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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

無邪気な二人は夢の中で笑う

作者: 僕(語り部)

 


 りんごは、すっかり夜が更けた時間に家を出た。

 クマのプリントされた上下のピンク色のパジャマのまま、サンダルを履いて、街灯に照らされた町を歩く。時々聞こえる鈴虫の音と、街灯に近づいたときに聞こえる蛍光灯のジィー……という音だけが、りんごの耳に届いていた。

 普段、夜遅くに外に出ないりんごにとって、人の気配のない町中というものは初めての経験で、少しわくわくした気分にならないこともなかったが、今日は、外出の用件が用件なだけに、はしゃげるような気分ではなかった。

 りんごが向かっているのは、隣町との間にある川に架かる橋だ。

 だが、隣町に行こうとしてるわけではない。行こうとしているのは、あくまで橋だ。

 少なくとも、一般の中学生が、親の目を盗んで真夜中に向かうようなところではないことは確かだ。

 だけれど、りんごは橋に向かった。

 ここ最近の毎日の気持ちに比べて、今はどこか晴れやかな気もするけれど、それに対して足取りは重かった。

 今からやろうとしていることに、どこか後ろめたさを感じているのかもしれない。りんごは、橋に向かう数分の間、ずっとそんな自問自答を繰り返した。


 橋に到着すると、住宅街に比べ、やや風通しがよくなる。りんごの肩まで伸びた黒髪が風に揺れる。

 りんごは橋の中腹あたりまで、止まることなくぺたぺたと、重い足取りで進む。

 視線は常に足元に向いていて、意識はずっと自分の思考の中にある。仮に今目の前から人が来たとしても、気づくことなくぶつかってしまうだろう。

 橋の中腹あたりで、りんごは立ち止まって、橋の柵に近づいた。柵の向こうには、真っ暗な川が広がっている。

 りんごは虚ろな目で、じーっと真っ黒に揺れる川を見下ろした。

 決して綺麗とは言えない町の川だが、りんごはその川に引き寄せられるような錯覚を感じた。なんだか、その川に入るととても心地良さそうな気がした。

 橋の上から川まで高さは10m近くある。素人が飛び込もうものなら、コンクリートに全身を打ち付けるような衝撃で、そのまま死に至ることだろう。

 そう、死に至れる高さだ。

 りんごは、深く、深い深呼吸をする。2回、3回と繰り返す。このまま死ぬことができることに、りんごの心臓は、激しく鼓動していた。

 今、この鼓動が、1mmたりとも動かなくなる。そのことに歓喜する心臓を、落ち着けるように深呼吸を繰り返す。

 不思議と足は震えていなかった。自宅のマンションの最上階から飛び降りようとしたときは、腰が抜けてしまうように足に力が入らなかったけれど、今は違った。コンクリートではない、その黒い川に、直接的な死の恐怖を、りんごは感じなかった。

