乖離の徒
先導するラティスとイオリアに連れられて、磨き抜かれた大理石と思しき材質の廊下を歩いていく。場内が静寂な雰囲気で満ちているせいか、地を踏む足音が反響して聞こえていた。
「……ねえ、ルカ。これから会う人って……」
「アシュタリア・パーシリオ・ヘブンレイ王。シレーニェを統治している領主であり……この私に王政の知識を与えてくれた御方よ」
シグマが小声で訊ねると、間髪入れずに答えが返ってくる。しかしそのルカの物言いは、少しばかり緊張している節が見られた。
「じゃあ、立場的には君よりも上ってこと?」
「私も領主なのだから立場は同じよ。でも、幼い頃に可愛がってもらったから、どうしても頭が上がらないのよね」
「…………」
シグマはルカに対して、一つだけ疑問を抱いている。
それは、彼女の両親はどこに居るのか、ということだ。シグマが彼女と関わってからしばらく経つが、両親の姿はおろか、名前さえも耳にしたことがない。
しかし今のルカの返事を聞いて、どうやら訳ありの様だと判断した。
元から気になってはいたのだ。ルカは王政を学ぶためにこの国に留学していたと言ったが……なぜ、自身の親に教えを請わなかったのか。いくら親しい国同士とは言え、他国の王政を取り入れるなど多少のリスクはあるだろうに、それでも構わず。
そして彼女は実親の寵愛を語らず、これから会うアシュタリア王からの愛情を誇った。
いったい何があったのか。しかしその疑問を、シグマは口に出せなかった。
今のルカは緊張している。彼女にしては物珍しい状態であるが、これは事実だ。そんな状態にデリケートな問題を尋ねられては、果たして正常を保てるかわからない。
だから代わりに、当たり障りのない話題を選ぶことにした。
「そのアシュタリア王はどんな人なの?」
「大らかであり聡明な御方よ。私がなりたいと目指す、理想の人物像だわ」
どうやらこれから会う人物は、あのルカが尊敬に値するほどの者らしい。果たして如何なる豪傑であるのか、想像するのは難しかった。
「それより、そろそろ口を噤みなさい。言葉遣いも気をつけて」
するとルカは静かに注意をしてきた。なぜなら廊下の先に、目的地が見えてきたからだ。
辿り着いたのは、金糸で這いまわる蔦のような左右対称の装飾を施した、高さ三メートルほどの巨大な観音開きの扉。この先には、きっと別次元のような世界が拡がっている。
―――かつてルカの下へ参上した時と同じような、重圧に満ちた空間が。
せめてもの救いは、今回の謁見がシグマではなくルカが主体ということか。しかしそれでも、あの奇異の目で見られる居心地の悪さは拭えないだろう。
しかしどれだけ拒んだところで、シグマの一存では方針は変わらない。彼に出来ることは、この前のように何事も問題が起こらぬよう祈るばかりだ。
そしてラティスとイオリアが、それぞれ左右の扉に手を掛ける。
「それじゃあ三名様、ごあんな~い」
……前者の間の抜けた声とともに、扉が重く開かれる。中央より広がる裂け目から、斜光が白く伸びていき、やがてそれは扉の前に立っていた全員を照らしていく。
「よくぞ参った! リューズビーリアの長にして、我が愛情を賜りし娘であるルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャよ!」
扉が完全に開け放たれた時、その声は飛んできた。空間を震わすような声量に、思わずシグマとハウルの身が竦む。
けれど名指しで呼ばれた当人、ルカは至って平常なまま中へ足を踏み入れていく。それを見て、慌てて二人も後を追った。
国は違えど、城というのはある程度構造は同じらしい。謁見の場である広間はリューズビーリアのものと比べても大した違いは見受けられず、豪華絢爛の創りを以って訪れた者を迎え入れる。おそらく平民がこの場に足を踏み入れようものなら、床を汚すことを恐れて歩くことさえままならないだろう。
しかしルカは毅然とした歩みで、敷かれた紅のカーペットを闊歩する。やがて壇上の手前で静かに跪く。それを見たシグマとハウルは倣うように、彼女の少し後ろで不器用ながら跪いた。
「御機嫌麗しゅう御座います、アシュタリア陛下。此度はこうして謁見の場を設けて下さりましたこと、心より感謝申し上げます」
「良い。私と其方の仲だ。そう畏まらず、面を上げるがいい」
「……では、御言葉に甘えて」
言葉に倣い、ルカは頭を上げる。
