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外道の眼に人はいない

「うおおおおおおおおおおッ‼」


 激痛に縛られる全身を制し、前へと跳び出す。


 狭い通路は一直線。左右どちらにも脇道は存在せず、通路全てを埋め尽くしての彼の突進を回避する術は無い。


 故に、バロルに残された選択肢は二つ。受け止めるか、それとも―――シグマを殺すか。


 常人であればどちらも無謀としか言えないものとなる。しかし侮るなかれ。彼もまた継承者。


 操る力は、同じく超常―――!


「気をつけなさい! そいつの儀式剣は糸の刃よ!」


 ルカの注意喚起がシグマの鼓膜に響く。


 彼女が言った、バロルの装着した手甲―――『裏界に廻る(サルフィート)禍条の糸刃(・カルノリア)』より伸びる銀色の糸刃は、六人もの屈強な兵士を一斉に屠るほど鋭く、そしてルカの渾身の膂力を封じるほど強固である。


 その力はまさしく脅威という他ない。


 そしてそれを理解しているからこそ、バロルは敵の突進を目の当たりにして余裕を保っていられる。先ほどは虚を突かれて取り乱したが、万全の状態であれば何のことはない。


 どいつもこいつも後先を考えない、愚直なまでに真っ直ぐな攻撃。


 おそらく自身の実力を過信しているからこそ、そんなことができるのだろう。


 ならば、こう思わずにはいられない―――その自信を圧し折ってやりたい、と。


 それが挫ける瞬間に表す絶望の色は、バロルにとって至上の甘美である。


 ああ、早く見たい。その憐れな姿を指さして、心の底からせせら笑ってやりたい。


 一度目は失敗した。二度目は邪魔が入って中断した。


 ならば今度こそ、三度目は成功させてみせる。


 バロルは狂気に満ちた笑みのまま、糸刃を手繰り振り回す。それは通路を塞ぐように、無尽蔵に不規則な交差を続け、歪なネットを紡ぎあげる。


 これで捕獲の用意は整った。後は獲物に向かって投げつけるだけで、その人生ごと捕らえることができる。


 躊躇う必要はどこにも無い。


「さあ、テメェはどんな声で鳴いてくれるんだろうなァ!」


 バロルは期待に満ちた声を上げて、そのネットを投擲した―――!


 バロルに逃げ場が無いように、同じくシグマにも逃げ場はない。で、あるならば、やはり取れる選択肢も限られてくる。


『ハ、ハハ、ハハハハハハハハハ! 我を笑い死にさせる気か! 思わず腹が捩れたわ!』


 その時、シグマの脳裏で心底可笑しくて仕方がないと言ったシャルベリアの声が聞こえてきた。


 彼女の視界は、シグマの視界と通じており、まったく同じ景色を共有している。


 故にこそ、迫り来る投擲の網は捉えているだろうに、全くもって脅威を感じている節が無い。


 それどころか、笑っている。くだらなそうに、莫迦にするように、嘲笑している。


『主、わかっているな?』


「ああ!」


 肯定の意を示す咆哮と共に、シグマは全身を弓なりに反らし、両腕から触腕を後方へ伸ばす。


 そして、それが伸び切るのを待たず、全身のばねを使って振り下ろした。


 振るわれた二本の触腕は、狙い過たず投擲されたネットに叩きつけられ―――まるで蜘蛛の巣を払うように、引き裂いた。


「……………はぁ⁉」


 目の前の現実に僅かながら硬直した後、またも驚愕の声を上げるバロル。その様子を見て、シャルベリアは鼻で笑った。


『ハッ、当然であろう! 矮小な糸がいくつ束ねられようが、大綱の如き我が力に太刀打ちできるはずがないだろうに! そんなこともわからんとは、どうやら対峙する継承者は碌な奴ではないらしいな‼』


