開戦
シグマらが属するリューズビーリア軍は、すでに国の西南方向にある『丘』の上にて迎撃の準備を調えていた。
この『丘』は戦略会議の序盤で陣の設置場所として定められたのだが、それほどまでに有用な地形でありながら名称は存在しない。
というのも、
「まさか、演習の時に造ったやつを利用するとは……」
それを造り出した張本人であるシグマは、感心と呆れが半々の所感を呟いた。
そう、この辺り一帯は先日の演習で使われた地域である。あれからかなりの時間が経過したが、その時の形跡は今も様々な箇所に残っている。
その中でも最も巨大なものが、彼らが陣を張っているこの丘だ。
これは演習の開始と共にシグマが身を擦り選らして放り投げた土砂の、その成れの果てである。
「貴方のおかげで、ここ最近まで測量班は地形の再計測と地図の書き直しと、休む間もなかったらしいわ」
「それは……何というか、ごめん」
そうは言うが、当時はシグマとて必死だったのだ。なるべく戦う相手を減らせるよう、心が挫けるであろう一撃を画策した結果がこれなのだが、今思えば莫迦なことをしでかしたものだと思う。
「けど、その無茶苦茶な行いのせいで、こちらは地形的有利を作り出せたのだから、その点は幸いと言うべきかしらね」
ルカの言葉に同意しながら、シグマは改めて周囲を見渡した。
上方を制した彼らは、眼前の切り立ったような坂に簡易的なバリケード設置し、その後ろで何が起きても良いように部隊ごとに待機している。
もはや全ての用意は整い、後は事が起きるのを待つだけの時間。ピリピリとした肌を刺す緊張が場を支配している。
これからようやく、本当の戦争が始まるのだ。
雰囲気に呑まれ、知らずシグマはごくりと生唾を飲み込む。すると、そんな彼の服の裾を、何者かがくいくいと引っ張ってきた。
ハウルである。
「あ、安心してシグマ。わた、私も……頑張るから」
シグマ以上に震える声で、それでも彼女は自身の覚悟を伝える。
「もうシグマは苦しめさせない。そ、その分、私が戦ってみせる」
それを聞いて、シグマは目を丸くした。
おそらく彼女も見知らぬ戦場に頬りこまれることを恐れているだろうに、それでもなお他人の負担を肩代わりしようとするその心意気に心底驚かされたのだ。
けれどシグマはその言葉に嬉しさを感じつつも、ハウルに微笑み返してこう言った。
「ありがとう。でも、もう大丈夫なんだ」
「え?」
言葉の真意がわからず聞き返すハウル。それについて、シグマは説明しようと口を開きかけた。
その時だった。
「―――敵陣、視認しました!」
これまで双眼鏡らしき道具に目を通して彼方を見張っていた兵の一人が鋭く叫ぶ。シグマも弾かれたように彼方を見やると、そこには砂塵を上げてこちらへ向かってくる軍勢があった。
誰もがそれを確認し、場の緊迫はさらに張り詰めたものとなる。
「来たわね……! 総員、戦闘態勢へ移行!」
ルカの号令によって、兵たちはそれぞれの得物を展開する。その間にも、ルカの支持は次々と各所に放たれる。
「六番隊は引き続き魔術防壁の構築と維持に集中。五番隊、七番隊、八番隊は第一陣として出撃の用意! それ以外の隊は拠点の防衛に努めなさい!」
対して兵たちの動きは、波のように滑らかに、そして迅速だった。
シグマが気づいた時には、すでに全部隊が所定の位置に就いている状態。あまりの機動に言葉を失う。
そして全ての用意が整ったのを見計らい、ルカはこの場にいる全部隊をぐるりと睥睨した。
誰もが彼女の言葉を待っている。
無数の視線が、たった一人に集中している。
それでもルカは、その気高さを微塵も揺るがさない。
「此処に臆した者は一人も居ない。此処に戦いを恐れる臆病者は存在しない。素晴らしき理想の兵たちよ、その勇姿は称賛に値する」
すぐ近くにまで敵軍が近づいているというのに、陣地の中は不思議な静寂に包まれており、故にこそ彼女の凛とした声は遠くにまで響き渡る。
「ならばこそ、私は貴様ら英傑に絶対の誇りと信頼を抱いて命令する」
彼女の口調は、シグマらに接していた時とは全くの別物。今は数多の想いを抱えてそれでもなお皆を指揮する大将としてのそれだった。
「後方のあれらが見えるか。愛おしき我が国へ許可なく踏み入ろうとする、卑しき下賤な賊どもの群れが。自身の行いを顧みようともしない愚かなる者たちの集いが。あれこそが貴様らの討ち倒すべき敵である」
静謐でありながら気迫を持ち合わせるルカの言葉に、場の空気が水面下で高まっていくのを感じる。
兵士の誰もが、彼女の言葉に胸を昂らせているのだ。
「だが案ずることは無い。貴様らがこれまでに培った戦技は、無限の武功と勝利をもたらすことだろう。そして、我らには王位継承者の存在もある」
ルカの視線がシグマに向けられる。それに伴い、皆の視線も彼へ集中した。
なんてプレッシャー。覚悟を決めた身でありながら、喉が干上がっていくのがわかる。
これほどまでの重圧を受けておいてなお平然と言葉を紡げる彼女を、再度畏怖した。
「覚えているだろう、先日の演習を。あの場で貴様らに猛威を振るった王位継承者は、今、貴様らと同じ戦線に立って敵を討ち滅ぼす。もはや我らの勝利に揺るぎはない」
そして、ルカは腰挿しの剣を引き抜き、天に切先を向けるようにして掲げる。眩い陽の光を浴びて、刃の色である鮮緑の輝きを瞬かせた。
「我らリューズビーリアは、この戦いを制して王位継承戦に参戦する! 我が国の名を背負いし兵どもよ、その命と覚悟を以って覇道の礎となる覚悟は有るか!」
束の間、全ての兵が己の武器を我先にと高く掲げて、鼓膜を大きく震わせる咆哮を上げた。
それを肯定と受け取ったルカは、掲げた剣を勢いよく縦に振り、その切先をこちらに向かってきているトゥロイ軍へ突きつける!
「その意義や良し! ならば全軍、戦争用意!」
ザッと一同が回れ右をし、後方へ向き直る。
それぞれの得物を掲げ敵を見据える彼らの双眸に、もはや一部たりとも迷いは見受けられなかった。
「情けを懸けるな、容赦を忘れろ。憐れなトゥロイの無知どもに、我らの力を思い知らせてやれ!
―――第一陣、出撃開始!」
鋭く響いた砲声が、開戦の堰を切る。
直後、大地を揺らすような豪声と共に、リューズビーリア軍が出陣を開始した―――!
次は12/2に更新します