表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/105

Lost

 人気のない廊下に反響する、毅然とした足音。遮る音は何も無い。


 アシュタリアがいるという王室に向かう道中、二人はひたすらに無言だった。


 一瞬だけ、ルカは隣のイオリアを盗み見る。


 前を向いた真っ直ぐな瞳に、固く一文字に閉じた口元。その一切の余分を付け込ませない様相で、足早に歩を進めている。


 いつも見せていた人見知りの弱々しい彼女の姿はそこになく、会談や執務の時に見せていた生真面目な表情を見せていた。


 ふと、一つの疑問が脳裏を過ぎった。


 ―――なぜイオリアは、陛下の様にはならなかったのだろう?


 ラティスが殺されたことは、イオリアにとっても辛苦の出来事だったはずだ。アスタリアが挫けるほどの出来事に、気弱な彼女が耐えられるはずあないと、少なくともルカはそう思っていた。


 だが、横を歩く少女にそのような様子は皆無だ。


 むしろルカと同じか、あるいはそれ以上の―――意志の強さを持っている。


 その強さはどこから得たものなのか。


 疑問を訊ねようとするも、その前に目的地に着いてしまった。


 ここまで来るまでに通り過ぎた部屋の扉とはまた違う、一際豪華な装飾を施された両開きの扉。


「失礼します」


 イオリアの揺らぎのない一声と共に、それは開け放たれた。


 まず視界を埋め尽くしたのは、圧倒的な暗闇。今まで灯りの点いた明るい場所にいたため、急な暗転の世界に何も見えなくなった。


 けれど、それも数秒の内。徐々に視界は慣れてくる。


 そして明らかとなってくる、闇の帳が下りた部屋の全容。その、部屋の片隅において。

 


 希望を失くし、枯れ果てた老人を見つけた。



 一瞬、浮浪者が場違いにも迷い込んだのかと思った。そう錯覚してしまうほど、目の前の人物にはかつての覇気や威勢を感じられなかった。


 紛うことなくアシュタリア王、その人。


 数日前まで王位継承戦に参戦すると息巻いていた彼は、今や魂を抜き取られたかのような抜け殻の人間と化していた。


「陛下……」


 尊敬していた人物の失墜を見せつけられ、呆然と呟くルカ。


 目の前の人物は生きているのかすら疑わしかったが、彼女の呟きに反応して首を動かす。


 油の切れた動作の悪い人形のように。ルカたちを見た双眸は黒く濁り、生気を感じられない。


「……おぉぉ……イオリア……そしてルカライネよ……」


 二人の姿を視認するや、アシュタリアは消え入りそうな声で名前を呼ぶ。


 縋りつこうと震える腕を持ち上げ手を伸ばす、さながらゾンビのような所作に、思わずルカは半歩後ずさった。


「……失った……失ってしまった……」


 怒りでもなく、悲しみでもなく、ただひたすらに絶望に塗れた声。


 愛娘の一人を殺されたという現実に、アシュタリアの精神は崩壊寸前にまで陥っていた。


「……なぜだ……なぜラティスは殺された……あの子は何も悪いことはしていないというのに……なぜ、殺されなければならなかったのだ……」


 アシュタリアは手を伸ばしたまま、その瞳から涙を零す。


 けれど、誰もその手を取ろうとはしない。


 ルカは呆然としたまま、動けずに。


 イオリアは―――


「……やはり、私の……王位継承戦に参戦するという、私の判断が間違っていたのか……これまで通り、傍観に徹してさえいれば……ラティスが殺されることはなかったのではないか……?」


