新造部隊
「さて、それじゃあ全員揃ったわね」
いつもの執務机に腰を下ろしたルカは、目の前を一瞥する。
そこに並んでいたのは、右からシグマ、ハウル、そしてレオンの三人だ。
招集をかけた面々が欠けていないことを確認し、ルカは鷹揚にして頷いた。
「では、これより会議を行うわ。まずは一つ目の議題だけれど―――」
彼女の双眸がハウルを捉える。突然意識を向けられたことにより、ハウルはびくりと身を震わせた。
けれど構わずにルカは続ける。
「現在、アスマジアーニャンの虜囚として身柄を預かっているハウルス・アルファザード・ロンギニカの処遇について」
それを聞いて、シグマは眉をひそめた。
確かにハウルはリューズビーリアとは別国の人物であり、それも敵国の王女格という位にいた者である。
しかし、彼女の国は王位継承者によってクーデターを起こされ、今は亡命している身。そこから様々な紆余曲折を得て、今ではリューズビーリアに虜囚という形で身を置いている。
もともと敵国の、それもかつて残虐非道な所業を行った国の者ということで、当然ながらハウルの肩身はこの上なく狭い。
現に、
「レオン、例の報告を」
「はい。先日のトゥロイ軍との戦いの後に、何度か各部隊の兵士たちから相談、もとい意見を頂きました。その中で最も多かったのが、ハウルさんに対する不信感を訴えるものです」
レオンは手に取った書類を淡々と読み上げる。しかし、シグマはたまらず抗議の声を上げた。
「……どうしてですか。ハウルはあの戦いで何も不都合を起こしていない。むしろリューズビーリア側として戦ったんだ。称賛されることはあっても、批難される謂れはないはずです」
「たしかに。今回の戦いで最も武功を挙げたのはシグマさんでありますが、それに次いでハウルさんも中々の活躍ぶりでした。戦場では、お二人の活躍を目の当たりにしなかった者など誰もいないことでしょう」
「なら、」
「ですが、それによって一部の兵士はこう思ったんです。『なぜ虜囚であるものが、我が軍で好き勝手に魔術を使っているのか』とね」
レオンは持っていた報告書を下ろし、大袈裟に肩をすくめる。
「情けない話ではありますが、以前の演習で一部の兵士はハウルさんにボコボコにされていますので、そうした理由から少なからず恨みを買っていたりします。ご愁傷さまです」
「わ、私はそんなつもりじゃ……!」
「まあまあ。この私の目が黒い内は、復習なんて野蛮な真似はさせませんのでご安心ください」
慌てるハウルに、にこやかな笑みを浮かべてレオンはそう言うが、なぜこうも全面的に信じられない要素が多いのだろうとシグマは思う。
やはり演習という出来事を思い出すと、彼に一杯食わされたことも思い出すからだろうか。
「話を戻しますが、そうした経験をした兵士たちは、身をもってハウルさんの脅威を知っています。その上で、今回のハウルさんの活躍ぶりを目にして、あの脅威が自国を襲ったらどれだけの被害が出るか、と心配する者が増えたらしくて。先ほど申し上げた意見は、そうした考えからもたらされたものということです」
それを、勝手な憶測だとシグマは糾弾できなかった。
レオンの言う通り、シグマとハウルは演習の序盤でかなりの兵士数を相手取って、それらに打ち勝っている。そうした経緯による屈辱から、二人を良い眼で見ない者がいるのも納得できる話だ。
それでも、なぜそうした憎悪の対象にシグマは選ばれず、ハウルだけが選ばれているのか。
理由など、二人の立ち位置を考えれば明確だ。
王位継承者であるシグマと、敵国の王女であり虜囚であるハウル。
糾弾するに相応しい要素は、後者の方が多く持っているのだから。
「本当にくだらない。でも、彼ら兵士も人間だもの。差し迫る不安な恐怖の芽は、生まれる前に摘み取りたいと思うのも道理。申し訳ないけれど、私も彼らの意見を頭から否定することはできないわ」
今回レオンに届いたのは、あくまでも意見。現状を打破しようと目論む抗議ではない。
もしもそれを否定し、二度と言えぬように徹底してしまえば、それは独裁だ。
ルカは孤高に君臨する独裁者ではなく、民と共にあり続けようとする領主なのだから、その判断は至極真っ当なものである。
