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代償の本懐

メリークリスマス

『いい加減、我が代償から目を逸らすのは止めよ。その半端な感覚では、成せるものすら成せぬだろう』


 ゾッと、シグマの肌が粟吹いた。


 彼女が何を言っているのかわからない……のではなく、その真逆。彼女の言いたいことがわかってしまったから。


 でも、それは、それを受け入れるということは―――


『恐ろしいか? だが、こうでもせねば他に手立てはない。貴様が望む緻密な動きとやらは、貴様が直に操って初めて成せる事柄だ。遠い場所で指示だけ出しても、貴様が思う通りには動きはせん。それに―――』


 口角の歪む気配。今この場において彼女の貌こそ見えないものの、きっとその表情は醜美一体となった底知れぬ感情が満ちているに違いない。


 シグマはそう信じ、次にどのような無茶が彼女の口から飛び出すのか、警戒して構えた。


 だけど、


『我を〝人〟として見て、扱うと決めたのだろう? ならばその意思を今この場で試してやる。貴様は我を、遠ざけて見て見ぬふりをするか、それとも幾千もの針に覆われた我が身をものともせず抱き寄せられるか。さあ、主は一体、どちらを選択する!』


 それを聞いて。


 思わず、シグマは笑ってしまった。


 なんてことは無い。彼女が、今なにを欲して求めているのか、わかってしまったから。


 それによって胸の内で揺らぐ覚悟が完全に固まる。


「シグマ……?」


 突然笑みを浮かべた彼に対して、怪訝そうな表情を見せるハウル。


 そんな彼女に、シグマは顔を向ける。淡い笑みを浮かべた、どこか儚さを感じさせる優しい笑顔だった。


「ハウル」


 シグマは彼女の名を呼ぶ。


 シャルベリアにどちらを選択するかと問われた。その答えは迷うことは無い、始めからわかっているもの。それを引き延ばしてここまで来てしまったのだから、今さら答えを叫ぶだけでは信用は得られないだろう。


 だから、シグマは言葉ではなく行動で示すことにした。



「僕にかけている魔術―――『傷痕を癒す(リチャーブネ)治癒の光膜(・スウェート)』を解除してくれ」

 


 強い意志を持ったその言葉。


『…………は、ハハ……!』


 それを聞いてシャルベリアは、


『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼‼ 悦いぞ、それだ。それでこそだ! やはり貴様を選んで正解だった‼ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼』


 今までの鬱憤を全て吐き出すかのように、盛大に笑い出した。


 少しだけ、彼女の笑い声に安堵を感じる。ああ、やっぱり、彼女はこうでなくては。


「そ、それはダメ! そんなことをしたら、シグマが……っ!」


 一方、ハウルは慌てた様相でシグマの無謀を止めようとする。けれど彼の顔を見ている内に、段々と言葉は尻すぼみになっていった。


 彼の覚悟がわかってしまったから。


「本気、なの……?」


 代わりに、彼女は震える声で確認を取る。それにシグマは迷わずに頷いた。


「彼女を止めるには、触腕を正確に手繰らなければいけない。でも、この遠い感覚ではそれもできないから。この戦いを終わらせるためにも、これは避けては通れない道なんだ」


 求めるものは、針の穴に一発で糸を通せるほどの精密さ。それを可能にするためにはまず、自らの感覚を糸と同調する必要がある。


 そのためにも、今シグマの感覚を遠ざけ代償の激痛を軽減している『傷痕を癒す(リチャーブネ)治癒の光膜(・スウェート)』は枷となっていた。


 だが、それを解呪することは、それ即ち代償の激痛に純粋な数値で味わうということ。それがどれだけの苦痛をもたらすかなど、想像するのも難しい。


 けれど、


「大丈夫だよ。もうこの戦いで痛いのはたくさん味わって、ある程度慣れたから。だから多少の変化なら耐えられるだろうし、仮にそれが想像を絶する変化だとしても僕は耐えてみせる」


 慣れた、というのは彼なりに言葉を濁した結果だ。実際は感覚が麻痺してきているといってもいい。規格外の激痛を長時間にわたり浴び続けた結果、シグマの痛覚神経は死滅する寸前にまで達しているのだ。


 けど、だからどうした。


 まだ意識ははっきりとしている。疲労困憊で錆びた手足も、渾身の力を籠めればまだ動く。


 戦うことに支障はない。まだ、敗北を甘受する時間ではない。


 もう一度、抗うために―――その残滓を振り絞る!


