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最悪の所業

「となり、いいかしら?」


 ルカライネの言葉にシグマは快く頷き、横にずれる。


「ありがとう」


 礼を言い、開いたスペースに腰かけるルカライネ。その口元には、小さな微笑みが浮かんでいる。


「私、ここから見る夜空が好きなのよ」


 頭上を見上げる彼女に倣い、シグマも再び空を仰ぐ。そこには相も変わらず、見事な星模様が描かれていた。


「疲労や焦燥が溜まってくるとね、見える景色が変わってくる。昨日まで輝いていたものがくすんで見えて、やがて気持ち悪い色に変色していくのよ。けれど、全てが気持ち悪い色に染まった中でも、この夜空だけは色を変えずにいてくれるのよ」


「もとより黒色ですから、他に染まる余地はないですもんね」


「ええ。だからこその不変の景色を眺めていれば、やがて溜まっていた疲労や焦燥も消えていく。そうして気持ちも綺麗にリセットできて、また次を目指せるようになっていくの」


 たしかにこの夜空を眺めていれば、大抵の悩みは霧散するだろう。所詮人の持つ小さな悩みなど、宇宙を連想させるこの空と比べれば砂粒のようなものだ。やがて悩んでいる事すら馬鹿らしくなっていくというのも納得できる。


「って、何をらしくないこと言っているのかしら、私……」


 気恥ずかしさでこめかみに指を添えるルカライネ。


「素敵なことだと思いますけどね」


 シグマとしては一応フォローのつもりだったのだが、どうやら彼女はお気に召さなかった模様。ジト目で睨まれる。


「それが似合わないって言っているの。私が目を輝かせて夢を語るような人物だと思う?」


「……うーん、たしかにそれは違和感があるような」


「そうでしょう。……まったく、そもそもこんなに疲れているのは、貴方たちのせいでもあるんだから」


 シグマは首を傾げる。なぜ自分が責められているのか、ということではなく、その言葉の中に引っかかりを感じたからだ。


「貴方たちというと、僕とハウルのことですか?」


「そこにレオンも付け加えたいけれど。まあ大部分はその通りよ。特に後者、よりによってあのアスマジアーニャンの王女が来るものだから、いろいろと騒がしくなっているわ」


 アスマジアーニャン。ハウルの故郷だとうその国は、名前ばかりを聞くだけで詳細を全く知らないでいる。唯一知り得ることがあるとすれば、それは別の王位継承者に陥落させられたという出来事くらいか。


「そういえば」


 アスマジアーニャンの名を聞いて、シグマはふと先日の謁見のことを思い出した。


 あれは、ハウルの正体がリューズビーリアの面々に露見してしまった時のこと。


「姫君、貴女はハウルのことを『魔族』と呼びましたけど、あれはどういうことですか?」


 侮蔑にも似たその呼称。それをルカライネは、ハウルがアスマジアーニャンの人物だと判明した途端にそう呼んだ。まるで以前よりその呼び方は決定されていたかのように。


「……少し、昔の話をしてあげるわ」


 ルカライネはすぐに答えを出さず、空を仰いだままそう言った。


「遠い昔、まだ王位継承戦が確立して間もない頃、それまでただの一度も参戦を表明してこなかった国があった。一応それなりに大きな国ではあったものだから、始めはどの国も警戒していた。けれど徐々に警戒は薄れていって、やがて「あの国は王位継承戦には参戦しない」と誰もが考えるようになった。

 そしてある時、別の国の間者が手に入れた情報がその考えを確信に導いたの。なんでも、『その国の儀式剣は王位継承者を遍く殺してしまう』と」


「……っ!」


 それは、その情報は、シグマにも聞き覚えのあるものだった。


 懐に抱いている『破滅を謳う(シャルベリア・)永劫不落の白装束(アルファザード)』―――アスマジアーニャンの儀式剣―――が重さを増したように感じた。


「その国は参戦しなかったんじゃない、継承者の不在で参戦できなかったのよ。それを知って、誰もがその国を眼中から消し去った。敵と見做すことも、味方だと手を取り合うこともやめてしまった。そうしてその国は、長い間どの陣営にも与することなく、孤独であり続けた。