「けれど、このまま兵士たちに懐疑心を抱かせたままにしておくと、後々裏切りや叛逆を誘発させる恐れもある。王位継承戦を制することを目的としている以上、それだけは絶対に避けないといけない。故に、今の貴女の立場を変える必要があるわ」
「ちょっと待って。ルカ、それは―――」
ルカの物言いから、何か不穏な気配を察するシグマ。
―――まさか兵士たちの不満を晴らすために、ハウルの立場をさらに落とすのではないか。
あるいは罪人や捕虜のような、もはや最低限の自由すらも保証されないほどにまで。
けれどルカは制止を聞かず、領主としての揺るぎない厳格と冷徹を以て、こう問うた。
「ハウル、―――貴様は我らリューズビーリアの軍門に降る気はあるか?」
一瞬、彼女が何を言っているのか、シグマには理解できなかった。
そしてそれは、彼の隣にいるハウルも同じ。
「え、えっと……それはつまり……」
「そのままの意味よ。そもそも兵士たちが不満を抱いているのは、貴女が虜囚の立場のまま自在に魔術を扱っていることが、原因になっている。だからそれを解決するために、貴女を我が軍に編成して、立場を虜囚から軍人へ向上させようというわけ」
「で、でも、よそ者の私なんかが軍に入ったところで、兵士さんたちには受け入れないんじゃ……」
「その心配は無用よ。なぜなら貴女が編成されるのは、たった今から存在する新規の部隊なのだから」
「え?」
戸惑うハウルを置いて、ルカの視線がシグマへ向く。なお、彼も状況を把握できていない。
それを知ってか知らずしてか、構わずにルカは続けた。
「今この時を以て、王位継承者を筆頭とする新造部隊を創設。またこれに伴い、シグマを部隊長として任命するわ」
「……え?」
奇しくもハウルと同じような、困惑の声を上げるシグマ。
冗談か何かの類かと思ってしまうほどの、あまりに脈絡のなさすぎる決定。ハウルがどういうことか訴える眼でシグマを見ているが、それは彼も同じである。
「……揃ってよくわからない、といった顔をしているわね」
「実際、わからないんだ。そもそもなんで新しい部隊を作る必要があるのさ?」
「もともとトゥロイとの戦い以前から、貴方を中心とした部隊を作るという案はあったのよ。既存の部隊に編成させるよりも、新規の部隊の隊長として組み込んだ方が、何かと自由が利いて都合がいいんじゃないのかって」
確かにシグマの力と規模を鑑みれば、それは妥当と言えるだろう。
既存の部隊に組み込めば、シグマはその部隊の隊長に動きを制限されることとなる。それでも破格の武功は立てられるだろうが、十二分に真価を発揮できるとは言い難い。
かといって彼を単独でのさばらせておいては、それはそれで軍の規律に影響が出る可能性もある。
であれば、先の懸念を解決するためにも、シグマを筆頭とした部隊を創設することは最善と言えるだろう。こうすればシグマは思う通りに動くことができ、個として動き回っているわけではないから規律を乱すわけでもない。
「それに、シグマの部隊であれば、ハウルも容易く編成することができる。他の部隊は拒むかもしれないけれど、貴方はそうはしないでしょう?」
「うん、それは絶対にない」
迷いを微塵も感じさせない即答だった。
それを受けて、ルカも満足そうに頷く。
「つまりはそういうことよ。貴方を筆頭とした新規の部隊を作ることで、ハウルのようなよそ者でも容易に軍へ組み込むことができ、さらに有事の際は貴方の自由で部隊を動かすことができる。今後、情勢が複雑化することは間違いないでしょうし、それに伴って多発するイレギュラーに対応できる部隊は必ず必要になってくるわ」
なるほど、とシグマは彼女の説明に納得する。
その部隊が造られることへの正当性は理解した。それは現段階では明らかに利点の多い方針と言え、拒む要素はどこにも無い。
けれど、それはあくまでもシグマの視点であって。
ハウルにとっては。
「……さて、ではここで今一度訊くわ。今しがた説明した新造部隊は、言い換えれば貴女を軍に組み込むためでもある。けれどいくら新造とは言え、その所属がリューズビーリアにあることは変わりない。つまりは―――」
一切の余談を許さないルカの視線が、再びハウルに向けられる。
「今度こそ貴女は、故国を棄てる必要がある」
隣でハウルが生唾を呑み込む気配。室内に張り詰めた空気が漂う。
