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手折られた華

 それは唐突で、あまりにも激しい崩落だった。


「―――っ⁉」


 誰もがその異変を感じ取り、何事かと警戒態勢に入る。


 先の方を見通すも、遠方は光を失い何も見えない。おそらく崩落の衝撃で灯りの光球が消えてしまったのだろう。


「……イオリア、この避難経路に敵を生き埋めにする術式は施されていたのかしら?」


「いいえ、少なくとも私は聞いたこともありません」


「なら、これは……」


 突発的な事故か。あるいは人為的なものか。


 答えはすぐに判明する。


「レディースアンドジェントルメン。ようこそ地下の楽園へ。即席の舞台で申し訳ねぇが、愉しんでいってくれ」


 暗闇の通路から、軽快なリズムを刻む足音と、ひどく愉快でたまらないといった男の声が聞こえる。


 なんて怖気の走る声色。まるで全身を舐め回されているかのような気色の悪さ。


 ルカは思わず腰挿しの剣に、手を伸ばす。


 しかし、その前に。


「姫様方、どうかお下がりください‼」


 調査員たちがルカとイオリアを庇うようにして前へと出る。総数は六人。


「何者だ貴様!」


 鉄剣の切先を向けて、怒鳴るように問いかける。しかし相手は返事をしないどころか、その歩みすら止めようとはしなかった。


 それを敵性と認識するには十分で、兵士たちは暗闇の人物に処罰を下すべく、我先にと躍り出る。


 一応、調査員の任に就いてはいるが、彼らとて屈強な兵士であることに変わりはない。それが六人とも一斉に出撃すれば、大抵の事態は制圧できることだろう。



 だから問題は。


 その大抵の事態の中に、現状が入っていなかったということだ。



「うるせぇ」


 ただ一言、暗闇の男は呟いただけだった。


 だというのに、立ち向かっていった六人の兵士全てが、全身をバラバラに切断される。


「な……っ⁉」


 さしものルカも、目の前の事態に驚愕を隠せない。


 解体された兵士だったモノの成れの果ては、零れ溢れた血潮と共に地面へ落下する。積み上がる肉片の山と流れて通路を紅く汚す血液の河。交り合ってしまったそれらは、もはやどれが誰のものかなど判別がつかない。


 その残骸を、赤みを帯びた黒のブーツが踏み潰す。


「よく考えりゃ、男に用はねぇんだった。この俺としたことが、目の前の獲物に気ぃ取られて失態を犯すとは、反省反省☆」


 人をあれだけ惨殺していながら、男の声色には微塵も揺らぎが無い。否、むしろ昂ってさえいる。


「……ぅぷ」


 イオリアは目の間の惨状を目にして、必死にこみ上げるものを堪えていた。それでも、視線だけは通路の先を見据えたまま、逸らさない。


 なぜか、嫌な予感がする。


 いや、現時点でもすでに最悪であるのだが……それ以上の悲劇が起こると、彼女の本能が叫んでいる。


 何だ、何だ、何だ?


 なぜこの緊迫した場面において。なぜ危険な敵を目の前にして。


 なぜ、こうも身近な人物の存在を感じてしまうのか。


「貴様! いったい何処の人間だ! 名を名乗れ!」


 躊躇いも無く抜剣したルカは、その切先を突きつけて、再度男の素性を問う。


 すると今度は返答があった。


「レディの頼みとあらば無下にするわけにもいかねぇな。良いぜ、名乗ってやるよ。その畜生耳の穴かっぽじってよく聞いときな」


 暗闇の時間が終わる。男の全身が灯りの下に曝け出でる。


 ―――ソレを見て、二人は瞠目した。


 ツーブロックに整えられた茶髪に、黄色みの強い黒眼。上半身には何も纏っておらず、だからこそ細身でありながら筋肉質なその身体の在り方はありありと目に映る。そしてここに来るまでに着ていたであろう上着は、腰のあたりで袖を結ぶようにして留めてあった。


