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テイラー・エルバトリオ

「改めて自己紹介を。テイラー・エルバトリオだ」


「僕はシグマ。もしかして君は……欧州の人?」


「惜しいな。俺はアメリカの人間だ」


 テイラーの答えに、シグマは納得する。彼の顔立ち―――地毛であろう金髪、宝石を思わせる碧眼、高い鼻など―――は、どう見てもアジア系のものではない。


 こちらの世界の人間であれば、そのような身体的差は大して気にもならないのだが、残念ながら彼はそうではない。


 シグマと同じ、王位継承者。


 いずれ決まる王の座に相応しいと判断されてこの世界に連れてこられた、同じ境遇の人間。


「立ち話もなんだ、座ろう」


 テイラーの提案に同意し、二人は揃って芝生の上に腰を下ろす。その途中で、彼はこう訊いてきた。


「それで、お前はどこの人間なんだ?」


 一瞬、シグマは答えに詰まる。


「……日本、だと思う」


 やがて出てきた言葉はあまりに自信が欠けているもので、テイラーも怪訝に眉をひそめた。


「えらくハッキリしないな。記憶喪失でもあるまいし、自分の出身くらい答えるのは簡単だろう」


「いや、それが……記憶喪失なんだ、僕」


「は?」


 ジョークのつもりで言った言葉が真実だったことに、テイラーは目を丸くする。


 そんな彼に、シグマは今までの経緯を簡単に説明した。


「何というか、俺もこの世界に来て大変な思いをしてきたが、お前も相当なんだな」


「ああ、やっとこの苦労をわかってくれる人に出会えた……」


 感動のあまり、思わず涙を流しそうになるシグマ。


 こちらの世界の常識に右往左往する苦労など、同じ世界から来たものにしかわからない。それが共有できる相手がいるというのは、精神的にもかなり大きな影響を与えた。


「ところで、君は元の世界ではどんな事をしていたの?」


 訊ねた疑問は、別にテイラーの素性を知りたいだけのものではない。


 自分とは違う継承者は元の世界でどのような立場にいて、王としての素質を見出されたのか。


 自身の経歴が何もわからないシグマは、あるいは同じ境遇のテイラーと似たような立場だったのではと考えたのである。


「……ああ、それは」


 しかし、今度はテイラーの方が苦い表情をして、言葉を詰まらせる。


「もしかして訊いてはいけなかった?」


「いや、違うんだ。ただこれまでは守秘義務があったから、素直に答えるべきかどうか迷っただけだ。でもよくよく考えてみたら、もうマスターは居ないんだし大丈夫か」


 なにか吹っ切れたような物言い。『守秘義務』や『マスター』という聞きなれない単語にシグマが首を傾げていると、


「俺は、『殺し屋』だったんだ」


 テイラーは無表情のまま、自身の経歴を告白した。


「殺し屋……?」


「そう。よく漫画や映画に登場するあれだ。偉いやつから依頼されて、ターゲットを殺害する。それが俺の職業であり、俺の人生だった」


「ま、待ってくれ。殺し屋なんてものは過去のもののはずだろう? 現代でそんなことをしている人がいるなんて……」


「そりゃあ、決して表舞台に立たないよう徹底されているからな。それこそニュースでよく見る『〇〇が死亡した』なんて事件のうち、いくつかは俺のような殺し屋が関わっているんだよ」


 日々の新聞やニュース番組で、誰かが死んだという記事は必ずと言っていいほど存在する。事故や病、あるいは犯罪に巻き込まれたなど……その死因は様々だ。


 だが、その死因のいくつかには、フィクションの産物だと思っていた殺し屋が関与しているのだという。


 少なくともシグマには、それを事実としてすぐには受け止められなかった。


 そんな呆然とした彼をよそに、テイラーは構わずに続ける。


「俺たちに依頼してくるクライアントは、大抵がどこぞのお金持ち様だ。やつらの目的を達成すれば、あとはマスメディアとかで情報操作をして、勝手に真実を隠匿する」


「そんな、ことが……」


「世の中に蔓延る情報の中に、真実はほとんど存在しない。よく真実こそが清らかで正義であると言うけど、本当に隠された真実というのは誰かの欲望と邪悪で塗り固められた醜いものだ」