「そうだ、その通りだ―――!」


 一撃を瓦解させたからといって、シグマの進攻が止まるわけではない。今でもなお、彼の双眸はバロルの姿を捉え続けている。


「お前は、絶対にやっちゃいけないことをやってしまったんだ!」


 繰り出される触腕の一突き。それをバロルは首を振ることによって、紙一重で回避した。


「っ……!」


 息を呑む気配が近距離まで近づいたシグマにも感じ取れる。だが、これだけで終わらせる気はない。


 一突きを躱したことで、バロルの体勢は崩れている。その無防備な姿に今度こそとどめを刺すべく、シグマは横薙ぎに触腕を振るった―――


「……ッ⁉」


 この時、シグマが誤算としていたこと。


 それはこの通路の狭さ。縦幅はともかく、横幅は人が三人ほどやっと並べるほどの空間で、身の丈の倍近くある触腕を横薙ぎに振るうのは、どう考えても無謀である。


 実際にとどめとなるはずだった一撃は、壁に引っかかるようにして速度を劇的に落とした。


 結果、形勢は逆転。体勢を建て直したバロルは口角を吊り上げ、逆に体勢を崩したシグマに向けて糸刃を放つ。


 ……先ほど自身の一撃が破られた焦りからか、今度の一撃は遊び無く、一瞬でシグマの首に巻きついた。


(マズイ―――ッ!)


 これで絞首の用意は整った。後はバロルが力任せに引っ張ることで、巻き付いた糸刃は肉に食い込み引き裂き、シグマの首をくびり落とす。


 それが一秒後に約束された未来。


 ただし、何者の邪魔も入らなければ、の話だが。


 ―――斬! という風切り音。途端、シグマの首に巻きついていた糸が緩み、解けた。


「んだとォ⁉」


 唐突の事態に、バロルが驚愕で目を剥く。


 いつの間にか両者の間に黒の人影―――『影より出ず(エテウス・)る守護人形(パーシリオ)』が顕現している。それは両の手に付随した漆黒の刃を以て、彼の糸刃を断ち切ったのだ。


「……おい」


 冷え切った声がシグマの背後から聞こえる。


 恐る恐る振りかえってみれば、そこには放心状態から立ち直ったテイラーの姿。ただし、もはやシグマの知る彼ではなかった。


 あらゆる感情を殺し尽くした非道の眼。ルカの激情に燃え盛るそれとはまた違う、こちらは睨まれただけで脊髄に氷塊をねじ込まれたような錯覚を引き起こす、冷酷な色。


 慣れない自由に不器用に笑っていた面影はどこにも無く、ただ、殺し屋としての姿が、そこにはあった。


「貴様は殺す」


 あまりにも短絡的で、だからこそ一切の付け入る隙が無い、純粋な殺意。


 直接向けられているわけではないシグマも身震いするほどのそれを受けて、バロルは怪訝そうに眼を細める。


「もしかしてこの真っ黒なヤツは、テメェの儀式剣か?」


「…………」


 テイラーは無言で返す。しかし、バロルは気を悪くした様子は見せず、肩をすくめるだけだった。


「ま、他に使えそうなヤツは見当たらねぇしな。そこのイカみてぇな足を生やしてるヤツも、それが儀式剣なんだろうし」


 飄々とした物言い。だが、その口端が徐々に吊り上がっているのを、二人は見逃さなかった。


「ああ、いいなァ。オマエたちは最っ高に強くていい。それでこそ殺しがいがあるってもんだ」


 どこまでも自分の価値観とは乖離したことを言いのけるバロルに対し、シグマは怒鳴りつけたい気持ちを抑えつつ、疑問を訊ねることにした。


「……どうして、ラティスさんを殺した?」


 おそらく返ってくる答えも、自分の常識からはかけ離れていると無意識に理解しながら。


「そんなもん、あいつが殺されるほど弱かったからだろうよ」


 何を当然のことを、と言わんばかりの顔だった。


「あ、もしかしてオマエ、まだ元の世界のルールに縛られてるんじゃねぇのか? ダメだなァ、そんなんじゃこの先、愉しめねぇぞ?」


「何だと……?」


「いいか、この世界は俺たちの知ってる世界とは違うんだよ。くそったれの法律だとかルールだとかも、ここまでは届かねぇ。つまり、俺たちは何をしてもいいってことだ!」


「ふざけるな! この世界は旧石器時代じゃないんだぞ! よしんば僕たちの世界のルールが通じないとしても、この世界のルールというものも存在する! それについてはどう説明するつもりだ!」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? やっぱり俺たちには関係ねぇじゃねぇか」