 それら全てに、赤い色の汚れが付着している。ブーツの色に至っては、浴び過ぎた血が酸化したものだった。


 その屍人のような格好の男は、自らの正体を躊躇なく口にする。


「―――ウプイーリ()()()()()、バロル・スティングレイ」


 他国の、それも新たなる王位継承者。


 バロルと名乗った彼は、その口元を残忍に歪めて二人を見た。


「喜べ。次期王として君臨する俺さまが、直々にテメェらを味わってやる」


 気持ちの悪い振る舞いように、心底人を見下した物言い。


 けれど、イオリアはおろかルカまでもが、その傍若無人ぶりを前にして硬直したままだった。


 まるで思考の全てが消去されたかのよう。感情が空白となってしまったのには理由がある。


 二人の視線はバロルの左手に集中していた。彼が持っているソレから目を離せないでいた。


 ―――何だ、あれは。


 初めはボールの類だと思っていた。だが、それにしては形がおかしい。


 そもそも、ボールにライトブルーの頭髪は生えはしない。


 ―――何で、それを。


 バロルが鷲摑みしているそれは濡れているようだった。ポタリ、ポタリと水滴が滴っている。


 落ちた水滴は、地面を紅く染めていく。


 ―――なんで、どうして……


 バロルが近づいてくるごとに、その正体がはっきりとしてくる。


 ―――どうして、どうして。


 見覚えのある顔だった。よく知っている者のものだった。


 ―――どうして……ああ……


 快活で、明るくて、だからこそ誰もが彼女が好きだった。


 ―――ああ……ああ……!


 だからこそ、目の前の光景が受け入れられない。


 ソレを見た衝撃に身を縛られたまま。


 思考が真白で埋め尽くされる。


 心が音を上げて割れていく。


 息を忘れそうになる。


 視界が明暗する。


 感情の平坦化。


 声も出ない。


 呆然と。


 嗚呼。


 嗚呼。


 嗚呼。


 ―――自分が壊れていく。


 一方、バロルは硬直した二人に怪訝な表情をするも、すぐに原因に気がつき、やはり先程と同じように嗤う。


 嗜虐に満ちた、悪魔の笑みを。


「これか? 欲しけりゃくれてやるよ」


 そういって彼は、持っていたソレをイオリアの方に放った。


 重い音を上げて落下し、地面を転がったソレは、彼女の足の爪先に当たり動きを止める。


 下を見れば、ソレと、目が合った。


 ソレは、美しい少女のものであり。


 ソレは、シレーニェの王女のものであり。


 ソレは、アシュタリアの愛娘のものであり。


 ソレは、テイラーの相棒のものであり。


 ソレは、ルカの師匠のものであり。


 ソレは、イオリアの姉のものであり。


 ソレは、ソレは、ソレは。




 ―――それは、紛うことなくラティスの頭部だった。

 




「あ、ああ、あぁ……」


 嗚咽にも似た声を漏らして、イオリアは震えながら足元の頭部に触れる。


 あまりにも冷たい、無機質な温度。


 かつて生きていたはずの温もりは、もはや欠片も存在しない。


 目の合った双眸は虚ろなまま、如何なる感情も色も映してはおらず。


 ただ、身体を失くした状態で、沈黙し続けるだけ―――


「いやあああぁぁあああぁぁァぁあぁぁあアァアアァアあぁぁぁあアァアぁアアァあぁぁあアアァアアァあぁぁぁあアァアアァアあぁぁああぁぁぁァあぁぁぁぁぁあぁぁぁあアアァアアァあああぁぁァアァアあぁぁぁああぁぁあアあぁぁあああぁアアァアアァあぁぁぁぁぁぁァ‼」


