人としての柔らかさ
お久しぶりです。
年始から身の周りがゴタゴタとし始めまして、この度やっと執筆に手を付けられた所です。
正直、まだいくらかは残ってる問題があるのですが……
まあ少なくとも今の段階では、まだ急ぐものでもないので後回しに。
それにしても約半年ぶりに文章を書いたのですが、やっぱり楽しいものですね。
さあ、遅れた分を取り戻すためにも、日々頑張っていきたいとおもいます。
夢を見ていた。
それは記憶の再生。
様々なものが変化したあの日、洞窟で、彼女の涙を見た。
小柄な体をさらに小さく縮こませ、浮かべる表情は処刑執行を待つ死刑囚のそれ。
つい数時間前まで喜怒哀楽を豊かに表現していたのを知っているからこそ、あらゆる終着を思わせるその貌は、深く心に刻まれた。
―――もう二度と、こんな思いはさせたくない。
力を使うために定めた、確かな誓い。
それを違えぬよう、総ての脅威から守り抜くと決めたのに。
現実は、力だけでは解決できないことばかりだった。
たとえば謁見の時。
決裂に際し戦おうとしたのは全くの愚策。身寄りのない身で、唯一無二の居場所を自ら破壊してしまうところだった。
たとえば演習の時。
傷を付けてはならないという無理難題を課せられ悪戦苦闘の連続。幾度と死を感じながら、それでも破壊しか知らない戦い方では前へ進めなかった。
力だけでは、何もできない。
ただ振り回し破壊し続ければ、後に残るものは何も無くなる。
守ることに固執して、脅威と定めたものを粉砕する。
そのために戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い続け。
その果てに至るのは、荒野と化した平坦な世界。数多の文明が破壊され、進化が停止した不変の光景。
それこそが終着点。全ての害威が取り除かれた究極の理想郷。
けれど、その最果てで、またも見てしまった。
何も無くなった荒野で、独りだけ置き去りにされた彼女の姿。地面にへたり込んでいる彼女に手を貸そうと伸ばしたところで、気づいてしまった。
あの時と同じように泣いている、絶望の表情を―――
「―――起きろ、主」
耳朶に滑り込む厳かな声。途端、シグマの見ていた悪夢は断ち切られる。
突如として暗転した光景に混乱し、慌てて目を開けると―――そこには、こちらを見下ろすシャルベリアの満足げな笑みがあった。
「随分と魘されていた。さぞかし良い夢を見ていたのだろう?」
言われて気づく。シグマの吐息は運動直後のように荒々しく、手先には認識せざるを得ないほどの湿り気を感じる。おそらく冷や汗によるものだろう。
「ここは……」
その疑問も、言い終わる前に気がついた。
少し視線をずらしただけで見える、地平の彼方まで真白の世界。これで何度目かの来訪になる、シャルベリアが有する世界だ。
相変わらず、此処には何もない。儀式剣を抜刀したときに、この場所が粉々に砕けていく様子を見たような気もするが、今では傷の一つもなく綺麗に修復されている。
「……主、そう忙しなく頭を動かすな。こそばゆくて仕方がない」
辺りの様子を観察していたシグマに、頭上から珍しくシャルベリアのくぐもった叱咤が飛んできた。
その意味合いがわからず、彼は首を傾げようとして……後頭部の、妙に柔らかな感触にようやく気がつく。
シャルベリアは正座をするように座り、曝け出した両の太腿にシグマの頭を乗せて、膝枕をしていた。その容量過多な情報が入ってきたことで、シグマの脳内処理系統は一瞬でパンクし硬直する。
その間抜け面を見て、シャルベリアは少しだけ頬を紅潮させながらも、薄く笑う。
「面白い面をする。いや、しかし良いものだな、この『膝枕』というものは。やる前は少しだけ抵抗があったが、いざしてみれば主の変化を直に感じ取れる。眺めて貴様の覚醒を待つよりも、ずっと楽しめたぞ」
意外な反応と言うべきか。
あの狂ったように嗤い昂るシャルベリアが、まさかこんなにも人間らしい表情をすることが意外だった。
が、直後にシグマにも表現しづらい類の恥ずかしさが襲う。
「ご、ごめん! すぐ起きあぐっ⁉」
慌てて上半身を持ち上げようとしたが、それはシャルベリアが両肩を掴んで抑えつけてきたことにより阻止された。
「気にするな。我も別段、嫌というわけではない。こうしたままでも話はできるのだから、このままでも問題はないだろう?」
たしかに話はできる。できるのだろうが、後頭部の感触が気になり過ぎて内容が入ってこない可能性がある。
Q:今日の天気はどうですか?