故国を棄てる。それがどういう意味をもたらしているか、知らぬものはこの場に居ない。
そもそも、他国の人間が新たな生活を求めて別の国へ訪れるということは、この世界であっても珍しいことではない。シグマ自身も、この国で獣人とはまた違った特徴を持つ人々が生活している様を何度か見たことがある。
つまりそれは、リューズビーリアが他国からの移住者を受け入れているという証拠。
正当な手続きと審査を受けさえすれば、適った者は受け入れられる。ならばハウルもそうすればいいと―――そういう問題ではないのだ。
これは信念の問題。
その国を追われた身とはいえ、未だハウルはアスマジアーニャンの王女としての立場を保有している。
王女。それは国を代表する者。つまりは国を背負い、生涯を賭してその国の繁栄に身を捧げるべき者である。
そのような者が、リューズビーリアに所属する部隊に組み込まれるということは、即ち他国の繁栄に手を貸すということ。
いくらそれが祖国を取り戻すために必要な措置であるとしても、一度他国の軍門に下ったという事実は変わりない。
祖国に生涯を賭すべき王女としての信念は、明確に失墜することになる。
「無論、これは命令じゃない。肯定も拒絶も、全て貴女の意思決定に委ねている。けれど、もし後者を選んだその時は、私も然るべき措置を取らなければならなくなるわ」
ルカは措置の内容を具体的には説明しなかったが、これまでの会話からして素人のシグマにもある程度察することはできた。
そもそも新造部隊を設立する決定打となったのは、ハウルの自由行動によって兵士たちに不信感が生まれ始めたことだ。
それを解消するための機構でもある、新造部隊。けれどその部隊への参加を拒まれた時、ルカはハウルと兵士たちのどちらを優先することになるか。
論ずるでもなく、後者である。
ハウルと同じく、ルカもまた王女として国を第一に考えて動いている。そんな彼女からしてみれば、ここまでの譲歩は破格とも言えるだろう。
本来であれば、敵国の王女など―――まして畏怖の対象となっているアスマジアーニャンの王女なんて―――切り捨てるには容易いというのに。
けれど、ルカがそうしなかったのは、ハウルに王位継承者の契約者という相応の利用価値があり、なおかつ環境への支障をきたさなかったからだ。
これからはそうもいかない。軍隊の中で生まれ始めている揺らぎは、放っておけば破滅に繋がる代物だ。だからこそ、それを防ぐためにも、ルカはハウルに対して新たな処遇を下さなければならない。
その一つが、先ほどから言及している新造部隊への編入。
そしてもう一つ。これはハウルが前述の条件を拒んだ場合に適応されるであろうもの。
拘束、隔離、禁錮、幽閉、封印―――今の彼女にある自由権の一切を取り上げるために、とれる手段は数多とある。
最悪の場合には、処刑だってあり得るのかもしれない。
もちろん、そうなった場合はシグマが黙っていないだろうから、早々にその手段を選択することは無いだろうが。
何にせよ、ハウルは選択する必要がある。
権威を棄てて自由を得るか、それとも自由を棄ててでも権威を守るか。
答えなど、とうに決まっている。
「……受け入れます。元より行く宛の無い身、ここで見限りをつけてしまっては、この先私は、これまで以上に何も成せなくなってしまう……」
「それが、貴女の国を棄てることになるとしても?」
「構いません。袋小路で行き詰るよりも、先行き不透明な道を模索しながら進むことの方が、まだ意味のあることでしょうから」
そう言うハウルの口調は、やはり暗いものを感じさせた。
問われてから回答までの間、シグマにとっては僅かな時間であったけれど、彼女はそれが永劫に感じられるほどの葛藤があったに違いない。
「……ただ、一つだけ」
そして、ポツリと。
自ら選択した答えを口にした後、ハウルはそれでも捨てきれない望みを口にする。
「王女としての座を手放すことが、国への背信であり、民への裏切りであることはわかっています。ですが、それでも……ただの一国民として、アスマジアーニャンを想い続けることだけは、どうかお許しください」
立場は捨てても、想いまでは捨てられない。
たとえ先にハウルを棄てたのが国の方だとしても。先に見限りを付けたのが国民の方だったとしても。
