愚者の企て
「―――シレーニェ王位継承者、テイラー・エルバトリオ」
テイラーと名乗った少年は、それきり口を閉ざす。
場を支配する沈黙の帳。それほどまでにリューズビーリアの面々は驚愕していたのだ。なぜなら今現在そこにいるテイラーの存在は、先ほどルカから受けたシレーニェの説明と矛盾している。
シレーニェは争いを忌避し、不戦を貫き続けた国。そうであるはずだった。
だが、目の前の彼はこの国の継承者だと自ら豪語した。王位継承者は、王位継承戦に参戦する国にしかいないはずなのに。
ルカは鋭い視線をアシュタリアに突きつける。
「どういう、事ですか……⁉」
その声は震えていた。おそらくは怒りに由来する感情から。
しかしアシュタリアは臆することなく、むしろ誇らしそうにニヤリと笑う。
「先程述べた通りだ。我々シレーニェは、今期王位継承戦へ参戦する」
「貴方は自分が何を言っているのかわかっているんですか⁉ 王位継承戦に参戦するということは、即ち火中へ自ら飛び込んでいくということなんですよ⁉」
「無論、承知の上だ。戦争の日々に身を投じてしまえば、我らも少なからずの損害を受けることになる。或いはそれが国を終わらせる一因に繋がるやもしれん」
「それがわかっていて、なぜ……⁉」
「知れたことだ。その仮定は、我らが王位継承戦に勝利すれば何も問題ないのだから」
その、自国の勝利を微塵も疑わない理由に。
ルカはおろか、素人のシグマでさえも、絶句せざるを得なかった。
「……呆けた面をしておるな。大方、私が如何なる手立てを用いるか予想できんといったところか?」
「それもそうですが……いえ、お聞かせください。陛下は一体どのような算段によって今回の決断を致したのですか?」
するとアシュタリアはよくぞ聞いてくれたとばかりに頷いて、そのままおもむろに立ち上がる。
「私が此度の決定を下したその最もたる理由、それは〝貴国との同盟〟だ」
「同盟、ですか……?」
「そうとも。歴史上の王位継承戦を紐解いてみたが、一度として参戦した国同士で同盟を結んだものはいなかった。しかし、私は考えたのだ。果たして一騎当千の力を保有する継承者同士が手を取り合い、それを戦線へ投入すれば、もはや向かうところ敵無しなのではないかと」
その予測は正解と言って良い。
演習を振り返ってみてもわかる通り、シグマたち継承者の力は軍集団を圧倒する。単騎でも恐るべきその存在が複数いるとなれば、もはや真っ向からの勝負は敗北以外の結末を辿れないだろう。
だが、一見して魅力しかないその手立てが今までに使われなかったのは、とある致命的な欠点が存在するからだ。それをルカは指摘する。
「いくら最後まで勝ち残ったとしても、王を選出することが理由である以上、必然最後は同盟国同士の継承者の争いになる。最後に敵になることがわかっているからこそ、いつか裏切られることを恐れて、継承者の居る国同士は同盟を結ばないと思うのですが……」
「そうだ。それはこれまで親交が無い国同士だからこそ起こる疑心の摩擦だと思う。戦争期間限りに組んだ同盟など、両国の信頼関係は目も当てられんだろうからな」
信頼できない同盟相手など時限爆弾のようなもの。いつ爆発するかわからないそれに近づこうとするものは更々居ない。
「だが、我らは違う。永きに亘り同盟国として交流を重ね、完成した信頼は疑いようもなく堅牢だ。どちらが裏切るかなど一考の余地も無く、互いに助け合い継承戦を制することになるだろう」
「……たしかに我らの同盟に裏切りは発生しないかもしれません。ですが、それで仮に最後まで残ったとしても、王を決めるための戦闘は避けられない! 結局は戦うことになる!」
「それだがな、別に戦うことで王を選出しなくとも私は良いと思うのだ。どちらが王に相応しいか協議するも良し、或いは表裏それぞれに分かれて世界を統治する和解に繋げるも良し。何も血を流してまで王を選出するほど、両国は切羽詰まっているわけではないのだから」
その考えは、戦いを忌避するシレーニェの人間ならではのものだ。争いの前に妥協や和解があるのならば、迷わずそれらを選択する。別に間違っているわけではない、むしろ平和的な解決を模索していることには好感すら持てる。
その上で、シグマはアシュタリアに対しこう思わざるを得なかった。
―――この人は、バカだ。
アシュタリアが提示してきた作戦は、前提としてリューズビーリアの同盟があって成立するものである。……これでは結局リューズビーリアに依存しているのと変わらない。他国に守られている状況を打破するという彼の思惑は既に破綻していることになる。
さらに王を決めるやり方に至っても、やはり楽観的と言わざるを得ない。なぜなら彼の言う話し合いでの選出や、表舞台と裏舞台に分かれての統治は、リューズビーリアが妥協して初めて成立するものだ。間違っても一方の国が納得したからといって認められるものではない。
だというのに、アシュタリアは誇らしそうに己の考えたやり方を説明する。それがシグマやルカにどう思われているかなど、きっと微塵もわからないのだろう。
現に、二人が絶句している間にも、アシュタリアは破綻したやり方を嬉々として話している。
(そんなもの、ルカが認めるはずがない)
素人のシグマでさえわかっていることだ。当然彼女も理解している。
であれば、中途半端なことを許さない性格の彼女が、この作戦を容認することは無い。
しかし、いつまでたってもルカは反論することは無く、そのうちにアシュタリアの説明に終わりが来る。
「ではルカライネよ、私の企てに異論はあるか?」
最後に投げかけられたルカへの問い。それがこの作戦の陳腐さを指摘するのには絶好の機会だった。
その、はずだったのに。
「……いいえ、異論は……ありません……!」
絞り出すような声で、彼女はアシュタリアの作戦を容認した。
その思いがけない展開に思わずシグマは目を剥く。
「では、此度の謁見はここで幕引きとしよう。ルカライネ、およびリューズビーリアの者たちよ。短い滞在だろうが、どうかゆっくりと長旅で疲れた体を癒すとよい」
そして、告げられる閉会。
「……行くわよ、二人とも」
結局、最後までルカの口から撤回の二文字は出ることなく、そのまま彼女はホールを出ていく。シグマは釈然としない面持ちで、ハウルと共にその後姿を追った。
その途中で、今一度テイラーと目が合う。
「―――――」
互いに掛ける言葉は無い。
ようやく出逢えた同胞。語りたいことなら山のようにあるが、今は場が悪すぎる。
するとテイラーが視線で後方を促してきた。どうやらルカを追いかけろと言っているらしい。
シグマは会釈を返し、再び彼女の後姿を追うため彼の横を通り過ぎる。
「―――明日の昼、庭園で」
その時聞こえてきた、彼からの誘い。
返事はせず、しかし軽く頷いて、シグマはホールを後にした。