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戦うための力

 パチパチと、洞窟内を照らす薪の灯りが小気味のいい音を立てる。


 ハウルとシグマは、洞窟内の火を挟むようにして座っていた。


 すでに空腹だった状態は脱しており、今はもう目の前で揺らめく炎を眺めることしかやることがない。


 炎を眺めるハウルの目は穏やかだ。見惚れていると言ってもいいかもしれない。そんな様子のハウルをちらりと盗み見しながら、シグマはまた新しい薪を火にくべる。炎は新しい薪を食むように、その表面を段々と焦がしていった。


 この炎も、目の前の彼女が生み出した。


 というのも、倒れた木からいくつも果実を収穫し洞窟へ戻った後、すぐに日は暮れ辺りはすっかり真っ暗闇になってしまった。


 当然、洞窟内も僅かな陽の光すら失い、互いの顔が見えなくなるほどにまで暗くなる。さすがにここまで暗いと、精神的不安が加速し、心を擦り減らしてしまうおそれがあった。


 そこでどうにか灯りを作ろうと言った話になり、火を使うことにした。


 だが、火を使うことを決定しても、その火種を生み出す方法をシグマは持ち合わせていない。よくキャンプなどで行う、木の板に棒を突き立て擦ることでできる摩擦熱によって火種を作る方法があるが、あれは見た目とは裏腹にそこまで容易なものではない。他にも道具を用意して、それで補助をして初めてできる芸当である。


 だがここにそんな道具など無いし、そもそも木の棒を突き立てられそうな板も無い。


 立ち行かない事態にシグマが頭を悩ませていると、


「小さいのでいいなら作れるよ」


 そう、ハウルが言ってきたのだ。


 そこでシグマは洞窟内にあった小さな瓦礫で円を作り、その中心に森で集めた大小様々な木の枝を組むように積み、適当に落ち葉をまぶしておいた。


 すると、ハウルはまたどこからか古びた本を取り出して、小さく何かを唱える。途端、その本が独りでに浮き上がり、勢いよくページを捲ったかと思えば、開いたページに書かれていた文字が赤く発光し始めたのだ。


「『刹那の灯火(マリンキアー・ゴイン)』」


 ハウルがそう、小さく呟いた途端―――組んだ木の枝の中心に、小さな火の玉が生まれた。


 それは初め、ビー玉のような大きさだった。だが、周囲に自分を膨らませる燃料があるとわかると、瞬く間に落ち葉や木の枝に纏わりつく。


 そして、生み出された小火が今の大きさになるのに、そう時間はかからなかった。


 と、数分前のことを思い出していると、またパチパチと火が小さく弾ける。シグマはその催促に応えるように木の枝を火へくべた。


 木の枝が火に焦がされていくのを眺める……ふりをして、もう一度シグマはハウルを盗み見た。相変わらず、彼女は満足そうに揺れる炎を眺めている。


 彼女には、まだまだ訊き足りないことがたくさんある。先程使っていた古本のこと、魔物を撃退したり自分を救ってくれたりした不思議な術のこと、彼女自身の境遇のことなど、それこそ挙げていけばキリがない。


 今、シグマもハウルも手持無沙汰であることは変わらない。


 訊くなら今しかないと、シグマはそう思った。


「ねぇ、ハウル」


「……んー?」


 ハウルは炎を眺めていた表情のまま、彼の方を向いた。その瞳は蕩けるように穏やかで、それを燃える炎の灯りが照らし何とも言えない妖艶さを醸し出している。


 シグマは不覚にも、そのしぐさだけでドキリとさせられた。


「あれ、どうしたの? なんだか顔が赤いよ?」


「ご、ごめん、それはなんでもないから大丈夫。……ただ、ちょっと訊きたいことがあるんだ」


「訊きたいこと?」


「うん。その、たとえば……」


 疑問点が多すぎたせいで、なにを優先して訊くべきか判断が追いつかない。


 するとハウルは何かを思い出したかの様に「あっ」と声を上げた。


「そういえば、その説明の途中でそれどころじゃなくなったんだったね」


 たしかに森の中でハウルからこの世界やその仕組みについて説明を受けていた時、その途中であの魔物たちが乱入してきて説明は中断された。シグマはその時のことを思い出し、同時に説明されるはずだったが中断された部分も思い出す。


