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人か、化物か

 一方、待ち人たるシグマは、血を流しに手洗い場―――を過ぎていき、城の最上階にあるテラスに足を運んでいた。


 テラスを灯す灯りは無く、遥か頭上に浮かぶ星の光だけが頼りだ。一寸先がかろうじて見える暗闇の中、シグマはテラスの最端を目指し歩いていく。


 髪を揺らすほどの淡い夜風が、空洞のような音色を奏でる。周囲に人影はなく、昼間の閑静な雰囲気とはまた違った、神聖な静寂を醸し出していた。


 そしてシグマは、テラスの最端でノコギリの刃のような凹凸状の城壁に身を預けて、そこから見える城下街を睥睨する。夜が更けた今となっては、街の明かりも所々にしか存在せず、そこにあるであろう賑わいもここまでは届かない。


 酔い過ぎた身としては、酔い覚ましにあつらえ向きの場所だった。


「……………」


 ふと思い立って、血だらけになった右手を見る。相変わらず痛みを発しない傷は、それでも絶えず血を流しているままだ。そろそろ滴り落ちてしまうかもしれない。


 そのまま、シグマは空いた左手で上着の懐をまさぐり、忍ばせた儀式剣に手を掛ける。


 そして指ではじくようにして、鞘から刃を覗かせた。


 瞬間、体内で拡張の気配が産まれる。皮膚を喰い破って外に顕現しようとする触腕を、彼は渾身の意志の膂力をもって捻じ伏せた。


 今、この力は必要としていない。求めたものは、別の効果。


 もう一度、血だらけの右手を見る。


 ―――そこにあったはずの傷は、痕も残さずに修復されていた。


 もしもこびりついた血痕が無ければ、誰もそこに傷があったと気づかないだろう。


「……ホント、どんどん人間離れしていくなぁ……」


 我が事ながら、シグマは自嘲気味にため息を吐く。


『このような夜更けにどうした、主? 今日も今日とて畜生相手に特訓をするつもりか?』


 すると、剣を抜いたことで意識を同調したシャルベリアが、期待の色を滲ませた声でそう言ってきた。が、シグマは首を横に振る。


「今日はもう思う存分暴れたし、そのつもりは無いよ」


『ふむ……ならば随分と素敵なその手はどうしたというのだ?』


「ちょっとケガをしただけだよ。血が結構流れるものだから、とりあえず治しておこうと思って」


 シグマの物言いは、彼の持つ儀式剣の特徴を知る者からすれば、悍ましさすら感じることだろう。


 確かに、先ほどの現象からもわかる通り、『破滅を謳う永(シャルベリア・)劫不落の白装束(アルファザード)』の力を解放することによって、シグマは無類の治癒を得られる。それこそ自身の腕が欠落しても再生できるほどの。


 だが、それに伴いもたらされるのは、常人なら狂死しかねない破滅的な激痛だ。これまで何人も犠牲を上げている曰く付きの代償がある以上、いくら前述の利点が魅力的だろうとそう簡単に剣を抜くことはできないはずだ。


 だが、もはやシグマにその考えは通用しない。〝とりあえず〟の感覚で儀式剣を抜けてしまうほど、彼の痛覚は崩壊しているのだ。


「本当なら、今も痛くて苦しんでるはずなんだけどね」


 でも、痛みはない。あるのは多少の気持ち悪さだけ。


 だからこそ、儀式剣を抜いたままの状態を保てている。果たしてそれは、喜ぶべきか、それとも嘆くべきなのか。


『ああ、残念だ。苦痛に悶える主の貌も中々にそそるものがあったというのに』


 ……この意見はおそらくごく少数と思われるので(というか彼女しかいないと信じたい)、考えないようにした。


『だがな、これだけは忘れるな。貴様は代償を感じることができなくなっただけであり、断じてそのものが無くなったわけではない』


 釘を刺すように告げられたその忠告に、シグマは納得した面持ちで頷く。


 もう感じることの出来なくなった激痛は、きっと今も彼の命を喰い潰している。それが尽きた時に待ち受ける結末は、平然を保てる状態では想像もできなかった。


 とはいえ、今さらそれを悲観するつもりはない。どれだけその運命を嘆いたところで、自分にできることは変わらないのだから。


 ならばいっそのこと、最善を尽くす。無意味に立ち止まって枯れて朽ちていくよりも、その身を滅ぼしながら全力で駆けることを選択した。


 守りたいものを、守れるように。


 根底にある願いは一切の曇りなく、彼を突き動かす動力となって輝き続ける。


「でも、さ」


 シグマは城下町を背景に城壁に背を預け、頭上の星天を仰ぐ。


 ただ一つだけ、感覚の欠落が起こったあたりから抱き始めた、懸念があった。


「このまま僕が壊れていって、その果てに人間の形すらとどめていないモノになって、そうして僕が王様になったとして―――みんな、それを受け入れてくれるのかな?」


 これまでの経験をもとにいくつもの仮定を想像し、それを基にして生じた不安。


 今の欠落は痛覚だけだ。


 だが次は? これから先、無数の戦闘を重ね続けていたら、次は何を失う?


