双極ノ脅威
「…………グマ、シグマっ!」
瞬間、鼓膜を震わせたハウルの悲痛な声で正気に戻る。
激痛に縛られた身体を無理やり起こせば、目の前では彼女が必死に魔術を紡ぎながら彼の名を呼んでいた。どうやらハウルは、倒れたシグマにルカライネを近づけさせないよう、間に割り込んで牽制を行っているらしい。
少し遠くを見れば、やはりルカライネが噴炎の加速を用いて縦横無尽に大地を疾駆しながら攻撃を回避し続けていた。
―――このままじゃ、僕も、ハウルも、彼女には勝てない。
その答えは明白だった。
ハウルの術式は如何なるものも通用せず、シグマの攻撃も半端なものでは凌がれてしまう。
なまじルカライネが相当の手練れである分、傷を付けぬようにするには至難の業……よりも深刻で、もはや不可能と言って良い。
かといって成されるがままにされれば、敗北は避けられない。シグマもハウルも自分の価値を証明できないまま、この国の隅に追いやられて追い出されるに違いない。
覚悟を決める必要がある。反故か、それとも遵守か。
(……賭けるしかない、彼女の強さに!)
あれほどの身体能力と戦闘力を持ち合わせているなら、普通なら撃破できるような強力な攻撃も上手く受け止めてくれるに違いないと。
そう信じて、シグマは触腕に神経を通す。……ひどく動きが悪い。演習以前から思っていることだが、この鈍い感覚では精密制御などまるで無理だろう。
だが、我が儘を言っている場合ではない。シグマは十五本の触腕のうち、六本を背後で一対の巨大な羽のように広げさせる。
同時に、残りの触腕を全て地面に接地。ばねの働きを模せるよう、それぞれを深く屈ませる。
あとは狙いを定めるだけ。今は縦横無尽に動き回るルカライネも、いつかは必ず止まる。その瞬間を見逃さぬよう、シグマは全神経を起動して突撃の構えに入った―――‼
◇◇◇◇◇
そして。
戦場から離れた拠点で、レオンはその様子を遠見礼装で窺っていた。
「おやおや、これはちょっとまずいかもしれないですね」
見ただけでの所感ではあるが、シグマの持つ雰囲気が変化した。具体的にはその目つき。あれは先ほどまで抵抗に励んでいた者の目ではない。真逆、隙を見出して狩りに行こうとする獣の目だ。
「どうやら彼も覚悟を決めたようだ。それが起死回生の一手を計るものか、あるいは自滅覚悟の玉砕を計るかは判断できませんが。何にせよ、あの状態ならば、さすがの姫君も手を焼くかもしれないですね」
しかし、それを易々と見逃すレオンではない。彼もまたルカライネに付き従う者。主に手を出そうとする輩には、如何なる者にも容赦しない。
「では不肖の身ながら、私も姫君の援護をすると致しましょうか」
肉眼で彼方の戦場を眺め、不敵に嗤うレオン。
その手には彼の背丈ほどの、巨大な戦斧が握られている。
◆◆◆◆◆
そして、遂にその時が来た。
ハウルが魔術の切り替えを行おうと光弾の放出を取り止めた矢先、その隙を狙ってかルカライネは回避を止め突撃の構えに入ろうと一瞬だけ動きを止める。
普通ならば見逃していただろう僅かな隙も、始めからそれだけを狙っていたシグマには千載一遇の好機となる。
ハウルの危うい場面の度に前へ跳び出そうという衝動をひたすら押さえ続けて得たその瞬間。
見逃す気など、更々ない。
「―――ァアッ‼」
足元の地面を後方へ弾き飛ばし、凄まじいスピードでルカライネに接近するシグマ。
「―――ッ⁉」
彼女もこちらを捉え、驚愕の相を浮かべた。
だが対応は早い。突撃の構えから流れるように防御の型へ移行し、シグマの攻撃を受け止めようと計る。けれど、些か行動が遅かった。
コンマ一秒、シグマの方が早い。彼女が防御の構えを完全にする前に、彼は片翼の三本の触腕を掲げて眼前まで迫り来ている。
「これで―――!」
振りかぶった片翼は獣の凶爪のように。
一秒後、放たれる。
こここからどう足掻こうと、彼女はこれを避けることは叶わないし、たとえ受け止めても無理な防御の型では崩されるのが自明の理。
「終わりです!」
シグマはその触腕を迷うことなく振り下ろそうとした。
その寸前で。
―――斬‼ という音と共に、掲げていた触腕が消失した。
「……は……?」