「えっと、たしか『参戦する継承者には何か資格が必要なのか』だったっけ?」


「うん、そして正確には『その資格は国の方に存在する』……ここまで言って終わったんだよね」


 そういえばそうだったと、シグマは当時の状況をより鮮明に思い出す。そしてこの後に魔物が放った火炎弾が飛来してきて説明どころではなくなったのだ。


 だが、もうあの二人は追い払った。これで誰の邪魔もなく説明を続けることができる。


「それじゃあハウル先生、改めてご教授お願いします」


「えへへ、なんだかそう言われると照れちゃうな。

 よし、じゃあ熱心な生徒シグマくんに、このハウル先生が教えてあげます」


 先生と言われ機嫌を良くしたハウルは、えへんと胸を張ってそう宣言した。


 が、シグマにはそのしぐさが大人の真似をしようとする子供に見えて、笑いを堪えるのが大変だった。


 しかし当の本人はそのことに気づいておらず、そのまま説明を開始した。


「さて、それじゃあ本題に入るね。この王位継承戦に参戦するためにはそれぞれの国にある資格が必要になるんだけど、その資格というのが『儀式剣』を所有していることなんだ」


「『儀式剣』?」


「うん。……えっと、なんて説明すればいいかな、その、うーん……」


 どう説明すればいいか考えこむハウル。すると彼女は洞窟の奥に置いていた二人の荷物の中から、厳重に布で包んでいた謎の塊を持ってくる。


「これは見せた方が早いかな。……ただシグマ、私は今からこの布を解くけど、絶対に中の物に触らないでね。一応契約をしていないから大丈夫だと思うけど、万が一ってこともあるから」


「……? よくわからないけど、触らなければいいんだね?」


 シグマの了解を確認すると、ハウルはゆっくりとその布を解いていく。何重にも巻かれたそれは、布がスルスルと解かれるとともに、段々とその姿を現して―――


「わぁ……」


 彼の口から思わず感嘆の息が漏れる。


 布の中にあったのは、鞘に納められた短剣だった。長さ約六〇センチくらいのそれは、純白で統一されており、装飾らしい装飾が一切ない。だが、それ故にその白色の輝きを限界まで引き上げていた。


 こんな芸術品、専門家でもないシグマでもその美事さを感じ取れる。


「これが儀式剣。各国が王位継承戦に参戦するために必要となる資格であり、シグマたち王位継承者が戦うために使う武器でもあるんだよ」


 その説明には、どうしても聞き流してはいけないものが入っていた。


「これで、僕が、戦う……?」


「うん。この儀式剣はね、かつて王位継承戦を定めた王族たちが、異世界より召喚された継承者たちに力を授けるために創りだしたものなの。

 その、こう言っちゃ悪いけど、シグマたち王位継承者は召喚されたときは私たちよりも弱いことが多いの。だから、その力の差を埋めるためにこの儀式剣は作られたんだ」


「待て、待ってくれ。じゃあ、この儀式剣を使えば、僕らもハウルみたいに魔法が使えるのか?」


「それが魔法かどうかはわからないけどね。儀式剣の力は各国で千差万別だし。

 でも、確実に私よりも強くなると思うよ」


 それは、その答えは、この世界に来て幾度となく無力を体感させられた自分が、なによりも求めていたものではなかったか。


 シグマはもう一度、ハウルの抱えている短剣を見つめる。一見しただけではただ美しいだけの代物だが、彼女の説明を聞いてから改めて見てみれば、自分の心を虜にしてしまうような魅惑を纏っていた。


 ―――これを使えば、今度こそ……


 すると、今までにない大きさで火中の薪が弾ける。その音でようやくシグマは我に返り、軽く頭を振って雑念を払った。


 ハウルは触るなと言った。だからその言いつけを守らなければならない。


 それに、まだ訊きたいことは他にもある。


「じゃあハウル、さっき君が使っていたあのオダーフなんとかって魔法や、君の周りに浮いていた変な本はなんなんだ? というか、この世界には魔法も常識として浸透しているのか?」


「えーと、とりあえず順序立てて説明するために、後者から答えるね。

 ちなみにその答えはその通り。この世界では魔法……というより魔術は一般的にも知られていて、知らない人なんてそれこそいないほど根深く浸透しているし、恩恵も受けてる。私が今、こうやってシグマと話せているのも魔術のおかげなんだよ」


