六日目・深夜 絶望に抗う3
「さあ、第二ラウンドじゃ。人間と天使に代わり、今度は吸血鬼が相手をしよう」
クロエは、牙を見せつけるようにして笑いながらそう言った。
その笑みに、俺は安堵の息を吐く。
状況は依然として厳しい。
だが、彼女が到着したことで、戦況は確実に変わりつつある。
油断は出来ないが、首筋に常に張り付いていた死の気配が確実に弱くなった。
絶望に染まりかけていた心が、ゆっくりと光明を見出す。
「――ゆくぞ」
そう言って、クロエは、スタンディングスタートを切るかのような姿勢へとなった。
両足に力を溜め込み――、
「ふっ」
と、息を吐いて一気にクロエが駆け出す。
「ヨクもヤッテクレたな」
デスグリズリーは駆け寄るクロエに、迎撃の体勢を取るとタイミングを合わせるかのように左腕を中段から横薙ぎに振るった。
だが、その動きは最初に比べれば若干劣る。
右腕を落とされ、止めどなく溢れる流血によって動きが落ちているのだろう。
だが、それでも。
地面を真っ赤な血の海に染め上げながらも、デスグリズリーは未だ倒れる様子がない。
クロエは動きが落ちながらも変わらず振るわれるその豪腕をしゃがんで躱し、一息でデスグリズリーの懐へと飛び込んだ。
「ッ」
懐に飛び込んできたクロエに、デスグリズリーが勢いよく噛み付いた。
クロエはその牙を寸前で躱すと、腰を入れた右手で張り手を放つように、デスグリズリーの横っ面を弾く。
「効クかぁッ!」
デスグリズリーが叫び、左腕を大きく構えた。
「クロエッ! 避けろ!!」
その構えに、俺はすぐさまクロエに注意を促す。
クロエが俺の声に反応して、すぐさま回避をしようと地面を蹴った。
だが、それよりも早く。
デスグリズリーの腕がクロエに向けて振るわれた。
「【風爪】!!」
至近距離から、クロエに向けて風の斬撃が襲う。
「ッ!」
避けられないと判断したのか、クロエは腕を交差させると、急所を守るように身を縮めた。
「ぐっ――」
風の刃がクロエの身体を袈裟懸けに切り裂き、血飛沫を飛ばした。
だが、俺に比べるとその傷は浅い。
元のステータスがDEFとVITに寄っているからだろう。
クロエは、【風爪】を全て受けきると地面に口腔内の血を吐き出し、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「なんじゃ、そんなものか。それじゃあ、次はこっちの番じゃの」
言って、クロエは右足を大きく踏み込むと、腰を回して右手の拳をデスグリズリーへと突き出す。
デスグリズリーは回避行動を取ろうと身体を動かすが、時間が経過するごとに右腕から流れる失血が、先程よりもさらに僅かに、その動きを鈍らせた。
「がッ――」
デスグリズリーの回避は間に合わず、クロエの拳は深々とデスグリズリーの鳩尾へと沈み込んだ。
だがクロエの攻撃はそこで止まらない。
クロエは拳を打ち込んだ体勢のまま、さらに右肘を折り曲げて、肘鉄をデスグリズリーへと打ち込んだ。
「ぐ、ォ……」
息を吐かせぬ連撃に、デスグリズリーがよろめいた。
それを好機と見たのか、クロエはすぐさま右足を軸に左足を回すと、デスグリズリーの顎に目掛けて左の裏拳を放つ。
「グゥルルウウッ!」
だが、デスグリズリーもそう何度も攻撃を受けるわけにはいかないと思ったのか。
気合を入れるように唸り声を上げて足を踏みしめ、よろめく身体を無理やりにとどめると、顔面へと迫るその拳を噛み砕こうとするかのように大きく牙を剥いた。
「――――ッ!」
ピタリ、とクロエはデスグリズリーへぶつかる寸前でその裏拳を止めた。
「ならばッ!」
とクロエはすぐに次の行動へと移る。
予備動作なく、全身の力を抜くようにその場へと素早くしゃがみ込むと、右足を後ろへと振り抜くように回した。
――ドッ!