 死ぬことは分かっていても、怖いと、思わなかった。

 柵を乗り越えようと手をかけて、足をかける。そんなりんごの耳に、声が届いた。


「ねぇねぇ、一つ聞いていい?」


 りんごの後ろにはいつの間にか、一人の女の子が立っていた。

 りんごと同世代くらいの、中学生くらいの少女だ。

 りんごはその声に驚いて、倒れるように柵の上から橋側に落ちた。口から心臓が飛び出そうだった。


「大丈夫?」


 少女は笑いながら、りんごに手を差し出した。りんごは、その手を掴もうとして、ぐっと自分の手を握りしめた。

 自分を邪魔したこの少女に、理不尽なことに怒りを感じていたからだ。

 りんごは、少女の手を無視して立ち上がった。「あらら」と少女が芝居がかった仕草で手を引っ込める様子が、さらにりんごを苛立たせた。


「なんですか……急に」


 初対面に失礼だと分かっていても、りんごは仏頂面で少女に言った。

 この少女もいきなりため口で後ろから急に話しかけてきたんだから同じだ。なんて、りんごは自分の脳内で言い訳した。

 そんなりんごの様子を気にする素振りもなく、少女はもう一度りんごに言った。


「一つ聞いていい?」


 なにを聞くというんだろうか。

 りんごが思案顔で返事をしないでいると、少女は勝手に話を進めた。


「今、死のうとしてたんだよね?」


 言葉とは裏腹に、すごく楽しそうな声で、楽しそうな顔だ。なんだか、りんごは自分がバカにされているような気がした。

 あいつらみたいに、自分を揶揄しようとしているのか、この少女は。

 りんごにイライラがさらに募る。ぐっと両手に力が籠った。


「だったら、なんですか……」


 りんごは極めて静かに答えた。怒りのままに怒鳴りたかったけれど、自分の理性が歯止めをかけた。そんな自分にさらにイラついた。

 少女はりんごの答えに満足したのか、「んふふふ」と声を堪えきれずに漏れたように笑うと、両手を広げた。どこまでも芝居がかった大げさはアクションだ。


「だったら、私にあなたを殺させてくれない?」


 語尾に音符がついてしまいそうなほど、楽しそうに少女は言った。

 そんな狂った少女に、死にたがりの少女は出会った。 



 ♢  ♦  ♢



「私は、めろん。あなたはなんていう名前なの?」

「……りんご」


 その少女はめろんと名乗った。りんごはめろんの名前が自分の名前みたいに果物と同じなんだなとか、そんなこと考える暇もなく、たださっきのめろんの発言を思い返していた。

 思い出し、何度脳内で反芻しても訳が分からなかった。その言葉の意味。


 ――私にあなたを殺させてくれない?


 そのままの意味で解釈するならば、めろんがりんごを殺すということなのは、さすがのりんごも分かったが、それをわざわざりんごに言う意味や、そもそもそんな事を本気で言う中学生がいるわけない、というりんごの固定観念が、その思考を縛り付けていた。

 りんごより身長が少し低いめろんは、ルンルンと両手を振りながら、少し前かがみでりんごを見上げる。

 りんごからすると、学校にいる可愛い子ぶってる奴らを思い出してしまうため、苛立ちしか出てこないが。


「似た名前だね私たち! じゃあ改めて言うけど! りんごちゃん、私に殺されてくれない?」

「意味が分からないよ。なんなの、きみ……」


 めろんは満面の笑みを浮かべながら、ごそごそと上着のポケットをまさぐった。

 まるでポケットからりんごが知りたい意味が分かるものが出てくるような、そんな予感をさせる顔をめろんはしていた。

 りんごは、能面のような笑顔をしためろんを不気味に思った。


「じゃん!!」


 めろんは、そんな声と共に、ポケットの中から取り出した道具を、りんごに見せつけるように突き出した。

 刃渡り十数cmはあるサバイバルナイフだ。

 その折り畳み式のナイフを、めろんは片手で起用に扱い、ナイフを折り畳み、開き、折り畳み、開きと交互に繰り返す。

 最後には、ナイフの先をりんごの胸元に突き付けた。服越しにナイフの感触がりんごに伝わる。


「ぐさっ! なんてね!」


 舌を出して、終いにはウインクまでしてくるめろんに、りんごは怒りを通り越して、呆れた。めろんの行動原理を理解しようとするのを、りんごは諦めることにしたのだ。

 りんごは、胸元のナイフを一瞥してから、『胸元にナイフが突きつけられている状態』にも関わらず、一歩めろんに近づいた。当たり前のことだが、ナイフはりんごの胸に押し付けられる。

 そのりんごの行動に、めろんは、終始笑顔だった表情を初めて崩して、ナイフを自分の手元まで引いた。

 心底驚いたように、目を見開いてりんごを見据えた。

 そのめろんの表情を見て、りんごはふぅっと息を吐いた。


「……殺したいっていうわりに、ナイフを引くんだね」


 りんごの落ち着いた声に、めろんは、我に返ったように怒鳴った。


「ち、違うし! いきなり近づいてくるから、警戒して一旦下げたんだし!!」


 めろんは再度、りんごにナイフを向ける。だが、先ほどのような余裕の笑みはないし、ナイフの先も胸元には届いていない。

 りんごは、警戒心を隠す気もないめろんに対して、静かに言った。


「……めろんちゃんみたいにか弱くて、小さな女の子に、心臓をその体勢から一突きなんて、無理だよ」

「……え?」


 りんごの言葉にめろんは素っ頓狂な声を出した。何の話をされているのか、一瞬めろんには理解できなかった。


「胸骨ってものすごく硬いんだよ。勢いをつけて突こうにも、めろんちゃんだと胸骨の骨折がせいぜいだと思うよ。まぁ、それでも十分死ぬ可能性はあるんだけどね」

「ちょ、ちょっとまって――」

「馬乗りにでもなって、全体重かければ、たぶん心臓に届くけど、あんまり合理的じゃないよね。ナイフも刃こぼれしそうだし。せっかく切れ味が良さそうなナイフ持ってるんだから、頸動脈切っちゃった方が楽で確実だよ」

