キリング・ソング
「……戦況としては上々、シグマもあの分だと、助太刀は必要なさそうね」
シグマがワンと対峙している頃、その様子を陣営から眺め視ていたルカはそう言った。横にいるレオンも頷いて肯定する。
「このままいけば、遠からず我々の勝利は訪れることでしょう」
「過信は禁物よ、レオン。いくら確約された勝利だからといって、それを手にする前に気を抜けば、致命的な隙に繋がるわ」
「これは失礼。ですが、トゥロイの軍勢も撤退の兆しを見せていますし、我々が特別何をしなくとも、この戦いは終わるかと」
レオンの言う通り、トゥロイ軍の最前戦線は当初と比べると格段に後退している。今でこそ王位継承者同士の戦いに誰もが動きを止めているが、ここからどう足掻いたところで巻き返すのは難しいだろう。
「思いの外、呆気なく感じるわね」
「おそらく向こうとしても本気ではないのでしょう。いくら初戦といえど、ここで本隊を磨り潰せば後半が危うくなる。さしずめ力量を計るための先兵と言ったところでしょうか」
「だとしても油断をする気は一切無いわ。たとえどれだけ物量で押し勝っているとしても、王位継承者の存在はそれをいとも容易く覆す。私も貴方も、その事実は演習で嫌というほど味わったでしょう?」
「……あんな芸当ができるのはシグマさんだけだと思いたいんですけどねぇ。というかあの人、さっき左腕を切られませんでした? なんでさも当然のように再生してるんですか」
レオンの呆れたようなぼやきに、ルカは知らず腰挿しの剣の柄に手を添える。
シグマの動向は、終始こちらの遠見礼装から確認していた。だから当然、彼の左腕が切断されるところも目撃していた。
その瞬間、少なくともルカは戦場に飛び出す寸前まで全身に力を籠めたことを覚えている。
このような前哨戦で、王位継承者を失うわけにはいかない。彼をここで失えば、次の継承戦が始まるまでの百年間、リューズビーリアは敗戦国として笑い種となることだろう。
ルカとしても、そのような終わりでは多くの者に顔向けできなくなる。だからこそ、一旦退くことになっても、シグマを生かしたまま連れ戻す、そのつもりでいたのだ。
だが、彼はルカの予想をはるかに超えていった。
腕を切断されたことに対した反応を見せず、それどころか止血も無いまま戦場を疾駆し、トゥロイの王位継承者と衝突した。
明らかな無謀。止めどなく流れる血潮を放って、それよりも眼前の敵との対決を優先するなど正気の沙汰ではない。
それだけでも足を止めるには十分すぎることだったのに、その果てにシグマは切断された腕も寸分違わず再生させるなどという、もはや人智を超えた所業までも行ってみせた。
その光景を見せられて、ルカはこう思わずにはいられない。
―――本当に、あれは私の知っているシグマだというの?
気づけば戦場へ飛び出そうと緊張していた筋肉は弛緩していた。シグマを連れ戻すなどという考えは頭の中から排斥された。
戦場の中心で多くの兵士が呆然と足を止めているが、ルカにそれを咎める権利は存在しない。なぜなら彼女も同様に、その振る舞いに呆けてしまったからだ。
もはや手助けの必要性は感じていない。恐らく向こうも同じであることだろう。
―――それが、少しだけ気にくわない。
(って、何をらしくなく苛ついているんだか……)
頭を振って雑念を払う。横のレオンは怪訝そうに視線を向けてきたが、ルカはあえて何も言わず黙殺した。
これでも今は国の命運を左右する重要な戦いである。いくら優勢であったとしても、そこから目を逸らすことはあってはならない。
だからもし、そうなってしまうことになるのだとしたら。
それはきっと、誰もが予想だにしない事態が訪れた時だ。
「で、伝令―――!」
突如、慌てた声が陣営内に木霊する。声のした方を見てみれば、そこにはリューズビーリア本国と連絡を取り合う役目を持つ通信兵が、息を切らして走ってきている所だった。
彼は息を調える暇も惜しいとばかりに、わき目も振らずルカの下に跪く。
「何事ですか」
兵の慌て様から何かよからぬ気配を感じたレオンは、険しい表情でそう訊ねる。