「え、どういうこと?」


「かつて王位継承戦を企画した魔術師はね、異世界からやってくる継承者との交流を円滑にするためにこの世界を覆うような巨大魔術を造ったんだ。それは相違言語の疎通を計るために造られたもので、今ではこの世界の一機構として成り立っているの。この魔術が機能しているから、私とシグマは違う言語でもちゃんと意味を理解して会話できるんだ」


 それを聞いて、シグマはたしかにと納得する一方で、同時に感心していた。


 たしかにこの世界が元いた世界と違うなら、当然言語という文化も変わってくるはずだ。元いた世界でも、国によって多種多様の言語が存在していたのだから。


 だが、この世界は言語の壁をはるか昔から超えていた。こうして異界のシグマと元からいるハウルが意思疎通を行えていることが何よりの証拠である。


 そんな偉業を成し得る魔術があるなら、あるいは自分の世界よりも高度な文明をこの世界は築き上げているのかとシグマは考える。が、


「前に本で見たけどね、この世界とシグマたちとの世界の大きな違いは、過程の違いでしかないって書かれてたよ。どちらの世界もより卓越した社会を作るために、この世界は魔術を発展させる方法を選んで、シグマたちの世界は科学を発展させる方法を選んだ。だから私たちは魔術には詳しいけど科学には疎い。シグマがその逆のようにね」


「なるほど……。でも魔術による発展か。僕からしてみればそっちの方がすごく感じるけど、それは僕が科学の世界に慣れ親しんでるってことが影響してるんだろうね」


「そうだと思うよ。私はシグマの世界を直に見たことが無いから何とも言えないけど、行ったらきっと同じような感想を口にするだろうね」


「そっか。でもそれならいつか君に僕らの世界を見せてあげたいな。きっといろいろと驚いて反応が面白そうだ」


 シグマとしては軽い冗談だったつもりなのだったが、なぜかハウルは気まずそうに眼を伏せる。


 が、それも一瞬のことで、すぐにまた明るい顔に戻って説明を続けた。


「それじゃあ講義に戻るよ。次はたしか……私の魔術についてだっけ?」


 シグマは頷く。


「わかった、じゃあまず私の魔術(ボルシェグネ)兵装(・ルージェン)を見せるね」


 そう言うと、ハウルはいつの間にかまた包帯でぐるぐる巻きにした短剣を元あった場所に持っていき、今度は何も持たずに帰ってきた。


「あれ、何も持ってないけど、どうしたの?」


「大丈夫、私の魔術兵装は、普段は見えないところに置いているだけなんだ。でも私が念じたら、ちゃんと出てくるんだよ。まあ見てて」


 すると彼女は手のひらを上に向ける。ただそれだけで、何もない空間から染み出るように一冊の古びた本が出現した。


「森の中でいつの間に持ってたんだと思ってたら、そういうことだったのか……」


 思い返せば、ハウルは魔法を使うときにいつもこの古びた本を持っていた。だが彼女の懐に収納できるサイズではないため、いつもどこに持っているのか疑問であったが、ようやく解決した。


「これは『摂理を統べる(ボルシェグネ)魔導の書(クニーガ)』って言うんだけど、この中にはたくさんの術式……えっと、要は魔術を使うための基盤が書かれていて、必要に応じていつでも使えるんだ」


「なるほど。でもそんなものに術式を書かなくても、普通に魔術を使うことはできないのか?」


「いいところに気づきましたシグマくん。実はね、この本が無くても魔術自体は使えるんだよ」


「……それじゃあますますその本の存在意義がわからないな。それを経由することで威力が上がるとか?」


「残念ながら威力は変わらないかな。でもその代わり、魔術を簡単に起動できるようになるのが、この本のすごいところなの」


「それってすごいことなのか?」


「うん、とても重要なことだよ。じゃあここでシグマに問題です! 魔術を使うのに最も重要なのは何でしょうか?」


 そう言われ、シグマは考え込む。そもそもまだ魔術に関しての本格的な説明を受けていないため、その魔術というものがよく理解できていない。そこで、シグマは自分たちの世界のフィクションなどに出てくる魔術で考えることにした。