「ちょっと、待ってよ!!」


 淡々と言うりんごに、めろんは大声で静止をかけた。りんごの虚ろな目に、めろんの中の警戒アラートが脳内に鳴り響く。この子はおかしい。自分のことを棚に上げたそんな感想を、めろんはりんごに抱いた。

 背中がぞわぞわする。本能的な恐怖に、めろんは逃げ出したくなる。それを押さえつけながら、めろんは続けた。


「詳しいんだね。実は経験者だったり?」


 茶化すようにめろんは言う。その言葉にりんごは、


「…………うぅん」


 と肯定とも否定とも取れない微妙な反応をした。虚ろな表情からは、その真意は読み取れないし、めろんとしては、「ちょうどよく殺せそうな子」という印象だっただけに、後ずさりする。

 だが、そこでめろんはりんごが「自殺しようとしていた」ということを思い出す。逃げ出したくなる足にストップをかけて、小さく深呼吸する。

 対して、りんごは、めろんへの警戒心を解いていた。最初こそ、奇妙で言ってくる言葉も頓珍漢なものだったけれど、ナイフを突きつけてくる仕草や、りんごに対する反応から、「殺させてほしい」という言葉と、行動が伴っていないことを、なんとなく掴んだからだ。

 もはや、呆れていた。自分の自殺を邪魔されたことの苛立ちもすでに消えていて、とりあえずこの場から早くいなくなってほしかった。さっさと今の落ち着いた気分のまま、川に落ちたかった。

 そんなりんごの考えも知らないめろんは、笑顔を作りながら続けた。


「じゃあ、一思いに頸動脈切って殺してあげるから、私に殺させて?」

「なんで、殺したいの?」


 めろんの言葉に若干食い気味で質問し返したりんごに、めろんは少したじろぐ。だが、すぐに答えた。


「私はね、両親を殺したい。あのクソ親どもを殺したいの! そのための予行練習! どうすれば人は死ぬのか、殺すときどんな感じなのか! それを知りたいの!!」

「じゃあ、手伝ってあげる」


 喜々として言うめろんに、りんごは間髪なくそう答えた。


「私が殺し方を教えてあげる。私が死ぬ前のちょっとした遊びだよ」


 三日月のように、口元を吊り上げて、楽しそうに少女は言った。

 そんな狂った少女に、殺したがりの少女は出会った。



 ♢  ♦  ♢



 りんごは、橋でめろんと別れた後、橋に来た道と同じルートを辿るように、帰途についた。

 死ぬ予定はズレてしまったけれど、代わりに生きる理由を見つけた。りんごの足取りは、軽かった。

 りんご自身、死のうとしたのは生きる理由がなかったためで、決して死ななければならない理由があったわけではなかった。消去法で、死を選んだ。生きる理由があるなら、死を選ぶ必要性はない。当然のことだ。

 りんごは、自宅につくとリビングに向かった。真っ暗な家の中を歩いて、光が漏れているキッチンとつながるリビングに入る。

 リビングに入ると、りんごは鼻を少しツンとさせる鉄の匂いに顔をしかめた。

 りんごはそのまま、とことことキッチンに向かい、キッチンにいる自分の母親に言う。


「ただいま」


 母親からの返事はない。それでも気にすることなく、りんごはリビングを後にして、自室へ向かった。

 明日から楽しくなるかもしれない。そう思って、ベッドの中に体を沈めた。



 ♢  ♦  ♢



 それから数日の深夜。りんごは家を出た。いつものパジャマ姿で、数日前に自殺をしとうとした日とは全く違う晴れやかな気分で橋に向かった。

 橋にはすでに、めろんが立っていた。りんごはめろんの姿を確認すると、駆け足でめろんの元に向かった。


「おまたせ、めろんちゃん」

「あ、全然。今来たところだよ」


 そうして、二人は並んで橋を歩き出す。少女二人がこれから話すことは、初々しい恋の話でも、思い悩む勉学の話でもない。いくら深夜とはいえ、町中で話せるような内容ではないのだ。向かう先は、りんごの家だ。

