森の中の宛
「ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャ、僭越ながら貴方の部隊に編成させてもらうわ。―――よろしくね、隊長さん」
胸に片手を置き、微笑む姿はまさしく可憐。
しかし告げられた言葉は、悪魔のような内容だった。
思考は既にショートして機能停止中。ルカの思惑について考察したいところであるが、まったくもって進まない。
そのため、シグマは何も取り繕っていない、心からの感想を口にした。
「…………正気?」
「ええ、正気も正気。大真面目よ。そもそも私は、こんな場で嘘を吐くほど道化ではないわ」
どうやら目の前の王女様に訊ねてもまともな答えは返ってこないらしい。
そこでシグマは、もう一人―――それこそ全軍の管轄を任されている大隊長であるレオンに訊ねることにした。
「レ、レオンさん、さすがに冗談なんですよね?」
「いえ、本当ですよ。私もこの会議が行われる前に、姫君から相談されましたから。というか、その案を承認したのも私ですし」
「何してるんですか⁉」
意外な事実。首謀者は二人いた!
それを受けて、ようやくシグマも状況を呑み込み、いい感じに慌てだす。
「え、待て待て、そもそも僕が部隊長になること自体いまいち要領を掴めてないのに、その上領主であるはずのルカが部下になるってこと⁉ 意味が解らないよ!」
「解らないも何も、今貴方が言った内容がそのまま答えよ」
「そういうことじゃなくてね⁉ まず何で国のトップであるはずのルカが、わざわざ戦線に立つ部隊に入ろうとするのさ⁉」
「あら、その理由を今さら訊くのかしら? そもそも貴方と共に戦線に立つのは私であったはずなのに」
それは、確かにそうだ。
本来であれば、シグマの契約主は召喚者であるルカである。王位継承戦のセオリー通りに動くのであれば、契約の理によって継承者の命を担っている契約主は共に戦線へ立つ必要性が出てくるため、そうした理由からルカもシグマと共に戦うはずであった。
でも今、その立ち位置にはハウルがいる。
「私が『王位継承者の契約主』となっていれば、私は何も柵なく戦えた。けれど、それが成立しなかった今となっては、私の立ち位置は『リューズビーリアの領主』のまま、変わらない」
そうなれば、彼女がいるべき場所は生死を分かつ戦場ではなく、安全という柵に囲われた本陣の中心だ。
たとえ本人がどれだけ戦いを望もうとも、『領主』であるならば国のためにその身の安全を優先せねばならないのだから。
「先ほどからの話である程度は理解できると思うけれど、立場に伴う制約というものは非常に面倒で、簡単には無視できないものなの。扱える権威が増える分、それを好き放題に使わせるのを防ぐためにも、必要なことなのだけれどね」
「だったら、なおさら意味が解らない。君がやろうとしていることは、つまり制約に対する反抗じゃないか」
「ところがそうでもないのよ。こうした制約は厳格であるが故に、その抜け道を案外容易に作り出すことができる。たとえばさっきのハウルの件もそうだけれど、立場による問題が発生していれば、その立場を変えることでいとも容易く解決できることがある。今回の私の判断もそう。領主であるから戦えないのであれば、部隊に兵士として所属して戦うようにすればいい、というわけ」
「……それって詭弁じゃないの?」
「まさしくその通り。けれど好き放題に暴れ回るよりかは、事前にそうした建前を用意しておいた方が見栄えが良い。こんな回りくどい方法を取らないといけないから、権威へ伴う制約は面倒なのよ」
「そういうものなのか……」
果たして本当にそれが通用するのか半信半疑のシグマだったが、この国の二大トップとも言うべきルカとレオンが大丈夫というのなら問題ないのだろうと、無理やりに納得する。
しかし、それを受け入れたらまた新しい問題が発生するわけで。
「というわけで、これからは同じ隊長の部下として、仲よくやっていきましょうね、ハウル」
シグマはちらりと横のハウルを盗み見る。……案の定、放心で抜け殻のようになっていた。