という重たい音とともに、
「ガッ」
とデスグリズリーの表情に苦痛が浮かぶ。
……だが、致命傷には至っていない。
それが分かったからか、クロエは地面を蹴ってデスグリズリーから距離を取ると、ゆっくりと息を吐いた。
「……全てのSPをSTRに割り振ってきたのじゃが、あまり効いておらぬの」
それからクロエは、俺へとちらりと視線を向けた。
「ユウマ。お主、小太刀の鞘が余っておったじゃろ。貰ってもよいか?」
「鞘じゃなくて、野太刀の方が良いんじゃないか?」
「普段使ってない武器は動きが鈍る。鞘で良い」
クロエは、小さく鼻を鳴らした。
俺は、ミコトに預けていたバックパックから小太刀の鞘を取り出し、クロエへと向けて投げる。
クロエは、飛んでくる鞘を掴むと一度手の中でくるりと回した。
「得物を使うのは慣れぬが、そうも言っておれぬ」
言って、クロエは鞘を槍のように突き出し、先端を地面付近へと下ろすと一気に駆けた。
「ッ、ぁあっ!」
クロエは気合の言葉と共に、小太刀の鞘を真っすぐにデスグリズリーの喉元へと向けて突き出す。
だが、デスグリズリーはその動きを読んでいたかのように上体を逸らして躱すと、カウンターを放つようにクロエに向けて爪を立ててクロエへと突き出した。
「【身体変化】」
瞬間、クロエがそのスキルを呟いた。
幼児の姿へとクロエの姿が変化し、寸前にまでクロエの顔があった場所を、デスグリズリーの爪が空を切る。
八歳児の姿となったクロエは、自分の身体の半分ほどの長さにもなる鞘を振り回し、大きく空へと放り投げた。
「ナっ!?」
一瞬、デスグリズリーの視線が逸れた。
クロエはデスグリズリーの視線が逸れると素早くしゃがみ込んで、地面の土を片手いっぱいに掴み取った。
「おい」
と、クロエがデスグリズリーへと声を掛ける。
その声に反応して、逸れていたデスグリズリーの視線がクロエへと集中する。
クロエは、デスグリズリーの視線が自らへと向いたと同時に、その手の中の土をデスグリズリーの顔へと投げつけた。
「ッ!? 姑息な真似ヲ!」
デスグリズリーが舌打ちのような音を出しながら、咄嗟に腕を持ち上げて投げつけられる土を防ぐ。
だが、その行動は極限の戦闘においては悪手であることに他ならない。
腕で顔を隠せば、相対する敵の姿から視線を切ることになる。
「――――」
ニヤリ、とクロエは口元を吊り上げた。
クロエは、デスグリズリーの視線が切れるとすぐに地面を蹴って高く空へと飛びあがり、デスグリズリーの視界からさらに消える。
「っ、ドコニ――」
腕を下ろし、数瞬前まで眼前にいたクロエの姿が消えていることにデスグリズリーが戸惑う。
「――!! 上カッ!」
だが、デスグリズリーはすぐにクロエの居場所に気が付いた。
空中で落ちてくる鞘を掴んでいたクロエに向けて、顔を見上げたデスグリズリーが嗤う。
「そコでは、もう、逃ゲらレマいッ!」
叫び、デスグリズリーがその豪腕と鋭く尖った爪をクロエへと突き出す。
クロエは、
「【身体変化】」
と言って身体を大きくすると、掴んだ鞘を地面へと突き刺すように――その下で自らへと振り抜かれる死神の大鎌を避ける仕草すら見せずに――真っすぐ、鞘を突き出した。
「ぐっ――――」
「ガッ――――」
クロエとデスグリズリー、両者の口から苦痛の声が漏れた。
クロエが突き出した鞘は真っすぐにデスグリズリーの左目へと吸い込まれて、深々と突き刺さり眼球を潰した。
対して、デスグリズリーの爪はクロエの腹を貫通していた。
「――クロエ、さんッ!」
その光景にミコトが叫ぶ。
クロエは、痛みで引きつる顔を安心させるように一度笑うと、鞘を持つ手に力を込めた。
「目は脳に直結しとるらしい。このまま、力を入れ続けたらどうなるかの?」
言って、クロエの両肩が盛り上がり、鞘を握る手に力が籠るのが見て分かる。
「ッ、いい加減に、死ねぇいッッ!」
荒々しく言葉を吐き出しながら、クロエは一息にデスグリズリーの眼球へと鞘を埋め込んだ。
「グルルルルウウウウウゥァアアアアアアッッ!!」
