無垢なる羊飼い
世羅忠信。
それは死んだ男の名前だ。
ある日世間から、お前はいらない――否、この世にいてはいけない人間なのだとぽんと判を押された。
どうしてそんなことになったのか。
本人が、というより、所属していた環境の問題、なのだろうか。
世羅は宗教団体の教祖だった。
最初は信者達に心の安寧を与える代わりに金を巻き上げる程度だったが、数が増えると性質が悪くなった。
簡潔に言えば、テロリストの集団に変じていったのである。
忠信は教祖の息子だった。
当時は小学生。
親の教育方針で、学校には通わなかった。
大人達の様子を、不気味で滑稽だなあとは思っていたが、過度な反発を覚えることもなく、無抵抗と言う名の無関心というものが忠信が取った処世術だった。
彼が興味があったのは本だ。
人付き合いを制限され、親に紹介される人間達にさほど興味の持てなかった彼が許されたのが、本だった。
世羅の教祖は、厭世的でありつつ息子が知識を持つ事には肯定的でもあった。
「よく学び、よく考えよ、忠信」
眼鏡の奥、人の良さそうな顔で笑って、彼は膝に座らせた息子の頭を撫でた。
「本はいい。本は人を裏切らない」
けして馬鹿ではなかったと思う。
むしろ父も母も、学歴経歴で言えば生粋のエリートだった。
だからこその教祖、だったのかもしれない。
両親の動機など、忠信には些細な事だ。
大事なのはただ、忠信が九歳の年、教祖と幹部らが世間を揺るがせる一大テロ事件を起こした、という事実である。
日本という国の秩序とは、同一であることだ。
はみ出し物を嫌い、仲間はずれを指差して連帯意識を高め合う。
同じものならば信頼できる。よそ者は駄目だ。理解できないし、共感もできない。
そういう閉ざされた仲間意識で固まって、ああなんていい世界なんだろうと互いに裏切らぬようしかと手をつなぎ合う。
そういう意味では、家の外の人間も中の人間も全く変わらない。
ただ、大真面目に世界平和を謳って有毒ガスをまき散らし、数十人の死傷者を出した分、家の中の人間達の方が愚かであったとは思う。
忠信自身は、まだ幼かった事もあり、事件に直接関与したわけではない。
けれど、世羅の悪名は轟き渡り、同じ人間達の中から彼は排斥された。
忠信は子供の義務だとか権利だとかで、学校に通い出した。
人の口に戸は立てられぬ。
好奇心、あるいは善意によってすぐに、あの家の子だと伝言ゲームが区域中に伝わった。
あんな大人に育てられたのだ、奴も同じに違いない。
ある者はそう唾をまき散らした。
かわいそうに。だが、どうしようもないね。
ある者はそう、さかしげに首を振った。
子供達はもっと単純だった。
弱者の気配を感じ取り、こいつは玩具にしていい相手なんだと正しく理解した。
忠信は淡々と受け流した。
どうでもよかったから。
元々人間はどれも同じに見え、名前と顔も覚えられない。
――本はいい。本は裏切らない。
父のねっとりした声が、耳の奥に粘り着く。
別にそれに縋っているわけではないけれど、他に執着したいものもなし。
糾弾されようと「自分には関係のないことだ」という態度でいれば、それが気に入らない連中にますますいじめられた。
悪人の家の子が助けを訴えたところで、誰も助けない。
エスカレートする正義の行進に、さすがの彼も無関心だけでは過ごせなくなってきた。
怪我をすれば動けなくなる。
物がなくなればできることが減る。
何より本を読む時間がなくなった。これが一番の痛手だ。
秩序は彼の敵だった。
いや、彼が秩序の敵となってしまっていたのだ。
世羅の家の子だから。
ガスをばらまき、大勢の人の尊い命を奪った殺人鬼達の、親玉の子。
鬼の子もまた鬼で、存在自体が不純物なのだ。
だってその子だっていずれ悪人になる。
加害者の家族もまた加害者。
だからそんな奴を虐げる、これは正義であり正統でありむしろなされなければならぬことなのだ。
一体何が違うのだろう。
割れたガラスの前、血の伝う頭で、忠信は思わず笑ってしまったことを覚えている。
交差点でガスを撒いたあの人達と、お前達。
一体何が違うのだ?
焼き捨てる魔女が多少変わっただけ、したいのは裁判ではなく娯楽処刑。
その時、もちろん割れたのは忠信のせいにされた。
忠信は判を押されたのだ。こいつは死ぬまで石を投げていいという印を、世羅の名字とともに塗りつけられた。
だから彼は、名前を変え、場所を変え、別人となってひっそりやり直すしかなかった。
彼は淡々と受け流し続け、ある日するっと出奔した。
いなくなれと思われ、彼もそうするべきだなと思ったからそうなった。
実に合理的、互いにメリットしかない話だ。
やり直しは一度では利かなかった。
彼は就職するまでに、三度名前を変える必要があった。
悪いことばかりではない。
次に進む度に、周囲の人間達はよい意味で無関心になっていき、そして忠信自身は人の顔と名を覚えられずとも取り繕う方法があることを知った。
人間が一番好きなのは自分自身だ。
鏡になり、その人間が理想とする人間を映してやる。
元々自身、という意識の薄かった男だ、擬態は楽だった。
使う宛てもないが、暇つぶしのために知識と教養を漁った。
要領がいいもので、大抵の事は軽く触ればすぐコツを覚えた。
代わりにこれ、と一つ打ち込めるようなことはない。
世羅は馬鹿みたいに部活に打ち込むような朋輩を、愚かとは思ったが、少しだけ羨ましくも感じていたのかもしれない。
汗を散らし、一心不乱に、瞳をきらきらさせて打ち込んでいく。それこそまさに、皆が賛歌する青春の輝きというものなのだろう。
あんな風に、夢中になれたなら。
少しは生きることも、楽しくなるだろうか。
少年忠信は若いきらめきに目を細めた。
それは自分のような悪党と、とっても遠いものだと心得ていた。