 だがフィクションとは言っても、作品によって魔術の定義や設定は様々だ。そんな千差万別の魔術の有り方で、最も共通していることと言えば―――


「魔力、かな?」


「え、なんでわかったの⁉」


 彼としては当てずっぽうで行ったのだが、どうやら偶然正解していたらしい。ハウルがとても驚いた顔をしている。


「すごいなぁ、シグマってもしかしてもう魔力のこと知ってたりする?」


「いや、さっきのはたまたまなんだ。知っているのも名前だけで、この世界の魔力がどうなのかはまだ知らない。だからそこから教えてもらえると助かるんだけど……」


「っ! わかった、じゃあ教えてあげるね!」


 シグマがわからないと言った途端に目を輝かせるハウル。もしかして彼女は先生役が案外楽しかったりするのかな、とシグマはそう思い微笑ましい気持ちになる。


 が、そんな彼の心情などいざ知らず、ハウルはまた胸を張って説明を始めた。


「シグマの言った魔力っていうのはね、魔術を作る材料のようなものなの。この魔力が無ければ魔術は成り立たないほど、重要なものなんだよ。

 でも、魔力がたくさんあったとしても、それだけじゃ魔術は使えない。ちゃんと使えるようにするには、ある手順を踏まないといけないんだ」


「手順?」


「そう。その手順っていうのが『詠唱』って呼ばれる工程のことだよ。これは貯めた魔力を使いたいこと、つまりは魔術の形に紡ぎあげることなんだけど、それには基本的に言霊が必要になるの」


「詠唱で言霊って言うと、呪文とかそういうの?」


「まさしくその通り。具体的には言霊で魔力を動かして、術式を紡いで魔術を織りなす。これが魔術を使うための一連の動作なんだ。

 でもね、魔術っていうのは攻撃だったり防御だったり、それこそ戦闘の中で使われたりもするけど、もし敵が目の前にいるときに魔術を使おうとしたらどうなると思う?」


「……その詠唱が必要な工程だっていうなら、それは間違いなく隙になるね。相手が剣や槍みたいな武器を持ってたら致命的だ」


「そう、戦闘中の詠唱はあまりにも無防備だから、その隙を相手に狙われたんじゃ反撃できない。

 そこで、そういった隙を作らないように、事前に『詠唱破棄』って方法で備えるんだ」


「詠唱は必要な工程なのに、それを破棄することができるのか?」


「正確には破棄というより端折りなんだけどね。これは紡いだ術式を何か別の物に転写しておいて、それに魔力を流せばいつでも魔術が使えるようになる状態にするの。そういった術式を転写した道具のことを魔術兵装って言うんだけど、その内の一つがこの『摂理を統べる(ボルシェグネ)魔導の書(・クニーガ)』なんだ」


「なるほど。『詠唱破棄』っていうのはあらかじめ弾丸を装填しておくことで、魔術礼装っていうのはその弾丸を装填する銃みたいなものなんだね」


「? そのジュウっていうのはよくわからないけど、装填っていうのは合ってるかな」


 シグマはフムフムと頷く。彼女の説明のおかげで、ひとまず魔術のことに関してはある程度理解できた。


 森や洞窟の中で見たあの魔術は、この世界の法則によって作られた技だった。ならば、この世界に来た自分も練習、あるいは魔術礼装を使えば魔術を使えるようになるのではとシグマは考える。


 と、彼がハウルの使っていた魔術を思い出しているときに、果実を取るために魔術を使っていたハウルの様子を思い出す。あのときの彼女はなぜか苦しそうに耐えながら、必死の様子で魔術を使っていた。


「ハウル、魔術を使うときに副作用っていうのはあるの? さっき木の実を取ろうとした時、君はかなりツラそうに見えたけど」


「ああ、あれはね、単純に魔力切れを起こしそうになったんだ。その前の戦いでもけっこう使ってたしね」


「魔力切れって使える魔力が無くなりかけたってこと? というか、そもそも魔力って何なんだ?」


「そういえば魔力に関しては説明してなかったね。

 えっと、魔力っていうのはこの世界の命の源のようなもので、私たちが魔術を使うときはその力を材料にしているの。だから使いすぎると命を動かすための魔力が無くなって、死んでしまうんだ」


