Is she Human?
時は前後して、シグマがワンと衝突している頃。
リューズビーリアにアスマジアーニャンの徒党が押し寄せているとの報告を受けたルカは、総勢百人程度の一番隊を引き連れて、目撃があった場所にまでやってきていた。
彼女らが居るのは、リューズビーリアから見て、トゥロイとの戦いに設置した陣地とは反対側に位置する、国と森のちょうど中間付近である。
ルカ率いる一番隊は、国を背にする形で、国への進路を絶つようにして展開を済ませていた。
「……壮観ね」
そして、彼ら一番隊を差し置いて最前に立つルカは、目の前の光景に静かな所感を呟いた。
そこにいたのは、圧倒的な数の魔物。
あるものは剛腕を携え見上げるほどにまで屹立する巨体を。あるものはいくつもの猛獣を複合したような禍々しき獣体を。あるものは岩や壁のようなもはや生き物としてすら判別の難しい図体を。
千差万別の姿を取る魑魅魍魎の群れ成す軍勢が、今まさに森から現れ出でる所だった。
あちこちに林立して見える御旗は、血を連想させる朱色の下地に、全てを飲み込むようなおどろおどろしい漆黒を羽ばたかせる鴉の紋様。それを魔物たちは誇らしげに掲げていた。
その見ているだけでも吐き気を催すような邪悪な軍勢の中に、とりわけ目を引く魔物が居る。
それは目視の時点で三メートルは優に超えていると判断できるような巨躯であり、周囲に付き従うオークと思しき巨体を持つ魔物の中でも頭一つ飛びぬけている。だからこそ、その特徴はよく捉えることができた。
猛毒を思わせるような毒々しい紫青の皮膚に、携えた巨大な戦斧を軽々と持つ圧倒的な筋肉、右頬にはXVの文字がタトゥーとして刻印されている。
しかし、それらよりもさらに目を引くもの―――それは彼の眼にあった。
双眸ではなく、たった一つの巨大な眼。顔の半分をも占めるそれは、充血させた眼球を不気味に、そして不自然に動かしている。
おそらくは、あれが魔物の軍勢を率いる隊長格。その者は展開したリューズビーリア軍を一瞥するや、汚らしく涎をまき散らしながら吼える。
「おぅオぅおゥ! そコの雑魚どモ、コの『夜鴉』十五番隊隊長のキュくロプスさまノ道を塞ぐタぁ、良い度胸しテんなオイ!」
キュクロプスと名乗った巨人は、手にしたこれまた巨大な戦斧を横薙ぎに振って自らの戦意と力量を見せつける。もしあれをまともに喰らえば、人の姿を保てないまま墓に沈むことになるだろう。
しかし、最前でそれを目の当たりにしたはずのルカは、まるで臆した素振りも見せず、心底くだらなさそうにキュクロプスを一瞥する。
「品のない粗野な振舞だこと。今ので貴方の器の底は知れたわ。それが隊長を名乗っているこの徒党も、大したことがないのでしょうね」
明らかな挑発を口にして、ルカは前へと一歩を踏み出す。そして腰挿しの剣を引き抜き、目の前の地面に突き立てた。
「申し訳ないけれど、ここから先は通行止めよ。無理に押し通ろうとすれば、その命で代償を支払うことになるわ」
突き立てた剣の柄に両手をかざし、彼女は挑みかかるようにそう言った。
そして、瞬間の静寂が場を支配する。というのも、挑発を受けた側であるキュクロプスは、呆けたようにその巨大な眼を丸くさせていたからだ。
まるでルカの存在に、今、気づいたとでもいうような。
「……ブッハ」
だが、やがて彼は噴き出すように口を歪める。そのまま、心底愉快だと言わんばかりに盛大に笑い出した。
「ブハハハハハハ! おいオい、いッヒひ、オメェみタいなガキんチョが、へへへ、俺サまを、と、ト、止めルダって~! こイつぁ、驚いタ! 俺さマびビって漏らしチまいソうだ!」
明らかに人を舐め腐ったような態度で、キュクロプスは唾を飛ばしながらルカを侮辱する。それに波及するようにして、彼の率いる魔物たちも嘲笑を上げ始めた。
「わリぃがガキンちョの出ル幕はこコニは無いゼ? 痛い目に合ワない内に、さッさトおうちニ帰るこっタなぁ!」
しっしっと手を払い、ルカを追い払うようなしぐさをするキュクロプス。さらに魔物たちは隊長の挑発で気を大きくしたのか、徒党のあちこちから彼女に対しての侮蔑が飛び交う。
対して、ルカを含むリューズビーリア軍は極めて静かなものだった。誰も自らの主君を侮辱されたことに激昂して、剣を抜く者はいない。
むしろ、彼らは魔物たちを憐れんでいた。
主君の神髄を知らない不勉強さを。一度としてその極致を目の当たりにしたことのない愚かさを。
そして、これからその餌食になることへの運命を。
「……揃いも揃って。人としての姿を忘れた貴様らは、最低の品性すらも失くしてしまったというのね。ハウル、貴女には悪いけれど、やはり貴女の国は最低という他ないわ」
今はこの場に居ない捕虜の姿を思い出す。
誰からも恐れられた魔族の国の第一王女でありながら、その正体は気弱でどこか抜けている所を感じさせる、ありふれた少女としての姿。何度かシグマと会話している所を見かけたこともあるが、そこに咲く笑顔は無邪気で素直なそれであり、悪性など微塵も感じられないものだったのを記憶している。