 別の感覚か、それとも五体の内のどれかか、あるいは人としての形そのものか。


 いつ自分は、人として認識される最低限のものを失くしてしまうのだろう。


 もちろん、この欠落が最後という可能性もある。けれど無駄に心配性のシグマにとって、一度の欠落が連鎖に繋がるのではという考えを捨てきれはしなかった。


『異形と化していくのが恐ろしいか? だが、それでいいのだ』


 シグマの漏らした弱音を受け止めて、その上でシャルベリアはシグマの辿る道を肯定する。


『王は唯一無二であるからして、ただ一人。貴様が王を目指すとして、そこいらの凡夫と同じでは意味が無い。人の姿を棄ててでも、卓越した存在であるべきだ』


「それは……それで統治するのは、きっと難しいよ」


『そうだ。故にこそ、その調律が必要となる。過剰な恩恵を与えれば貴様は神と崇拝され、異常な支配をもたらせば化け物と畏怖される。そのどちらとも、主の望むところではないだろう?』


 試すようなシャルベリアの問いに、シグマは頷き肯定する。


 結局のところ、人が己と違う存在に抱く思いは、シャルベリアの言った『崇拝』か『畏怖』かのどちらかだ。だが、それではシグマの理想は叶わない。


 どちらの道を辿ったとしても、出会った人との間にどうしようもないほどの距離が生じてしまう。誰からも距離を置かれて、そうして至るのは、正真正銘の孤独である。


 その結末だけは、断固として拒絶する。


「僕は多くの人と共に在りたい。たった一人で王になるのは、それだけは絶対に嫌なんだ」


 絞り出したシグマの答えに、シャルベリアは薄く笑う。まるで望んでいた答えを得られたとでも言うように。


『ならば心を強く持て。先に示した二つの道は、貴様が人の心を失くした果てに現れる結末だ』


「心を……」


『人が人であるために重要なのは姿形ではない。自らを認めて疑わない純粋な意志だ。それを抱いたまま進めば、貴様は神でも化け物でもなく、人のままであり続けられる』


 普段の狂気に満ちた振る舞いとはかけ離れた、静かに心に語り掛けてくるようなシャルベリアの言葉。


 それはシグマの内に生じた不安を洗い流すかのように解かしていく。


「我が望む王とは、人の王だ。主が覇道を制するつもりでいるのなら、決してそれを忘れるな」


 シグマはもう一度、自らの右手に視線を落とす。


 血に塗れたままの右手。今はまだ人の部位としての形を保っているが、気を抜けば一瞬でここから、ひいては全身から触腕が溢れるように顕現するだろう。


 それは人の姿ではない……と、そう思っていた。


 でも、間違っていた。


「大事なのは、僕がどれだけ僕を信じられるかってことか」


 シグマは全身を弛緩させ、抑えつけていたものを解放する。するとたちまちのうちに全身から触腕が外の世界を求めるように飛び出した。


 純白の触腕の群れの中で佇む姿は、明らかに人の形としては逸脱している。今はかろうじて残っている原形も、いつかは失くしてしまうんじゃないかという懸念があった。


 けれど、もうその心配はない。


 シグマが自分の在り方を認め、自分の信念を信じ、そして自分の意思を強く抱き続けていけば。


 どんな姿に成り果てようとも、彼は人のままであり続けられる。


「ならもっと、自分を信じられるように頑張らないとね」


 星天に右手を翳し、シグマは晴れた面持ちでそう言った。


 まだ、未熟な身である自分を信じ切ることは難しい。それが叶うのは、自他ともに一人前と認められたその時だ。


 そうなれるように、もっと努力していかなければ。


「ありがとう。少しだけ心の迷いも晴れたよ」


『なに、礼には及ばん。下僕たるもの、主に尽くすのは当然よ』


 主従の関係をまるで感じないその返しに、シグマは可笑しそうに微笑む。決して口にはしないが。


『それにしても、あれだな』


 すると、またしてもシャルベリアが薄く笑う気配があった。


 今度はなぜか、少しばかり興奮しているような吐息を添えて。


『戦場の主は微塵も迷いが無い凛々しい貌をするというのに、いざ戦いの場から離れたとあれば、今度は迷いに振り回される初い貌をする。まるで別人かと見紛うほど正反対の相貌であるが、我からしてみればその差異こそが面白可笑しくて愛おしい』


「……また君は。そういうことを」


『ハハハ、赦せ。貴様と言葉を交わすと我も感情が昂ってしょうがないのだ。もしそれに不満があるというのなら、そもそもここまで我を虜にさせた貴様が悪い』


 何ともハチャメチャな論理だが、シグマは苦笑するだけに留めておいた。別に好意を向けられていること自体は嫌なことではない。むしろ嬉しくもある。


(ホント、なんで僕なんかを気に入ってくれたんだろう)


 何か特別なことをしたわけではない。ただやれるだけの事をやっただけだ。


 けれど、それを訊ねようとした口は開かなかった。


(……ま、訊くだけ無粋か)


 ひとり納得し、シグマは身体を預けていた城壁から背を離す。


 随分と長い寄り道になってしまった。そろそろ眠らなければ明日に響くだろう。


「それじゃ、もう僕も帰るよ」


『ああ、しっかり休んで明日への英気を養え』


「……引き止めたりはしないんだ?」


『そうしなくともいいほど十分に貴様を堪能したからな。それとも何か、このまま夜明けまで雑談に花を咲かせるか? 我は別段、それでも構わんぞ』


「き、気持ちだけもらっておくよ」


 ただの冗談に真面目な調子で返され、逆に慌てるシグマ。なんだかカウンターを食らったみたいで少し悔しい。


 そして懐の中にある刃を覗かせたままだった儀式剣を鞘に納める。


 瞬間、全身が軽くなったような感覚。おそらく代償が消えたのだろう。


 その代わりというように、膨大な疲労感と眠気が雪崩れ込んでくる。重さを増した瞼を必死に開けながら、シグマは大欠伸を一つ。


「もう寝よう。今日は疲れた……」



 時刻はまもなく零時となって、今日は昨日へと切り替わる。


 起きた事象は過去という名で保存され、この先長きに亘って未来に運ばれていく。


 

 そうしてこの日、シグマは始まりの戦争で生き残った―――


次は2週間後の3/17に更新します

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