これまで言葉を交わすことにすら命綱を渡るような慎重さを要していた相手が、何の脈絡もなく同僚になると言われたのだ。いったいどのような反応をしたらいいのか、わからないのだろう。
が、そんな彼女の反応を知ってか知らずしてか、なおもルカは無茶ぶりを口にする。
「これまでは領主と捕虜という明確な立場の差異があったけれど、これからは共に背中を預ける同じ仲間なのだから、少なくとも私的な場においては変に気を使う必要は無いわ。対等な立場として、互いに信頼を築き合っていきましょう」
「うぇ⁉ た、対等な立場になるんですか⁉」
「ええ、だってそういう部隊だもの。だからその距離を感じさせる敬語もやめていいわ」
これでもかと信愛を籠めた笑みをルカから向けられ、ガタガタとハウルは震え出す。
(まあ、普通そういう反応になるよね)
かつてルカから同じ要求を受けた事のあるシグマは、ハウルの心情を汲み取り同情する。……立場上の観点からすれば、彼女の方がよほど心理的に恐怖しているだろうが。
とはいえ、それで二人の仲が縮まってくれるようであれば、シグマにとっても喜ばしいことだ。ただでさえ少ない人数の仲がギスギスしていては、部隊を預かる身としても心苦しいものがある。
ここは一つ、流れに沿って経過観察といった形で問題ないだろうと判断し、変に助け舟を出すことはしなかった。
「ところでさ、ルカはこの部隊を、ハウルのような別の国の人を編成しやすくするために創ったというけど、もしかして他に誰か宛てがあるの?」
ある程度話題が落ち着いたのを見計らって、シグマは部隊の概要を聞かされた当初からの疑問を口にした。それを受け、ルカの目がスッと細くなる。
「……どうしてそう思うのかしら?」
「うーん、なんというか……回りくどすぎるんだ。ハウルの問題に限っていうのなら、別にこんな部隊を作らなくても、彼女を戦わせなかったり戦場へ連れていかないだけでも事足りるのに、わざわざ周囲も巻き込んでまで新規の部隊を作って編成させたのはどうも引っかかる。もしかしたら元々この部隊を必要とする理由や状況は揃っていて、ハウルの件は上手くそれを利用したんじゃないかなって……」
ハウルを救うために部隊を作ったのではなく、別の目的があって新規の部隊が必要となり、それを作る過程でハウルの問題も片づけられそうだったから組み込んだだけ、と。
そしてルカは、この部隊が別国の人材を編成し易くするための部隊でもあるとも言っていた。
一瞬、その文言はハウルの事を示しているかのように聴こえるが、それならば普通に彼女のためと言ってしまえばいいだけだ。
わざわざ別国の人材と称することに、シグマは何か意味があるのではと考えた。
「驚いた。まさか貴方がそこまで考えているだなんて」
シグマの考えを聞いて、ルカは芯底驚いたという表情をしていた。
「……何気に酷くない?」
「まさか、気のせいでしょう。むしろ褒めているわよ、貴方がそれに気づくなんて思ってもいなかったから」
「えーと、それじゃあ、つまり」
「ええ、二つ目の議題はそれよ。少しこっちに来てもらえるかしら」
言うが早いか、ルカは机の上に巨大な羊皮紙を広げた。そこに描いてあったのは、シグマもこれまで何度か政務の中で目にしてきた、リューズビーリアとその周辺を描いた簡易的な地図だ。
ルカはその地図上の端の方に記載されている部分を指さす。
「ここが、先日私がアスマジアーニャンの軍勢と衝突したところ。レオンはともかく、貴方たちは合流したこともあるし、場所はある程度想像できるわよね?」
「それは、まあ……」
シグマとハウルは、揃って頷く。
忘れようもない。
目の前の少女の安否を気にかけて必死に後を追いかけたのに、辿り着いた時にはすでにその光景が出来上がっていた。
大地を埋め尽くす炭化した肉と骨。あちこちで燻る炎の名残。そして、その中で佇む鮮赤の姿。
それは彼女に内包される戦士の在り方を、この上なく物語っていた。
しかし、今回ルカが地図を広げたのは、そんな自慢話をするためではないだろう。