「ま、待ってくれ。それじゃあ、さっきのハウルは死にかけていたってことなのか⁉」


「ううん、基本的には魔力が無くなる前に本能が使うのを止めさせるから、なにか自己暗示なんかを掛けてリミッターを外さない限りは死ぬまでいかないよ。さっきもちゃんと調節はしていたから、別に死にかけていたわけじゃないんだ。ただ今までにないほどすごい勢いで魔力を放出したから、かなり疲労してしまったけどね」


「そっか、死にかけていたわけじゃないんだな。よかった……。

 でも大丈夫なのか? いくら死ぬまではいかないとしても、今日だけでかなり魔力を使ったんだよね?」


「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。魔力っていうのはしばらくしたら自然と充填されていくから、休憩したら自然と楽になるの。一番早く回復するためには睡眠をとるのが良いんだけど、今みたいにあんまり動かなければかなり回復できるんだ」


 そういうハウルの顔には、たしかにツラそうな色は見えない。どうやら本当に無理はしていないようだった。その事実にシグマは心から安堵する。


「これで魔術に関する説明は終わりかな。じゃあ質問はありますかシグマくん?」


「はい、ハウル先生。僕が魔術を使うためにはどんな練習をすればいいですか?」


 するとハウルは困惑した表情を浮かべる。


「うーん、率直に言うと、シグマに魔術は使えないよ」


「え、そうなの? じゃあその魔術兵装ってやつを使えば……」


「それも難しいかな。そもそもね、シグマたち継承者の世界の人たちには魔力が存在しないの」


「……え、それってつまり、僕は生きていないってこと⁉」


「あ、いや、そういうわけじゃなくて……えっと、簡単に言えばシグマと私じゃ命の源としている材料が違っているの。私は魔力を糧として生きているけど、シグマは魔力とは違う別の何かを糧にしているだけだから、シグマが死んでいるってわけじゃないよ。

 ただ、シグマたちが使っているのは魔力じゃないから、魔力を燃料とする魔術や魔術兵装は使えない。たとえどれだけ練習したとしても、基となる力が違っているから習得するのはできないんだ」


「そっか……」


 ハウルに気づかれないよう、静かに内心で落胆する。


 たしかに、そもそもシグマが魔術を使えれば、必然的に元の世界も魔術を使える者で溢れて、あちらこちらで魔術を見ることになっているはずなのだ。


 でも、元の世界とこの世界は仕組みも法則も違う。やり方がわからないだけならともかく、そもそも必要不可欠なものを持ち合わせていない時点でどうすることもできない。


 と、暗くなる心を紛らわすため、また火の中に薪を投げ入れたシグマに、


「でもね、シグマが魔力を得ることのできる方法があるんだ」


 ハウルがそう言ってきた。


「ホントに⁉」


 身を乗り出して訊き返すシグマ。その反応が予想外だったのか、若干面食らいながらもハウルは説明する。


「え、えっとね、『契約』っていう儀式を行えば、シグマも自由に魔力を生み出すことができるようになるよ」


「契約?」


「そう。そもそもこの『契約』の儀はね、王位継承者が儀式剣を使うために必要な魔力を与えるために確立したものなの。この儀式は行うことによって、主従の契約を結ぶことになるんだ」


「主従の契約と言うと……王と騎士みたいな関係になるってこと?」


「合ってるようで少し惜しいかな。実際は悪魔との契約っていう方が近いかもしれない」


「……なんかその一言ですごく物騒な儀式に思えてきたんだけど……。悪魔との契約なら、恩恵を受ける代わりに代償が必要になるとか?」


「まあそんな感じだね。この儀式では、従僕であるものは主に絶対の忠誠を誓う代わりに、恩恵として主から魔力……というか、魔力を自己生成できる機能を与えられるの。

 そしてその代償と言うべきものなんだけど、それが主の死の共有というもので、その名前の通り主が死んでしまったら、一緒に従僕も死んでしまうんだ」


「……つまり、仮にハウルを主として僕が契約して、もしもハウルが死んだら僕も死んでしまうということか?」


 ハウルは静かに頷き、肯定した。


「その逆、従僕が死んでも主には何も起こらないけどね。まあこの代償は、従僕に力を与えた結果、従僕がその力を使って叛逆してくることを防ぐためのものと思ってくれればいいかな」


