貴方はそこにいる
そんなわけで、城下町。
結局どこで何を食べるかという問題については、ハウルが城下町の事をあまり知らないがために、全権がシグマに一任された。
そうして、その彼が連れてきたところは―――
「にぎやかだねぇ、ここ」
「そうだね。相変わらず繁盛してるみたいだ」
丸形のテーブルに座った二人は、それぞれ周りの喧騒に反応を見せていた。
シグマらが訪れたのは、彼がレオンに初めて連れてこられた店である。選んだ理由としては、他に馴染みのある店をシグマも知らなかったからという、簡単なものだ。
しかし、すでに昼食時は過ぎているというのに、未だに店内は客や店員の賑わいで満ちていた。厨房の方を見てみれば、何人かのおばちゃん方が忙しそうに料理を作っているのが伺える。
すでに注文は終えている二人である。おそらくあの中で頼んだ料理は作られているに違いない。
「そう言うわけだから、もう少しの辛抱だ」
「うー、お腹空いた……」
待ちきれない、といった様子で身体を左右に揺らすハウル。そんな子供っぽい仕草にシグマは苦笑する。
たとえどれだけハウルが催促しても、当然ながら料理は完成するまでやってこない。その間、空腹を紛らわすせめてもの手段と言えば、会話に花を咲かせることぐらいだ。
そこでシグマは、何か話題の種はないか、と考えていると、
「そう言えば、シグマはテラスでなにをしていたの?」
彼よりも速く、ハウルがそう訊ねてきた。
よりにもよって地雷原に赴くような質問を。
「それは……」
少しだけ答えに迷う。なぜならそれはシグマも気持ちの整理が付かないままの問題だったから。
自分はどうしたいのか。自分はどうすればいいのか。
それらの迷いを胸に抱きながら、シグマはありのままの出来事を口にする。
「ルカに言われたんだ。もう僕は、元の世界に帰れないって」
「え、……」
「それで頭の中がごちゃごちゃになってしまってね。少し頭を冷やしてたんだ」
今でさえ、そのことを思うと胸がざわつく。
何より一番もやもやするのが、自分が元の世界にどのような思いを馳せていたのかさえ、わからないということ。記憶を失くした身では、それら一切を知る術もない。
「……ごめんなさい」
すると、ハウルが申し訳なさそうに謝罪してきた。唐突のそれにシグマは眉をひそめる。
「どうしてハウルが謝るのさ。これは僕の問題なんだから、君は悪くないのに」
「ううん、そうじゃなくて……私も、知っていたの。シグマが元の世界に帰れないということは」
「……そうなの?」
まさか最も付き合いの長い人物が最重要の情報を既に持っていたことに、シグマの目が点になる。思わず聞き返したが、ハウルは重々しく頷いた。
「本当は早く伝えなきゃいけないって思ってたんだけど、上手くタイミングが見つからなくて。その、シグマにとって単純なことじゃないから、軽々しく伝えちゃいけないと思って……」
たしかに、振り返ってみれば、そのような機会は中々なかったように感じる。ハウルが単刀直入に告げなかったのは、彼女なりの配慮だったのだろう。
「まあ、だとしてもハウルを責める気は無いし、気にしないで」
「でも……」
何か言いたげなハウルから逃げるように、シグマは天井を仰ぐ。
木造の天井にはいくつものランプと、一つの巨大なファンがくるくると空気の循環のために回っていた。それらを映すシグマの瞳は、少しだけ濁っている。
「……シグマは、元の世界に帰りたいの?」
おずおずと尋ねられたその問い。答えは持っていないのだから、シグマは首を横に振るしかなかった。
「どうなんだろうね。少なくとも今の僕じゃ答えられないや」
シグマは努めて他人事のようにそう言った。
「記憶を失くして、元の世界にも帰れない。……何だか、全てを失くしてしまったみたいだ」
悲観は無い。
ただあるのは、そんな非現実的な状況に置かれている自分が酷く滑稽だと思う自嘲だけ。
失くしたものに気づけず、失くしたものの大きさを知ることもできない。
とんだ道化だ、僕は。
「そんなことないっ!」
バンっ! という音が店内に響き渡る。それがハウルが立ち上がる際にテーブルに叩きつけた手の音だと気づいた時には、シグマを含め、店内の誰もが言葉を忘れた。
それに気づくことなく、彼女は身を乗り出すようにしてシグマを見つめる。その瞳の奥には怒りの色。
ハウルは確かに怒っていた。
「全て失くしたなんて、それは違うよ! だってシグマは、私の前にちゃんといるんだから!」
「ハ、ハウル?」
「私だけじゃない。きっといろんな人が、シグマをシグマとして識っている。それはシグマが存在している確かな証拠でしょ! なのに、なのに……それを勝手に意味の無いものになんてしないでよ!」
気迫のこもった物言いに、シグマは思わず目を瞬かせた。
感情に任せて放たれた言葉は主体がごちゃ混ぜになっていて、一聴しただけでは意味が解らなかった。だけど、時間の経過と共に段々とその意味をかみ砕いて理解する。
(ああ、そっか。ちゃんと、この世界で手に入れたものもあったんだ)
失ったものは数知れず。
それでも新たに築いたものも確かに在った。
だというのに、それらの気も知らず、一方的に全てを失ったなどと―――これは確かに失言だった。おそらくハウルでなくとも、彼女が挙げたルカやレオンも同じように怒っていただろう。
「ごめん、今のはあまりに浅慮だった」
己の過ちを認め、シグマは誠心誠意謝罪する。
それで一応は気を許したのか、ハウルも浮かせていた腰を再び下ろした。
