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姉妹の役割

「ほんっとに信じられない!」


 声を荒げながら再び着席するルカ。先ほどの状態からある程度回復はしたようだが、未だ頬はうっすらと紅く染まっている。


「……申し訳ありません。事前に姉さんから口止めされていたので……」


「イオリア、次からは遠慮なく裏切りなさい。あ、あんなこと日常的に行われたら、こちらの精神的にもたないわ」


「いや、でもルカはよく耐えていたと思うよ、うん」


「……正直、この部屋がいつ火の海になるかとずっと気が気じゃなかったです……」


 おそらくシグマらが知るルカであれば、ラティスが飛びかかった瞬間に暴走して、自身の魔術である炎をまき散らして大惨事に発展していたことだろう。しかし現実はそんなことは無く、それどころか怪我人一人すら出ていないという、もはや奇跡に近い状況である。


「……82・56・76」


 すると、ルカのもう隣、イオリアの真正面に位置する場所に着席していたラティスが、至極真面目そうな表情で謎の数字を呟く。


 みんなの疑問は、シグマが代表して訊ねることになった。


「何ですか、それ?」


「え、今のルカのスリーサイズ」


「―――ふんッ!」


「って熱ゥ⁉ 死ぬほど熱い! なんで⁉ なんでルカは僕に紅茶をぶっかけたの⁉」


「いい気味よ、そのままその熱さを刻みなさい! そして代わりに今そこの阿呆から聞いた数字の羅列を全部忘れろ!」


「わかった、忘れるから! だから二投目の紅茶を用意しようとしないで‼ 湧きたての紅茶を浴びせるとか正気の沙汰じゃないから‼」


 ―――閑話休題―――


「ひどい目にあった……」


 洗面所で浴びた紅茶を洗い流したシグマは、バスタオルで頭髪の水分を拭き取りながら席に戻る。


 たしかに女性の知られたくない情報ではあっただろうが、シグマとしても悪気があったわけではない。というか、ほとんどの元凶はラティスである。


 その彼女は今、何事も無かったかのように隣のハウルに話しかけていた。


「へー、アスマジアーニャンの人って頭に角が生えているんだね。それともハウルちゃんが特別なのかな?」


「え、えっと、その、アスマジアーニャンでは王族だけが人の姿を保っているので……その、なんというか……」


「なるほどね、ならやっぱり特別ってことだ。じゃあもっと派手に主張しなきゃ!」


「主張……ですか?」


「そう! それはハウルちゃんが特別なんだぞっていう証なんだから、飾りや色をつけたりして目立たせるのよ! そうすればみんな、あなたに目を引かれること間違いなし!」


「め、目立たせるですか……」


「止めておきなさい。阿呆の言葉を信用すると、皆の目を引く前に貴女が痛い目を見るわよ」


「もう、ルカったら水を差したがるんだからー。私がそんな酷い人間だと思う⁉」


「ほんの数分前に貴女が私にした仕打ちを忘れたというの? それならやっぱり阿呆じゃない」


「ヤだなー、忘れるわけないじゃない。あのルカの身体の柔らかさは、今もこの手の中に残っているわ」


「……どうやら痛い目を見なければ学習しないようね」


「やめてやめて。ルカが本気を出したら僕らも巻き添えを食らうから」


「そ、そうですよ。ほら姉さん、早く飲まないと紅茶が冷めてしまいます」


 会話の中で度々起こる衝突の気配を、シグマとイオリアが何とか回避させていく。


 しかし、場の空気が剣呑であるわけではない。その証拠にストッパー役の二人の口元には、薄い笑みが浮かんでいる。友人同士の軽口を外野が茶化している、そんな空気に似ているのかもしれない。


「ところで、ルカは明日どうする? もしよかったら一緒に観光しない?」


 ある程度盛り上がりが収まってきたところで、シグマは先ほど聞きそびれたことを訊ねる。


 ルカはティーカップに口をつけ、考える素振りを見せた。


「そうね、別段、急ぎの用事も無いし……」


「あ、そういえば」


 すると、思い出したかのようにイオリアがポンと手を叩く。


「ルカ、明日はこの城の防衛機構の視察に参加してもらえませんか?」


「防衛機構? どうして私に?」


「シレーニェが王位継承戦に参戦するにあたって、突貫で機能の増築や改修を行っているんです。ただ戦争の歴史が浅い私たちでは重大な欠陥に気づけない可能性があるので、ルカに直接確認して判断を乞いてもらいたいと、父が仰っていました」


「なるほど、自分たちだけで判断しないというのは賢明ね」


 長きに亘って不戦を貫いてきたシレーニェ。それまでは他国との競争に関心など無く、ひたすらに自国を守るためだけの機構を築いていた。


 しかし、今期王位継承戦では参戦を表明。当然ながら競争の場に立つ必要があるため、今までのような防衛一筋の在り方でなく攻撃にも転換できるようにしなければならない。


 ただ、そうするだけのノウハウを持っていない彼等は、果たして作り出した機構が本当に作用するか判断がつかない。しかし不用意に外部の者へ助言を貰おうと公開すれば、それは手の内を見せているのとまったく同じになる。


