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対話をするために

 結論から言えば。


 ルカとハウル。この二人を置いてきて、本当に正解だったと思う。


「ハッ、ハッ、ハッ―――!」


 足元で茂る草木をかき分け、息を切らしながらシグマは森の中を駆け抜ける。


 そこに余裕の様子はどこにも無い。まるで暗闇の中を彷徨うような、そうした視えないことに対する不安と焦燥が占めている。


 それもそのはず。


「うわっ⁉」


 突如、足元の地面が陥没し、そのまま三メートルほどの深さを落下する。落下地点には無数に敷かれた太い木の杭。かろうじて足から着地することに成功するも、その足の甲は容赦なく杭が貫いていた。


「まったく、本当に……!」


 シグマにとって痛覚はあって無いようなものだ。


 だから彼は痛みに悶えるということはせず、悪態を吐きながら落とし穴の壁をよじ登り、もう一度先を目指して走り出す。


 だが次の瞬間、彼の足は茂みの中に上手く隠されていた麻縄をひっかけてしまった。


「―――ッ⁉」


 気づいた時にはもう遅い。


 直後、シグマの足に絡みついた麻縄が勢いよく巻き取られ、彼は引きずられながら至るところをぶつける、もしくは切り裂かれていく。そして麻縄は木の上方へ巻き上げられ、必然的にシグマは逆さ吊りの状態になってしまった。


「ぅ、クッソ……」


 らしくない物言いから、彼が苛立っているのは明白だった。


 当然だ。なぜなら先ほどからずっとこのように、森に仕掛けられた無数の罠に足止めを食らっているのだから。


 どれもこれもイタズラの範疇は遥かに超えた、明確に致命傷を負わせる目的で作られたもの。普通の人間ならば、もう五回は死んでいることだろう。


 それでもシグマがここまで進めた理由は、ただ一つ。


「シャルベリア!」


 シグマは懐に収めていた儀式剣を取り出し、一思いに鞘から引き抜く。


 途端、彼の身体に付けられていた傷口から白色の触腕が溢れ出す。


『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! どうした主、いつにもまして手こずっているではないか! このような陳腐な罠の一つや二つ、我が力を以て粉砕してやればいいものを!』


「それは、たしかに楽だろうけど……!」


 シグマの足から生えた触腕が、目にも止まらぬ速さで一閃。するとシグマの足を繋いでいた麻縄がいとも容易く千切れ、彼は重力に従い頭から落下する。


「うぐっ、でもそれをやったら、意味が無いんだ」


 頭に着いた枝葉を払いながら、シグマはもう一度先を見通す。


 先ほどに比べ一段と薄暗さを増した森。おそらくこの先にも、うんざりするほどの罠が仕掛けられているに違いない。


 それならシャルベリアの言う通り、触腕を振り回しながら先を目指した方が明らかに効率の良いやり方だろう。儀式剣を抜刀している間は、機動力も耐久力も生身の状態とは比べものにならないのだから。


 だというのに、シグマが一々儀式剣の力を用いて傷を癒し、そして納刀するのには理由がある。


「僕は、もう一度あの人と話がしたい」


 ここまで来るのに、何度も受けた罠の数々。それはどれもが意図的に察知されにくいように設置されており、引っかかる前に気づくことができたものは一つもない。


 だからそれらの罠を破壊しながら進むとなると、必然的に触腕を振り回したまま、触れたものを逆に壊していくようにしなければならない。


 とんでもない理論であるが、シグマの持つ儀式剣ならば、それは可能となる。


 だが、そのやり方は無差別な破壊をまき散らすもの。おそらく破壊の付近に対象の人物がいてしまえば、咄嗟に加減をすることは難しい。最悪、殺してしまう可能性だってある。


 それを避けるために、シグマは面倒であっても、わざわざ生身で森の中を進むという方法を取っているのだ。


『それはそれは、また舌が痺れてしまうほどの甘い理由だな。果たして件の人物に、そうするだけの価値はあるのか? これまでの罠の威力を鑑みるに、向こうは貴様を殺す気でいるみたいだが』


 頭の中で、シャルベリアがバカにしたような物言いで訊ねてくる。けれどシグマはそれに怒ることなく、こう言った。


「正直、わからない。でもあの人は、無闇な殺生をするような人じゃなかった。だったら僕も、その流儀に倣いたい」


 ルカは言っていた。あの者を放置することはできないと。それはひいてはリューズビーリアの窮地を招くことに繋がるからと。


 であるならば、殺すしかない、と。


 けれどそれは早計だと、シグマは思う。そうせざるを得ないのは、件の人物が他国の人間に害を及ぼす可能性があるからだ。


 ならば、その理由をちゃんと説明してわかってもらえれば、殺すなんて必要はなくなる。一緒に戦うなんてことは無理だとしても、お互いに干渉し合わずに生きていくこともできる。


 少なくとも、件の人物は話が通じないような人間ではなかった。


 だからシグマは、対話を選択した。その道のりがどれだけ殺意に満ちたものだとしても、彼は警告を無視して進んでいる身。それで糾弾するのはお門違いというものだろう。


『綺麗事を吐くのは結構だがな、対話とは互いにその気があって初めて成立するものだ。向こうが殺意を抱いたままでは、貴様がいくら説こうと嬲られるだけだぞ? それについてはどうするつもりだ』