「私はここでアスマジアーニャンの軍勢と衝突して、そして一人残らず撃滅した。だけどその最中、私はずっと気になっていたことがあったのよ」
「気になっていたこと?」
「私と戦う以前から、かの国の軍勢には損傷が見受けられた」
「……何だって?」
思わぬ情報にシグマは目を丸くする。というのも、
「アスマジアーニャンの軍勢は、ルカが戦うまでどの部隊とも接触することは無かったはずだろう。防衛戦線が破られたわけでもないのに、それじゃあ辻褄が合わないじゃないか」
「だからこそ、私も気にかかっていたのよ。けれど当時はそれについて考察している場合ではなかったし、他国の近辺を横断する際に攻撃を受けたものだと判断したのだけれど……」
「……そう、だね。その可能性はこの前否定された」
それはトゥロイとの戦いが終わってから判明したことだ。
アスマジアーニャンの軍勢は、リューズビーリア近郊の広大な森―――シグマとハウルが遭難しかけた場所―――から現れた。
そしてこの森の東側には、リューズビーリアの同盟国であるシレーニェが存在している。
ならば地理的な観点に基づいて考えると、アスマジアーニャンの軍勢は森へ入る前にシレーニェの付近を通過した可能性があるのだ。
アスマジアーニャンの兵たちは、皆が異形の姿を取っており、数多の国から忌み嫌われている。たとえ付近を通過するだけとはいえど、異形が群れ成して進めば百鬼夜行。そのような異質な光景を目の当たりにすれば、どの国であろうと臨戦態勢へ移行するはずだ。
そのため、此度のアスマジアーニャン軍が開幕早々から損傷していたのも、シレーニェによるものであると考えていたのだが、
「シレーニェにアスマジアーニャンの軍勢を確認したという報告は上がっておらず、威嚇や迎撃を行ったという記録も無かった」
それがシレーニェの第二王女にして現時点での統括者でもあるイオリアからの返答だった。
見落としがあった―――という点は、ほぼ無いと言ってもいい。そもそもシレーニェは、その国の歴史上、これまで自国の防衛に力を注いでおり、その技術は他国を圧倒するものとなっている。
当然、索敵の技術や範囲も秀でており、一人二人の少人数ならともかく、一個体隊の規模が森に入るのを易々と見逃したりするはずがないのだ。
ならば、アスマジアーニャンはどのようにして森を抜けてリューズビーリアに攻め入ろうとしたのか。
「おそらく奴らは、この森のどこかに空間転移魔術の基点を設置している……という話だったわね、ハウル?」
「は、はい。それが複数あるのか、それとも一つを流用して使っているかは定かではないですけど、たぶん間違いないと思います」
実のところ、アスマジアーニャンから森へ転移するという行動は、何も今回が初めてではない。
現にハウルも、クーデター時に緊急用のゲートを用いて、アスマジアーニャンから遥か遠くに離れた森へ転送されているのだから。
「でも、アスマジアーニャンから此処まではかなりの距離があるので、いくら空間転移を行ってもちゃんと基点の位置に飛べるとは限らないんです」
「だからこそ、仮に転移地点が大幅にズレたとしても補足されにくい森を基点の設置場所に選んだのでしょうね。……まったく、忌々しい限りだけれど、見当がついただけでも良しとしましょう」
ルカはため息を一つ吐き、それで気持ちを切り替える。
「さて、そうなると此度のアスマジアーニャン軍も転移して森に現れたのでしょうけど―――ならば奴らに傷を与えたのは誰になるのかしら?」
沈黙。ルカの問いには、当然ながら誰も答えられない。
そして、彼女もそれをわかっているからこそ、あまり間を置かずに自身の考えを口にする。
「これは完全に憶測になるけれど、おそらく奴らは転移した森の中で襲撃を受けた。ということは―――」
「……森の中に、襲撃を仕掛けた人物が存在するのかもしれないのか」
「まだ確定したわけではないけれど、どちらにせよ事実確認のための調査は必要となってくるわ。その人物がまだ森に滞在しているのか。そして、その者はリューズビーリアにとって敵なのか味方なのか」