 虚ろな瞳で問いかけられ、思わずルカは目を逸らしたくなった。


 憧れていた人が、尊敬していた人が、目の前で軋みを挙げて瓦解していく現実。それは連鎖するように、見た者の心も圧し折っていく。


 叶うのなら、今すぐこの場から逃げ出したかった。


 だけど、棒となった両脚では回れ右をすることもできず、伸ばされた手を見つめながら沈黙で答えるしかない。


 その間にも、アシュタリアは壊れていく。


 自らの内から生じた『弱さ』に押し潰されて。


 何も成し得ることのできない、無能へと堕ちていく。


「……おぉおおぉぉぉ……おお教えてくれ……愛しい娘たちよ……私は、間違っていたのか……?」


 嗚咽と共に絞り出された、再度自身の責を問い求む疑問。


 その悲痛に満ちた憐れな姿を。いつまでも立ち直ろうとしない姿勢を。


 目の前の現実を受け入れられずに、逃げ続けている無様な醜態を見せられて。


 遂にそれは、彼女の怒りを爆発させた。


「―――いい加減にしてくださいッ‼」


 怒髪天を衝く怒鳴り声と共に、パァン! と弾けた音が炸裂する。


 何が起こったのか、一瞬ルカはわからなかった。


 部屋中に響いた音が、アシュタリアの頬を平手打ちした音だと理解するのに、少しだけ時間が掛かった。


 突然打たれた彼は、やはりルカと同じように状況を呑み込めていない顔をしている。


 この場において呆然としていないのは、たった一人だけ。



 アシュタリアの頬を打ったのは、イオリアだった。



「イオリア……⁉」


 時間をかけて目の前の事態を呑み込んだルカは、震える声で彼女を呼ぶ。だけど、答えは返ってこない。


 呼び掛けた人物は怒りの形相を浮かべて、真っ向からアシュタリアを見ている。その尋常ならざる雰囲気に、外野のルカでさえ近づくことを躊躇ってしまうほど。


 イオリアは『激怒』していた。


「……御言葉ですがお父様。私は此度の件、生まれて初めて貴方に怒りを抱いております」


 静かな響きではあるが、それでも内側には激情を孕んだ声。


 それはもはや、ルカの知るあの気弱な彼女ではなかった。


「お父様は覚悟をお決めになったのではないのですか? 誇りと意志を持って、王位継承戦に参戦すると誓ったのではないのですか?」


 数日前のアシュタリアの姿を思い出した。


 少なくとも謁見に見えた時の彼は、イオリアの言う通りシレーニェの在り方を変えるという強い意志を持っていた。


 けれど、今は。


「では、どうして。―――どうしてそんなにも無様に、項垂れているのですか!」


 突然荒げた声により、ルカも思わずその場でたじろぐ。


 今まで見たことも無い、凄まじい剣幕。その勢いのまま、イオリアはありえぬことを口にした。


()()()()()()()()()()()()()()()()()、子どものようにウジウジと引き籠って‼」


 その言葉に、ルカの頭は真っ白になった。


 あのイオリアが―――まさか死んだ姉のことを、たかがの一言で片づけるなど。


 これまでの像とは大きくかけ離れたその様を見て、何か、ルカの内側で亀裂が入った音がした。


 けれど、そんなことはいざ知らず、イオリアは呆然としたままのアシュタリアを見下ろし、なおも捲し立てている。


「私も姉さんも、どちらかが死ぬことは覚悟しておりました。無論、お父様であってもです。たとえどれだけ残酷な死別であっても、そうあることが戦争だと。私たちが足を踏み入れた世界は、それが当然とされる場所なのだと! 皆がそう理解し、その上で覚悟を決めているのだと‼ そう信じてこれまで努力してきたのです‼」


 壊れていく。


 ルカの中にあったイオリアの姿が、かつての彼女との思い出が、全て、全て、塵となっていく。


 過去と今では、何もかもが変わってしまった。


 どれだけ恋焦がれても、愛おしい家族の時間は、もう二度と帰ってこない。


 もう二度と、揃わない。


「ですが違っていた。お父様、貴方だけが覚悟の意味を履き違えていた! この国において貴方だけが、失うことの意味を分かっていなかった!」


 きっとアシュタリアの胸の内は、黒い絶望で支配されていることだろう。表情だけで見て取れた。


 けれど、イオリアは救いの手など差し伸べない。


「……酷い裏切りを見ました。私はもう貴方に失望を隠さずにはいられません」


 シレーニェの王位継承戦参戦。それは当初、各方面から批判の声が上がったものの、それら全てを説き伏せて、アシュタリアは決定した。


 その強引さに多少は思うところがあったものの、掲げた理想を本物だと思ったから。


 失う怖さも、死ぬ恐れも呑み込んで、国の誰もが覚悟を決めて、その理想に賛同した。


 だけど、よりによって、掲げた本人が重要な覚悟を決めていなかったなどと。


 今のイオリアが見せている怒りは、ひいてはシレーニェ全国民が抱いているものだ。


 それを引き起こした元凶に与える慈悲など、何も無い。


「継承者を召喚した以上、戦争からは逃れられません。ですから私は、これからも戦い続けます。……お父様がそれだけのこともできないというのなら―――このままここで、朽ち果ててください。それがひいては、シレーニェにとっての最国益となるでしょう」


「おぉ……イオリア……やめろ、其方までも……私の下を、去らないでくれ……」


 かすれた声で、必死に縋ろうとするアシュタリア。だが、その手はイオリアへ触れる前に、他でもない彼女自身によって払われてしまう。


 見下ろす瞳はあまりに冷たく、もはやそれは親へ向けるものではなかった。


「私の進むべき道は私が決めます。親鳥の下でまどろむ雛は、もういないのです」


 それが最後の言葉となった。


 明確な拒絶を突きつけたイオリアは、踵を返して部屋の戸口へと向かう。背後で何度も名を呼ぶ声が聞こえたが、彼女は完全に無視を決め込んだ。


 そして、その途中に放心状態となっていたルカと相まみえる。


「イオリア……」


 言葉が出てこない。


 完全に変わってしまった彼女に対して、何を言えばいいのかさえ分からなかった。


「…………………巻き込んで、ごめんなさい」


 イオリアは申し訳なさそうに目を伏せて謝罪し、そのままルカの横を足早に通り抜けていった。


 その姿を追うことも、止めることもできずに、ルカはその場で立ちつくす。


 置いて行かれた部屋の中で、全てを失くした者が嗚咽のような絶叫を上げて泣いていた。


 歳に似つかわない幼子のような鳴き声は、空っぽになった心で無意味に反響する。


 遠ざかっていくシレーニェでの思い出。つい先日まで当たり前だと思っていたものが、セピア色にくすんでいく。


 ―――また、家族を失った。


 その事実を空虚な思考で再認識して。



 アシュタリアが完全に壊れていく様を、ルカの瞳は感情もなく映し続けた―――


次からは3日おきにできる…はず!←

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