A:私はカツカレーが大好きです。
最悪、このように問いと答えが不一致になりかねない。そうなった場合、彼女がみるみる不機嫌になっていくことが、容易に想像できた。
ならばこそ、魅惑の感触に翻弄されている場合ではない。シグマは気を引き締めて後頭部の触覚から意識を逸らし、視覚と聴覚に神経を集中させる。
「……なんだ? その今から戦場に赴くような面は」
「気にしないで。それより、話というのは?」
怪訝そうなシャルベリアに、本題に入るよう先を促す。どうにか話題を作っておかないと、後頭部から意識を逸らしきれない。
何だかんだいって、シグマも立派な男の子なのだ。
「ふむ……、まあいいだろう。それより話というのはだな」
シャルベリアは彼の両肩に置いていた手を、撫でるように頬へ持っていく。
そのしなやかな所作に加えて、目を眇め口角を歪ませながらこちらを覗く彼女に、シグマは妖魔的な美麗さを感じ取った。
「―――よくぞ、我を受け入れてくれた」
嬉しそうに告げた彼女の言葉に、シグマもすぐに納得した。
「此度の演習とやらでは退屈極まりないものを見せられるのではと時々呆れていたのだがな、よもやここまでの収穫があるとは思わなかったぞ。これに関してはよくぞ主を追い詰めたと、あのお転婆娘にも礼を言わねばなるまい」
シャルベリアの言うお転婆娘とは、紛れもなくルカライネのことだ。
演習では常に苦戦を強いられ―――たとえ不利な条件が課せられていたことを差し引いても、その強さは本物だった―――その激闘の末に、シグマはシャルベリアの力の全てを受け入れることを選択した。
もしもルカライネが相手でなければあそこまで追い詰められることも無く、シグマも覚悟を決めることは無かっただろう。
「あの時は、ああでもしなければ勝てなかったから」
「それで良い。勝ちに執着するということは非常に重要だ。それが無くば勝てる戦いにも勝てはしない」
そう言うシャルベリアは、とても嬉しそうだった。
永い孤独を耐え抜いて、その果てに自分を受け入れてくれる担い手に出会えたのだ。そんな彼女の歓びは、きっと常人には理解できないほど輝いているに違いない。
「ところで、あの力はあれが全てなのか?」
シグマはふと浮き出た疑問を、力の出所である彼女に訊ねる。
シグマの身体から破り出でる、魔的なほど純白の触腕。それらが紡ぐ圧倒的暴力は、あらゆるものを粉砕し薙ぎ倒していく。
なるほど、これはこの先に起こる数々の戦闘戦斗において、多大なる功績と勝利を生み出すことだろう。実際に今回の演習においても、兵士たちとの戦いでそれは証明されている。
だが、そんな強大な力であるからこそ、シグマはその点について疑問を抱いた。
―――力の在り方が単純すぎる。
圧倒的な破壊。多軍を蹴散らす暴力。人の域を超えた災厄。
どれだけの呼称及び評価を並べたところで、触腕が織り成す攻撃は基本的に『殴打』や『刺突』である。振り回しているエネルギーが桁違いなため勘違いしやすいかもしれないが、結局やっていることは赤ん坊でも理解できるほど単純明快な初歩の動きなのだ。
王として扱う力が、果たしてそれでいいのか。シグマにはわからない。
極限まで突き詰めた初歩の技は、それ自体が単純なために如何なる対策も意味が無くなる。けれど同時に、単純ゆえに見切られやすいのもまた事実。
たとえ幾重の罠や策略を破壊し超えた進軍したとしても、たった一人の豪傑に一撃を躱され逆に急所を貫かれでもすれば、それですべてはお終いである。
それを防ぐためにも、多少複雑であろうが手札は多い方がいい。
「そうだな。察しの通り、我が力は未だ全容を見せておらん。本領を発揮すれば最後、神とも渡り合えるほどのものが確約されるだろうからな」
「なら……」
「だが、貴様にはまだ早すぎる。それを与えるに相応しいと判断するには、知識も経験も不足している。ただでさえ今の力を扱いきれていないのに、さらに超過の力を与えてしまえば目も当てられん結果になるだろう。最悪それは、貴様だけでなく周囲をも巻き込むぞ」
たしかに、それはシグマの望むものではない。
そうなった果てに行き着くのは誰からも認められない暴君だと、ハウルに諭されたのを思い出す。
「そっか、それじゃ仕方ないね」
それは諦観を表した言葉ではない。なぜなら彼の表情には、微塵もそのような色は見られないからだ。
「どんな力にも応えられるように、もっと頑張っていくよ」
シグマは笑っている。気楽にも思えるその笑みは、その実、確かな芯を持っていて。
「……相変わらず、主は面白いな」
伝播するように、シャルベリアも薄く破顔した。
その表情はとても可愛げのあるもので、まるで白百合の様。思わずシグマは見惚れてしまい、知らず彼女の頬を撫でようと無意識に重い腕を上げ―――
「―――、ぁ…………」
突然歪む視界。眼前のシャルベリアを含め、辺り一面が陽炎のように揺らめきだす様は、水中からの景色を思わせる。
「なんだ、もうこんな時間か」
何処か物足りなさげに溜息を吐くシャルベリア。それを視て、シグマは霞んでいく思考で現状を理解した。
―――身体の方が目覚めようとしている。
ここは現実と夢の狭間のような場所。体は眠り、されど意識はしっかり覚醒している場合のみ、訪れることが許される。
もう間もなく、シグマの意識は元の身体へ戻るのだろう。
「あと幾何か、この膝枕とやらを堪能したかったのだがな……仕方なし、では此度の逢瀬は此処でお開きとしよう」
名残惜しさを垣間見せながら、シャルベリアはシグマの双眸にそっと両手を被せる。ただそれだけのことで、シグマの意識の拡散は加速した。
何も見えない、ただ彼女の肌の温もりだけを感じる暗闇で、彼の意識は溶けていき、
「次こそは惨憺たる戦場を、我が欲の器を満たすに足るだけの死闘の場を。どうか目の当たりにさせてくれ。
―――では、去らばだ」
その言葉を最後に、シグマの意識は切断された。
次は明日にでも投稿します。