「要は、契約をした従僕は、主のことをもう一つの命だと思って死ぬ気で守ればいいいってことだね。そっか、たったそれだけのことでいいんだ」


 シグマの呟いた後半の意味を理解できず、首を傾げるハウル。そんな彼女の反応をよそに、彼は再度問いかけた。


「ハウル、その契約っていうのは、誰とでも行えるのか?」


「たぶん大丈夫なはずだよ。基本的に魔力を持っている人となら契約できる資格があるからね」


「―――それが、君と僕でも?」


 その問いは彼女にとって思いもよらなかったのだろう。目を点にして、呆然としている。


 だが訊いた本人はいたって真面目そのものだ。


 もしもその話が本当なのなら、シグマは『契約』を行うことによって魔術や魔術兵装に使用するための魔力を手に入れられる。あるいは『儀式剣』ですら使えるようになる。


 それは、この世界に来たシグマが何よりも求めていた力。それがあるなら、もう二度と目の前の脅威に怯えることはない。


 そして何より、その力があれば、シグマの願望すら叶えうる。……だが、


「……ごめんなさい、それはできないよ」


 ハウルは静かに首を横に振った。焚火の炎が一瞬だけ揺らめく。


「シグマ、貴方には実感が無いかもしれないけど、シグマは列記とした『王位継承者』なの。そしてシグマを召喚した国は必ずあって、貴方はその国の君主と契約して仕えなきゃいけない。

 だからもしもここで私がシグマと契約すれば、それはその国の所有物の侵害となって、立派な侵略行為になってしまうんだ」


「でも、今回に限っては僕を召喚した国に非がある。それなのに、侵略行為なんて……」


「敵対する国と国ならね、そんな些細なことはどうでもいいの。たとえどんな正当な理由があったとしても、相手からしたら自国の人材を奪われたことに変わりはない。侵攻って目的のために、その理由を手段として使うには十分すぎるんだ。それだけ重大なことなの、他国民による継承者の横取りっていうのは」


 たしかに今回行われるとされる『王位継承戦』は、その内容からして国レベルの規模であることは明白である。それに関わるどころか中心的な存在にされたシグマは、理不尽ながら当然相応の責任が付いて回るのだ。


 それを放棄して自由奔放に行動し続ければ、その行為はやがて戦争という最悪の結末に繋がってしまう。


「……それに、私の国はもう戦争できる状況じゃない。だからこれ以上、私はあの国をボロボロにしたくないの……」


 あまりに弱く消えそうなその呟き。その声には悲痛の色が含まれていたため、その意味を訊くことはしなかった。


 代わりにシグマは、視線を焚火の炎に戻す。また薪を投入しようと思ったが、先ほど入れたものがまだ燃焼し切っていなかったため止めた。


 再び手持無沙汰になった沈黙の時間が、炎を眺めているだけで過ぎていく。


 すると、ハウルがその炎の向こう側から口を開いた。


「シグマは、力が欲しいの?」


 その問いに真面目に答えるか一瞬だけ逡巡したが、変に誤魔化さずに肯定した。


「うん、きっと僕はそれを望んでる」


「それはなんで? シグマは継承者だから、確かに力は必要かもしれない。でも『王位継承戦』はまだ始まっていないんだから、そこまで急ぐことでもないはずだよ」


 そう言われ、シグマは考えてみた。


 自分が力を欲する理由。この世界に来て、幾度となくそう思った。そうなったのはきっと―――


「僕が無力だからだ。今日だって、僕は目の前の脅威や壁に立ち向かえずに、全部君に押し付けてしまった。君が命を懸けていたのを、僕は傍から見ていることしかできなかった。僕は結局、何もできないまま守られているだけだった。

 それじゃあダメだ。僕は君一人を矢面に立たせて、自分だけ安全地帯で傍観したくない。そのためには力が必要なんだ」


 自然と語る声に熱が籠っていく。それをわかっていながら、それでも止めることはできなかった。


「僕は力が欲しい。戦うための力が欲しい。立ち向かうための力が欲しい。僕はもう、無力でいたくないんだ」


 ハウルは、静かにシグマの答えを聞いていた。その上で、


「ダメだよシグマ。()()()()()()()()()()()()()()