 淡々と告げられる事実。


 けれど、シグマにはあまり頭に入ってこない。というのも、テイラーがその役柄を全うしていたのなら、当然あることをしているのだと気づいてしまったからだ。


「君も、殺したのか……?」


 震える口で問うた疑問。それを聞いて、テイラーは自嘲気味に笑った。


「お前、それはシェフに『料理をしたことがありますか?』って尋ねているのと同じだぞ。―――殺したに決まっているだろう」


 テイラーが流し目でシグマの方を見やる。その視線の鋭さに、シグマの背筋をうすら寒いものが走り抜けた。


「なんで、そんな生き方を……」


「選んだのかって? 違うよ、俺はその生き方しか選べなかったんだ」


「え?」


 彼の言わんとすることがいまいち掴めず、思わず聞き返すシグマ。


 すると、まるでつまらない寝物語を朗読しているかのように、テイラーは自身の過去を語り始める。


「俺はいわゆる孤児ってやつで、両親は物心つく前に犯罪に巻き込まれて死んだらしい。だからずっと孤児院で過ごしていた。けどそこがまたブラックなところでさ、表向きは孤児院を名乗っているけど、実際は身寄りのない子供を集めて訓練させる殺し屋の育成場だったんだ」


 表社会で生きてきた人間を殺し屋にするとなると、足が付かないように経歴および繋がりの一切を排斥する必要がある。そういった手間を考えると、始めから何も持たない孤児を育て上げた方が効率がいい。


 さらに孤児院を名乗っておけば、自然と殺し屋にするための孤児が流入してくる。そう言った点を踏まえると、育成機関を孤児院に偽装するというのは非常に合理的なものだった。


「幼い頃から殺し屋になるための訓練をさせられた。それ以外のことがしたいと駄々をこねれば、『お前は此処に居る資格はない』と脅された。俺たち孤児は他に身寄りの宛ても無かったから、是が非でも従うしかなかったんだよ」


 孤児院で与えられた選択肢は二つ。


 殺し屋になることへの遵守か、それとも居場所を追い出されて野垂れ死ぬか。


 まともな道徳心があるならば、絶対に前者を選ぶことは無いだろう。だが、孤児院に居る者は、基本的に幼い子供たち。


 純粋無垢な彼らの思想を思う通りに染め上げることなど、造作もないことだった。


「まあ、それでも強情に殺し屋にならない選択をして孤児院から出ていったやつもいるけどな。そういうやつは、大抵殺し屋になる選択をしたやつに殺されて、路地裏のドブ水に沈んでいる」


「それは……秘密保持のためか」


「そうだ。殺し屋なんてアウトローな稼業にも信用ってものはあって、特に情報の漏洩には神経を尖らせている。ましてやバレた瞬間スキャンダル確定の組織が、情報流出の因子をむやみに放っておくわけないだろう」


「君も、そういった身内の人を」


「五人。俺は成績の良い方だったから、あまり雑用事は回ってこなかった」


 シグマとテイラーの価値観は違う。だから、五人しか殺していないという後者の言い分は、到底受け入れられるものではなかった。


(いずれ、自分もそうなるんだろうか)


 彼らが巻き込まれたのは、王位継承戦というまさしく戦争だ。


 戦争とは、文明社会が築かれた地において、唯一殺人が正当化される場。人を殺した者が讃えられ、不殺を貫いた者が糾弾され、殺戮を行うことは美化され、降伏することは罵られる。