そうやって彼女の事を知っていって、いつの間にかルカはこう思ってしまっていた。
―――自分の考えているよりもずっとアスマジアーニャンは普通の国なのかもしれない。
だが違った。少なくとも目の前で喚いている人外どもの群れを見て、その考えは反転した。
アスマジアーニャンは普通ではない。むしろハウルがこの色に染まらなかったことが、奇跡に等しいことなのだと。
「一番隊、総員に告ぐ」
魔物たちの野次を一切無視して、ルカは静かにそう言った。途端、彼女の背後で待機している兵たちの空気が張り詰める。
そして彼女は、これからの方針を口にした。
「待機せよ。眼前で蠢く魔物の全ては、私の獲物とする」
あろうことか、ルカは六百の軍勢に対して単騎で突撃すると、そう豪語してみせた。
常識で考えれば明らかな無謀。自殺するのと何ら変わりない。
しかし、彼女は別だ。
ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャにその常識は通用しない。それをリューズビーリアの兵たちは、実際に目の当たりにすることで理解している。
故に、異論はない。反対はない。制止はない。
屹立する兵士たちは、無言の肯定によってルカの命令に同意した。
「よろしい」
そして、ルカはゆっくりと右腕を水平に掲げる。その手首に装着されているのは、彼女の力の象徴ともいえる魔術兵装―――『火炎を纏う緋色の腕輪』
その力が、解放される。
「ならば見届けるといいわ。私が謳う、焔の祝福を」
瞬間、腕輪から爆発するようにして生まれた炎がルカを包み込む。それは周囲の空気を一瞬で焼き焦がし、彼女の立つ足下を赫々と染め上げた。
あまりの凄惨な光景に、魔物たちはいっせいに野次を飛ばすのを止めた。
いや、違う。止めたのではなく、忘れたのだ。
自分たちが貶し続けた少女の変容に。直に肌に感じた高熱の熱気に。
何より、灼熱の火炎の中で酷薄に嗤う戦姫の狂気に。
誰もが言葉を忘れて、呆然とした。
対してルカは、彼らの布陣に近寄るために一歩を踏み出す。
恐れる心はどこにも無い。むしろ湧き上がってくるのは、昂る高揚の想いだけ。
だって当然だろう。彼女は今の今までずっと我慢していたのだから。
トゥロイ軍との戦場を俯瞰していたあの時、シグマが敵兵を薙ぎ払っていくのを見て抱いた思いはただ一つ―――羨ましい。
戦場を駆ける彼の姿は眩しかった。自分も陣地で眺めているだけではなく、戦場に降り立って戦いたかった。
でも、王位継承戦は継承者が活躍するためのもの。さらに初戦を制するということで、シグマの名声をより強く大衆に刻み付ける目的もあったため、あえてルカは傍観を決めこんだ。
その判断自体、彼女自身が下したものだ。今さら間違っているとは思わない。
けれど、陣地で戦場の推移を眺め視ている間に、いつの間にかこう思ってしまっていた。
―――戦争とは、なんて予測のつかない、面白いものなのだろう。
ルカにとってトゥロイ軍との戦争は、即ち初めての戦争でもある。その初陣に後れを取ることない様に、これまで軍議や演習を重ねて来たる戦争に備えていたはずだった。
だが、それらは全て無意味だった。戦争が、継承者が、シグマが織り成す予測不能の展開に、全ての積み重ねが台無しにされた。
しかし、それそのものに怒りも喪失もない。
あるのはただ、湧き上がってくるような興奮だけ。
まるでページを捲る手が止まらない物語のように、先の読めない理不尽が心身を滾らせる。
嗚呼、私も―――なんの縛りも柵もなく戦いたい。
そうして生まれた欲望は、けれど発揮する場もなく内で燻り続けた。
そこに、彼らが来た。アスマジアーニャンを名乗る徒党どもが、リューズビーリアを脅かすために到来した。
ならばそれは、紛うことなく敵だ。
敵は打ち倒さなければならない。
だから燃やせ。内で燻り続けた戦意を、悪鬼羅刹を滅殺する劫火と化して。
思う存分、暴れ征け。
「そうする機会をくれた貴方たちには感謝しているわ。けれど勘違いはしないことね。貴方たちが敵である以上、私は一切の容赦を加える気はない」
「このガキ……ッ!」
今度こそ明確な警戒を見せるキュクロプスに、先ほどまでの余裕は微塵も無かった。
なぜなら目の前にいる少女が、恐ろしくてしょうがない。まだ剣を交えたわけでもないのに、対峙しただけでビリビリと伝わってくる脅威が、知らず己の身を震わせる。
今日この場所に来るまで、自分は化け物だと自負していた。人ならざるこの身は、特別であることの証明だと。自分こそが強者であることの証明であると。
その傲りは、粉々に打ち砕かれることとなる。
「さあ、始めましょう異形ども。貴様らの行く末は、例外なく灰燼よ」
間違いない。あれは人の成りをしているものの―――中身は正真正銘の化け物だ。
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