「そ、それが―――!」
混乱と焦燥に満ちた言葉で、通信兵は己が受信した情報を読み上げる。
「何ですって……⁉」
それはルカを、ひいては陣営内の者たち全てを激震させるに相応しいものだった。
◇◇◆◆◆
一方、その頃。
シグマはワンと対峙したまま、ぐるりと左腕を回し、調子を確かめる。
何も不調は見られない完全な状態。傷跡も微塵も残っておらず、それが後から生えてきたと言われて信じる者は居ないであろう程の、精巧さ。
『具合はどうだ、我が主?』
「ああ、不気味なほどに問題ない」
『そうだろう、そうだろうな。なにせ貴様には役割が山ほど残っている。そう易々と死なせんよ』
身体の内側で、シャルベリアが酷薄に嗤う気配。
彼女の言う『役割』が何を指すのか、実のところシグマは詳しく知らされていない。いったい自分が何をやらされるのか、果たしてその果てに自分はどこに行き着くのか、その答えは闇の中にあるままだ。
それでも、シャルベリアの真意が悪性のものであるとは微塵も思わなかった。これまで彼女と共に戦場を駆け抜けてきて、その果てに得たシグマの答えがそれだった。
故に、疑いはしない。
たとえそれが、自分が捨て駒として使い潰されるだけのものだったとしても、最終的に人類の利益に繋がるのなら、シグマはそれでも構わないとさえ思っている。
破綻した考えだということは重々承知している。だが、改めるつもりは更々無い。
なぜならそんなことが細事に思えてしまうほど、この身は壊れてしまっているのだから。
「ハウル、ちょっといいかな?」
「え……?」
するとシグマは、言うが早いか触腕で抱えていたハウルを近くにまで引き寄せる。
「申し訳ないけど、ここからは僕の背中にしがみついていてほしい。この先はさっきみたいな戦闘が続いて、君を触腕で抱えたままだとめちゃくちゃに振り回してしまう」
「わ、わかった」
言われたとおり、ハウルはシグマの首に腕を回し抱えてもらう。するとその華奢な体に再びシグマの背中から生えた触腕が巻き付いた。
「一応固定はしておくけど、あまり頼りにはしないで。もしかしたら戦闘の集中で解けてしまうかもしれないから。あと……」
そこでシグマは声のトーンを若干落とし、ワンに届かない小さな声で、ハウルに問いかける。
「君はこの状態―――腕を使わない状態でも魔術を使うことはできるのか?」
「え? う、うん。見ての通り『摂理を統べる魔導の書』は浮かんで私の近くを飛び回るから、別に手を使わなくても魔力を流し込むだけで使えるけど……」
「よし、なら―――」
シグマは自身の考えた作戦をハウルに告げる。
「それは……うん、できるよ」
「なら、僕の合図で撃てるように準備しておいて」
「いい、けど……シグマ、その左腕、」
ハウルは至近距離にあるシグマの左肩に手を添える。底にあったはずの大怪我は完治して、もはや傷痕の気配も伺わせない。
これがただの治癒によるものなら問題は無かった。
でも、あれは。
シグマがやってみせたあのやり方は、どう見ても不自然なものだったから。
「大丈夫、なんだよね……?」
そこにあるはずの左腕が、本当に本物であるかが疑わしい。
するとシグマは苦笑しながら、件の左腕を持ち上げて、ハウルの頭を優しく撫でた。まるで幼子の髪を梳くようなその撫で方は、不思議と彼女の心を軽くさせる。
掌から伝わる温度も、感触も、何も変わらない。
「心配ないさ。だって僕はまだここにいるんだから」
あやすようなシグマの言葉に、ハウルは何も言わずこくりと頷く。
それでもう大丈夫と判断したシグマは、気持ちを切り替えて前を見た。
「さあ、ワンさん。仕切り直してもう一度始めよう。ここから先は有利も不利もない、互いにゼロの立ち位置で戦う本当の実力勝負だ」
再度対峙した敵の方を向いてそう言ったシグマは、挑発の意味合いも籠めて不敵に笑う。
一方で、挑発を受けた側であるワンは、先ほどから苛立ちを募らせた表情で、自身の親指の爪を卑しく齧っていた。
「……非科学的でしゅ……」
呻くような言葉。
「どうして肩から斬られた腕が元に戻るんでしゅか。そんなことは、ボクちんの世界であっても無理なことのはずでしゅのに……!」
