Juggernaut Counter
インフルエンザにかかりました…
熱が下がり次第、更新しますね…
そして。
二人の頭上で戦斧が弾かれた時、ルカライネは一瞬だけ気をそちらへ向けた。
全体で見れば、ほんの些細な空白。その隙を見逃さず、シグマは告げる。
「―――貴女の敗けだ」
「っ!」
防壁を隔てて聞こえてきた声に、ルカライネはもう何度目になるかわからない一閃を繰り出す。その鋭利な速度を持ちながら肉を切断するだけの重さを携えた斬撃は、狙い過たず防壁に直撃して―――途端、内側から羽広げるように、防壁が破裂した。
「なん……っ⁉」
叩きつけた剣が勢いよく弾かれ、ルカライネは目を剥いて大きく後ろに仰け反る。
ひたすら防御に徹していたシグマが、ここに来て突如変化を見せてきた。彼女が虚を突かれて失態を見せたのはそのためだ。
(―――だけど)
ふと、ルカライネは思う。それは確信めいた答え。彼女には、シグマが自分に攻撃してこないという実感があった。
(こいつは、私と戦ってくれない)
彼女が抱いた感想は、些か事実が異なっていた。
厳密には、シグマはレオンに課せられた条件のせいで、ルカライネと本気で戦えないのだ。
けれど彼女は、彼が本気で戦っていないことを看破して、その上でそのような感想を抱いた。
(どうして……?)
その貌は悔しそうに、ともすれば憎悪一歩手前の感情を映していて。
(どうして?)
まるで相手をしてもらえない子どものように。
(どうして本気で戦おうとしないのよ―――‼)
弱さを見せてはならないと、彼女は己の内だけで不満を叫ぶ。
つまりは、そういうこと。
ルカライネは昂った激情を全て剣に乗せて、もう一度突撃する。
防壁の内側から現れた彼の下へ。迫り来る触腕を一本一本的確に処理していきながら。
一瞬だけ、二人の視線が交差する。彼女を見つめるシグマの瞳は、黒く、深く、濡れていた。
激痛を纏いながら、それでもその眼ができるのは、ある種の達観に近い。
静謐な泉を思わせるほど揺らぎない落ち着きよう。それを、彼女は侮られていると解釈して、
「ふざけるなあああああああああああアアアアアアアアアァァァァァァァァァ―――――ッ!」
ついに絶叫した。
もはや微塵の躊躇もない。あの見ているだけで頭に血が上る腹立たしい愚か者のその頸を、一撃で断頭するべくルカライネは剣を振り翳して―――!
「―――――絡め取れ」
耳朶に滑り込んできたシグマの呟き。
直後―――足元の地面から無数の触腕が躍り出た。
「なにッ⁉」
突然の出来事にルカライネは振りかぶったまま硬直する。
それが、完全な隙となった。
地中から現れた触腕の群れは蠢きのたうちながらも、それぞれが彼女の肢体に絡みついていき、その動きを拘束していく。
全身に触腕が纏わりつく嫌悪感に、彼女は必死で払おうと腕を動かすが―――その両腕はおろか、四肢が万力のような力で固定されて動かない。
完全に捕らえられてしまったことを悟り、歯噛みするルカライネ。その間に、シグマは触腕を操り、絡め取った彼女を宙高くに持ち上げる。
シグマが行ったこと。それは尾てい骨の辺りから触腕を生やし、それを地中に通して彼女の周囲に出現させるという、言ってみれば簡単なことだ。ただし、ルカライネの位置からは、シグマが展開した防壁が文字通り壁となり、その策略は悟られることはなかった。
それにしても、彼女を捕縛したその制御はかなりの精度である。これまで乱雑に振り回すなどの簡単な動きしかできなかった触腕が、今は対象を傷つけず拘束に成功していた。やはりこれは、シグマが激痛を受け入れた代わりに、感覚が鮮明となったことが大きな理由だろう。
今の彼は触腕一本一本を、それぞれ指先を操るような繊細さで行える。だからこそ、ルカライネを傷つけず捕えることは造作もなかった。
そして、全身に触腕が絡みつき、余計な動きができぬよう大の字に拘束されて、高く掲げられている彼女は、屈辱に戦慄きながらシグマを睨む。
「この程度くらい、私の炎で……!」
彼女が燃える。自身に纏わりつく不埒な触手を欠片も残さず焼き尽くすために。
けれど。
「もう目星は点いている。貴女の炎の起点は、その右腕に嵌められた腕輪だ!」
煌々と輝くルカライネの魔術礼装『火炎を纏う緋色の腕輪』を、シグマの触腕は取り上げる。腕輪が外された途端、彼女の火炎は漂うように霧散した。
「しま……っ⁉」
