善悪考察
事の善悪について思考した。
十秒と持たず考えることを放棄した。
なぜならそんなことに意味はない。善悪の基準など、明確な定義は存在しないからだ。
ただ、顔も知らない何者かが自分の知らないところで決めただけ。大勢の有象無象は、それに従い生きているだけに過ぎない。
では、その善悪を定めたのは何者であるのか?
或いは餓鬼大将。或いは村長。或いは豪族。或いは政治家。或いは教祖。或いは神そのもの。
国や地域、時代によってその違いは様々なれど、総てにおいて共通するものが存在する。
即ち、強者であること。
即ち、巧者であること。
即ち、勝者であること。
おそらく彼らはルールが制定される以前の時代で、ルール無用の争いを力で制しその座を手に入れた。如何にやり方が野蛮ないし卑劣なものであろうとも、それ自体を正しいと設定してしまえば、後世にも愚者ではなく英雄として語り継がれる。
結局のところ、物事の善悪を定めたのは、物事の善悪を知らなかった者たちなのだ。
実力を持った者が絶対であり、勝者となった者だけが正義を語る。敗者には異論さえ許されず、凡人には口を挟む権利もない。
であれば。
以前の者たちが創り出した善悪の基準に縛られている民衆どもを解き放つにはどうするべきか。今では悪と断罪される行為も、後世で正義と褒め称えられるようにするにはどうすればいいのか?
答えは簡単だ。即ち、絶対的な力で支配すればいい。
力を以て反乱分子を叩き潰し、力を以て叛逆の思想を抑圧し、力を以て洗脳教育を施していき、善悪の基準を忘却させる。
そうすれば百年後には、今とは価値観の違う全く新しい理想郷が出来上がる。
それを自分の夢の最果てとした。
その夢を実現するためには、多くの血と犠牲が必要となることだろう。
―――ならば戦え。殺せ。奪い尽くせ。
何も自分の身体を掛け金に出す必要はない。それよりも無価値な凡庸の民衆を擦り潰して、血と肉の泥に建つ千年世界を完成させろ。
王位継承戦とは、それを成し得る最初の儀式だ。
無尽蔵の殺戮と戦争の果てに、抱える理想は成就される。たとえ如何に愚劣な業を犯したとしても、成果で結果は洗い流せるのだから何も恐れることはない。
さあ、征こう。
始まりの殺害は、どうせなら大物が良い。
例えば―――一国が後生大事に抱えるお姫様とか。
力に酔った王の器は、今宵獲物を定めて出撃した。
もはや彼に善悪の理法を説いても意味が無い。
―――なぜなら自分こそが勝者なのだと信じて疑わないのだから。