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夜明け前の特訓

 どれくらいの時間、星を見ていただろう。


「さて、と……」


 シグマはおもむろに立ち上がり、周囲を確認する。相変わらず人の気配はしない。


 静寂に支配された世界。その中心で、彼は大きく深呼吸をした。


「よし、行こう」


 覚悟を決めて、歩廊を後にする。


 向かうべきは城外の町―――すらも超えて、郊外へ。道中通りかかった町はすっかり寝静まっており、人一人ともすれ違うことは無かった。


 そして国を出てから、歩いて十五分後。


 シグマはシレーニェに向かうために横切った、森の入口に辿りついた。


 深夜の森は木々の葉が闇の色を映し、夜の影よりも暗く染まっている。それが夜風に吹かれてざわめくことで、なにか巨大な生き物のシルエットのように見えた。


 すると森の奥、林立する木々の合間から、唸り声と思しき音が聴こえ、ときおり鋭い輝きを持つ眼光が煌いた。


 闇の帳が下りた夜の森は、即ち夜行性の動物が闊歩する場所だ。


 陰に紛れ獲物に近づき、音も無く狩りに来るハンターは、何も見えない暗闇では最もなる脅威となる。


 ましてや、数が増えすぎて餌が十分に行き渡らず空腹に喘いだ獣ならば、獲物を見つけた瞬間に獰猛さを剥き出しにする。


「かなり斃したと思ったんだけどな。それでもまだこの数か」


 シグマは相対しているのは、まさしく狼の群れ。


 シレーニェへ向かう道中にも襲われた、人に害を成す獣たち。


 ここのところ狼による被害が多発しているという情報は、かつてルカから聞いていた。あの時も相当な数を屠ったはずだが、その上で目の前には前回と同じか、あるいはそれ以上の気配を感じる。


 この辺り一帯でこの様なのだ。広大な森全体で見てみれば、いったい総数がどれだけなのかは見当もつかない。


 ただ、一つ。わかっていることは。


「これ以上、この数をのさばらせておけば、被害は大きくなる一方だ」


 彼ら狼とて、自然環境を構成する要因の一つであることは確かだが、一種族の規模が異常に拡大すれば、それは他の種族を食い尽くされることになり、ひいては森の自然環境が崩壊してしまうことになる。


 その結果、餌を失くし空腹に喘いだ彼らは、更なる餌を求めて人里へ降り始めた。ルカが言っていた狼の被害とは、森の自然環境が崩れかけていることが要因と見て間違いない。


 壊れた環境を元に戻すのは多大な労力と時間を費やすが、人為的な手立てを加えればその限りではなくなる。


 ならば、この場面において有効とされる手立てとは何か―――間引きである。


「恨むなら僕を恨め。これから行うのは全て、僕の中で完結させた判断によるものだ」


 シグマが言っていることは事実だ。


 国の脅威を取り除くのも、民への危険を排除するのも、全て余剰。


 あくまでも彼は、彼自身の目的のために独断で動いているにすぎない。


「シャルベリア」


 己が武器の銘を呼び、シグマは懐から一切の穢れを見せない白色の短剣を取り出す。闇夜の影の中心に在りながら、その純白はまるで曇らず、一つの星のように色を保つ。


 すると、頭の中で返答があった。―――まだ抜刀してはいないというのに。


『どうした主。こんな夜更けに呼び出して』


「戦いだ。今から君の力を貸してもらう」


『ほう、これまで戦いを忌避し続けていた主にしては珍しいな? よもやこんな人気のない辺鄙な片隅にまでやってきて、畜生どもを狩ることに精を出す気になろうとは』


 少しだけ嘲笑しているような物言いだった。


 無理もない。シャルベリアは死闘を渇望し、その中に産まれる血の沸騰しそうな興奮を求めている。それは極限の状況でこそ輝くものであり、また未知であるほど新鮮さを味わうことができるものだ。


 であれば目の前で唸る猛獣の群れは、シャルベリアの理想とは最も相反しているものだろう。


 たとえ別の集団とはいえ、シグマは狼の群れを相手取り一方的に蹂躙している。その結果を踏まえれば、今回相対している彼らとの戦いも同じようなものになることは容易に想像できた。


「期待に応えられなかったのは謝る。だけど、これは必要なことだから」


『なに?』


 怪訝そうな声を上げるシャルベリアに、シグマは此処に来るに至った経緯を話し始めた。


「この国に帰ってきてから、もう一度シレーニェの出来事を振り返ってみたんだ。そうして、改めて僕は実感したよ」


 シレーニェでは様々なことがあった。その中でも色濃く残るのは、辛苦の記憶。


 それらを頭の中で再生している内に、シグマはあることに気がついた。


「僕が救えたものは、なんて少ないんだろう」


 大切なものを守りたいと願って手に入れた儀式剣の力。それをいつだって十全に発揮できる状態にありながら、シグマは知人を失った。


 そうしてシグマは、どれだけの力を保持していようとも、理解の届かない場所で起きた悲劇は止められないことを知った。


 初めから全てを救えると過信していないつもりだった。だが一方で、自分の力は悲劇を食い止めることができると自負していたのも事実。


 だが、振り返ってみればどうだろう。今回シレーニェで起きた一件で、シグマはどれだけの失敗を犯した?