そこまで言われて、ようやくシグマはルカの言わんとすることを理解した。
「なるほど。それが『宛て』なのか」
もしも件の人物がいて、尚且つ味方であるのならば、アスマジアーニャンを相手取り傷物にできる、相当の実力者と言えよう。それほどの腕前は、今後の継承戦においても重要な意味を持つ。
だからこそルカは、是非ともその実力者を自陣へ引き入れようと目論んでいるのだ。
「ですが姫君、もしも『宛て』が外れた場合は、最悪殺し合いに発展してしまうのでは? それはまだ味方と断定できたわけではないでしょう?」
「だから調査をする、と言っているのよレオン。味方であれ敵であれ、或いは傍観者なのだとしても、アスマジアーニャンの特殊部隊を相手取れるような者を放置しておくわけにはいかない。早々に見極める必要がある」
「でもさ、調査をするにしたって、森の規模は大き過ぎるし、何よりリスクが高すぎる。仮に大規模な調査部隊を展開したところで、相手が敵側だったら返り討ちにされて深刻な損害を貰いかねないんじゃ……」
「そうでしょうね。並大抵の部隊では、おそらく手も足も出ないでしょう。だからこそ、今回の件は貴方の部隊が適任と言えるでしょうね」
「それは、まあ」
確かにシグマの部隊の面子を鑑みれば、シグマ・ハウル・ルカのそれぞれが一騎当千の実力を持っている。たとえ相手側が相当の実力者だとしても、そう簡単には引けを取らないだろう。
けれど、シグマが煮え切らない返事をしたのには訳がある。
「だけど僕の部隊は三人しかいないだろう。それで森の中を全部調査するには無理があるんじゃないか?」
「それについては、大方目星が付いているわ」
「え、そうなの?」
「要はアスマジアーニャンの部隊が襲撃を受けた場所付近を調査すればいいのよ。幸いにも、奴らがこの国へ侵攻する際に付けた痕跡はまだ残っている。それを辿っていけば、おのずと目的の人物には近づけるでしょう」
「なるほど……」
そう考えると、シグマの部隊による調査も現実味を帯びてくる。
「納得はできたかしら? では、他に何か質問がある者は?」
ルカはぐるりと一同を見渡す。そこに異論を唱える者は誰もおらず、全員が納得した表情を見せていた。
それを把握し、彼女は鷹揚にして頷く。
「ならば良いわ。これらの方針は明日決行とし、それまでは各々の準備期間とする。また、レオンには私の不在中の執務代理を任せるものとし、この後引継ぎを行うため残っておくこと」
「御意に」
「シグマとハウルはここまでで良いわ。シグマも今日の執務勉強は休みとするから、明日に備えて英気を養っておきなさい」
「わかった」
突如降って湧いた休暇に目を丸くするも、それが必要なことだと理解し、シグマは了承の意を告げた。
そしてハウルと共に昼食を交えながら、明日について話し合おうと思い、彼女と共に政務室を後にしようとする。
「ああ、そうだ」
シグマが執務室の扉に手を掛けたその時、背中から何かを思い出したかのようなルカの声が届く。
「ハウル、貴女には突然のことで上手くできないだろうから今日は目を瞑っていたけれど……次から敬語を使ったらビシバシ指摘していくわよ?」
「……は、はいぃ……」
横を見れば、ハウルは今にも泣き出しそうな顔で返事をしていた。
ただでさえ気の弱い彼女にここまでのむちゃぶりをするとは、ルカも容赦が無いなと、シグマが呆れていると、
「それとシグマ、貴方にも課題を与えるわ。明日までに貴方の部隊の名称を考えておくこと」
「……え?」
「いつまでも『貴方の部隊』呼びでは格好がつかないし、書類上にも記載できないもの。他の部隊同様、番号で呼ぶのでもいいけれど、それだと味気が無いから、いっそのこと貴方に一任してみるわ」
「い、いや、そんなことを言われても……」
「この私が配属される部隊なのだもの。素敵かつ、誇れるような名前をお願いね☆」
これまた有無を言わせない唐突なルカの無茶ぶりを断れるはずもなく、シグマはハウルと同じような心境で了承するしかないのであった。