それでもあの土地で生まれ、育ち、裏切られるその瞬間まで、国のために在ろうと尽くしてきたのだ。
その果てに彼女に根付いた国への想いは、一度裏切られた程度では簡単には消えはしない。
そして、その想いを受け取ったルカは、やがてため息を吐いて頷いた。
「……まあ、いいわ。建前上、本当はそれすらも認めたくはないけれど、人の心の内なんてそう簡単には変えられないもの。けれどその代わり、決してそれを口外しないこと。貴女の内で秘められている以上は、私も黙認し続けるわ」
「わ、わかりました」
「よろしい。では貴女の意志も確かめたことだし、これにて正式に新造部隊へ、ひいてはリューズビーリア軍へ編成させてもらうわ」
「あ、そのことなんだけどさ」
ハウルとルカの話題が一旦落ち着いたのを見計らって、シグマは当初から抱いていた新造部隊への疑問を口にする。
「新造部隊って、現時点でどのくらいの規模なの?」
「ん? 貴方たちを含めて三人よ」
「三人⁉」
予想していたよりはるかに少ない数字に愕然とするシグマ。けれどルカにとっては、そんな彼の反応こそが意外だったようで、
「何を呆けた面をしているのよ。言ったでしょう、これは貴方に自由を利かせるために用意した機構だって。規格外の機動力を持つ貴方に並の兵士を同伴させても、ついていけずに、むしろ枷になるのは目に見えているじゃない。自由を得るための機構なのに、その動きが制限されてしまうようであれば本末転倒だわ」
確かにルカの言っていることは正しい。
これまでのシグマの戦いぶりを見るに、彼は人並み外れた駆動力を以て戦場を駆けまわる、ある種の暴風のような動きを見せている。
災害についていくとなると、その難易度は計り知れない。相応の実力者でもなければ、すぐに置いて行かれてしまうだろう。
いや、置いて行かれるのならまだいい。問題なのはシグマの性格に由来するもので、彼は親しい仲間―――少なくとも同じ部隊のメンバー―――は絶対に見捨てようとしない。
もしも実力の伴わない者を編成してしまえば、シグマはその者から目が離せなくなり、結果的には動きが制限されることとなるだろう。
「それに、これはあくまでも現時点での話よ。この先、大局の変動に応じて、あるいは仲間の増える機会もあるかもしれない。そうした者を編成するという点においても、この新造部隊は使われるのだから」
「そ、そっか。……でも三人、三人かぁ……」
てっきり数十人とか、そこら辺の規模を考えていたシグマにとって、三人という規模はなんとなく格好がつかないものとして映ってしまう。ぶっちゃけ、「それって部隊と呼べるの?」というのが彼の率直な感想である。
しかし、理由も知って、部隊が持つ意味に関しては理解したし、その合理性も頷ける。
ならばシグマがやるべきは、後悔の無いように行動するべきだ。たとえ少ないメンバーであっても、否、少ないメンバーであるからこそ、独りも欠落させることはさせない。
結局、立場が変わろうが、シグマのやることは根本的に同じなのだ。
仲間を守る。その願いを違えないように、これからも同じ部隊のハウルと―――
「……ん? あれ、ちょっと待って」
そこで、ようやくシグマは気がついた。
先ほどから口にしている『三人』という言葉。その規模の小ささに目を奪われて気がつかなかったが……内約は誰だ?
「僕とハウル。……じゃあ、あとの一人って……」
答えを尋ねようと前を向いて―――そして見てしまった。
イタズラが成功した子供のように、意地の悪い微笑みを浮かべているルカを。
あの顔は知っている。シグマを振り回すことをわかっていて、それでいながらその反応を楽しみにしている、愉悦の笑みだ。
同時に、シグマは最後の三人目について、心の中で確信する。
そう、新造部隊に編成される者の条件は、『シグマの動きについて行けること』。
ならばそれに見合う戦士など、このリューズビーリアにおいては限られてくる。その中でも、代表のような存在と言えば……
「ま、まさか……」
ありえないとでも言うようなシグマの声音に、彼女は「ご明察」と満足げに頷いた。
「ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャ、僭越ながら貴方の部隊に編成させてもらうわ。―――よろしくね、隊長さん」