 絶句した。


 この眼前の男は、自分には如何なる法の効力も発揮されないと心から信じている。


「そもそもな、知らねぇヤツが勝手に決めたルールなんざ知ったことじゃねぇよ。俺たちは産まれた時から好きに生きられる自由を持つんだ。頭抑えられて窮屈に生きるよりか、好きなこと好き放題やって生きる方が愉しいに決まってる」


 その横暴極まりない考えに、たまらずルカも反論した。


「法は生きることを束縛するものじゃない‼ 人の尊厳を律するために必要な機構よ‼ それをないがしろにされたら、待ち受けているのは略奪と戦争の絶えない地獄だわ!」


 必死に訴える彼女の言葉。しかし、バロルは歪んだ笑みのまま、蔑んだような視線を彼女に向けるだけだった。


「いいじゃねぇか、弱肉強食。強いヤツだけが自由に生きて、弱いヤツは食い物にされる、善も悪も存在しない空間。まさに俺にとっての理想郷だ。憧れるね」


 というか、と。彼はルカを見下したまま、鼻で笑った。


「『人間の尊厳』だと? 笑わせんな。テメェらは人間じゃなくて、人間に似た姿の畜生だろうが。いっちょ前に俺たち人間様を語ってんじゃねぇぞ?」


 もう、聞いていることすら堪えられなかった。


『不愉快此処に極まれり、だな。よもや此処までの外道を王として召喚したとは、どうやら敵の召喚主も碌でもない奴と見た。……癪に障る、笑うに笑えん』


 あのシャルベリアですら、ここまでの顛末を聞いてその感想を抱くほど。


 バロルは、真正の外道だった。


 このような人間をそのままにしていてはならない。彼が王となった暁には、屍山血河の地獄が約束される。


 それだけは、絶対に阻止しなければ。


「……もういいか」


 今まで彼らの問答を静観していたテイラーが、諦観に似た感情で口を開く。


「貴様の口から懺悔の言葉は出てこなかった。それでもう十分だ。貴様の頸は、ラティスへの手向けとさせてもらう」


 テイラーの怒りに呼応するように、『影より出ず(エテウス・)る守護人形(パーシリオ)』が両腕の刃を勢いよく振り下ろす。一瞬だけ胸の前で交差したそれは、耳を劈く音と共に火花を散らした。


 だが、それでもバロルの余裕は崩れない。


「そう急ぐなよ、兄弟。今日はほんの挨拶だ。本気でやるつもりは更々無ェ」


「逃げる気か?」


「気分が乗らねぇだけさ。ようやく出逢えた本気で殺し合える相手、その戦いをこんな息苦しい穴蔵で終わらせたくはないんでね」


「そうか。だが、こちらは今すぐにでも貴様を殺したくてしょうがない。……逃げられると思うなよ?」


「そうだ、もう局面でお前に逃げ道は残されていない! 諦めるんだ!」


 シグマの言う通り、バロルの逃走経路はどう見渡しても存在しない。


 前は二人の継承者とそれに並ぶ実力のルカが塞いでおり、後方は開けているも先は長い。突撃すれば間違いなく返り討ちにされるだろうし、かといって背を向けて逃げに走っても、並の速度ではシグマとルカに容易く追いつかれる。


 前後左右、逃げ場は無し。すでに盤石は、バロルの詰みとなっていると言えよう。


 だというのに、


「いいや、逃げるさ。そのための布石ならもう打ってある」


 彼は儀式剣を装着した腕を胸の高さまで掲げる。それが何か攻撃の事前動作と判断して、シグマとテイラーは構えに入る。


 視界を凝らす。バロルの力は糸を操る能力だ。その糸刃は剣の刃より捉えることは難儀するが、絶対に目視できないというわけではない。


 数の利はシグマ側に分がある。一方が糸刃を受け止め、捌き切れば、その間にもう一方がバロルを屠りに行くということも可能になる。


 実際、二人は言葉こそ交わしていないものの、同じようなことを考えていた。


 だが、


「テメェら、俺の能力が糸を操れること『だけ』なんて単純なものだと思ったか?」


 その言葉の真意を理解するより迅く―――バロルは掲げた手を握りしめた。

 


途端、通路が大きく揺れ、そのあちこちに亀裂が入る―――!