だが、デスグリズリーも易々とやられはしない。
激痛で大きな唸り声を上げると、クロエの腹部へとさらに爪を深々と沈め、そのまま左腕を大きく振るってクロエを投げ飛ばした。
「ッ、まず、い!」
全身に力を入れて、俺はクロエが投げ飛ばされる先へと回り込む。
地面に叩きつけられる寸前で、俺はクロエを抱え込み、地面を転がった。
「ぅ、っ、く……」
苦痛の声をクロエが腕の中で漏らした。
いくらDEFやVITが高いとは言っても、限界がある。
クロエの腹には五つの大きな穴が空き、その穴からはとめどなく血が溢れて地面を濡らし始めていた。
「ミコトッ! 【回復】を!」
「――分かってますッ!」
ミコトはすぐに俺たちの元へと駆け寄ってきて、クロエの腹へと両手を翳した。
「【回――】」
とミコトが呟いたその瞬間、クロエがミコトの両手を掴んだ。
「いや――。それは、いい」
クロエは、ゆっくりと息を吐いた。
「もう、MPは残ってないのじゃろ? あ奴を倒すのなら、我に【回復】は使うな」
「――ですがッ!」
「我には新しく獲得した【生命吸血】というスキルがある。血を飲めば、HPを30%回復するスキルじゃ。それを使って、我は傷を癒す」
「ッ、それじゃあ私の血を――」
「いや、その暇はない。駆け付ける時に見えたが、ミコト。お主、新しいスキルを取得したのじゃろ? だったら、それを使ってしばしの間、我らを守れ」
その言葉の意図に、ミコトはすぐに気が付いた。
「――分かり、ました」
唇を固く噛んで小さく頷くと、ミコトは俺たちを守るようにデスグリズリーとの間に立つ。
「【神の光楯】」
そして、ミコトは背後に蹲る俺たちを守る光楯を出現させた。
「痛い痛イいたイイタいイタイイタイタイッ! 人間風情ガ、ヨクモここまで――ッ!! ガァアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
痛みと怒りで狂気に染まるデスグリズリーが、大きく吼えるのが聞こえる。
半透明状の光楯越しに目を向けると、デスグリズリーが左目に突き刺さった鞘を引き抜き、鞘へと怒りをぶつけるように粉砕したところだった。
「ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイッッ!! オ前ラは、絶対にッ!!」
怒りに身体を震わせ、デスグリズリーが俺たちへと駆け寄ってくる。
ミコトは、唇を噛みしめたままデスグリズリーと相対すると、怒りと狂気によって振るわれる死の爪を【神の光楯】で防いだ。
「くっ」
ミコトの口から声が漏れる。
楯を叩き割ろうとするかのように、持ちうる全ての力を発揮してデスグリズリーが【神の光楯】を破りに掛かる。
狂気と絶望に染まった爪がぶつかる度に、【神の光楯】から燐光が飛ぶ。
デスグリズリーが回り込もうとすれば、ミコトは光楯をその方向へと向ける。
圧倒的強者の力と、ゲームによって与えられる守りの力。
何度もぶつかる鉾と楯が、夜の森に光を散らした。
だが、その攻防も長くは続かない。
ステータスによる差が、徐々にミコトを追い詰める。
【神の光楯】という絶対的な楯は破れないが、それを扱うミコトがデスグリズリーの行動に遅れを取り始めたのだ。
「――――!!」
悠長にしている時間はなかった。
俺はシャツの袖を捲ると、クロエに向けて差し出した。
「クロエ、俺の血を飲むんだろ!? 早く飲むんだ!」
腕を差し出すと、クロエはすぐに口を開き――動きを止めた。
「……?」
その様子に眉根を寄せると、クロエが俺へとちらりと視線を向けてくる。
紅玉のような赤い瞳が、微かに揺れていた。
俺は、その瞳の感情がすぐに恐怖だと分かった。
クロエは揺れる瞳のまま、自らに言い聞かせるように言った。
「――我は、お主の血を飲む。お主の血で身体を癒し、お主の力を自らの力の一端とする。我は、人の血を飲む本物の化け物になる」
その言葉の意味に、俺はすぐに気が付いた。
