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短編集

作者: フジシロ

「メーカー」

 わたしは酵素だな、とめまいさえ覚えるような床上収納の書類の山を見て結論付けた。この仕事どもを悉皆、分解そして吸収するのだ、わたしの口座に。よし、と奮起したもののデスクのカップにコーヒーはなく、財布を持って席を立つ。しかしメーカーにはコーヒーが淹れられており、「ちょっと」と同じく残って仕事していた若手の社員に声をかける。「ふたりだけなのにコーヒー落としたらもったいないです。自販機もあるでしょう?」歯切れよく声をかけ、自販機へと向かう。


 しまった。ブラックがない。ああいった手前、メーカーから飲むのは気が引ける、というか、示しがつかない。やむなく甘ったるい微糖を買い、デスクへ戻る。あの男はドリップしたてのブラックを飲み、カタカタと残務をこなしている。なんだか腹が立った。お腹だって減っている。その若い社員は顔をモニタに張りつけたまま「十人いるときと、ふたりのときと、人数分しか淹れないなら、その、いいと思いますけどね」といって「ねえ、飲んでくださいよ、もったいないです」と結ぶ。


 目の前で汗をかいている微糖とにらめっこして、マグカップを持って席を立つ。コーヒーを注いで戻り、ひと口飲む。当たり前だけど、苦い。わたしは思わず大きなため息をついてしまい、ごまかそうと咳払いをした。



「乾杯」

 暑気払いの席で僕と彼女は控えめに飲んでいた。だってふたり、新入社員だもの。羽目を外す訳には、ね。彼女も顔色の変わらぬ程度にしか飲まず、僕も煙草を吸わないでいた。それに僕にはこのあと(あらかじめ調べておいた店で)彼女とグラスを重ねる心づもりもあったのだ。入社後初の野心である。


 店員がオーダーストップを告げ、内心やれやれと僕は彼女の方を見た。ずっと下を向いており、スマホかな、と思ったが画面は消えていて、おそらくは寝ていた。お開きとなり、僕は彼女を送ることにした。ふたり並んで歩いてると彼女は立ち止まる。目をくりくりさせ「待ってましたって感じ」と、嬉しそうにしたんだ、僕が心の中でほくそ笑むよりも早く。


「まだ飲めるよね?」と訊く。戸惑いながらも僕は肯く。彼女は街をずんずん歩き、店ののれんをくぐり「ただいま!」といった。――はい? 


「おう、こいつが例の跡継ぎか。老後の面倒も看てくれるんだろうな」と大将が呵々と笑う。彼女は上着を脱いでビールを持って来、「君、わかりやすくて助かるわ。でもリラックスして。うまくやってね」と目配せする。きん、とグラスを鳴らす。あんなに冷や汗をかいて飲んだ日は、なかったよ。な、そうだろ?



「忌日」

 笑い上戸な父はいつも未成年の僕にさえ絡んできてそのまま寝ちまうという典型的な昭和のオヤジだったが、「今日はお父さんの部屋に入ったり、うるさい声をあげたりしちゃだよ」と母が厳命する日が、年に一回ある。物心ついてからずっとだ。


 その日は締切り間際のレポートが仕上がったのに、プリンターが不調だった。詰まった紙片を取ろうと、仏間にある父の工具入れからピンセットか何か、そういったものを拝借しようとした。僕だってレポートに追われているんだ。少しくらいいいだろ、親父。


 襖をそろりと開けると、父は座卓に10かそれ以上、お猪口を並べ、そのすべてを酒で満たしていた。「お前か。まあ、物事の分からん歳でもないだろう。今日はな、わしがやってた現場で起きた事故の日なんだ。お前はまだ赤ん坊だったな。こうしてあいつらの人数分だけ、酒を注いで回るしか、今はできることはない。すぐ終わる。待っててくれ」僕は静かに退く。父は、今からではどうにも改善しようのない問題に取り組んでると知る。ふん、レポートなんて紙とペンさえあれば。

 僕は一番書き心地の良いボールペンを握り、机に向かった。



「花」

 帰りに切り花を一輪買い、ひとりで生ける。前の日も、次の日も、またその次も。あこがれなのだ。美しいというだけで、存在の意義も価値も認められている花への。


 かれと別れた日だった。夜も更け、沈黙は続き、それは自明だった。スマホのマイクへかかるかれのため息を遮る。


「無条件で愛されたいって、そんなにいけないの? わたし、頭おかしいの?」電話は切れた。アパートを出る。酒を買い、飲みながら歩いていると小さな花屋の灯りが見えた。努めて平静を装い(飲みかけのビールは駐車場に置き)入る。「これ、一個ください」名も知らぬ紫の花を一輪買って帰った。


 まったく、花なんて買って。切ってコップに生ける。多少しおれていたが、きれいだった。見栄えがいいこと以外なにもないのに、愛されてるよね、花って。わたしも花ならよかった。枯れてもいい、少しでも愛されたかった。


 次の日、仕事帰りに同じ店で白い小さな花が連なっているものを買う。前日の紫の花が生けられたコップへ挿す。わたしの帰りは遅い。紫も白も、どれも閉店際の花だった。つまり、処分寸前の(この時わたしは生花業の常識にまで考えは及ばなかった)。きれいだよ、と花々に声をかけ、眠りにつく。

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