 凛とした声で、シグマの答えを批判した。


「シグマは力に固執するばかりで、それを何に使いたいのかあやふやになってる。そんな目的の無いまま手に入れた力なんて、いつか使い所を見失って暴走するだけだよ」


 その批判に、シグマは彼女の目を真っ向から見据えて反論する。


「違う。目的はちゃんと成っている。自分がどんな目的でも成すことができるための力が欲しいんだ」


「それは危険すぎるよ。目的を成すためだけの力なら、どれだけ些細で小さな問題であったとしても力で解決しかねない。もっとちゃんとその目的が何なのか決めないと、いつかシグマが王様になったときに、総てを力で解決する暴君になってしまう」


「それは……」


 正直、シグマはハウルに返す言葉が無かった。


 だってハウルの言葉は正しい。彼女は力を持っているからこそ、それは辿り着けた答えなのだろう。


「王様になったときじゃなくていい、今のシグマが何のために力を使いたいのかを考えて。理由なんて時間や状況と共に変わりゆくかもしれないけど、今のシグマの答えだけは明白にしておいて。そうすればきっと、シグマが力に呑まれるなんてことはなくなるから」


 そう言われ、不思議と力に妄執していた気持ちが軽くなった。


(……自分は想像以上に焦っていたのかもしれないな……)


 不甲斐ない自分がその汚名を雪ごうと躍起になっていた。きっとこのまま力を手に入れようものなら、間違いなくハウルの言う通りになってしまっただろう。


 まだ、シグマが力を手に入れるには早い。何のために力を使うのか、少なくともその答えを見出せていない今は、力を手に入れても使い方がわからずに振り回すだけだ。


 そうならないために、考える必要がある。


 何のために求めるのか。何のために使うのか。幾つも浮き出る答えを思考し、吟味し、取捨選択しなければならない。


 選考は慎重かつ正確に。国同士の規模で行われるこの『王位継承戦』で王位継承者とされたシグマには、今までの生活には存在しない大きさの責任が発生する。もしも答えを見誤って暴走しようものならその被害は自分だけに止まらない。


 それらを踏まえた上で、自分が納得できる本当の答えを探そうと、シグマは固く決意する。


 そして、そう考えさせてくれたハウルに礼を言おうと、改めて向き直る。と、


「……ふわぁ……」


 見てみれば、彼女は小さく欠伸をしていた。その目はとろんと蕩けており、瞼は今にも落ちそうになっている。時折船を漕いでおり、ハウルがとても眠たがっているのは明白だった。


(そういえばもう日が暮れて結構時間も経ってるっけ。今は……八時くらいかな?)


 携帯の時計を見れば確実だろうが、残念ながらここは元の世界とは違うため、元の世界の時刻も同じとは思えない。それに充電も残りわずかなため、無闇矢鱈に点けるのは避けることにした。


「ハウル、もう寝た方がいい。君はかなり疲れただろう」


 思えばハウルは今日一日走ったり魔術を使ったり歩き通しだったりと、かなり体力を使って疲労が蓄積されているはずだ。それにさっきの魔力の説明では、一番効率のいい魔力の回復方法が睡眠とも言っていたし、ここは寝てもらうのが最善だろうとシグマは考えた。


 だがハウルは両手で目をグシグシと擦って、必死に起きていようとする。


「……今寝たら、寝てる間に追手が来るかもしれないし……」


「大丈夫、見張りは僕がしているから。なにか異変があればすぐに起こすよ」


「……でもそれだとシグマが寝れないよ……」


「僕はまだ眠くないから平気だよ。昼間、あの森で目覚めるまでずっと眠っていたしね」


 シグマの説得を諦めたのか、或いはハウルの睡魔が限界まで訪れたのか、どちらにせよ彼女はようやく頷いてくれた。


「……じゃあシグマ、ちょっとだけ寝させてもらうね……起きたら見張りの番を交代するから……」


「うん、おやすみ」


「……おやすみなさい……」


 そう言って、ハウルはその場で小さく丸まり、まるで赤ん坊のように横になった。やがて一分としない内に、安らかな寝息が聞こえてくる。


「……ハウル」


 シグマは小さな声で呼びかけてみる。だが反応は無い。どうやら本当に寝入ってしまったらしい。


 それを確認すると、シグマはゆっくりと腰を上げて着ていたジャケットを脱ぎ、そっと彼女に被せた。


「ごめんね、少しだけ汗臭いかもしれないけど」


 またも返事は無い。今日一日で掻いた汗が強烈な臭いを発生させているかもしれないと思ったが、それよりも着の身着のままで寝るのは風邪を引く可能性があったので被せたのだ。