「これでもう貴女には抵抗するための手立てはない。加えて―――」
シグマの言を断ち切るかのように強襲する戦斧。しかし、その刃はまたも彼に届く前に、ハウルの援護によって弾かれた。
「もう誰も、貴女を助けられない」
盤上はルカライネの詰みとなって完成した。もはやここからの挽回は不可能と言ってもいい。
それを理解し、レオンは呆れたようにため息を吐く。
「ああ、これは―――」
拠点から二人の様子を窺いながら、彼は肩をすくめて呟いた。
「我々の敗けですね」
そして、彼は拠点から飛び降りるようにして大地に降り立つ。置いて行かれた近衛兵やメイドたちが慌てた声を上げていたが、当の本人はさして気にしていない様子だった。
一方、ルカライネは未だその瞳から闘志の色を消さない。全身を拘束され身動きが取れず、なおかつ晒し者のように宙に持ち上げられながら、それでも深紅の双眸はシグマを睨んでいた。
「まだ、私は敗けていない!」
シグマは首を横に振って、真っ向から否定する。
「いいや、貴女の敗けだ」
「ふざけるな! 戦場においての敗北とは、血を流し尽くし魔力を使い果たし屍のように成り果てること! 私はまだ血を一滴とも流していなければ、魔力だって余力がある。武器だってたかが炎を奪われただけ、四肢の全ては動くのだから問題ないわ! だというのに貴様は、このような中途半端な状態で私に敗けを認めろというの⁉」
その異常なまでの敗北への拒絶に、優位な立場であるはずのシグマでさえ気圧され息を呑む。
「なんで、そこまで……?」
「私は敗けられない」
呆然としたシグマの呟きに、ルカライネは毅然とした意志を持って回答する。
「私が背負っているのは私の矜持だけじゃない。この場にいる兵士や町の民、果てはこの国全てを背負ってこの戦場に立っている。だからこそ、無様な姿を見せるわけにはいかない。敗北なんて醜態を、私を信じてついてきてくれる者たちに見せるわけにはいかないのよ!」
ギシリ、と。
突然ルカライネに絡みついていた触腕が軋みを上げる。彼女が凄まじい膂力を以って触腕を引き千切ろうとしているのだ。
最後まで抵抗を止めようとはしない彼女の執着に、シグマは内心焦りを感じていた。
(マズい、あのまま無理に力を籠められたら、痣ができてしまう……!)
シグマはこの戦いにおいて、ルカライネを傷つけてはならないとの制約を課されている。そのため彼女に痣ができてしまうことは看過できぬことだ。たとえそれが、未だ戦意を持つ彼女を自由にしてしまう行為だとしても、触腕の拘束を緩めざるを得ない。
(くそ、さすがに意地が悪すぎる! これじゃあ絶対に僕たちは勝てないじゃないか!)
いくら悪態を吐こうとも、現実は変わらない。
せめて最悪の結末だけは回避しようと、やむを得ずシグマは触腕の拘束を緩めようとした。
その時だった。
「はい、そこまでです」
いつの間にか傍に来ていたレオンが、拘束の触腕を一刀の一振りによって叩き切った。
あまりの突然さに、シグマはおろかルカライネでさえ驚愕で目を剥く。けれど後者の方はすぐに厳格な表情に貌を引き締めた。
「助かったわ。これでまだ戦える……!」
戦意をむき出しにして、シグマを睨みつけるルカライネ。その威圧に、彼は思わず後ずさる。
この火炎を司る姫騎士だけでも手を焼いたのに、加えて底の知れないレオンなど、どう甘く見ても勝利のヴィジョンが浮かばない。
万策は尽き、これ以上足掻く体力も無く。
もはやこれまでかと、シグマは悔しさに歯を食い縛る。だが、
「いいえ姫君。この勝負、我々の完全なる敗北です」
あろうことか敵であるレオンが、自陣営の敗けを肯定した。
「え……?」
「な……⁉」
またしても二人揃い絶句する。シグマは思わぬところから救いの手が差し伸べられたことに対する戸惑いから、ルカライネは思わぬところから否定されたことによる憤怒から。
「今は戯言を言っている場合じゃないわ! よりによって一国の軍を束ねる総隊長の貴方が、真っ先にリューズビーリアの敗北を受け入れるなんて!」
敵であるシグマの真前であることも忘れ、ルカライネは激情のままにレオンに詰め寄る。けれど、その抗議を受けて尚、彼の飄々とした態度は崩れない。
「そうは言いますが姫君、これほどまでに敗北条件が重なってしまった今現在、私はどう考えても回天に至れるとは思いません」
「何ですって……?」