 そのためアシュタリアは、良い助言を期待でき、かつ信頼を寄せているルカにその役割を託したということだ。


「良いわ、承りましょう。国の安否を左右する事柄だし、後回しにするわけにもいかないわ」


「ありがとうございます。では明日の八時に会議室の方へお越しください。場所はわかりますか?」


「この城が私の知っている頃と変わっていないのならね。そういうわけだからシグマ、悪いけど貴方の誘いは断らせてもらうわ」


「わかった、そういうことならしょうがない」


 少しだけ残念な気持ちもあるが、流石に国務を放り出させるわけにもいかない。また次の機会にでも誘おうと、シグマは快諾した。


「それじゃールカはイオリアとデートなんだねー。いいなー」


 ラティスは机の上に顎を乗せて気の抜けた声を出す。その様子に、イオリアは不満そうに口を尖らせた。


「もう。本当は姉さんも同行してほしいのに」


「面倒くさいことは結構でーす。それよりもテイラーと今後のことを話し合うことが重要だもんねー」


 その名前が出てきた瞬間、ルカとシグマの表情が凍りつく。


 テイラー・エルバトリオ。シレーニェの王維継承者として召喚され、今後共闘を余儀なくされる人物。その重大な立ち位置にありながら、未だリューズビーリア勢は彼のことを何も知らない。


「……少し訊いてもいいかしら?」


 中でもその疑問は、謁見の時よりずっとルカの心をざわつかせていた。


 それを訊ねることは恐ろしい。答えを聞くのはとても怖い。


 だが、その上で確認する必要がある、一つの問い。


「―――シレーニェの継承者の、契約者は誰なの?」


 王位継承者が魔力を得るために行う儀式―――『契約』。これを行わなければ、この世界の摂理である魔力を生成することはできず、遵って力の象徴である儀式剣も使うことができない。


 逆に言えば、それを行うだけで、継承者は一騎当千の力を得ることになる。……しかし当然ながら、いくつかのリスクが付随して。


 その内の一つが、契約主との死の共有である。これは力を手に入れた継承者が暴走して契約主に叛逆することを防ぐ機構であり、もしも契約主が死亡した場合、それに伴い継承者も死亡することになる。


 この機構、一見すると継承者にのみ課される不利な制約のようだが、その実、契約主にもある程度のリスクは発生している。


 というのも、この機構はいわば強力な継承者に無理やり弱点を作り出すようなものだ。真っ向からの攻略が難しい相手には、様々な策略を以って弱点を責めるのが定石。


 そのため、()()()()()()()()()()()()()()


 ならば、その命を掛け金に出すような立場に就いたのは誰か。


「……私、です」


 おずおずと手を挙げたのは―――あろうことか、イオリアだった。


 告げられた答えに、ルカは苦悶の表情で歯を食い縛る。


「やっぱり……陛下はこの戦いを傍観する気か!」


 理解はしていた。だが、それでも納得はできなかった。


 王位継承者は次期王として推薦される立場上、当然ながら契約の相手は召喚国の王族となる。シグマとハウルのような関係は非常に稀だ。


 しかし継承者が召喚されたからと言って、すぐに王になれるわけではない。継承戦を生き残るまでは、引き続き王族が治世を務めることとなる。


 であればこそ、国の中枢を務めるものが、むざむざ矢面に立ってはならない。もしも暗殺などされれば、国自体が傾く要因にもなりうる。


 そういうことから、アシュタリアは自ら契約を行わず、敢えて娘であり王族であるイオリアを選んだのだろう。


 だが、現最高責任者でもある彼が参戦を決意しておきながら、そのしわ寄せを娘に押しつけるなどと。


「こらこら、そうムキにならないの」


 ラティスは先ほどからの体勢で、気怠そうにルカをなだめる。


「別にやり方なんてどうでもいいじゃない。そりゃあ、時と場合によってはそれが重要視されることもあるだろうけど、今回に限っては戦争に対するやり方よ。多少非道であっても、合理的であるならそれで十分だわ」


「それでも、イオリアが契約したというのなら、彼女は戦場へ赴かなければならないわ!」


 継承者にとって、契約主とは第二の心臓のような存在だ。


 自分と契約主、どちらかが欠損すれば、それは自己の破滅を意味する。


 であれば、継承者としては、多少の危険があれど契約主は近くに置いておきたい。その方がいくらか自分の命を守れる。


 そして国としても、唯一無二の存在である継承者を失うことは非常に手痛い。それを防ぐためにも、強力な力を持つ継承者自身に守ってもらう方がいくらかマシだ。たとえ百人の近衛を就けたとしても、同じ継承者に襲撃でもされれば紙の如く破られるのだから。