 幸いにもこの世界の夜はそこまで冷え込まない。下に来ていた長袖のシャツでも十分快適に暮らせる温度だった。

 そしてシグマはまた元の位置に戻り腰を下ろして、再び火の中に薪をくべる。


「……よっぽど疲れてたんだろうな」


 ポツリと呟き、ハウルの寝顔を火越しに見た。


 寝入る彼女のそれは、幼い少女が見せるものと何ら変わらない。顔だけを見ていれば、本当に元の世界の人と区別は付かないだろう。


 だけど、黒髪の上に飾られた一対の金色の巻角が、主張するかのように否定している。それは彼女が異世界の住人であることの証明だった。


 そう、異世界。元いた世界とは違う場所。今日だけで、その事実を嫌というほど体感した。


 シグマが、本当の名前を忘れた地球人が、この世界に呼び出された理由はただ一つ。


「『王位継承者』、かぁ」


 正直な話、実感は今でもまるで無い。自分が王になるだとか、そのために戦うだとか、少なくとも記憶喪失の彼には余裕で処理能力を超える情報だった。


 王様という役職に憧れが無いわけではないが、今の段階では不安のほうが大きい。そもそも王の行う政治や義務など、基本知識だけは覚えている記憶の中にも存在しない。


 この世界の歴代『王位継承者』がどうだったのかは知らないので一概には言えないが、こんな素人に務まるものではないと思う。


「それに、戦わないといけないんだよね」


 森でハウルからその話を聞かされた時は、まだ冗談の類だと思っていた。


 だけど、直後に命のやり取りである死闘が始まった。今回は彼女のおかげで何とか勝利できたが、一歩間違えればともども死んでしまうような、そんな戦いだった。


 スポーツのような戦いの勝敗とは違い、死闘の勝敗には敗れた方に死が付随する。


 それはとても恐ろしいことだ。一度死ねば最後、二度と元には戻らないのだから。


「ッ……」


 ずきりと、不意に首元から鋭い痛みが走った。たまらずシグマは手をあてがう。


 異状は無い。未だ彼の首は、正常に頭部と身体を繋いでいる。


 だけど、戦い続ければいつかは千切れてしまうかもしれない。


「思ってるより怖がってるのかな、僕は……」


 そう言ってはみるが、同時に仕方のないことだと頭の片隅で考える。


 少なくとも今のシグマは戦いを望んではいない。できることなら回避したというのが本音だ。


 だけどこの世界は戦うことを強要する。説得も懇願も意味が無いという戦いがあることは今日わかってしまった。


 この世界では戦わないといけない。王様になるとかなりたくないとかの以前に、そうしなければ生き残れない。


 そのためには力が必要だ。どんな苦難も乗り越えられるような、強い力が必要だ。


 それはシグマを召喚した主が持っているとハウルから聞いた。なら、今自分にできることは何なのか。その答えは先程聞いている。


「そうだね、僕は考えないといけない」


 力の方向性、その在り方。思考し、定め、確定せねばならない。


 与えられる力を、間違った方向に振りかざすことが無いように。


 再びシグマは腰を上げ、洞窟の入口に向かっていく。……なんとなく、一人になりたい気分だった。


 そして入口で腰を下ろし、頭上を見上げた。


 漆黒のような夜空には、見たこともないような数の星が散りばめられている。その壮大さに、思わずシグマは感嘆の息を吐いた。


 森は静かで、時折吹き抜ける風が頬を撫でて心地良い。頭上の夜空には幾つもの星があるが、今日は新月なのか月は見当たらない。


 あるのはそれだけ。たったそれだけ。とてもこの手持無沙汰の時間を消費できるものではない。


 だから、


「考えるんだ。手段を目的にしないように、手段を目的のために使うために。今の僕が、力を以て何をしたいか、じっくりと考えて考えて考え続ける必要がある」


 夜はまだまだこれからだ。時間なら腐るほど余りある。


 シグマは一人、黙々と熟考して、その答えを探し続ける。


 時間は刻々と過ぎていき、やがてその夜はさらに深みを増していった―――

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