 けれど、彼らは心底諦めなかった。誰の関心を失ってなお、どうにかして継承戦を制しようと画策していたのよ。その結果、彼らは最大の非道に手を出した」


 長い時間をかけた勝利への執着は、道徳や人道といった考えを排斥した。それを致命的だとする判断力は既に消えており、もはや勝利以外の全てが目に入らない。


 そのような事態に陥ってしまった国が起こしたこと、それは何か。 


「―――()()()()()()()


 ルカライネは冷徹な声でそう言った。


「彼らは継承者の力を補うために、自国の民草を遍く化け物に変貌させたのよ」


 ゾッと、シグマの背筋をうすら寒いものが走り抜けた。


「そして造られた化け物は兵士として軍隊に編成され、各地の戦場で猛威を振るった。人の身を外れた彼らは力とかも並外れていて、それらと敵対した国に重大な損失を与えたそうよ。けれど、さすがに継承者の力を超えることは叶わなかったみたいだけれどね。最後は継承者の力に敗北し、鎮圧させられたと記録に残っているから。

 とにかく、それが歴史上における、アスマジアーニャンが犯した最悪の所業。それを忘れることなきよう先人から代々と伝え継がれ、今でもかの国は畏怖の対象として知られているわ」


 ルカライネの説明を受けて、シグマは森の中で出会ったゴブリンらのことを思い出していた。


 ゴブリン、オーク、狼男―――出逢った化け物はどれも人としては歪であり、醜悪で脅威極まりなかった。


 だけど、今の彼女の説明が真実であるならば、あの化け物は本来人であったという。


 人が、あんな化け物に。


 それだけでも耐えがたい事実だというのに、あろうことか国民全員を化け物に変えてしまったというのなら、確かにそれは恐るべき所業である。


「でも、じゃあなんでハウルは怪物になっていないんですか?」


「私はあの国の人間じゃないからわからない。ただ、彼らが怪物化を行ったときに、王族だけは例外とされていたらしいわ」


 それを聞いて、ハウルが王族だと露見した理由に合点がいく。そもそもアスマジアーニャンの平民は皆化け物にされたのだから、未だ人の姿を保っている彼女は王族以外にありえないのである。


「誰もがアスマジアーニャンの犯した行いを畏怖し、恐怖と軽蔑の意味を籠めて『魔族』と呼ぶ。そしてその上に立つ国王を『魔王』と呼んでいるわ」


「『魔王』……」


「ええ。これでわかったでしょう? アスマジアーニャンがどれだけ恐ろしいか。そして、あの国の人間がどれだけ悍ましいか」


 謁見の時、ハウルの正体が判明したときにリューズビーリアが臨戦態勢へ移行したのも、今の説明を受けた後なら納得できる。


 彼らは他国の人間だからという理由で剣を抜いたのではない。他ならぬアスマジアーニャンの人間だからこそ、過去の惨劇を自国で起こさせぬように警戒したのだろう。


「でも、ハウルはそんなことはしない……はずだ」


 シグマの擁護は、彼自身が思っていたよりずっと弱々しい。


 だが意外にも、ルカライネは首を縦に振ってそれを肯定した。


「そうね、私も彼女にそんな度胸があるとは思えない。私が少し強気に出ただけで怯える器じゃ、脅威として扱うにはほど遠いわ」


 それについては、シグマも彼女の気迫に圧されて竦んでしまった経験があるので、下手に口答えせず黙殺した。


「それでも、彼女が無実だからとて、彼女の国の罪歴をも無かったことにはできない。彼女が敵かどうかは今後じっくりと判断していくけど、アスマジアーニャンがリューズビーリアにとって敵であることは依然として変わりないわ」


 その声に起伏は無い。たとえシグマがどれだけ説得を試みようと、その考えが覆ることは無いだろう。


 だけど、猶予は見つかった。ルカライネの言う所によると、彼女はまだハウルを敵として処分するつもりは無いらしい。


 曲がりなりにもこの国の最高権力者の言葉。彼女から言質を取れたのなら、それは信用するに値する。


「貴女が賢明な人で、本当に良かった」


 嘘偽りない気持ちをシグマは口にする。


「……賢明、ね」


 ルカライネは表情を変えず、静かにその言葉を反芻する。その目は仰ぎ見る夜空ではなく、どこか別の場所を眺めていた。


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