吸血鬼という自らが選んだ種族に、このクソみたいな種族の特性に悩んでいた彼女だ。
人が人の血を飲む。
人としての一線を踏み越える。
この状況で、その行為の必要性が頭では分かってはいながら、クロエはそれでも躊躇していた。
それが分かったからこそ俺は努めて優しく、ゆっくりとクロエに向けて小さな笑みを浮かべながら言う。
「お前が化け物になるなら、俺はお前以上の化け物になるって、言っただろ。このクソゲーに、存在している化け物は俺だけだ。だから気にせず、俺の血を飲め」
「――――ああ。そうじゃったな」
とクロエは小さく笑った。
そして、クロエは覚悟を決めるように小さく息を吐いて、俺の腕にその口を――その口に生える牙を突き立てる。
「っ」
微かな痛みが走った。
けれど、不思議と悪くない。
ゆっくりとクロエの青白い喉が動き、彼女は俺の血を嚥下する。
その度に、クロエの腹の傷が癒えて、彼女が流し続ける血が止まる。
「――あぁ」
と俺の血を吸ったクロエが呟いた。
「美味い。今まで、飲んだ、どの血よりも」
クロエは笑う。
口元を真っ赤な血に濡らして。
どこまでも妖艶に、どこまでも美しい笑みを彼女は浮かべる。
≫≫特定種族の血液を摂取しました。スキルを獲得します。
≫≫スキル:闇の眷属 を獲得しました。
≫≫対象:古賀ユウマに対してスキルを発動しますか?
瞬間、クロエのスマホからそのアナウンスが流れた。
クロエはそのアナウンスに目を見開き、すぐにその意味に気が付いて俺を見つめた。
本来なら、一度どんなスキルなのか調べたほうがいいだろう。
ちらり、と俺はミコトとデスグリズリーの攻防に目を向ける。
【神の光楯】は未だ破られていない。
けれど、ミコトの対応はもう限界だった。
圧倒的なステータス差によって、今やデスグリズリーは【神の光楯】を掻い潜るようにして前に進み出ようとしている。
このままでは、いずれミコトの元へとデスグリズリーの攻撃が届くだろう。
「……そんな時間は、ないな」
と、俺は小さく呟いた。
「…………」
そして、クロエへと視線を向けると小さく頷きを返す。
それがどんなスキルなのか分からない。
けれど、この状況を打破するためならば、俺は何にだってなってやる。
それこそ、化け物でも、眷属とやらでも。
この二人を守り、あの死神を打ち倒すためなら。
俺は人間を辞めてでも、この絶望を終わらせる。
「クロエ、獲得したスキルを発動しろ。少なくとも、悪い効果ではないだろ」
「……じゃが、どんな効果なのかも分からぬ。一度効果を確認して――」
そう言って、クロエがスマホを取り出そうとしたところで、俺はその手を遮った。
「もう、そんな時間はない。ミコトが限界だ。大丈夫。お前の眷属になるんだったら、文句はないさ」
「…………馬鹿じゃな」
とクロエは笑った。
そして、小さく息を吐くとそのアナウンスへと口を開く。
「Yes」
――瞬間、俺の中で何かが繋がった。
同時に、身体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。
直観的に、自らのステータスが上昇していることが分かった。
その上昇値は分からないが、クロエの獲得したそのスキルは、ステータスを向上させる類のもので間違いなかった。
「……大丈夫だ」
と、俺は心配そうに見つめるクロエに笑みを浮かべる。
そして、すぐに立ち上がり今なお耐え続けるミコトを支えるべく向かう。
「ミコト、三秒後にスキルを解除しろ。解除したら全てのMPを【遅延】に回せ。クロエ、攻撃を合わせてくれ。一気に蹴りをつけるぞ」
「分かりました」
「分かった」
二人の頼もしいその言葉に、俺は笑みを浮かべる。
未だ右手は使えない。
身体は限界突破の反動でボロボロ。
MPは枯渇し、種族同化率も危うい。
何もかもが崖っぷちの状況だ。
けれど、今の俺は負ける気がしなかった。
左手に野太刀を構えて、ゆっくりと息を吐く。
――そして、三秒後。
解除された光楯が空気に消えるのと同時に、俺たちは一斉に動き出した。




