてくれ」
俺の言葉に、二人は固く奥歯を噛みしめて、やがて頷いた。
二人のその様子を見て、俺は小さく笑みを返してから久瀬へと目を向ける。
「……座ったぞ」
「ああ、そうだな。それじゃあ、まずは君たちが知りたがっている真相の解明といこうか。先に言っておくが、俺が言葉を許すのはそこに座った君だけだ。彼女たちの質問や言動は受け付けない。下手に口を開いたり、動いたりすることを、俺はお前たちに許可していない。いいな?」
前半は俺に、後半は彼女たちへと向けて久瀬はそう言った。
その言葉に、微かに腰をおとしていたクロエが動きをピタリと止めた。
「――っ、チッ」
小さな舌打ちをしてから、クロエが久瀬を睨み付ける。
久瀬は、その視線を微笑みで受け流すと俺へと目を向ける。
「それじゃあ、朝食の続きをしようか。私の嘘を見抜けば、その時の君にはすべての真実を話すよう……何回前の君だったか、もはやどうでもいいが、俺は君と約束をしている。なんでも聞くと良い」
久瀬は足を組み替えながら言った。
俺は、久瀬の顔を見つめながら考えを巡らせる。
……突拍子もないことだけど、これまでのコイツが言っている言葉は、明らかに同じ時間を繰り返している奴の言い方だ。
思い返してみれば、コイツは俺たちと初めて出会った時に大した驚きも見せず、すぐに俺たちの質問へと移っていた。
……ということは、だ。
コイツは、俺たちが自分の元へ来た時には、何かしら質問を持ってくる時だと知っていたことになる。
全てをはっきりとさせる前に、それだけはまず、はっきりとさせねばならない。
「まず、はっきりとさせようか。俺とお前は、これまでに何度も出会って、幾度となく同じやり取りを繰り返している。それで間違いないな?」
その言葉に、久瀬は口元を釣り合げて、言った。
「そうだ。俺と君はこうして繰り返し出会い、君はいつも同じ質問を投げかけてくる」
「同じ時間を繰り返している――タイムループ、だったか? そういう認識で間違いない、ということか?」
「ああ、君たちに分かりやすく言えば、そう言うことになる。だが、世界の真実はそう単純じゃない」
「世界の、真実だと? この世界は、トワイライト・ワールドによって書き換えられた現実じゃない、とでも言いたそうだな」
「ああ、まさしくその通りさ。君の言葉の半分は正しく、半分は間違っている」
久瀬は、そう言って笑うと、ゆっくりと口を開いた。
「――――ここは、数千年後の地球だ。もう間もなく緩やかに崩壊を迎える世界だ。かつて繁栄していた生物は死に絶え、文明の残りだけが過去の輝きを取り残している。地球を見守っていた神々は、この星を見捨てた。だから俺が貰った。全ての時間軸から切り離して、俺だけのおもちゃ箱をこの地球に創り出した。そこに、過去から人間を時間遡航させた俺だけの遊び相手を、俺のおもちゃ箱へと閉じ込めた。お前たちが感じるゲームシステムも、この世界に出現するお前たちを襲うモンスターも、全て俺のおもちゃ道具さ。このおもちゃ箱こそが、お前たちの知るトワイライト・ワールド、黄昏の世界という名前の箱庭だ」
久瀬は、そう言うと俺の顔を見つめる。
「このおもちゃ箱では、全ての人間が死に絶えればすべてが巻き戻る。すべて、君たちがタイムトラベルをしてきたあの日へと。俺に選ばれた人間にのみダウンロードできる、あのゲームをダウンロードしたあの瞬間へと、何度も、何度も何もかもをなかったことにして、また君たちは何も知らずにこの世界をやり直す。君たちは幾度となく繰り返される世界で、同じ現象に怯え、恐怖し、絶望する」
それから、久瀬は深い笑みを浮かべて言った。
「……ああ、本当に楽しいよ。君たちが絶望する姿は。真実を知り、何度も繰り返されるこの時間軸から抜け出そうと足掻き、苦しみ、やがて抜け出せずに絶望しながら死に至るその姿は」
「――――ッ!」
その瞬間、クロエが久瀬へと殴りかかろうと身体を乗り出した。
俺は慌ててその拳を受け止め、クロエに向けて呟く。
「クロエッ! やめろ!! ここで手を出せば、確実に死ぬぞ!!」
「――ッ、じゃが、じゃがアイツは! アイツは!! 我の――私たちの運命を弄んで、愚弄してッ!! 死してなお、時間を巻き戻してまた弄んでいると言った!! わ、わた、私達はッ、お前の道具でも、おもちゃでも何でもない。人間だ!! それなのに、アイツは!!」
クロエは、もはやキャラを被ることさえもかなぐり捨てて、怒りで目を血走らせながら叫んだ。
「お前は……。お前はッ!! 一体何様のつもりで私たちの命を弄ぶ権利があるんだ!!」
「クロエッ!」
「離せ!! 一度……。一度、殴らねば気が済まぬ!! 早く、私たちを元の場所に、あの世界に戻せ!!」
「お前たちが俺を殺せば全てが戻るさ。……まあ、殺すことが出来れば、だがな」
そう言って、久瀬が馬鹿にするように笑った。
「それに、何様だと言っているが、何度も言ってるだろ。俺は『神』だよ。君たち人間とは、次元そのものが違う存在だ」
久瀬が指を鳴らす。
その瞬間、どこからともなく現れた鎖がクロエの手足と首を縛った。
「――がッ」
首が締まり、クロエが短く息を漏らす。
「クロエさんッ!」
とミコトが叫び、すぐさまその鎖を引き離そうとする。
だが、幾重にも巻き付いたその鎖は外れる様子もなく、じゃらりとした音の存在を見せつけるかのように鳴らした。
「大人しくしてろ。それ以上動かなければ、首が締まることもない。俺は今、この男の相手をしているんだ」
久瀬はそう言うと、俺へと視線を向ける。
「邪魔が入ったな。さあ、続きをしよう。何、これ以上ソイツが無駄なことをしなければ、首が締まることもない。早く解放したければ、俺を満足させる会話をするんだな」
そう言い放つ久瀬の顔はどこまでも醜悪で、意地汚く、俺たちの絶望を嗤うクズの顔をしていた。