 この数日の間、深夜毎日りんごの家に上がっているめろんにとっては、もう慣れてしまった感じで、りんごの家までの道もすっかり覚えてしまっていた。

 りんごも最初こそ多少警戒はしていたが、この数日で友達を家にあげているような、そんな距離感をめろんに抱いていた。

 中学生特有というべきか、すぐに距離が詰まる関係性は、純粋ゆえのものなのかもしれない。純粋な少女たちが殺人の話をしているなど、傍からは想像もできないことだろう。

 道すがら、めろんの「お父さんとかお母さんは今日もいないの?」という質問にりんごは「今日もいないから大丈夫」と返す。流石のりんごも両親がいる家で、殺人の話などはしない。


「おじゃましまーす!」

「一応夜だから静かにしてね」


 りんごの家につくなり大きな声を出すめろんに、りんごは建前上諫める。

 めろんは「えへへへ」と笑いながら、靴を脱いでりんごよりも先にぱたぱたとりんごの部屋に向かった。りんごはその様子を見ながら、めろんとりんごの靴を玄関に揃えた。

 二人はりんごの自室に入ると、「さて……」と真剣な顔つきに変わる。これから話すことは、二人にとって大事なことだ。


「明日、いよいよ、予行練習を実行するわけだけど」

「うん」


 いつも話し合いはりんごが進行を務める。

 めろんも、りんごの殺人だけではない豊富な知識量を尊敬しているため、基本りんごの言葉に反論はしない。りんごの進行に、基本的に確認と相槌を返していくだけである。

 りんごの豊富な知識はどこからきているのか、特にめろんは言及しなかった。

 そんなことは、めろんにとっては些細なことだった。


「対象は、私たちと同世代の女の子ね」

「うん」


 りんごは一冊のA4ノートを地面に広げた。そこには、ひとりの少女の写真と、その周りにはたくさんの文字が書き込まれている。

 もちろん、その文字の内容はりんごが書き込んだものだ。写真に写る少女の身長、体重、住まい、学校、そういった個人情報がぎっしりと埋め込まれている。


「りんごちゃんと同じ学校の子だっけ」

「そうだよ」


 りんごはそう言って、口元を歪ませる。もちろん、りんごの顔見知りだ。

 対象に選ばれた少女の詳しい個人情報をりんごが手に入れることができたのは、同じ学校だったからということが大きい。

 もちろん、職員室に忍び込んで生徒名簿や生徒の生活指導ファイルを確認したりと、それなりに危ない橋を渡ったけれど、それでもこの数日で、ノート2ページにぎっしり書き込まれるほどの情報を手に入れたのは、りんごの手腕と言ってもいいだろう。

 もはや、めろんはりんごを盲信しているため、なぜ「同じ学校の生徒」を標的にしたのかなんて疑問に思うこともなかった。


「この子を、殺せるんだね」

「うん、でも、もちろん私たちがやったってすぐバレたらまずいから、うまく偽装しないといけない」

「うん、そうだよね。これは予行練習だもんね。私の両親を殺すための」

「え、あ、うん、そうだよ」


 りんごは頷いた。めろんが両親を殺すための時間稼ぎ。それをするための偽装工作だ。

 この予行練習は、めろんの目的のための手段に過ぎない。


「その作戦を、今から説明するね。頭に叩き込んで。実際に殺すのは、めろんちゃんなんだから」

「もちろん! へへへ、すっごくワクワクするね!!」


 まるで旅行先のプランを考えるように、めろんは無邪気に笑った。


「それで、どんな作戦?」

「それはね……」


 二人の少女の無邪気な殺人計画は、夜の更けた家の中で組み立てられていく。

 めろんの計画は、単純明瞭だった。対象の少女を夜に呼び出し、人気の無いところでナイフで足を刺し、動きを無力化した後に頸動脈を切り裂くというプランだ。

 事実、叫ばれる可能性も残った両手で反抗されることも十分に考えられる。

 だが、そのあたりに考えを巡らせないりんごではなかった。


「さきに喉を潰すから」

「え?」

「理科準備室にある希硫酸。それを使うの」


 希硫酸は肌に触れ、乾燥すると脱水反応を起こす。要するに、火傷を人為的に引き起こすことができる。

 りんごは、それを少女に飲ませることを提案した。

 それこそ難しいんじゃ、と不安を訴えるめろんに、りんごは端的に答える。


「ナイフを突きつけられて、正常な判断をできる中学生なんて、いないよ。ナイフ突きつけて、飲ませるように言えば、ちゃんと飲むよ。飲まないなら、口元にかけてやればいいよ。脱水反応で、口が閉まらなくなるから、無理やり飲ませやすくなるし」