 割れた悲鳴が爆発する。


 イオリアはその亡骸を抱きかかえて、涙を流し絶叫した。


 間違いなく喉を引き裂いているであろうその声は、絶望し心が圧し折られていく音でもあり、正常な人間の精神を掻き回すようなものだった。


「いいね。やっぱりこの手の悲鳴は、聞いていて心地が良い」


 彼女の悲鳴が通路に反響し続ける中、元凶のバロルだけが恍惚の表情を浮かべる。


 その、命を奪っておきながら物ともしない表情に、微塵も反省の色を見せないふざけた態度に、地獄のような現状を甘美と受け止める感性に。


 今まで空白となっていたルカの思考を、カッと怒りの焔が埋め尽くした。


「貴様ァ!」


 彼女の腕に装着された魔術兵装『火炎を纏う緋色の腕輪』が煌き、全身から赫々と燃え盛る炎が噴き出でる。


 彼女の激情を体現した灼熱の劫火。それを前にして、なおもバロルの笑みは崩れない。


「強気な女は嫌いじゃない。屈服させがいがある」


 その黒眼が細められ、炎の中にいる彼女を見る。より正確には、彼女の肢体を観察している。


「俺はハードなことが好きなんだがな、如何せん刺激が強すぎてそこいらの女じゃすぐに壊れちまう。その点、お前は頑丈で長持ちしそうだ」


 飄々と軽口を叩きながら舌なめずりをする彼に、ルカの口から怨嗟の声が漏れる。


「殺してやる……!」


「情熱的じゃねぇか。合格だ、百点満点をくれてやるよ」


 もはや、躊躇う必要など無かった。


 剣の柄を軋むほどに握りしめ、ルカは雄叫びを上げて突撃する。


 初めの踏み込みは石レンガを深々と砕くほど勢い良く、それが彼女の突撃の勢いを後押しする要因となる。


 おそらくそれは、目にも留まらぬ速度となるだろう。


 但し、何も妨害が無ければ、の話だが。


「……ッ⁉」


 止まった。いや、止められた。


 それは異様な光景だった。ルカは剣を振りかざした突撃の格好のまま、まるで一時停止のボタンを押されたかのようにその場で止まっている。


 それも、宙に浮いた状態で。


「本当ならさっきみたいにバラバラにもできたんだがな。せっかくの上物、早々に壊しちゃもったいねぇ」


 瞬間、全身の至るところに絡みつくような存在を感知する。かろうじて動く眼球だけで周囲を見渡せば、視界の所々にそれは張り巡らされていた。


 ―――細く伸びた、蜘蛛のような糸。


 手を払えば簡単に振りほどけそうな太さのそれは、見た目とは裏腹にひどく強固で、ルカの膂力を以てしても千切れず、手足を動かすことすら叶わない。


 このような逸脱した理法を操れるのは、間違いなく魔力兵装に寄るものだ。そして、先ほどバロルは自らこう名乗った。


 王位継承者である、と。


 であれば、この力の正体はおのずとわかる。


「儀式剣か!」


「大正解☆」


 するとバロルは見せつけるように右腕を掲げた。その手には、禍々しいデザインの手甲が装着されている。


「これが俺さまの儀式剣、『裏界に廻る(サルフィート)禍条の糸刃(・カルノリア)』だ。御覧の通り、ただの糸を操るだけの単純なものだよ」


 そうは言うが、あのルカを無力化することに成功している時点で、これはかなりの脅威だ。


 先程、バロルが兵士たちを惨殺した時も、この糸に寄るものだろう。あれは見えない力によって起こされたのではなく、張り詰められた糸の群れに突進したことで、その全身を引き裂かれたのだ。


 細く強固な糸が張り詰められれば、それは鋭利な刃物と化す。


 さらに、あくまでも糸刃であるが故にできることも。


「よく視りゃわかると思うが、もうこの通路は俺の巣になった。無闇に逃げようと思えば絡め取るぜ」


 拘束しているルカにではなく、その背後で今もラティスの遺骸を抱いて泣いているイオリアに向けられた言葉。


 実際、通路の中には無数の糸が交差するように張り巡らされており、無事だった灯りの光を受けて煌いている。


 この中を脱出しようとするのは容易ではない。ましてすぐ近くに追手がいる状況で逃げるなど到底不可能だ。


 つまりここは、彼の宣言通り巣窟である。そこで捕らえられた者が辿る末路など、一つしかない。


「ぅグッ⁉」


 バロルが手甲を動かすと、連動するようにルカを縛る糸がのたうち、彼女の両腕を拘束して吊り下げる形にした。


「そんじゃショウを始めようか。良い声で鳴いてくれ」


 巣の主による一方的で圧倒的な略奪。


 絡め取られた彼女には、ろくな抵抗も許されず。


 獲物を前にして卑しく舌なめずりをする彼の目は、餓えた獣のようにぎらついていた。


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