「気にしない方がいい、どうやらここまでの再生は、こっちの世界でも異常視されるものではあるらしいから。……それに、今さら元の世界を比べたところで意味はないだろう。もう僕たちは、この世界に順応するしかないんだ」
シグマは諦観にも似た面持ちで静かに諭す。だが、ワンは心底腹立たしそうに顔を歪めただけだった。
「……ハァ? 何を偉そうにボクちんに説教してるでしゅか。それが許されるのは上に立つ人間、ボクちんのような天才だけでしゅ。そもそもそんな便利な儀式剣があるんなら……ああ、いや、そういうことでしゅか」
束の間、何かに納得したかのように、ワンは気色の悪い笑みを浮かべる。
「本当に腕一本を再生できるほどの便利な道具があるなら、それは必然的に天才のボクちんの下に廻ってくるはずでしゅ。にもかかわらずそうなっていないということは―――それは真っ赤な偽物、その治った腕も治っているように見えているだけの、正真正銘の贋作でしゅね!」
あまりにも見当違いの考えに、シグマも眉をひそめる。
だが、そんな彼の心境の変化に気づくこともなく、ワンは独りで独自の論理を組み立てて悦に浸っていく。
「危ない危ない、思わず冷静さを欠いてしまうところでした。でしゅがボクちんの目をごまかせるはずがないのでしゅ。だってボクちんは神に選ばれた人間、真の天才なんでしゅからねぇ!」
何がどうなって、その結論に行き着くのか。そんなもの、組み立てている本人にしかわからない。
あれは初めから、ワン自身のみに愉悦を感じさせるためのものだ。
だが、それは代償として、周囲からの反感を買うリスクを伴う。
それは対峙しているシグマだけでなく、その内側に居る彼女も。
『―――殺せ』
明確に苛立ちを見せたどす黒い声が、シグマの耳朶に響く。
シャルベリアは間違いなく激怒していた。
『あの豚はよりによって我を贋作扱いした。その所業は万死に値する! 故に殺せ、今すぐ殺せ! 非道に、残虐に、生まれてきたことを後悔するほどの凄惨さで、我を愚弄した代償を支払わせてやれ!』
「いいとも」
そして彼女の感情は、連鎖的にシグマの怒りを誘発させる。
その激情に動かされて、全身の触腕が翼を羽ばたかせるように大きく開いた。
「お前は僕達を偽物だと馬鹿にしたな。ならその身で味わって理解するといい。―――果たしてどちらが勝者に相応しいかを!」
「具問でしゅ‼」
瞬間、ワンは腕のハープを滅茶苦茶に掻き鳴らす。
脳を掻き回すような不協和音は、それ即ち彼が飛ばす音の刃の数々だ。まともに直撃すれば、もはや人の形は保てない。
だが、
「さっき防いだのを忘れたか!」
再び盾を形成したシグマは、それを抱えたまま突進する。その過程で立て続けに衝撃が盾を揺らしたが、貫徹の気配はまるでない。
このままいけば先ほどのように、ワンの懐へ難なく潜り込めるだろう。そこではまた、あの謎の衝撃が襲いかかるだろうが、一度受けたからわかる。あの攻撃に殺傷能力は無い。
故に、今度の吶喊は一切の躊躇いを持たずに―――
「アッハ☆」
その時、ハウルの鼓膜にワンの卑下た笑い声が聞こえてきた。
シグマに気づいた様子はない。おそらく吶喊の勢いに身を任せているせいで、細事に気を回せないのだろう。
だが、あれは無視してはならないものだった。
直感ではあるが、何かしらの計略を用いることで、勝利を確信した笑み。
その計略が何であるか、それを考えている暇は無かった。
「―――防御結界!」
嫌な気配を振り払うように、ハウルは必死に身を守る術式の名を叫ぶ。そして、主の命令通り『摂理を統べる魔導の書』が薄い膜で彼女を覆った瞬間、
「ァぐっ⁉」
恐ろしいほどの衝撃が、防壁を揺るがした。
まさしく間一髪。彼女が堅牢な防壁を張ったおかげで、その身に傷が付くことは無かった。
「ッ⁉ ハウル!」
絶対に安全であると信じ切っていた後方からの攻撃に、シグマは思わず突撃を止めて振り返る。
だが、居ない。
攻撃を放ったと思われる人間も、機構も、そこには気配すら存在しない。
(いったい誰が……いや違う!)