「本当だよ……もうそんなこと、間違っても言わないで……」
少しだけ涙の滲んだ声。
それを聞いて、改めてシグマは自身の迂闊さを反省する。
まるで嵐が去った後のように、店内に降りる気まずい静寂の帳。誰もが空気の重さに声を発せずにいた。
すると、
「……あーもう、騒いだり黙ったり忙しいねアンタらは! もうちっと周りに気を使うとか、そこら辺の気遣いはできんのかい⁉」
怒号一声。静寂をビリビリと引き裂くようなソレと共に二人の前に登場したのは、この店の店主だった。
「いいかい? ここは一応大衆食堂なんだから多少はっちゃけるのは大目にみる。けどね、あんまりほかの客に迷惑をかけるようなら即刻追い出すよ」
「ご、ごめんなさい」
店主の有無を言わぬ迫力に、二人は揃って謝ることしかできなかった。
「まったく。あとシグマ、今しがたの嫌でも耳に入ってきた話だけで判断するけど、アタシはそっちの嬢ちゃんの味方だからね」
「え……?」
「アタシもアンタを知っているヤツの一人ってことさ」
思わぬ言葉にシグマが驚いていると、その間に店主は一旦厨房に戻り、すぐに戻ってきた。その手には湯気を立ち昇らせる串焼きがある。
……なぜか異常に赤い。
そして店主は、それをシグマに突き出した。
「ほれ、食いな」
「はい?」
「女を泣かせたケジメだよ」
「いや、言ってる意味が……むぐっ⁉」
戸惑うシグマの言葉を待たず、店主はその串焼きを一気に彼の口に押し込んだ。
そして口内で弾ける焼き付くような痛み。それは単に熱いものを頬張ったから、というわけではない。
「か、辛ッ⁉ なにこれ⁉ ホントにからいッ⁉ み、水を、みずぅ!」
今にも火を噴きかねない勢いでのたうち回るシグマを見下ろして、店主は不敵に笑った。
「このアタシ特製激辛ソースにつけた串焼きさ。もの好きの客からも『まるで地獄を再現したかのような味だ』と滅法評判なんだよ」
「どう聞いても誉め言葉じゃないでしょそれ⁉ というかホントに辛い! なんか舌が痛くなってきたんですけど⁉」
「いい気味だ。女を泣かせたらどうなるか、それを教訓とすることだね」
そう吐き棄てると、店主はハウルの方に向き直る。彼女は彼女で怒涛の展開に目を丸くしていた。
「嬢ちゃんも、感極まったのか知らないけど、せめて叫ぶんなら場所を弁えること。今回はシグマの方に非があったとみなしたけど、もし逆ならアンタも激辛ソースの餌食だからね。覚えておくんだよ」
「き、気をつけます……」
「よろしい。たしかに言質は取ったからね。……ほらシグマも、いつまでのたうち回ってるんだい。悪いことをしたら謝るのが筋ってもんだ」
いや、さっき謝ったんですけど⁉ という抗議をかろうじてシグマは飲み込んだ。
たしかに悪いのは自分だし、その上開き直ってそのような態度を取ろうものなら、二人からかけられる制裁が本当に怖い。
「ほんほひ、ふぉめん……」
「ぶっ……!」
しかし誠心誠意を見せてした謝罪も、激辛で麻痺した舌では碌に言うこともできず、その結果ハウルはたまらず噴き出していた。さすがに謝罪に対して笑うのは失礼だと始めはプルプルと堪えていたが、やがて溜まっていたものを全て吐き出すようにして笑い出す。
「あはっ、あははははははは! シっ、シグマ、それはひきょうだよ……! あははははは……」
シグマとしては笑い事ではないのだが、やがてそれを見ていると自然と彼の口元にも笑みが浮かんでいた。
そして、二人が仲直りしたのが周りにも伝わると、再び店内に活気が戻ってくる。
「雨降って地固まる、だったっけね。まったく手間をかけさせる」
「すいません。でも店主さんのおかげで助かりました」
「店の雰囲気を保つのもアタシの役目さ。気にするこたぁない。それより仲直りも済んだんだから、お待ちかねのお食事としようかね」
そして再び厨房に戻った店主は、すぐさま両手に湯気の立つ大皿を抱えて戻ってくる。
「はいよ、串焼き五本盛り。そっちの嬢ちゃんは海鮮あんかけスパゲッティだったね」
テーブルの上に並べられる二品の料理。どちらとも湯気が揺らいでおり、立ち昇る香りは鼻孔を突き抜けて胃袋を刺激する。
「わあ、おいしそう!」
長らく空腹に喘いでいたハウルは、運ばれてきた海鮮あんかけスパゲッティに目を輝かせる。
すると料理を運んできた店主が誇らしげに胸を張った。
「美味しいに決まっているだろ、ま、見ただけで美味しそうとわかるのは否定しないがね」
「ありがとうございます、店主さん」
料理に目を奪われているハウルの代わりに、シグマは店主に向かって礼を言う。
すると店主は手をひらひらと振って礼に返した。
「ま、あとは若いもん二人で楽しみなさいな。食べ終わったら食器は、そのままにしてもらってて構わないよ」
そして、店主はそう言い残し厨房へ戻っていった。
シグマはある程度それを見届けてから、再び前を向くと、ハウルが「まだ?」というニュアンスの表情をしていた。すでに手にはフォークが握られている。
「ごめんごめん。それじゃあ食べようか」
「うん! いただきまーす!」
元気のよい掛け声と共に、ハウルは目の前の食事にがっついた。
他の物など眼中に無し、ただ食べることだけに全てを賭しているような勢いに、シグマは微笑みながら串焼きを一本取った。
こちらも焼き立てアツアツの、肉汁が零れそうな分厚い肉にかぶりつく。
噛むごとに肉汁とうまみが染み出す、極上の一品。
それはとても美味しかった。
次回は私事の関係で二週間後、11/15に更新します