 実際にナイフを突き立てられてなお、一歩前に進むという選択をした中学生が、そんなこと言っても説得力ないよ、とめろんは笑った。

 りんごのような中学生が普通にいたら、たまったものではないけれど。


「じゃあ、明日、やるよ」

「うん」


 そうして、りんごはノートを閉じた。その様子を見ながら、めろんは、やっと頭に出たその質問をすることにした。


「なんでその子にしたの?」


 りんごは、にこっと笑ってノートをベッドの上に放った。そのままベッドを見つめたまま、冷たい声で静かに答えた。


「私をいじめて、私の人生を壊したひとりだからだよ」



 ♢  ♦  ♢



 次の日の夜。

 りんごとめろんは全速力で街中を走っていた。動きやすいように半袖半パンの格好した二人の少女は、迷うことなく、りんごの家に向かっていた。

 りんごはリュックサックを落とさないように、グッと胸元で抱え込み、道を間違えないように、めろんの前を先行する。

 あらかじめ決めたルート上には、防犯カメラが無いためだ。

 さきほどの予行練習の後の死体を、その場に放置する以上、できるだけ自分の姿をどんな形であっても残したくは無い。

 できるだけ速やかに見つからないように撤退する必要があった。


「やった!やったよ!!りんごちゃん!!」

「やってやったね!!」


 完全にテンションが上がってしまっている二人だったけれど、めろんはさておき、りんごはそれでも冷静に今の状況をしっかりと把握していた。

 町中を走る私たちの姿を、誰かが見ていることもあるけれど、テンションの上がった中学生が元気よく走る姿など珍しくも無い。

 自分たちの年齢も計算に入れた動きをしていることを、ちゃんとりんごは理解して、あえて元気にはしゃいだ。

 りんごの家に到着すると、二人は足早にりんごの自室に向かった。


「ねぇ、見た! あの信じられないって表情! さいっこうだったね!!」


 めろんは、部屋に入るや否や飛び跳ねながら、ベッドに飛び込んだ。

 りんごはその様子を見ながら、「そうだね」と笑顔で返事をする。


「あんな簡単に人って死ぬんだね。すごい! 簡単に死んじゃった!」

「急所さえ壊せたら、何の問題もないよ」

「さすがりんごちゃんだよ!」

「めろんちゃんも、ベテランみたいな手つきだったよ。才能あるよ」

「えっへへへ!! りんごちゃんにそこまで言わせるとは、私も成長したよ」


 そうして、無邪気に笑い合う。

 りんごも自分の憎い相手が殺されたことで機嫌が非常に良かった。

 りんごは抱えていたリュックサックの中にしまった、パーカーとナイフを部屋に放り出した。ナイフには暗めの赤い液体がべっとりと付いていて、鼻に付く鉄の匂いを放っていた。

 パーカーも同じように、真っ赤な返り血がべっとりと付着していた。


「これで予行練習は終わり。明日事件になってると思うけど、すぐに私たちがしたとはバレない」

「バレるまでに、私が両親を殺す」

「うん、それで、」

「全てが片付いたら」


「「二人で死ぬ」」


 人を殺して完全に隠蔽できるなんて、そんな能天気なことを考えたりしない。ただ、めろんが両親を殺す時までに捕まらなければいい。

 二人は無邪気に笑った。ただ楽しそうに笑った。

 殺せる知識があった死にたがりの少女と、殺せる好奇心のあった殺したがりの少女は、そんな約束をした。

 血に染まった小指を絡めて、ただただ楽しそうに笑った。



 その後、めろんが家に帰った後、りんごはキッチンに向かった。

 リビングの扉を開けると、まともに呼吸できないような腐敗臭がりんごを包んだ。流石に一週間も経つと、死体は腐敗臭を出すし、秋に差し掛かったばかりの今の気温では、白骨化も進む。