このような不可思議の一撃を放てる者など、この場で該当するのは一人しかいない。
「どうでしゅかァ?」
再び振り返れば、シグマの狼狽え様をせせら笑う、ワンが居る。
「まだまだ、こんなものじゃ終わらないでしゅよぉ!」
「ハウル掴まれ!」
ワンの次撃とシグマの回避は、ほぼ同時だった。
シグマが後方へバク転の要領で飛び退いた瞬間、一秒後に彼がいたその場を音の刃が乱雑に破壊していく。
その光景を目の当たりにして、シグマはようやく先ほど受けた一撃に合点がいった。
「距離と方向の概念が無いのか……⁉」
例えば。
砲手と対峙したとして、次に来る攻撃は予測しやすい。構えられた銃砲の銃口さえを捉えていれば、後はそこから一直線に弾丸が放たれるだけ。跳弾の可能性を除けば、射線上から逃れるだけで簡単に回避することができる。
だが、ワンが繰り出す攻撃にそのセオリーは通じない。
自身の立ち位置とはまったくかけ離れたところから、狙った方角へ隙に撃ち抜けるという、自由勝手の良さ。もし先ほどハウルが防御結界を起動していなかったら、間違いなく彼女諸共撃ち抜かれていた。
さらに放たれる弾丸は不可視であり、これもまた回避の難易度を極限にまで高めている要因の一つである。一方向からの攻撃は対応できても、四方八方から飛来されては迎撃の手が足りない。
せめて、攻撃を捉えることはしておきたい。
「―――ハウル、さっきのあれ、すぐできるように準備してて!」
「わ、わかった!」
縦横無尽に動き回り、次々と飛来する音の刃を躱しながら、シグマは反撃の期を窺う。
だが、無限に避け続けるなど土台無理な話だ。現にシグマの身体には、音の刃が擦過したことによる浅い傷が刻一刻と増えていく。
「シグマ、傷が……!」
「僕のことはいい! 目の前のことに集中するんだ!」
己の損傷を顧みず、シグマは叱咤の声を上げる。そこまでして、ようやくハウルは―――無理やりながらも―――シグマの傷から目を逸らす。
そうだ、やるべきことは決まっていて、それはシグマの傷が増えるのを眺めていることじゃない。
その傷がこれ以上増えないように、彼の手助けをすることこそが彼女の役割だ。
「フッフフ……」
一方、シグマの必死の回避劇を目の当たりにして、ワンは堪えきれない笑みを漏らす。
あれだけの大口を叩いていながら、所詮はそこらの兵士と変わらず逃げるだけ。初めて逢う王位継承者とやらがどんな大人物なのか、少しばかり期待していたが全くもって無意味だった。
結局、真の天才は自分だけ。
この王位継承戦もいわば単なる前座であり、自分が王になることは確約されているのだ。
それはこの地上の誰でもない、天の意志が定めたこと。
ワンはそう信じて疑わない。自分の運命を曇りなき眼で視続ける。
ならばこそ、それを実現するために、そろそろ飽きてきたこの戦いを終わらせよう。
「さあ、これで終演でしゅよ―――ォ!」
そして、死の刃を奏でる演奏に拍車をかけようとした。
その時だった。
「今だ、ハウルッ!」
「―――『透過を曇らす明夜の白霧』!」
それよりも速く、戦場に響き渡る二人の声。
すると、明確な変化があった。
「…………?」
それをワンも感じ取って、何事かと眉をひそめる。
というのも。
現在、シグマとワンが対決している空洞地を中心として。
―――突如、それらを覆うように霧が出てきた。
次は1/20に更新します