「っ……わかった。でも、ぜったいに無理しちゃダメだからね、ぜったいだからね!」


 強く主張してくるハウルに頷く。そして彼女はおずおずと解呪の為の準備を始めた。


「『摂理を統べる魔導の書』、ページ切り替え」


 彼女の周囲で浮遊していた古本が、音を上げて捲られる。やがてハウルは、躊躇いつつも、その言霊を口にした。


「……『傷痕を癒す(リチャーブネ)治癒の光膜(・スウェート)』―――術式、解除」


 パァン! と、シグマに纏っていた見えない何かが弾け飛んだ。


 途端、遠ざかっていた魂が体の中へ引き戻される感覚。先ほどの飛び出す感覚とはまた逆のものだ。


 そして、それは―――渦巻く激痛の奔流に自ら跳び込むということ。


「―――ァ   ガ― ―――  ―――⁉」


 魂が再び躰に収まった瞬間、シグマの身体が大きく跳ねる。浮かべる形相は毒ガス室に放り込まれた者のそれ。双眸は目尻が裂けるまで見開かれ、亀裂から零れた血がまるで涙のように頬を伝う。息は絶え絶えで、悲鳴すら満足に叫べず途切れ途切れ。やがてあらゆるものに耐えられず、全身を胎児のように丸めて悶え苦しむ。


 多少の変化だと高を括っていた。だが、これは想定以上だ。


 今まで味わってきた激痛とはわけが違う。鮮明となり鋭利さを増した痛みは、より深く、より奥底にまで浸透しグチャグチャにする。


「ヅゥウウ―――――――――デ、も……ッ!」


 シグマは再度激痛に支配され不自然に痙攣する両手を地面に付ける。やがてそれを起点に、腕立て伏せをするように上半身を起こした。


 たしかにこの激痛は脅威的だ。


 でも、だからどうしたというのか。


 先ほどまでの激痛の度数が那由他だとすれば、こちらは不可思議の域。どちらも致命的であることに変わりはない。


 ならば、耐えられる。一度を耐えきったのなら、二度目だって耐えきれる。


 何より―――どのような痛みでも耐えてみせると、そう誓ったのだから。


「OAaaaaaaaaaaaaa――――――――――‼」


 そして今一度、シグマは咆哮を上げて立ち上がる。


『ようやく、貴様を捕まえた』


 頭の中で響く、シャルベリアの愉しそうな声。一瞬だけ、身を纏う激痛が、彼女の抱擁であるかのように錯覚した。


『ハハハハハハハハハ! 貴様の熱を感じる。貴様の鼓動を感じる。そして、貴様の命を感じる! 嗚呼、なんて儚さ、なんて脆く―――愛おしい』


 それが何の意味を持つのかは、今のシグマにとってどうでもいいことだ。


 ただ彼は、真っ直ぐに前を見た。


 視線の先には、シグマの変容を警戒して様子を窺っているルカライネの姿。


 それを捉えるや否や、彼は雄叫びを上げて飛び出した。


 触腕を遍く駆使して得た加速。されどその速度は先ほどまでの倍はあろう。


 ともすれば自身の身体すら崩壊しかねない速度で突撃してくるシグマに対し、ルカライネは流れるように迎撃の構えを取る。


「そんな、愚直なだけの攻撃で!」


 突き出された触腕の爪を弾き、彼女はシグマの横を潜り抜けるようにして突進を回避する。


 するとシグマは触腕を地面に突き立て、突撃の慣性を殺すため急ブレーキをかける。その速度を完全に殺しきるため、触腕は地面を削りながら抉っていく。


 そして速度が収まるとシグマは転身、背後を狙っていた彼女の剣に触腕の鞭を叩きつけた。


「くッ、この……!」


 衝撃によって体勢が崩れたルカライネは―――隙を取られぬようにするためだろう―――再び内側から炎が生みだし、膨張させる。周囲を尽く焼き尽すその火炎は、如何なる者も焼失以外の結末を辿れない。


 それをシグマは、咄嗟に構えた触腕の防壁で受け止めた。


 その間に、ルカライネは崩れた体勢を立て直し、突撃。その勢いを加算した刺突を見舞う。


 けれど切先は防壁を破ること叶わず。鈍い金属音を上げて弾かれる。


「なら、何度でも!」


 炎の軌跡が幾重にも躍る、連続の剣舞。それは一度や二度ではなく、その防壁が砕けるまで何度でも何回でも、ルカライネは攻撃の勢いを緩めない。


 きっと彼女の中に、撤退の二文字は欠片ほども存在しないのだろう。


 だが、それは。


 ―――この時において、致命的な判断となる。


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