 土砂で封じられた地下通路に突入する際、中にいる者への被害を考慮して動けなかったのは誰だ。


 バロルと対峙した際、通路の狭さに身を取られて仕留め損なったのは誰だ。


 どちらとも、シグマが未熟であったばかりに起こった失態。もしもテイラーの助けが無ければ、確実に大切なものを失うことに繋がっていただろう。


「僕は今回の一件で、自分の不甲斐なさを嫌というほど思い知らされた。だから、そんな自分を終わらせるためにここに来たんだ」


 シグマは儀式剣の鞘に手を掛ける。彼が明確な動きを見せたことにより、森の中の殺気が膨れ上がった気がした。


 だけど、臆さない。


 そうしてしまうほど半端な覚悟でやってきたわけじゃない。


「全てを救えないのはわかってる。でも、せめて自分の手が届く範囲は守りたいと、そう願った。だから―――」


 張り詰めた空気の中で、一息と共に抜刀した。


 瞬間、全身を規格外の激痛が支配する。その苦しみに苦悶の表情を浮かべるが、引き抜いた剣を鞘に戻すことはしなかった。


「少しでも多くの人を守れるように、大切な人をこれ以上失わないように。君の力の使い方を教えてほしい」


 しばらくの間、シャルベリアは無言だった。あまりにも青臭いシグマの理由に、呆れていたのかもしれない。


『―――ハ、』


 だが、やがて。


 快哉の気配を感じた。


『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼ それが貴様の力を求める理由か! なんて青く、なんて甘い! まるで世を知らぬ餓鬼が口にする夢のようだ!』


 まるで莫迦にしているかのような口ぶりだった。


 だが、シグマは微塵も腹を立てる素振りは見せない。なぜならこれまでの付き合いの中で、ある程度シャルベリアのことも理解してきているから。


 この笑いが嘲笑ではないことも、わかっている。


 それを証明するように、ひとしきり笑ったシャルベリアは、口元を歪めた気配を残したままこう言った。



『―――だが、それでいい』



 端々に悦びや嬉しさを滲ませている声色だった。


『もとより我が力は全能に非ず。目の前にのみ有効な万能よ。それを理解した上で、その純粋無垢な理想を掲げてみせたのなら、力を過信し道を踏み外すこともないだろう』


 それはシグマが最も恐れることだ。


 力に呑まれ、力に酔い、力に屈すれば―――至る末路は、あの外道。


 心の底から拒絶した存在に成り果てるなど、考えただけでも身震いする。


 だからこそ、今宵は力を計り制御するための特訓を行う。


 それこそが、シグマの掲げたもう一つの目的。


「なら、一緒に戦ってくれるかい?」


『応とも。駄犬の吼える喧噪の舞台で共に舞おうぞ、我が愛しき主よ』


 シグマの背から、儀式剣の持つ色と同じ触腕が生え出でる。


 両側に四本ずつ、対になるように顕現したそれらは、どこか天使の翼のような神々しさを放っていた。


 だがその本質は、死神の鎌のように命を刈り取る凶悪さを誇る、真正の狂気である。


 万全に戦闘態勢を整えたことで、シグマは今一度眼前の狼たちを見返した。


 激痛で赤く滲む視界には、彼らの誇る野獣の眼光と咢から覗く鋭い歯牙が光っている。


 これから先、戦いを重ねていけば、多くの敵があの場所に映るのだろう。その中にはあのバロルのような、シグマとは別の王維継承者もいるに違いない。


 なぜならこれから始まるのは王位継承戦。たった一つの王座を勝ち取るために、あらゆる強者と覇を競い合う、紛うことなき戦争の日々だ。


 そこに身を投じた時に、今度こそ対峙した継承者に引けを取らないために。


 手の届く範囲の者たちを迷いなく守るために。




「行こう。今日ここで、()()()()()()()()()()


 シグマは自らの正常を破綻させることを容認した。


 


 ……気づいたのはいつだっただろうか。

 

 これまで何度か戦いを重ねてきたシグマは、ある事実に気がついた。


 ―――痛みに対して鈍くなってきている。


 儀式剣のもたらす代償による規格外の激痛は、そうやって知らない内に彼の痛覚を破壊していた。


 だからこそ今では、最初に剣を抜いたときよりも思考を保っていられる。


 それを喜ばしい事だとは思わない。むしろ現在進行形で自分が正常でなくなっていることには恐怖すら感じる。


 けど、だからどうした。


 守りたいものがあった。失いたくないものがあった。


 そのためなら、自分の命を差し出しても構わないとさえ思った。


 ならば痛覚が消えていくことなど、些細なことでしかない。


 いったいどこまで壊れるのか、どこが崩壊の最果てかはわからないけど、今ある最善を尽くしたいと、心の底から願ったから。


 シグマは力の顕現たる触腕とその代償たる激痛を携えて、一歩を踏み出した。


 ただそれだけで、火蓋は切って落とされる。


 瞬間、森の奥まで揃っていた狼の群れが、一斉に飛び出してきた。


 そうして。


 頭上の星だけが眺め視る、誰も知らない暗闇の戦闘活劇の幕が上がる。


 咆哮と悲鳴が歌う二重奏は人里に届かず、夜風に揺れる森のざわめきとして紛れていく。


 ともすれば地獄を思わせるようなその舞台は、陽が顔を出す明け方まで延々と続いていった―――


次回は10/4に投稿する予定です。

あと次回で三章は終わりです

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