 その場所に飛び込む以上、シグマも人を殺すことにはなるのだろう。それも五人なんて些細な数ではなく、その十倍も、百倍も。


 別段、彼は殺すことを躊躇っているわけではない。王位継承戦というものがどういうものかを聞いた時点で、殺すということは納得した。


 すでに森ではレノウ兄弟という、二人の刺客を惨殺しているシグマ。それがいくら憎き敵であったとしても、殺した以上、今さら不殺を肯定する資格は無い。


 だが、だからといって、殺すことが当然のことだと、正しいことだと受け入れることはできなかった。


「俺はマスターに言われたとおり、標的となった人物を殺し続けてきた。でも、最後の任務で失敗して殺されかけた。……いや、あれは本当は死んでいたんだ。だけど」


「この国に召喚されたのか」


 テイラーは頷く。


「もうとっくに死ぬ覚悟はできていたから、正直、今でも自分が生きていると信じきれていない。だけどこの世界は地獄にしては心地良過ぎるから、やっぱり現実なんだろう」


 彼は遠い眼をして、彼方の空を眺める。そこに望郷の想いも、慚愧の念も存在しない。


 ただ、行く道を見失った迷い人のような、空虚な色が浮かぶだけ。


「……つらいかい?」


「どうだろうな。正直、まだ何もわからない」


「なら、それでいいじゃないか」


「え?」


 シグマの言葉に、思わずテイラーは訊き返す。その貌を見てみれば、シグマは優しく微笑んでいた。


「わからないっていうのは、いろんな選択を選べる余地があるってことだ。もう君は自由になって、縛るものは何も無い。だから、今からでも自分の好きなように生きていいんだ」


 実際のところ、シグマはテイラーの気持ちが痛いほどよくわかった。


 経緯は違えど、似た境遇。シグマもまた、この世界に来たときは記憶を失っていて、いったい何を目的にすればいいのかわからなかった。


 目的が無ければ、人は為すことに意義を見出せない。そのままの状態が続けば、やがて生きることにすら意義を見出せなくなってしまう。


 それを止めたいからこその、心からの言葉だった。


「生きているのなら、何度だってやり直せる。だから今度は、君がやりたいことをやればいいんじゃないかな」


 しばらくテイラーは目を丸くしていた。やがて憑き物が落ちたみたいに微笑し、身体を逸らして空を仰ぐ。


 少し雲が出てきて薄く翳る曇天。それでも、その景色を映した彼の瞳は、先ほどよりも澄んでいた。


「やりたいこと、か。考えたことも無かったな」


「なら当面は『やりたいことを見つけること』を目的にすればいい。それだけでもきっと、見える景色は変わるだろうから」


「そうだな、随分とマシになった」


 するとテイラーはやや思案する素振りを見せる。やがて、シグマにこう尋ねた。


「なあ、一つ頼んでもいいか。やりたいことが一個あるんだ」


「いいよ、僕にできる事なら」


 空虚から立ち直った彼が最初に見出したやりたいこと。それを無為にしないためにも、シグマは胸を張って協力を宣言した。


 そして、そのやりたいことを、テイラーは噛み締めるようにして口にする。


「ラティスとイオリアに、何かプレゼントを贈りたい」


 おそらくそれは人生の中においてもかなり小さな望み。けれど、テイラーがようやく見出したそれを一笑に付すことはしなかった。その代わりに、


「じゃあ、今度城下町に行って、贈り品を選びに行こう。……正直、僕も慣れないことだから上手く手伝えるかわからないけど、それでも頑張るよ」


「それなら大丈夫だ。きっと何を選んでも俺のセンスよりはマシだろうからな」


 共に軽口を交わし、揃って笑う。それは腐れ縁の友人同士の会話のように、何も後ろめたさを感じさせない軽やかなもの。


 知らない土地で、知らない出来事ばかりで、知らない理屈ばかりの世界に迷い込んだ二人は、今ようやく、対等な立場で話し合える関係を築いた。


「この際だ。お前の身の上の話も詳しく聞かせてくれ。俺ばかりがしゃべるのも不公平だろう」


「いいよ。じゃあ、僕が目覚めた森の話になるけれど―――」


 二人はそのまま会話を弾ませて、時おり冗談を言ったりバカにし合ったりして談笑に耽っていく。


 どちらの表情にも不穏な色は見られない。それは心から今の雰囲気を享受している何よりの証だった。




 それが、数十分後に壊されることになるとは。


 今の二人は、知る由もない。



テスト期間に入る&ストックが切れそうなので、ひとまずリンカルナーツェの方はしばらくお休みします。

再開はテストが終わる8月9日に

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