 


「何ッ⁉」


 地震でも起こったのかと思った。盛大な振動によって生まれた小さな亀裂は、やがて大きなものへと繋がり、その裂け目から砂塵の雨を降らしていく。


 ただでさえ先ほどの戦闘でボロボロとなっていた通路にこのような影響が及べば、やがて全体が崩落することとなる。


 砂塵がやがて瓦礫の雨となるのに、時間はそうかからないだろう。


「選べ。ここから逃げるか、それとも仲よく生き埋めになるか」


 砂塵の紗膜の向こう側で、余裕ぶったバロルの声が聞こえる。


 一息の間もあれば、近づけるほどの距離。だが、その選択は選べない。


 この通路の確実な出口はシグマたちが開けた入口だけ。そこまで撤退するには、おそらく普通の速度では間に合わない。先に通路の方が崩落するだろう。


 だからこそ、シグマに残された選択肢は一つしかない。


「っ!」


 数ある触腕のいくつかを、テイラーやルカ、イオリアに巻き付ける。……あわよくばとバロルにも試したが、案の定弾かれた。


 その突然の行動に、触腕を巻きつけられた連中の誰もが困惑の表情を浮かべる。


「ちょっと、どうするつもり⁉」


「ここから離脱する!」


 総数三人と『α』の人数を抱え、かつ迅速にこの場からの離脱ができるのは、全員の能力を鑑みてもシグマにしか成し得ない。


「シャルベリア! 可能な限りでいい、退却の邪魔になりそうな瓦礫を退けていってくれ!」


『敵前逃亡は癪だが……致し方なし。心得た』


 着々と撤退の用意を整えていくシグマ。


 その必死さが表している緊迫したこの場面で、バロルだけは平常であり続けた。


「そうだ、兄弟。お前たちの名前を教えてくれよ」


 一瞬だけ、時間が停滞したかのようだった。


 その緩やかな空間の中で、継承者たちの敵意が砂塵の紗膜越しに衝突する。


「……シレーニェ王位継承者、テイラー・エルバトリオ」


「リューズビーリア王位継承者、シグマ」


 二人の名前を受け取り、バロルは満足そうに手を叩く。


「オーケー、俺はウプイーリのバロル・スティングレイって言うんだ。よろしくな☆」


 それぞれの名を、彼らは魂の奥底にまで刻み付ける。


 因縁づけられた宿敵。もはや和解はありえないその存在を忘れることがないように。


「それじゃ今回の宴はこれにて閉幕だ」


 崩落が激しさを増している。これ以上この場に止まっていては、生き埋めになることは避けられない。


「行くよ、全員歯を食い縛ってて!」


 間に合うかどうかの瀬戸際に焦りを隠せないまま、シグマは残った触腕を全稼働してその場から撤退する。


 凄まじい速度で遠ざかっていくその後姿。それを見届けながら、バロルは足元に何か結晶のようなものを落とす。


 砕け散ったそれは、その瞬間に青く発光し、自動的に魔法陣の紋様を紡ぎあげた。


 すると彼の身体が幻のように揺らめき、やがて空間に溶けるように、足元の紋様と揃って消失した。


「また会える日を楽しみに待ってるぜ。アディオス」


 消える直前に吐かれた別れの言葉。


 それはかろうじてシグマたちへ聞き届けられた。


 出口はもう近く、このままいけば間に合うことだろう。


 だというのに、彼らの表情に安堵や喜びと言った感情は無い。



 代わりにあるのは、憤怒や屈辱、そして悔恨に染まった、悲痛の色だけだった。



         ◆◆◆◆◆



 その後、シレーニェの第一王女ラティス・パーシリオ・アシュタルナが殺害されたという情報は、瞬く間に兵士たちに伝わった。


 彼女の失くした身体を捜索したところ、それは思いの他、早く見つかった。


 第一発見者である従者によると、城の横手にある小道を通った際に、様々な体液の入り混じった異臭がしたらしい。


 そして、ようやく見つかった首のない遺体。




 それは駆け付けた誰もが言葉を忘れてしまうほど、筆舌に尽くし難い凌辱の跡が残っていたという―――




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