彼女の視線の先には、壇上の玉座に腰かけた蒼のウェストコートに白のマントを身に纏う白髪の男。肩まで伸ばした髪は綺麗に整えられており、彼が男であってもその容姿を損なわないものとなっていた。そして何より目を引くのは、彼の頭頂で豪奢に居座るプラチナと思しきティアラ。所々を何種類もの輝きを持つ宝石をちりばめ、細部を金糸で彩っているそれは、おそらく人一人の人生を余裕で賄えるような価値であることだろう。
ルカがアシュタリアと呼んだその男は、玉座に腰かけたまま彼女と視線を交わして破顔する。
「久しぶりであるな。息災であったか?」
「ええ、多くの者に助けられ、私はまだ健在です」
「其方の活躍は風のうわさで度々耳にしていたぞ。中々上手くやっているようではないか」
「それも皆、陛下の教鞭があってこそ。かつて陛下より承った教えは、今も私の奥底にまで刻み込まれております」
着々と進む二人の会話は、言葉こそ厳格な空気を放っているものの、どこか親子同士の世間話にも似た雰囲気を感じさせた。
「ところで其方も王位継承者を召喚したというではないか。もしやそこの男がそうか?」
「……そう、です。彼がリューズビーリアの継承者で、名をシグマと云います」
二人の視線が集中しているのをシグマは感じ取る。
「そうか。リューズビーリアの継承者であるというのなら、そのように跪かせておくわけにもいかんな。シグマとやら、面を上げるといい」
アシュタリアの許可を受けて、ようやくシグマは地面から視線を離す。その時、ルカがこちらに物言いたげな視線を送ってきていた。どうやら挨拶をしろとのことらしい。
「えっと……ルカ、ライネ様より紹介に預かりました。シグマと言います」
危うくルカと言いそうになり、かろうじて修正に成功するシグマ。幸いにもその失態はアシュタリアには気取られなかったようだ。
ちなみにルカは表情こそ変えていないものの、その目尻が若干痙攣している。
「ふむ……ルカライネのことだ、召喚する継承者はもう少し屈強な者だと思っていたが、これは見かけによらんということか?」
しばしシグマを観察した後、娘と同じような感想を口にするアシュタリア。大事な場面ゆえ、大袈裟なリアクションは取らなかったものの、やはりシグマの心は傷ついた。
ルカは苦虫を潰した顔で首を横に振る。
「私は見た目の強さだけで物事を判断するほど浅薄ではありませんよ。……まあ、覇気が無いという点に関しては同意しますが」
「あの、すみません。もしかして僕、知らない内に御二人を怒らせてしまいましたか? そろそろ泣いてしまいそうなんですけど」
謂れのない批難にとうとう抗議の声を上げるシグマ。そんな彼の反応を見て、アシュタリアは天を仰いで笑う。
「ハハハハハ、いやはや申し訳ない。何せリューズビーリアの継承者は、あのルカライネを打ち負かすほどの実力を備えていると耳に挟んでいたのでな。勝手に筋骨隆々の大男とばかり思うておったわ」
おそらくいくら筋肉ムキムキであろうが、それがルカに勝てる要因になるかはまた別の話である。
「それで、そちらの者は件の虜囚とやらか」
次いでアシュタリアの視線は、今もなお跪き一切の声を発さないハウルに向けられる。興味を向けられることは元よりわかっていたが、それでもシグマは内心冷や汗をかいていた。
(ハウルが属していた国は他国から恐れられているとルカから聞いたけど……)
思い出すのは、リューズビーリアで謁見を行った時のこと。ハウルの正体が露見した途端に、場の空気は一気に張り詰め、あわや衝突する寸前までいった。
ルカに言わせてみれば、ハウル―――というよりアスマジアーニャンの人間に対するあの反応は当然であるとのこと。
であれば、またしてもこの場で周囲の兵士たちに剣の切先を向けられる事態に陥るのではないかと危惧したのだが……
「ではアスマジアーニャンの姫君よ、発言を赦す。面を上げて名を名乗るがいい」
アシュタリアは快活な笑顔を咲かせたまま、そう告げた。
言われたとおり、ハウルは頭を上げる。しかしその表情には戸惑い混じりの驚愕の相があった。
当然だろう。本来なら今の彼女は、この場に居ること自体不遜に値するような身分である。それが発言を許されたどころか、ルカやシグマと同じように頭を上げることまで良しとされたのだから。
「お、お言葉ですが……よろ、しいのですか……?」
だからこそハウルは再度訊ねてみる。しかし答えは変わらず、アシュタリアは大きく頷いた。
「良い。其方は我が親国の領主が連れてきたのだ。であれば、無下にするわけにもいかんだろう」
二度許可をもらってもやはり逡巡の素振りを見せるハウル。しかし、深呼吸を一回行うことで覚悟を決めた。
「アスマジアーニャン第一王女、ハウルス・アルファザード・ロンギニカと申します。以後、お見知りおきを」
「ならばハウルと。其方の国の事情は我々も把握している。どうやら中々に苦労しているようだな」