 りんごは、腐敗臭の元である「母親」に近づいた。


「ただいま。お母さん」


 先ほどの楽しそうな表情は、もうりんごからは消え失せていた。

 虚ろで何も写していないような濁った目で、母親を見下ろす。ただ、見下ろして、立ち尽くした。

 何をするわけでもなく、ただりんごは、母親の前に立っていた。



 ♢  ♦  ♢



「おかえり、めろんちゃん」

「ただいま、りんごちゃん」


 めろんは、いつもの笑顔でりんごの家に来た。

 だが、その笑顔には若干の疲労が見えていた。りんごはとりあえず、めろんを自室に招きあげた。

 いつも部屋まで走っていくめろんは、今日はゆっくり歩いて、りんごの部屋に入った。

 めろんはりんごの部屋のベッドにすわると、にへらっと力なく笑った。


「りんごちゃん」

「うん」

「私、やってやったよ」

「うん」

「返り血凄くてさ、おふろ入ってから来ちゃった」

「うん」

「それでね、それで、…………」


 めろんは、ゆっくりとベッドに横たわった。

 張り詰めた緊張の糸が切れたのだろう。横になってすぐに寝息を立て始めた。

 りんごは、微笑んで、布団をめろんにかけてあげた。寝顔を見るのは初めてだったけれど、今まで何度も見てきたような、そんな親近感が湧いた。

 眠っためろんの頬を、控えめにつつく。自然に頬が緩んでいることにりんごは気づいて、誰が見ているわけでもないのに、誤魔化すように咳払いをした。


「じゃあ、私は準備しないとね」


 りんごはそう言うと、押入れの中から、20ℓのポリタンクを取り出した。

 物置に置いてあったポリタンクを部屋持って上がっていたのだ。

 りんごは、ポリタンクを開けると、部屋の中に巻き始める。20ℓのポリタンクは中学生の細い腕では持ち上げることはできなかったので、倒すようにして、中のガソリンを撒いた。

 床に敷いてるカーペットにすぐに染み込まれていき、ガス臭さが部屋を充満し始める。

 ポリタンクを空にするまで、数分もかからなかった。りんごの足の裏がガソリンに浸かって、りんごは気持ち悪いなぁ、とベッドの上に上がった。

 ベッドには、未だに眠り続けるめろんの姿がある。

 りんごは、ベッドの脇にライターを置いてから、めろんの横に添い寝した。すぅすぅと呼吸をするめろんの顔を見ながら、りんごはこの一週間のことを思い返した。


 この一週間はあっという間のことだった。

 あの日、めろんと出会った日、りんごは死ぬ気だった。

  間違いなく、その日にりんごは命を落とすつもりだった。あの川に飛び込んで、体をバラバラにしながら、川の底に沈むつもりだった。

 学校にも家にも居場所がなく、やっとのことで成し遂げた母親の殺害。その達成感だけで、りんごは満足していた。

 どうせ死ぬならば、なにかを成し遂げてから死にたい。その気持ちが、母親の殺害という歪んだ形を生んだわけだけど、それでも、どんな形であっても、りんごにとっては満足だった。

 たった十数年の人生でも、もうりんごには満足だった。

 そんなりんごの前に現れた少女。めろんは、今こうしてりんごの前でゆっくりと呼吸をしながら眠りについている。

 りんごを殺したいと言うめろんは、りんごから殺し方を学んで、りんごと一緒に死ぬことを選んだ。

 殺したがりの少女は、死にたがりの少女と共に死ぬことを決めた。


 今更ながら、りんごは思う。

 なんて奇妙な関係なんだろうと。

 私たちは、きっとこの関係でなければ、繋がることも、仲良くなることもなかったのだと思う。りんごは、そう思う。

 だからこそ、想像してします。

 めろんと一緒に遊ぶ光景を、一緒にご飯を食べて、一緒に学校に行って、一緒に時間を過ごす。そんな夢のような光景を。


 だから。だから。


 枕元にあるライターの火を灯せば、気化したガソリンに引火して、りんごの部屋だけでなく、周りの家まで巻き込むような爆発を起こすだろう。

 りんごとめろんは、約束通り、一緒に死ぬことができる。


 めろんとの夢のような光景を、ほんの少しでも実現させようと、りんごは、めろんに寄り添うようにして、布団に入る。

 少し眠ろう。そうりんごは思った。

 めろんが目を覚ますまで、この夢のような時間を全身で感じよう。

 ゆっくりと目を閉じた。


 死にたがりの少女と殺したがりの少女は、仲睦まじく布団のなかで眠った。

 むせ返るようなガスの匂いに包まれながら、それでも二人は安らかに眠って。


 幸せな夢に身を委ねた。






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