「たとえば私が横槍を入れぬまま、お二人の戦いを続けていたとしましょう。この時点で姫君は全身を拘束されており、己が最大の武器である火炎も奪われている。まず全身を拘束されてしまっている時点で致命的ではありますが、仮に拘束から抜け出したとしても、対抗するための手数が足りない。この後の打合いで少しは耐えられるでしょうが、最終的には押されてしまいます。そして、私の援護もハウルさんの迎撃によって事実上無効化されているのも大きいですね」
「けれど今、貴方はここにやってきたわ! たとえ遠方からの援護が撃ち落とされるのだとしても、近距離での助太刀ならばまだわからないでしょう!」
「そうですね。それならばまだ、シグマさんに勝てる可能性はある。……ですが、結局はそれまで。我が陣営の敗北は覆らない」
「どうして?」
「なぜなら、ハウルさんに拠点を襲撃されてしまうからです」
その事実を告げられ、今まで意固地になって反論していたルカライネが息を呑んだ。
なお、シグマはレオンの言わんとするところがわからず、戦闘が収まったのを見計らって駆け寄ってきたハウルに、どういうことか小声で尋ねる。
「……単純に、レオンさんがシグマと戦っていたら、拠点の防御は私でも破れるものになる、って言ってるんだと思う。たぶんだけど、拠点の中ではレオンさんが飛びぬけて強いだけで、他の人たちはさっき戦った兵士たちとそこまで変わらないはずだから」
たしかにハウルはルカライネと戦いの前に、一般兵を尽く吹き飛ばしている。その点を鑑みて、レオンは自分の居ない拠点は彼女一人でも軽々と破られると判断したのだろう。
事実、彼はハウルの言葉にうなずいて同意した。
「かといって双方を相手取ろうと二手に分かれても、確実にシグマさんの猛攻には耐えられず、瞬く間に突破されてしまうでしょうしね。どちらにせよ拠点が陥落してしまうことは免れない」
シグマとしては、そこまで深く考えてはいないのだが(そもそも激痛に支配されている思考ではまともに判断を下せるかも怪しい)、それは口にしないようにした。なぜなら目の前でわなわなと震えているルカライネの無駄な怒りを買いそうだと思ったからだ。
「これでわかったでしょう。我が軍は姫君を含み、皆シグマさんに勝つことはできず、それでも無理に続けようものなら拠点の方が先に陥落する。抵抗するだけ結果を先延ばしにしているだけ、どうあっても敗北は避けられない。
―――我々は、完膚なきまでに敗北しました」
改めて、そう告げられ。
ルカライネは悔しそうに顔を歪ませて、食い縛った歯からは歯軋りの音が聴こえてきそうに。シグマにはその様が、暴れて駄々をこねようとする衝動を必死に抑えつけているかのように―――年相応の振る舞いを必死で押し潰し、律しようとしているかのように―――見えてしまった。
きっと彼女としても、敗北はわかっているのだろう。でも、敗北という結果は受け入れ難いから、どうにかして反論するに足りる事柄を模索しているに違いない。
しかし、すでに盤上は多方面から王手をかけられている。もはやどこにも逃げるところなど存在しない。仮にあったのだとしても、それは袋小路に追い詰められていくだけ。結局逆転の目は現れない。
やがて―――ルカライネは大きく息を吐き、項垂れながら剣を鞘に戻した。
「……悔しいわね、レオン。敗けるということは、こんなにも悔しいのね……」
聞こえてきたその呟きは、厳格で毅然とした彼女からとは思えないほど、弱々しく萎れていた。
「ええ、たとえ演習であったとしても、敗北の味は苦く辛く痛々しい。今回の一戦で、姫君はよく理解できたかと思います」
慰め合いにも似た言葉を交わす二人。
その中にシグマは入っていなかったが、とりあえず聞いていただけでわかったことは、
―――ようやく、この戦いが終わったんだ。
2018年、皆様お疲れ様でした!
本年は例年と比べて予想外の出来事や、新たなる環境の変化で多忙に次ぐ多忙であり、疲労にボロボロになりながらも充実した一年となりました。
そうですね、2019年はもう少し安定して余裕のある生活がしたいと心底思います(本音)
年末も多忙だったせいで結局2章完結までは持っていけませんでしたが、来年はもっとテンポ良く更新していけたらな、なんて理想を語ってみたり。
ともあれ、今年一年ありがとうございました。
また来年もリンカルナーツェを、私ともども宜しくお願いします!