「いえ、そんな……」
「しかし驚いたぞ。かの国は魑魅魍魎の蔓延る地獄の様だと聞いていたが、蓋を開ければ私の娘とそう変わらんではないか。これでは今まで恐れていたのが莫迦の様だ」
国を貶されながらも自分を悪く言われたわけではないため、ハウルは反応に困るといった表情をしていた。
「だがそれはそれ。アスマジアーニャンの人間が自由に城下を歩き回られては民の皆が怖がってしまうことだろう。其方には悪いが、単独での行動は慎むように。構わんな?」
鋭い視線と共にそう言われ、彼女は小刻みに首を縦に振る。
もとより一人で動き回れるとは思っていない。それどころか牢獄に幽閉されてもおかしくないと彼女は考えていたので、それと比べればまさに破格の待遇だ。
「ではその監視は私かシグマが負いましょう。リューズビーリアが持ってきた事柄である以上、それが当然ですから」
「相分かった」
ルカの提案を快諾するアシュタリアを見て、シグマはホッと息を吐く。ハウルに関する処遇が丸く収まり、肩の荷が下りた。
それにしてもアシュタリアという領主は、想像していた以上に快活で人柄の良い人物だった。あのルカが尊敬に値すると言っていた者だから、シグマはてっきり彼女に引けず劣らずの厳格な堅物かと思っていたが、どうやらその考えは撤回する必要があるらしい。
「では、そろそろ本題へ入りましょう」
するとルカが話題を切り替える。
「陛下、今後の方針についてですが……」
おそらく彼女は王位継承戦においての立ち回りについて、この場である程度確認しておくつもりだったのだろう。しかし、それはアシュタリアが掌を前に突き出し制止をかけたことで遮られる。
「……? 如何されましたか」
「その話をするにはまだ早いということだ。何せこの場には人数が揃っておらん」
「ラティスとイオリアのことですか? たしかに二人は居ませんけど、彼女たちはそもそも王位継承戦に深く関わることがないはず。この場に居なくとも話はできるはずですが」
「否だ、ルカライネ。其方は勘違いをしておる」
「勘違い、ですか?」
「其方は我らシレーニェが争いを忌避し、望んでいないと考えているのだろう。無論、これまでがそうだったのだから、此度もそうだと決めつけるのも無理はない」
するとアシュタリアは両の拳を勢いよく玉座のひじ掛けに叩きつける。厳正な空間に響く炸裂音に、ルカたちは身を怯ませた。
彼の目は酷くぎらついており、先ほどまでのそれとはもはや別人であるかのようだった。
「だが、だがな! それは先代の崩御に伴い変わった。これまで他国の影に隠れて生き永らえていた臆病な国は生まれ変わったのだ‼」
不戦を貫いておきながら、自国の力だけでは成し得ず他国の助力を得るほかない。それがいかに友好国との関係であるのだとしても、彼は腹の奥底で自国の惨めさに屈辱を感じていた。
故に、彼は決断した。これまで通りの形骸を破壊し、如何なる国とも対等であれるための、その一手を。
「これがその答えである! 入ってくるがいい、我がシレーニェが誇りし王位継承者よ!」
瞬間、ルカに戦慄が走る。
しかし彼女が問い質すより速く、背後にあるホールの入口がゆっくりと開いた
振り返ってみれば、そこには三人の姿。内二人はラティスとイオリアであり、それぞれその手には身の丈ほどの杖のような物を握っている。だが、彼女らの変化など些細なことだ。
真に目を引くのは、二人の間で静かに佇む黒服の男。金髪碧眼の整った顔立ちをしており、膝丈までを隠す漆黒のロングコートを羽織っている。その服の下がどのような肉体であるのか定かではないが、見た限りシグマとそう歳は離れていない。しかし全体的に物静かな雰囲気を醸し出しているため、不思議と大人びて見えた。
シグマも、ハウルも、ルカも、皆その姿を見て驚愕に目を見開いている。両脇にシレーニェの人間が並んでいるからこそ、その違いは明確に浮き出ていた。
(耳に……エラが無い……⁉)
シレーニェとはセイレーンの棲む国。半魚人として存在する彼らには、その証明として人間の耳に位置する部分に大小さまざまなエラのような部位が生えている。同じようにリューズビーリアのルカには狼の耳が、アスマジアーニャンのハウルには巻角が、それぞれの国の人間の特徴として存在する。
だが、目の前の男にはそれが何もない。シグマと同じように、特徴となるべき箇所が何も存在しないのだ。
つまりは、シグマにとって当たり前の存在。彼と同じ国―――否、同じ世界の出身者。
遂に現れたもう一人の来訪者は、静かに己の名を語った。
「―――シレーニェ王位継承者、テイラー・エルバトリオ」