 そのため、歴史上の王維継承戦を振り返ってみても、ほとんどの継承者が傍に契約主を侍らせて戦場へ赴いている。これは王位継承戦において、当然のセオリーなのだ。


 しかしラティスは、そのセオリーを破るという意味で、首を横に振る。


「その必要は無いわ。だってイオリアはこの城で、厳重かつ頑丈に守られるもの」


「無謀だわ! それができるというのなら、これまで多くの国がそうしてきたはず! だけどそうしなかったのは、継承者に普通の守りは通じないからよ!」


「ええ、そうだろうね。普通の国なら、戦うことを目的としていた国なら、そう考える。でもねルカ、私たちシレーニェは、これまで守ることを目的としてきた国なのよ?」


 幾世紀もの間、王位継承戦というものを外から眺めていた。


 だが眺めているだけでは、降りかかる火の粉を払えない。いつかそれらが国を焼き尽くすことを恐れて、だから身を守る手段を模索した。


 シレーニェの歴史とは、それら研鑽の積み重ねの上に成り立っている。他の国が戦うための方法を研究し突き詰めていったのなら、対照的にシレーニェは守るための方法を構築し練り上げた。


 今さら王位継承戦に参戦したとなっては、戦いの技術は他国よりも劣る。だが、身を守る術に関しては他の追随を許さない。そういったアドバンテージを活かすために、彼らは一つの結論を生み出した。


「イオリアを強固な防衛機構で守ることで、テイラーは目移りすることなく戦いに集中できる。たとえ王位継承者がイオリアを狙って城に攻めてきても、城の防壁はそう簡単には破れない。言ってみれば単純なものだけど、たったこれだけでテイラーは他の継承者より有利に戦えるってわけ」


「……聞いている分にはとても素敵ね。でも、それは貴国の継承者の実力に完全に依存することになる。もしもテイラーが敵わない敵と遭遇すれば、その時点で手詰まりになってしまうわ」


「そうね。だからあいつのサポートとして、この私が戦場に出るのよ」


 ルカの瞳が瞠目する。


 てっきりシレーニェは、王位継承戦に携わる王族を誰一人として戦場に出さないものと考えていた。いっそのことそうであってくれたのなら、どれだけよかったか。


「正気……⁉ 貴女には何も戦う必要なんてないじゃない! それなのにわざわざ矢面に立とうとするなんて……!」


「あら、理由なんてわかりきったものを訊いちゃう? なら教えてあげる。私がシレーニェの人間だからよ」


 ようやくラティスは身体を起こし、そのまま胸を張って不敵に笑う。


 胆が冷えるほど妖艶に。


「貴女は勘違いしているのかもしれないけれど、私たちは至極真面目に王位継承戦に挑もうとしてるの。勝利のために、勝率が僅かでもある方法があれば、多少危険であってもそれを選択する覚悟はできてる。私はこの国の為に、戦場へ赴くのよ」


「でも!」


「これは決定事項。いくら親しい仲とはいえ、他国の貴方が何と言おうが覆ることは無い。父も、私も、イオリアも、シレーニェの人間は皆、覚悟して決意したんだから」


「そうです。私も自分の立ち位置について納得していますから」


 当事者の二人にそう言われてしまえば、もはやルカはどうこうすることもできない。あくまでもこれは、シレーニェの中で完結した問題なのだ。


 それに、と彼女は滑らかな動きでルカの頬に手を添える。


「誰の心配してんのよ。あんたに武芸の指導をしてやったお師匠さんは誰だっけ?」


 今まで話に割り込まないよう、沈黙のまま話を聞いていたシグマだったが、流石に今のラティスの言葉には反応せざるを得なかった。


「ルカの師匠って、ラティスさんなんですか?」


「そうだよー。ルカが留学してた頃の話だけどね。あの時は毎日が充実してたなぁ」


 ラティスがうっとりとした表情で振り返っている中、反面ルカは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……覚えているわ。素人同然の私をこれでもかと痛めつけて嬉しそうに笑っている貴女の顔。今でもたまに夢を見るもの……」


「そういえば稽古が終わった後のルカっていつもボロボロになってましたね……」


「意外だ。ラティスさんってそんなに強いのか」


「私が強いっていうより、あの頃のルカが弱かっただけだけどねー。いろいろとちっちゃかったし」


 すると、ルカの眼が獰猛に光った。


「……言うじゃない。なら近い内に、また決闘でもしてみる?」


「えー、大丈夫? こう見えても剣術に関しては、この国一の腕前になってるからね? たぶん恥かくことになるよ?」


「私だって留学を終えた後もレオンに指導してもらったんだから。悪いけれど、そう簡単には倒せないわよ?」


「なら明後日にでもやろうじゃない。その自信満々の態度ごと、あの頃と同じみたいにボコボコにしてあげちゃうんだから!」


「そっちこそ、その目に余る鼻先を根元から圧し折ってあげるわ」


 両者の視線が火花を上げて交差する。


 一時は不穏な空気にもなったが、どうにかそれは脱することができたらしい。シグマは安堵して再び紅茶に口をつける。


 すっかり冷めてしまった、琥珀の液体。あまり美味しくはなかった。


 一瞬だけ、シグマの顔が曇る。


 きっとそれは、紅茶の味に由縁したものだけではないのだろう。


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