振り下ろした触腕の軽さに呆然とする。見れば触腕はみな綺麗に切断され、短くなったそれらではルカライネにまで届かず、二人の間を掻く形となった。
この変化は彼女によるものではない。なぜならシグマは振り下ろすまでの間、終始彼女を捉えていた。別段、目立った動きは見せておらず、そもそも今現在だって、彼女は崩れた防御の型のまま変わっていない。
ならばこれは第三者によるものだ。そう判断した時、視界の端にある物が見えた。
それは、高速で横回転しながら飛翔する巨大なギロチンだった。
厳密には、高速回転により円盤状に見える戦斧。それはヘリコプターのプロペラのような空を切る音を上げながら、拠点に向かって飛んでいく。
そして、戻ってきた己の獲物の柄をレオンは勢いよく掴みキャッチする。
してやったり、とほくそ笑む彼の貌をシグマは見た。
―――あんな遠くから、攻撃を仕掛けてきたっていうのか……⁉
新たなる脅威にシグマが戦慄した、その時。
「私から目を逸らす余裕があるのかしら?」
ルカライネの正拳突きが、またも鳩尾に炸裂した。
こみ上げる吐き気。だけどそれを吐き出す前に、彼女は拳撃や蹴撃を織り交ぜた追撃を打ち込んでくる。吐く間はおろか、息を吸う時間だってない。
「っ、ハウル!」
たまらず、シグマは後方の仲間に援護を求めた。すると返事の代わりに光弾の応酬が殺到、ルカライネを弾き飛ばそうと目論むが、彼女は横に飛び退いて攻撃を回避した。
同時にシグマも後方に飛び退き、ハウルの横に着地する。
「シグマ、このままじゃ……」
「わかってる、でも」
互いに思うことなど、一つしかない。
このままでは負ける。シグマもハウルも、ルカライネを討つことができないまま、共に潰えるのがオチだ。
だから、前提条件を見直す必要がある。
そもそもこの演習において、シグマ側に設定された勝利条件は三つ。内二つの〝リューズビーリア軍の全滅〟と〝ルカライネの撃破〟は、彼女の打倒を諦めた時点で叶わない。
そして、残る条件は〝拠点の制圧〟。あらゆる手立てが塞がれていく中で、これだけがシグマに唯一勝利の可能性を与えるものとなる。
もう一度、彼は遠くで構える拠点を視た。そこでは戦斧を肩に担ぎこちらを見下ろすレオンの姿。
あの場所に行くということは、即ち彼と戦うということ。きっと一筋縄ではいかないだろうが、それでもルカライネよりはマシだろうと自分に言い聞かせる。
「ハウル、君が防御に徹したとして、どれくらいルカライネの攻撃に耐えられる?」
「え? ど、どうだろう。一応防御術式の補強をしたから、前よりは強度が上がっているはずだけど……」
ハウルはルカライネの方を一瞥して、やがて静かに首を振った。
「たぶん五分も保てばいい方だと思う」
「五分か……わかった。じゃあ今から、彼女を食い止めてもらってもいい?」
「え、えぇ⁉」
思わぬ要望に、たまらずハウルは大きな声を上げた。
「僕はその間に拠点を制圧する。事をスムーズに進ませるためにも、彼女の妨害は無い方が良い」
なぜハウルに拠点の制圧を任せて、シグマはルカライネを食い止めようとしないのかというと、それは単純に速度の問題である。仮に彼が彼女を食い止めようと奮闘したところで、やはり稼げるのは多く見積もっても五分ほど。ハウルが食い止めるのと大差はない。
一方で、拠点の制圧にどちらが短時間で済むのかと問われれば、それは断然シグマに天秤が傾くだろう。ハウルとて様々な攻撃用の術式を保持しているが、一つ一つの威力はさして高くない。しかしシグマの攻撃は苛烈にて強力。こと破壊に関しては、彼の方が優位に運べる。
それ故の役割分担。始めは宙に両手を彷徨わせてうろたえていたハウルも、やがてシグマの意思をくみ取り覚悟を決めたか、おずおずと頷いた。
「防御術式、起動」
ハウルが唱えた途端、彼女の周囲を薄い藍色の膜が覆う。気のせいか、色の濃度が森で見た時よりも濃くなっているように感じた。
「これで良し。じゃあシグマ……その、できるだけ急いでね」
「わかってる。ハウルも頑張って」
互いに励まし合い、絶望的な状況に立ち向かうための勇気を補う。
そして二人は、立ち塞がる姫騎士に向き直った。