「ああ、それなら簡単だよ。要は―――」


 途切れる言葉。揺れる視界。意識を震わせるほどの衝撃。


 突如訪れた変化に、シグマが視線を下に下げると、そこには彼の胸板を後ろから貫通した三つの矢じりがあった。


 これまでのような罠の類ではない。そもそも罠とは、対象となるものが動き回り、作動のきっかけを自ら動かして成立するものだ。


 だが、今回に限っては、シグマはシャルベリアと会話をしていたため、身じろぎ一つしていない。


 ならば、これは、


「―――警告はした」


 背後から声がする。


 いつからそこに居たのか、少なくともシグマには声が聴こえるまで察知できなかった。


 振り返ると、そこには木の枝の上に立つ人の影。先刻と異なり、今度は距離が近しいため、その姿ははっきりと捉えることができた。


 ルカとそう変わらない、少女だった。腰まで伸ばしている深みを帯びた紫色の長髪に、そこから点を突くように生える蒼銀の獣のような耳。シグマを見下ろす黒の双眸は敵意を宿しており、それを証明するかのようにその右手にはクロスボウが握られている。


 そして、彼女は年季を帯びたボロボロの外套を羽織っていた。森の中を走る風にそれをはためかせながら、再度、口を開く。


「もはやこれ以上、情けを懸ける義理もない。容赦なく殺してやろう」


 厳かな口調でそう言い放ち、矢を装填し直したクロスボウの射出口をシグマへ向ける。


 少しでも怪しい動きを見せれば、彼女は躊躇いなく引き金を引くだろう。


 それを理解しながら、それでもシグマはこう言った。


「僕は、君と話をしに来たんだ」


「……魔族と話す口は持たないと、先ほども伝えたはずだ」


「それじゃあダメだ。話し合わなければ、僕達は何もわからない。それに、君をこのまま放置しておけば取り返しのつかないことになる。だから―――」


 言い終わる前に、シグマの眉間を放たれた矢が貫通した。


 凄まじい衝撃に倒伏する身体。それを彼女はひどくつまらなそうな目で眺めていた。


「どうもお前は、この昼間から楽天的な夢を見ているのだな。ならばその夢を抱いたまま、永遠の眠りに沈んでしまえ」


 それで言いたいことは言ったとばかりに、彼女はシグマから背を向ける。そして脚部に力を籠めて、再び森の奥にある住処へ戻ろうとした。


 もはや彼女に倒したものへの関心など一切ない。


 だからこそ、反応が遅れた。


「ッ⁉」


 突如として全身を包んだ嫌な予感に、彼女は再度後方へクロスボウを向き構える。だが、その引き金を引くより早く襲いかかった衝撃が、彼女の手からクロスボウを弾き飛ばした。


「くっ!」


 たまらずその場から飛び退く。


 視界の端で粉々となったクロスボウを捉え、あれは使い物にならないと判断し、回収することを諦める。


 それよりも、問題は、目の前にあった。


「……確かにこれは、君の言うように夢のような綺麗事なのかもしれない」


 確かに、殺したはず。


 左右の肺と心の臓腑と、とどめに脳天すらも撃ち抜いたのだ。


 それほどの損傷を負えば、生きているはずがない。そのはずなのに、


「だけど、だからといって諦めるほど、僕も聞き分けのいい人間じゃないんだ」


 立ち上がっている。全身から気味の悪い白色の触腕を無数に出して、倒したはずの人間が甦っている。


 その様を見せつけられて、再び彼女の目に殺意が灯った。


「……私としたことが、魔族を人間の尺度で計ってしまうとはな」


 そして外套の懐から数本のナイフを取り出し、その切先をシグマに向かって突きつける。そして全身の毛を逆立たせて、薄闇の森で吼えた。


「いいだろう化け物、それだけの傷を負っても死なないのなら、滅びるまで駆逐してやる―――!」


 彼女の敵意が、シグマの肌をビリビリと震わせる。


 なんて殺気。それが可能かどうかはさて置いて、油断していれば本当にシグマを滅ぼすことすらできてしまうかもしれない。


『そら見たことか。会話は成立せず、言葉は届かない。たとえ貴様がどれだけの美辞麗句を並べても、それが伝わらなければただのゴミだ。このような結果など、容易に想像できただろうに』


 頭の中で、シャルベリアが呆れと嘲りを交えた声色でそう言った。けれどシグマはそれに反論することは無く、むしろ頷いて同意した。


「もちろん、予想していたさ。というより、ここまで僕が考えていた展開とほとんど同じなんだ。だから何も心配はしていない」


『ほう? それは初耳だ。ならば主は、話が成立しないのを理解した上で、対話を選択したと、そういうのか?』


「あれは対話が成立しないんじゃない。話をしないよう意固地になっているだけだ。だから僕は―――たとえ戦うことになっても、あの人を対話の席に座らせる」


 ゾワリと。


 シグマの戦意に中てられるように、彼から出でる触腕が膨れ上がる。


 戦いを望まないから話し合いを選択したかと思えば、その実、戦ってでも話し合いを強行すると。


 そのあまりに馬鹿げた答えに、とうとうシャルベリアは腹を抱えた。


『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! なんだその一歩誤れば明確な矛盾に繋がるような答えは! 相も変わらず主は摩訶不思議に、そして我好みの決意を抱いてくれる!』


 どちらかといえば、褒めているような物言いだった。


 シャルベリアはその性格上、この上ない戦闘死闘を望んでいる。そんな彼女からしてみれば話し合いなどという選択肢は心底くだらないものであったことだろう。


 だが、現実はどうだ。シグマはこの場において、戦いと話し合い、この二つの選択肢を両立させた。


『いいだろう、気に入った! ならば我が力を存分に使いて、貴様の望みを見事成就させてみろ! 如何様なれど、我はこの選択肢の結末が見てみたい‼』


 期待に満ちたシャルベリアの叱咤。


 シグマは額に突き刺さった矢を引き抜き、もう一度前を見る。


 こちらへ重度の敵意をぶつける少女に向き直り、彼は薄く笑った。


「ああ、この戦いで、君と僕が望むものを見せてやる」


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